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世界史に関するhystericgrammarのブックマーク (16)

  • 地政学リスクの全体像の整理 | 三菱UFJリサーチ&コンサルティング

    レポートの内容 1.地政学リスクの俯瞰 2.米国の政治動向 3.中国政治動向 4.米中対立の論点 5.台湾有事の可能性 6.アセアンの政治リスク 7.中東情勢とエネルギー問題 8.ロシアウクライナ戦争とその影響 9.まとめ 続きは全文紹介をご覧ください。

    地政学リスクの全体像の整理 | 三菱UFJリサーチ&コンサルティング
  • 「世界史」の世界史(学術俯瞰講義)

    コーディネータ:羽田 正 ナビゲータ:後藤 春美 皆さんの多くは、高等学校で「世界史」を学習したはずです。大学入試の科目として「世界史」を選択した人も多いでしょう。ですから、ちょうど数学の定理や物理の法則のように、高校生が世界中で同じ世界史を学んでいるのだと信じているのではないでしょうか。しかし、実はそうではありません。 世界史という名前の科目は、日中国など東アジア諸国に特徴的にみられ、欧米や中東などでは単に「歴史」と呼ばれる科目しかありません。また、大筋は同じだとしても、国によって、教科書の内容は微妙に異なっています。世界史は、決して一つではないのです。なぜでしょう。 世界史の理解は、自分たちの生きる世界をどう認識するかということ、すなわち世界観と深くかかわっているからです。現代世界でも、人々の世界観は同じではありません。まして、過去においては、地域や時代によって様々な世界観があり、

    「世界史」の世界史(学術俯瞰講義)
  • 【雑想】改めて「ユダヤ人とは何者か?」 - 諸概念の迷宮(Things got frantic)

    久し振りにこの話ですね。 今愛の投稿の契機は以下のTweet。 「ナチスは良い事もした」論、普通に言われてるモノは大体論破されてて支持しづらいけど、トニー・ジャットの 「東欧からユダヤ人とドイツ人が消え、それまでは実現不可能だった安定した国民国家の基盤ができた」 説は、色々真っ黒な前提を呑まなければ主張できない覚悟した腹黒さがあって好き。 — ちびくろ参謀 (@CSambo) 2022年5月28日 ナチの経済政策の数々は「開戦前に経済が破綻して良いなら」という前提をつけねばならんし、ロケットはペーネミュンデ内の外国人労働者の処刑もアリなんですか?となるし、禁煙運動も動物愛護法もロクでもないし。 今のドイツを見てたら、あの時代この人たちに他の選択ができた訳がないとも思うけど。 — ちびくろ参謀 (@CSambo) 2022年5月28日 「ユダヤ人の女の子に優しく接したヒトラー」 の記事にした

    【雑想】改めて「ユダヤ人とは何者か?」 - 諸概念の迷宮(Things got frantic)
  • ロシア革命後に成立した短命の社会主義国 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ロシア革命後に雨後の筍のように成立した社会主義政権 二月革命によりロマノフ王朝が崩壊し、内乱を経てボリシェヴィキによる政権が成立するまで、ロシア国内とその周辺国では、数多くの政権が成立しました。ボリシェヴィキ系、メンシェヴィキ系、民主主義勢力、少数民族系、傀儡政権などさまざまな勢力がありました。社会主義政権というだけでもさまざまありまして、今回は革命後に成立したいくつかの特徴ある社会主義政権を見ていきたいと思います。 1.水兵・建設労働者ソビエト共和国(1917年~1918年) Work by FugeeCamp 3か月間存在したエストニアのロシア水兵の政権 水兵・建設労働者ソビエト共和国は1917年12月から1918年2月までの短い間に、現在のエストニア・ナルゲン島にあったソビエト共和国です。 ドイツとソ連との間に結ばれたブレスト=リトフスク条約によって、ロシアはバルト諸国を含む多くの地

    ロシア革命後に成立した短命の社会主義国 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 忘れられた軍隊:誰もが忘れた沿ドニエストルの戦勝記念パレード

    著:ステイン・ミッツアー(編訳:Tarao Goo) 公式には沿ドニエストル・モルドバ共和国(PMR)と呼ばれる沿ドニエストル(トランスニストリア)はモルドバとウクライナの間に位置する分断国家であり、1990年にソビエト社会主義共和国として独立を宣言した後の1992年にモルドバから流血を伴った離脱をして以来、世界からの注目を避け続けています。 1992 年に武力紛争が終結したにもかかわらず、沿ドニエストルの状況は 1990年代と同様に複雑なままです。同国はロシア連邦への加盟を希望する儚い国でありながら、経済産出量としてモルドバへのわずかな農産物の輸出に大きく依存し続けているのです。 現在のところ、いずれも自身が未承認国家であるアブハジア共和国、南オセチア共和国と(何とか残った)アルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ)のみから承認されていますが、沿ドニエストルは自らの陸軍と航空兵力、そして独自

    忘れられた軍隊:誰もが忘れた沿ドニエストルの戦勝記念パレード
  • ルドゥート - Wikipedia

    バミューダ諸島のデヴォンシャー・リダウト[1]のイラスト、1614年 ルドゥート[2](仏: redoute、英語では リダウト[3]、redoubtまたはredout[4][5]、イタリア語ではridotto)とは、要塞の主構築物[2]の外側を取り囲む、砲床を備えた守備用の小さな砦、または砦のシステムのこと。石や煉瓦で建造されることもあるが、土木工事で済ませることが多い[6]。 日語訳は、方形堡(ほうけいほう)[7]、角面堡(かくめんほう)[8]、とりで[7][9]、要塞[7][9]、など。 ルドゥートは植民地時代、ヨーロッパの帝国の多くが軍事的戦略の一要素とした。その概念は中世からあったが、17世紀のヴォーバン式要塞で有名になった。しかし、20世紀になると、機動戦が主流となり、攻城戦の重要性は薄れた。 イングランド内戦中、砲撃から要塞を防御する目的でルドゥートが作られることが多かった

    ルドゥート - Wikipedia
  • 連載:庄司朝美「トビリシより愛を込めて」第1回「Sketch of Tbilisi」

    連載:庄司朝美「トビリシより愛を込めて」第1回「Sketch of Tbilisi」 2月末から海外研修先として、黒海とカスピ海のあいだにある小国・ジョージアに滞在している画家の庄司朝美。渡航直前の2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が開始された。隣国とも言えるウクライナの情勢を身近に感じながら、独自の文化を育んできたジョージアからの通信をお届けする新連載。 文=庄司朝美 長い間座っていたせいで、お腹に石を抱えているみたいだった。頭を天井にぶつけないようにギクシャクと体を動かして、ようやくトビリシに降り立った。飛行機の窓から見えたジョージアの大地は、埃っぽくて茶色がかっていて、なんというか色彩がなかった。明らかに日とは違う光景が目の前にあるにもかかわらず、ボワボワとして異国に来たという感触がない。1年分の荷物を引き摺って空港のドアを抜けると、ようやく外の空気に触れた。19時間着

    連載:庄司朝美「トビリシより愛を込めて」第1回「Sketch of Tbilisi」
  • Welcome to the Gardens of the Roman Empire - Gardens of the Roman Empire

    The peoples of the Roman Empire conducted their lives outdoors in gardens, parks, groves, tomb gardens and other designed environments. Whether created by highly skilled topiarii such as the freedman Tiberius Claudius Turiscus in Rome, by an anonymous team of gardeners and trainees at a tomb in Andematunum, Germania, or by a shopkeeper in Pompeii, gardens have left material traces discoverable fro

    Welcome to the Gardens of the Roman Empire - Gardens of the Roman Empire
  • Vol.01 公共事業コンペを勝ち抜け!──フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の場合|リナシタッ

    クーリエ・ジャポン読者のみなさま、はじめまして! かけだし西洋美術史研究者、めりと申します。 研究しているのは、「名作」と呼ばれる美術作品がドンドコ制作された奇跡のような時代、イタリア・ルネサンスの美術です。 ちなみに、「ルネサンス」はフランス語で19世紀に使われはじめた言葉ですが、16世紀当時のイタリア語ではこれを「リナシタ」(rinascita、再生)と呼んでいます。 さて、これらの名作はそもそもどのようにして「名作」になっていったのでしょうか。 現代の私たちがルネサンス期の名作と出会う場と言えば、美術館の展覧会がほとんどですが、当時はいまのような美術館というものがそもそもありませんでした。 では芸術家たちはどのように制作し、作品を世に出していたのでしょうか。 当時は「オーダーメイド」が常識でした。芸術家たちは、主な顧客である権力者や貴族のもとに営業におもむき、注文を取り、絵画や彫刻と

    Vol.01 公共事業コンペを勝ち抜け!──フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の場合|リナシタッ
  • 文字が語りかける民族意識:カラホトと西夏文字 | 貴重書で綴るシルクロード

    北京の東北、万里の長城で有名な八達嶺の手前に位置する居庸関には、雲台(1)と呼ばれる過街塔がある。塔自体は元末明初に損壊したが、下部のトンネルの左右両壁には、建立の由来などが6種の文字で刻まれて残っている。このうち5種類の文字については、それがランツァ文字(梵語)、チベット文字、パスパ文字(蒙古語)、ウイグル文字、漢字であることは以前からわかっていた。しかし、残りの1種は、いったいどこの文字なのだろうか。 長い間不明のままだったこの文字が、実は「西夏文字」という文字であることが判明するには、19世紀フランスの東洋学者・ドゥベリア(Devéria, Gabriel)の指摘を待たねばならなかった。居庸関が造られたのは1345年と、中国の長い歴史から見ればそれほど昔のことではないというのに、いったいなぜ、西夏文字はこれほどまでに忘れ去られてしまったのだろうか。 西夏文字とは、現在の寧夏から甘粛・

  • A History of European Integration(基盤研究(A)「リージョナル・コモンズの研究―地域秩序形成の東アジア=ヨーロッパ比較―」)

    『ヨーロッパ統合史』のサポートサイトへようこそ。 ここは科研費・基盤研究(A)「リージョナル・コモンズの研究―地域秩序形成の東アジア=ヨーロッパ比較―」(研究代表者:遠藤乾)でのプロジェクトの一環としてヨーロッパ統合史に関連した情報を集めたウェブサイトです。 遠藤乾編『ヨーロッパ統合史』『【原典】ヨーロッパ統合史』(名古屋大学出版会)に掲載された内容の一部を紹介するほかに、新たな情報もこのウェブサイトで発信していきます。 → 遠藤乾(編)『ヨーロッパ統合史[増補版]』の情報。 遠藤乾(編)『原典ヨーロッパ統合史:史料と解説』の情報。(名古屋大学出版会のサイトへ)

  • 郷土の英雄 | 国立民族学博物館

    聖ゲオルギオス像の前で、記念撮影をする地元のキリスト教徒たち=パレスナ自治区ベツレヘムで2014年1月、筆者撮影 ジョージ、ときいて、あなたならどんな人物を思い浮かべるだろうか。読書家ならジョージ・オーウェル、ロック好きならジョージ・ハリスン、映画好きならジョージ・クルーニー。いずれもイギリス人やアメリカ人なのは、その名の由来となった聖ジョージが、イングランドの守護聖人であり、キリスト教の殉教聖人でも屈指の人気を誇る存在であるからにほかならない。 しかしその聖ジョージことゲオルギオス、実はイングランド人ではなくパレスチナ人だと言ったら、驚かれるだろうか。パレスチナには、彼の母親がパレスチナ人であり、聖人自身も幼少期をパレスチナで過ごしたという伝承があるのだ。 ローマ帝国時代最後のキリスト教徒大迫害で殉教したとされる彼の墓は、現在はイスラエル領にあたるリッダという町にある。墓所に建てられたギ

    hystericgrammar
    hystericgrammar 2016/09/02
    聖ジョージことゲオルギオス 菅瀬晶子(国立民族学博物館准教授)
  • 柄谷行人と「帝国」論の隘路 ――ウィットフォーゲルとマルクスの間で(上) | ちきゅう座

    <石井知章(いしいともあき):明治大学教授> 「わがヨーロッパの反動派が、すぐ目の前に迫っているアジアヘの逃亡のさい、ついに万里の長城にたどりつき極反動と極保守主義の堡に通じる門前にたったとき、門の上に次の文字をみないと誰が知ろう――中華共和国・自由、平等、友愛」(『マルクス・エンゲルス全集』、第7巻、223-224頁)。 はじめに 柄谷行人の『世界史の構造』(岩波書店、2010年)は、前著『トランス・クリティーク――カントとマルクス』(2001年)で最初に提出された「交換様式」の観点から社会構成体の歴史そのものを見直すという方法によって、現在の<資=ネーション=国家>を超える展望を開くことを主な目的としていた。柄谷にとって、「マルクスをカントから読み、カントをマルクスから読む」という行為は、ヘーゲルをその前後に立つ二人を「批判的に」読むということを意味している。ここで柄谷は、マルクスの

  • オミッド・サーフィ先生:「文脈、文脈、文脈」 – 裏庭の雑記

    デューク大学イスラム学センターのディレクターをつとめるオミッド・サーフィ先生がOn Being with Krista Tippettというとこに書いている週1連載のコラムがあります。毎週木曜更新なのですが、1/7更新分のはふだんの倍近い長文でした。 “Ten Ways on How Not To Think About the Iran/Saudi Conflict”。他の要因はすっとばして「宗派対立」で説明しちゃいたくなる誘惑は強い。スンニー、シーアといった宗派の相違が対立の要因に全くなっていないとは言わないが、でも決してそれ『だけ』ではない。文冒頭にもある通り、要約するとそういうことが書かれたコラムですが、では理解するためには何が必要なのか、 let me share a few points that I think might be useful to keep in mind

    オミッド・サーフィ先生:「文脈、文脈、文脈」 – 裏庭の雑記
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