一枚の写真がある。四本柱に囲まれた土俵に3人の人間が上がっている。両脇は背広姿の紳士だが、真ん中に着物姿の若緑がいる。遠景だがさすがに神妙な 顔をしている。のちに語ったそうである。「土俵に上がってみて女相撲の土俵と男相撲の土俵が全然違うことがわかったの。土俵の大きさなんかじゃなく、 男相撲の土俵には女相撲の土俵には無い特別なものがあるようで、ワタシが土俵に上がっている間、土俵の下から聞こえてくるんです。『男の土俵に女は上がるな』 って。土俵の神様かしら?男性と女性の差別なんてないけれど、女が入れない、男だけの世界があってもいいんじゃないかしら。高砂親方の好意は大変嬉しかった けど、もう二度と男相撲の土俵には上がらないわ。土俵の神様に叱られそうだから・・・」 全員大阪乗り込み。夜、「ちゃんこ朝潮」徳庵店にて後援会特別会員とのちゃんこ会。あすが番付発表である。 男女間の差がなくなったと言われる
1917年(大正6) 山形県宮内町(現南陽市) に生まれる。 1934年(昭和9) 17歳のとき家出 石山女相撲興行に入門 女大関若緑として一世を 風靡 1941年(昭和16) 24歳で引退 四国松山へ 化粧回し姿 人気絶頂の若緑はブロマイドの 売れ行きもナンバーワン だったという。 石山女相撲 総女力士プロマイド (矢印が若緑) 昭和11年 満州慰問興行 土俵上の勝力士が若緑 力芸一番の呼び物 「腹の上の餅つき」 「腹受け」ともいわれ、 一番下の女力士は 我慢しきれず意識を 失い息を引き取った 者もいたという。 力芸「歯力」 十六貫目の米俵を 歯でくわえて 持ち上げる。 虫歯のある人は 絶対にできない。 歯の丈夫な人でも 俵をくわえそこなうと 歯を欠く。 前歯をいうっぺんに 全部とれてしまった 者もいた。 力芸「五人持ち」 一人の力士が 五人の力士を担ぐ。 石山女相撲 戦後のビラ 明治2
時天空をご存知だろうか。時天空はモンゴル出身の力士で、土俵上での華麗な足さばきによって知られている。かく言うわたしも時天空の足技が好きだ。本人には申し訳ないが時天空が一番好きな力士というわけではないけれど、しかし、彼が勝つと思わずにやりとしてしまう。 土俵の上で時天空はいつも、仏像のようなふてぶてしい顔をしている。立ち会い、ぶつかって両者まわしを取る。相手力士の真っ赤な顔。だが時天空は、素知らぬ風に足をかける。相手の力士は、しまった!という顔でバランスを失い倒れる。 時天空は裾払いが得意だ。蹴手繰りだって飛び出す。 時天空の相撲は、わたしが相撲だと漠然と思い描いているものの輪郭から、時折大いにはみ出す。だからわたしは時天空が好きだ。柔道のようだと思うかもしれない。モンゴル相撲のブフは、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。時天空の相撲は、イマジネーションを広げてくれさえする。あの器用な足
日馬富士暴行事件の影響は絶大だ。今場所は、注射、談合が消えてしまい、土俵は毎日がほぼガチンコだ。モンゴル互助会も、幕内談合連合もなくなった。全力士が激しくぶつかりあっている。 これは、見ていては面白いが、やっているほうはたまらない。 その結果、2連敗した照ノ富士が早々と弱音をはいて、“もういやだ休場”し、白鵬が2連敗後に“ふてくされ休場”してしまった。そして、稀勢の里が4敗を喫して、とうとう毎度おなじみの“仕方ない休場”してしまった。さらに、最年長の安美錦も右膝故障で“無念休場”となった。 このまま、ガチンコによる壮絶な星の潰し合いが続けば、もっと、ケガ人、休場者が出るのは間違いないだろう。誰もが、豪風のように、力を抜くのが上手いわけではない。 それなのに、メディアは根本問題にふれない。テレビに出ているコメンテーターの方々も、核心を突くことは言わない。ここまでの流れで形成された「横暴横綱・
日馬富士は22日まで「横綱」と呼ばれる、最も強い力士の一人だった。日馬富士は10月25日、宴席で年下の力士に暴行を加え、頭部を骨折させたとされる。メディアは何週間も暴力事件を大々的に報じ、警察の捜査も行われた。
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