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opensourceとhistoryに関するhyoshiokのブックマーク (3)

  • ハッカー民族誌 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    ハッカーズ、Hackers、スティーブン・レビー著、再読 - 未来のいつか/hyoshiokの日記で読んだハッカー達は、主に1960年代から70年代くらいまでの人たちだ。MITのテック鉄道模型クラブの連中とか、PC革命を引っ張っていった西海岸のハードウェアおたく達だ。 そして、70年代にソフトウェア産業が生まれ、ハッカー達がどんどん新興のベンダーに参加して、MITの研究所にあったようなコンピュータ好きというだけで生きていけたユートピアは消えた。 スティーブン・レビーは、ハッカーズのエピローグ「真正ハッカーの終焉」でリチャード・ストールマンが最後のハッカーとして孤軍奮闘している姿を描いている。AI研究所にいた多くのハッカー達がビジネスの世界に旅立っていったときに、彼だけが、最後までハッカー倫理を実現することを夢見て勝ち目のない戦いをしている。その悲観的な未来像でハッカーズは終わっている。80

    ハッカー民族誌 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    hyoshiok
    hyoshiok 2014/05/16
    1 ハッカーズからネットスケープのソースコード公開あたりまでのハッカー民族誌
  • かつてオープンソースが当たり前じゃないころがあった - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    先日文明塾の修了生のみなさまとお話したときのこと(コミュニティとしての大学 - 未来のいつか/hyoshiokの日記参照)。ハッカー文化とかオープンソースのことをあれやこれやお話したのだけど、その中で現役の学生さんから「ゼミでIT係を担ってからよくソースコードを何気なく閲覧してしいました。しかし、自由にソースコードが見れる環境が衝撃的で素晴らしいことであることに吉岡さんのお話を聞いて学ばせていただきました。」という感想をいただいた。 そうだ。すっかり忘れていた。オープンソースが当たり前じゃない時代があった。とてつもない衝撃を受けた自分がいたことをすっかり忘れていた。 1998年1月。Netscapeが自社のブラウザのソースコードを公開するということを発表した。当時のシリコンバレー日記にそのことを書いている。http://web.archive.org/web/19990423102903/

    かつてオープンソースが当たり前じゃないころがあった - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    hyoshiok
    hyoshiok 2014/04/26
    1 すっかり当たり前だと思っていたけど、オープンソースが当たり前じゃないころがあったんだよな。
  • UNIX エンジニアの失われた10年 - hatenablog.utashiro.com

    どうして部屋を片付けたくなるのだろうか 来週に締切を控えているせいで片付けが進む。整理をしていたら、株式会社ネットスプリングの西武さんに頼まれて寄稿した同社の NSQuest という冊子 が発見された。記事は 2007年2月頃に発刊された Vol.1 と Vol.2 に分かれて掲載されている。ちなみに表題は自分で付けたものではない。 改めて読み返してみても考え方に変化はないが、1985-1995 頃の10年間というのは、シグマプロジェクトのおかげかそうでないのか、皮肉にも日で UNIX エンジニアが最も増えた時期と重なっているとも思う。最後の部分は Google Code とかで解決する方向に進んでいるのだろうか? だとすれば次の課題は、部屋を片付けずに原稿を書く方法を考えることだ。 オープンソース文化考察 1993年の12月、情報処理学会の九州支部シンポジウムに呼ばれて「Unix オペ

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