1957年11月3日、ライカを乗せたソ連のスプートニク2号はバイコヌール宇宙基地から打ち上げられ、地球軌道に到達した。それ以前にも米ソが動物を宇宙に送り出していたが、弾道飛行のみで軌道を周回するまでは至っていなかった(宇宙に行った動物を参照)。実験にオスではなくメスの犬が選ばれたのは、排泄姿勢の問題からである。 スプートニク2号は大気圏再突入が不可能な設計だったため、1958年4月14日、大気圏再突入の際に崩壊した。ライカは打ち上げから10日後に薬入りの餌を与えられて安楽死させられた、とされていた。 しかし、1999年の複数のロシア政府筋の情報によると、「ライカはキャビンの欠陥による過熱で、打ち上げの4日後に死んでいた」という。さらに2002年10月、スプートニク2号の計画にかかわったディミトリ・マラシェンコフは、ライカは打ち上げ数時間後に過熱とストレスにより死んでいた、と論文で発表した。