ドットインストール代表のライフハックブログ
日本語をただされるのって本当に腹が立つ。「全然大丈夫だろ」とか言っただけで「全然っていうのは否定形にしか続かないんだよ」とか脊髄反射で注意してくるご年配の方々がいて、さらには「最近の若者は正しい日本語も喋れないのか」とか言い出して一人で血圧をあげていらっしゃる。あほか。 基本的に言葉というのは進化するもので、正しい日本語などというのは存在しない。相手に伝わるかどうかが言葉としての価値な訳で、相手と意思疎通を図りやすい形に日々言葉は形状を変えている。従来とは全く違った意味で言葉が使われ始めて、そちら側が主流になった場合はそれが正しい日本語なわけで。 例えば「確信犯」って言葉は本来は「政治的な意図があってなされる犯罪」のことを言うのだが、今では「悪いことと認識していながらわざとなされる犯罪」という意味で使われている。しかし、会話や文章として「確信犯」という言葉を使う時は確実に後者だろう。前者の
進化論というのは先入観のみが先行し、発見された遺跡というものを、その先入観に無理やり組み込めたのです。 例えば教科書などによく用いられるジャワ原人。発見された骨は頭蓋骨、歯、大腿骨の3つだけでした。そして頭蓋骨と大腿骨は10メートル以上離れた場所で発見されているのです。つまり同一の体だと思われる理由は全くありません。普通恐竜などで新種らしき遺跡が見つかった場合、全身の遺跡が同一地点で発見されない限り新種だと認められることはまずありません。そして発見された場所はインドネシアの過去森林地帯であったと思われる場所です。普通なら見当違いも甚だしいはずなのに、発見したデュボワは、人間はサルから進化したんだと強く思い込んでいたため、この遺跡をサルと人間の中間に位置づけたのです。 また北京原人の場合。中国ではサルの脳みそを食べる習慣があり、サルの骨とヒトの骨が同一地点で見つかる可能性は十分にあるのです。
ヒトには宗教を受け入れる先天的な素地があるという説はありますよ。それによれば宗教の進化的意義は 1.宗教を信じること自体が適応である説(理解を超える自然現象などに擬人的な説明を与えた方が、上手くやっていけた) 2.子供の学習能力という適応的な形質に幼児洗礼などで便乗したタチの悪い疫病説。(進化の副産物説) がありますね。これは歴史の話になってしまうかな。 直接の問題としては、宗教はカンタン、自然科学は難しいと言う点が大きいと思います。科学的な知識の蓄積が増えたとは言っても、人の脳みそは変わっていない。宗教はさすがに歴史が古いだけあって、無学な人に作り話を信じ込ませるレトリックを多く持っています。端的でわかりやすく、耳障りがよい。自然科学はそうではない。努力をしなければ理解できないし、努力をしても完全に理解することはむずかしい。しかも必ずしも耳障りが良いわけではない。誰だって、良い行いをしよ
“アルゴリズム”は、もっとも非人間的なものの代表だともいえる。ソーシャルメディアにとって、そのアルゴリズムが不可欠だというのは、実に皮肉めいている。 僕はこの間、グーグルがどうやってユーザーデータを集めているかについて書いた記事を掲載した(前編、後編)。今回は、著名なソーシャルメディアサイトが、ユーザーデータを活用する上でどのようにアルゴリズムを用いているのか、白日の下にさらそう。 ソーシャルメディアを成り立たせているのは人間の力だが、ユーザーが入力したデータを利用できる状態にする仕組みは、アルゴリズムによって作られている。現在活動している無数のソーシャルメディアサイトで実証済みのことだが、ユーザーの関与とアルゴリズムによる処理ルールの上手いバランスを見出すことは、とても難しくなりがちだ。これから紹介するアルゴリズムは、悪意のないユーザーと結びついて初めてうまくいくものだ。 人気ソーシャル
第一幕。 ▽第一場/第1曲「助けてくれ!」。竜に追われた王子タミーノが登場する。ブルノ公演では、竜は四人で扱うほどの大きな仕掛けだった。夜の女王の侍女たちはそれぞれ傘を持っており、その傘を銃のように扱って、竜を殺す。傘を持つ魔法使いは“メリー・ポピンズ”を連想させた。侍女が現われてから竜が死ぬまでは、ものの数小節しかなく、展開の早さと呆気なさに唖然としてしまう。この場面の転換の早さはさらに続き、タミーノの姿に見とれた侍女たちはお互いに争うかと思えば、アッという間に三人そろって女王に報告することに決める。「だめよ、だめ(ナイン、ナイン)」と三人のかけ合いとなる歌の滑稽さも特筆できる。この三人の侍女は私の好きなキャラクターで、魔法の他愛なさが目立つ歌である。そもそもこの場面の魔法は、まがいもの(キッチュ)っぽいことが了解される。 モーツアルトの歌劇を現代化した演出で話題を呼んだピーター・セ
[読書] 長野順子『オペラのイコロジー3・魔笛』(ありな書房、2007年1月刊) (以下は、『図書新聞』第2814号、3月17日に私が書いた書評です。図書新聞社の了解を得て、以下に転載します。写真は表紙より。1815年、フリードリッヒ・シンケル演出の舞台スケッチ「夜の女王」。) 「夜の女王」の目線で捉える新しさ ――長野順子『魔笛』 多層的物語が結果として「啓蒙の弁証法」を表現 植村恒一郎 モーツァルト『魔笛』を観るのが、また一段と楽しくなった。魅力的な案内書が一冊増えたからである。著者は桐朋音大出身の美学者で、『魔笛』の多層的構造を、キャラクターの解明、主要なアリアの音楽分析、物語の思想的背景、上演の舞台装置などによって解き明かしてみせる。特に素晴しいのは、80枚を越える貴重な図版だ。初演時のポスターや人物のさし絵、ゲーテやシンケルが演出した舞台装置スケッチなどが全編に散りばめられてい
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