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2024年4月18日のブックマーク (4件)

  • Amazonで遺骨の永代供養が出来るサービスが登場 - お寺とのやり取りも不要

    ビーテイルは4月24日、Amazonを用いた新サービス「楽養(らくよう) ご遺骨 永代供養サービス」の提供を開始する。 楽養梱包イメージ 提供を開始するのは、Amazon.co.jpを使って手軽に遺骨の永代供養が出来るサービス。 方法は、Amazon.co.jpで梱包キットを注文し、届いた梱包キットへ必要書類と遺骨を同梱して郵送するのみで、従来のようなお寺とのやり取りをせず、明瞭な金額で遺骨を供養する事が可能となる。 梱包キット 永代供養は、熊野の地にある、開創1200年の歴史を持つ大泰寺(だいたいじ)で執り行い、法要後に永代供養納骨証明書が贈られる。

    Amazonで遺骨の永代供養が出来るサービスが登場 - お寺とのやり取りも不要
    arajin
    arajin 2024/04/18
    “永代供養は、熊野の地にある、開創1200年の歴史を持つ大泰寺(だいたいじ)で執り行い、法要後に永代供養納骨証明書が贈られる。”
  • 大型書店が好きな自分にとって理想的なアプリだったhonto withのこと - golden-luckyの日記

    ほぼすべての個人が専用の情報端末を持ち歩く社会でありながら、印刷製された「紙書籍」というパッケージの形で知識や物語に接することを好む人がまだまだ十分に多く、その小売りに特化した店舗が「書店」として成立できていた2024年、それでも年々縮小する需要の前に小規模な書店はすでに次々と姿を消し、紙書籍を求める人たちの受け皿として役割を果たしていたのは都市部に残された大型書店だった。それら大型書店の広大な店頭には無数の紙書籍が並び、しかもそれは毎日のように増大していく。なぜなら紙書籍は、それを生み出すことを生業とする出版社にとって、たとえ読者の手に渡ることがなくても流通に載せさえすれば収益になる商材でもあったからだ。産業の末路である。 紙書籍を好む人の多くは大型書店が好きだったと思う。コンセプトが明確でエッジを効かせた小規模書店への憧れはあるけれど、必ずしも選書や店主が個人のバイブスに合うとは限ら

    大型書店が好きな自分にとって理想的なアプリだったhonto withのこと - golden-luckyの日記
    arajin
    arajin 2024/04/18
    honto withの「欲しい本」は1000冊までしか入力できないのよね…。
  • 「PuTTY」に秘密鍵が復元できてしまう深刻な脆弱性 ~「WinSCP」など他ツールにも影響/v0.81への更新と鍵の再生成を

    「PuTTY」に秘密鍵が復元できてしまう深刻な脆弱性 ~「WinSCP」など他ツールにも影響/v0.81への更新と鍵の再生成を
    arajin
    arajin 2024/04/18
    “「PuTTY」はさまざまなアプリにバンドル(同梱)されているので注意。「FileZilla」や「TortoiseGit」にはすでに対策版がある(それぞれv3.67.0、v2.15.0.1 hotfix)。「WinSCP」にはまだアップデートがない”
  • ボケた親を見捨ててはいけないの? - Everything you've ever Dreamed

    呆けてしまった親を見捨ててはいけないのだろうか。冷たいようだけれども各々好きにすればいい、と僕は思う。面倒をみるのも見捨てるのも正しい。僕の母はさいわい元気で、呆けるのは貸した金を返すように僕が文句をいうときだけである。僕自身は家族に面倒をみてもらいたいとは思わない。つか面倒をみてくれる家族がいなかった。奥様からは「キミがボケても面倒はみないから」と言われている。ハードコア・ライフだ。そんなことを考えているのは、実家の裏に住んでいる高齢女性が原因のちょっとした騒動に巻き込まれて警察沙汰になりかけたからだ。母からは裏のオバサンが呆けてヤバいという話を聞かされていた。「約束をすっかり忘れる。約束したことすら覚えていない」「一緒に出かけて帰ってきた直後にまだ出かけないの?と訊いてくる」「娘の旦那宛の電話をウチにかけてくる」等々。オバサンは母よりも少し年上なので八十代前半。僕の一学年上の娘が一人い

    ボケた親を見捨ててはいけないの? - Everything you've ever Dreamed
    arajin
    arajin 2024/04/18
    “縁を切ることで、守られるものが確かにあるのだ。”