世界の歴史で「政治的に見て意味があったデモ」ではほとんどの場合巻き添えでも死者が出てデモによって社会活動が長い間麻痺している。ものすごく迷惑なデモだけが社会を動かす。迷惑かける気のない(迷惑かけていないなどと言いたい)デモなどやるな。 自分の自由は他人の迷惑,他人の自由は自分の迷惑。他人からの迷惑は最大限受忍が自分の自由のためになる。
http://d.hatena.ne.jp/quagma/20110105/p1 こちら↑を拝見して。 私は、このエントリーおよびコメント欄において言われている「表現の自由キリッ」について、その意味するところがいまいち把握しきれない感があった。しかし、今回のやり取りを通して、私は「ああ、これか」と思ったのである。 「表現の自由キリッ」っていうのは、本来「表現の自由」の出番ではない場面で「表現の自由」によって自己の行為を正当化できると考えるズレた振舞いを揶揄した言葉なのではないか。 別段このような理解に異を唱えたいわけでもなく、また言うまでもなく「表現の自由キリッ」の定義に関して私が特権的な立場にあるわけでもないけれども、まあこれもなにかの縁と思ってこの機会に私が「キリッ」にどのような意味あいをこめているのか説明しておこうかな、と。 この表現の前提になっているのは次のような認識です。 法規制
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma そういえば某ちくま新書から出た某新書では、ぼくの3年前の東工大授業の南京大虐殺否定騒動が取り上げられているのだが、これでははてなサヨクと同じレベルじゃないかと暗澹たる気持ちになった。ぼくがなにを言ったのか、ちゃんと確認しようよ。 2010-06-24 09:35:00 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 当時から言ってますが、ぼくは南京事件は(あるていど小規模だと思いますが)あったと思います。しかしそれとは別に、南京事件を否定する言論の自由は確保しなければならないと思います。そのためにピーター・シンガーとか引用しました。 2010-06-24 09:36:15
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