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応報感情に関するz0racのブックマーク (11)

  • 原発稼動するしないではなくて事故の責任明確化を争点にしてほしい - アンカテ

    中毒でも責任者は処罰されるんだから、原発事故の責任を取る人がいないのはおかしい。 責任を取らなくていいならやることを変えられるとは思えないので、それを前提にするなら、現実的な比較は、脱原発か次の原発事故かどちらを選択するのかという話だと思う。 どちらにしても経済は滅茶苦茶になるが、事故で滅茶苦茶になるのは経済だけではないので、その比較なら脱原発の方がまだマシだと思う。 私は、3.11後しばらくは、「自分は数年後餓死するのかもしれない」と考えていた。原発を止めたら経済が破綻して、自分の仕事はなくなり、文字通りえなくなるかもしれないと思った。それでも原発は止めるしかないだろうと思った。議論するまでもなくやがてそうなると思っていたが、幸か不幸か、その予想ははずれた。自分が普通と思うことが、世の中からとんでもなくズレていた、ということは何度も経験があるが、今回は特にそれを痛切に感じた。 しかし

    原発稼動するしないではなくて事故の責任明確化を争点にしてほしい - アンカテ
    z0rac
    z0rac 2012/11/28
    再発防止に必要なのは説明責任であって結果責任ではない。/これも応報感情ってヤツだろうか。こういう考えの人は必然的に自分の失敗を隠蔽するよね。
  • 人を殺して切断して懲役7年の判決となる社会は、君達が望んだものではなかったか - 法華狼の日記

    渋谷妹殺害事件について、精神鑑定をほぼ受け入れた地裁判決が出た。もともと検察の求刑も懲役17年だったのだが、さらに軽い懲役7年だ。逆に、弁護側の主張よりは重い刑であることも注意しておく。 http://mainichi.jp/select/today/news/20080527k0000e040067000c.html 東京都渋谷区の歯科医宅で06年、長女の短大生、武藤亜澄さん(当時20歳)が殺害、切断された事件で、殺人と死体損壊の罪に問われた兄の元予備校生、勇貴被告(23)に対し、東京地裁(秋葉康弘裁判長)は27日、懲役7年(求刑・懲役17年)を言い渡した。死体損壊罪については無罪とした。 判決は勇貴被告の責任能力について「殺害時には完全責任能力があったものの、死体損壊時には心神喪失の状態にあった可能性が否定できない」と判断した。 公判では、勇貴被告を精神鑑定した鑑定医が「殺害時は心神耗

    人を殺して切断して懲役7年の判決となる社会は、君達が望んだものではなかったか - 法華狼の日記
    z0rac
    z0rac 2008/05/29
    社会性が薄いからなぁ。同じ家庭内殺人でも親が子を殺した場合はもっと感情的な意見が出そう。/個人的には多重人格認定の方が興味深い。この判事は2回目らしい。
  • 理屈がわかる、それゆえに死刑判決へ拒否感を持つ - 法華狼の日記

    風の精ルーラ氏が、はてなダイアリーで長崎市長銃撃犯への死刑判決要旨を論評していた。 http://d.hatena.ne.jp/windspiritroula/20080526/1211811388 確かに、殺害人数は一人です。殺人罪であっても、別に一人なら死刑にならないというわけではありませんが、殺害人数が重要なメルクマールになってきたのは間違いのない事実だと思われるので、弁護する方としてもその点を徹底的に主張するのは当然だと思われるのですが、それにしても情状があまりにもひどすぎるのです。光市事件でさえ、これに比べれば情状はましなのではとさえ思えてしまうほどです。 指摘される通り、あらかじめ銃を用意した暴力団員による殺人であり、極めて計画的な犯行と考えていいだろう。 選挙活動中ということもあり、民主主義に挑戦する凶悪な犯罪という成句が当てはまる。暴力的な人権抑圧への反発に対する蔑称などで

    理屈がわかる、それゆえに死刑判決へ拒否感を持つ - 法華狼の日記
    z0rac
    z0rac 2008/05/29
    地裁だからとは思うんだけど、上告はするんだろうか。
  • 純粋なココロ 2.0: 僕たちは、犯罪被害者の方たちの思いやりに対し、感謝するべきなのではないだろうか

    ↑タコシエ・オンラインにて絶賛発売中!通販可能!在庫切れの際はご容赦ください。 【関連サイト】 ・純粋なココロ(旧サイト) ・世界のはて(はてなダイアリー別館) ・Twitter@Masao 【はしごたんは暴論。ブコメはさらに暴論】 ・heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ(ブックマーク) はしごたんが言っていること自体は、暴論だと思う。ただ、はしごたんがなぜ人間に対してこれほどの敵意を持つようになったのかという背景を考えると、複雑な気持ちになる。 僕が不快だと感じたのは、はしごたんが持つ人間への恨みを「異常なもの」とし、「更正」しようとするような発言がブコメ等で多く眼についたことだ。それは、ただでさえ負の感情に染まっている人間を、さらに追い詰めることにしかならないだろう。 【赦すことなどでき

    z0rac
    z0rac 2007/11/09
    うーん。「恨み」を自然とすることで被害者を「恨み」に束縛していまいか。/「恨み」は「自然」と云うには複雑なモノ。「被害→恨み」という社会的方向付けは無いのか?
  • 「国家の暴力 − 戦争・死刑・人権」報告

    アムネスティ死刑廃止ネットワーク東京は、2004年10月23日、在日大韓基督教東京教会において、高橋哲哉氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)を講師に招き、「国家の暴力―戦争・死刑・人権」と題する講演会をおこなった。(共催:日キリスト教協議会「在日外国人」の人権委員会) 国家による暴力とはどのような性質を持つものなのか、「報復」と「処罰」との関係はどうあるべきかなど、高橋氏の専門である哲学からの考察と、いま日で進みつつある憲法の改定と国家の暴力の問題などについて広く語っていただいた。 以下に講演の内容を収録する。(文責は死刑廃止ネットワーク東京) [ 1 ] きょうは「国家の暴力」ということで、戦争、死刑、人権について一緒に考えたいという、そういう会を用意してくださいました。 戦争と死刑には「国家の暴力」という点で共通性があるということは、皆さんも日ごろお感じになっていることと思

  • 「罪と罰」は実存の問題である - 犯罪被害者の法哲学

    犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。 犯罪者が自ら犯した事実を否認したくなる心情は、極めて実存的なものである。自白することは辛い。それは、赤の他人である警察官や検察官の取調べを受けることにより、実存の主体としての自分が否定されるからである。これは、犯罪者は被害者に対しては悪いことをしているが、警察官や検察官に対しては何も悪いことをしていないという構造に伴うものである。これに対して、否認をするならば、犯罪者はそこで実存を回復することができる。嘘をつけばつくほど、人生は主体的となる。そして、権力に逆らえば逆らうほど、人生は自律的となる。 権力に逆らう被告人は、「裁判を受ける」とは言わず、「裁判を闘う」と言うことが多い。これも、実存的な心情を率直に表している。自らの意思に反して裁判の場で裁かれることは、実存の主体

    「罪と罰」は実存の問題である - 犯罪被害者の法哲学
  • 極刑求め15万人が署名 闇サイト殺人、地検に提出 - MSN産経ニュース

    名古屋市千種区で8月、同市の会社員、磯谷利恵さん=当時(31)=が拉致、殺害され、闇サイトで知り合って犯行に及んだとして3人の男が強盗殺人罪などで起訴された事件で、磯谷さんの母、富美子さん(56)が23日、全国から集まった3被告の極刑を求める署名約15万人分を名古屋地検に提出した。 富美子さんは「何の罪もない娘にひどいことをしたこの人たちは人間ではない。裁判官に親の気持ちを分かってほしい」と声を震わせながら語り、段ボール4箱分の署名を地検庁舎に運び入れた。 遺族は先月半ばから署名活動を始め、街頭だけでなくホームページでも呼び掛けた。励ましの手紙も多く寄せられ、海外に住む日人や外国人の署名もあったという。

    z0rac
    z0rac 2007/10/24
    なぜ殺すのか。
  • 死刑廃止に関する質問と回答 2

    死刑廃止に関してアムネスティに寄せられた質問と それに対する回答を掲載することによって、広く疑問を共有し 死刑制度について考えてみたいと思います。 アムネスティに対する質問 その2 犯罪については、厳正なる裁判の結果、真実を導き出すことが必要です。 以下で述べるのは、無実の罪や良心の囚人、政治犯などを除いた、人道に反した凶悪犯罪者についてです。 被告人の犯罪が事実であると完全に証明された後の犯人に対する刑について論じています。 私は、罪のない多くの人々の人権を蹂躙してきた凶悪犯罪者の人権ですら、なぜ御会が保護しようとするのか、理解できません。 たしかに、犯罪者を死刑にしたところで、犠牲になって死んだ人は生き返りません。 しかし、だからといって、死刑制度は意味のない殺生であるとは私は思いません。 私の考える死刑制度の意味は、 1.このような凶悪犯罪者をふたたび世に出すと、再び罪

    z0rac
    z0rac 2007/10/23
    「抑止力」って考え方がそもそも無茶苦茶。未来に起こるかもしれない犯罪を防ぐために、その犯罪とは無関係な人間(死刑囚)を殺すなんて馬鹿げた話。生贄と変わらん。
  • 悪意について。悪意とは。 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    誰かに殴られたから、殴り返した。この殴り返したくなる感情は、悪意ではない。殴られれば怒ってやり返したくなるのは当然。 別に何も相手から危害を加えられてもいず、相手に対して怒りも感じていないのに、その相手を積極的に傷害してやりたい、と感じるのは、悪意だろう。 悪意が生ずる、悪意が成立するのは、相手あってのことだ。自分ひとりの中でどろどろとした感情を練り上げても、それが別の誰か(単独の人物とは限らない)に向かうベクトルを持たない限り、悪意という形はとらない。 一方、それゆえに悪意は表現形で判断されるものであり、ある行為について悪意の有無が取り沙汰されることがある。もともと悪意があったかなかったか、ではなく、表現形が悪意的であったかなかったか、のほうが重要である、という観点が存在するわけだ。 なにより、なぜ悪意は存在するのだろう。 幼い子どもに悪意は存在しない。子どもは無垢だ、という意味では全く

    悪意について。悪意とは。 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    z0rac
    z0rac 2007/10/23
    「この殴り返したくなる感情は、悪意ではない。」...悪意だと思うが。
  • 応報感情? - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 dennouprionさん*2から「死刑に賛成する人は応報感情がおもな根拠なので、パラドクスを大して感じないだろうと思いますが」という突っ込みをいただいた。 「応報感情」について思ったこと少々。「応報感情」は、自分の身内や友人を殺された人の感情と、それ以外の人々(社会の第三者的成員)の感情に分けられると思う。勿論、その境界はリジッドなものではない。身内の人の「応報感情」についていえば、私にとっての〈重要な他者〉の存在というのはその他の人間の死によって等価交換的に清算できるものではないので、常に究極的には挫折することが運命づけられている。却って、その喪失の重大さを増大せしめるのではないかとも思われる。しかしながら、自分にとっての〈重要な他者〉を殺した奴がぬくぬくと生存していることが許せないという感情は十分に理解可能である。関東大震災の時に大杉栄とその家族が官憲の関係者に虐殺された*

    応報感情? - Living, Loving, Thinking, Again
    z0rac
    z0rac 2007/09/23
    死刑制度関連で。
  • 【死刑考】他人の死を望んだり喜んだりする感覚って人間としてどうよ

    あいかわらず、この国の死刑制度に対する存置世論は強いようで、、、 痛いニュース(ノ∀`)【光市母子惨殺】 元少年「生きたい」「検察、僕をなめないでいただきたい」…弁護団、涙で「こんなに胸を張って弁護できたことはない」 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1033297.html ブログ主の編集方針が偏ってるって事情を差し引いても「吊るせ吊るせの大合唱」状態。あまりに人の命の重さに対する感覚が軽すぎるんじゃなかろうか? 気にわないやつが殺されたらスッキリするっていう人権感覚が蔓延したら「正義のための人殺しは容認される」っていうことにならないかと心配だ。 さてそれにしても、僕にはむしろ悲しみにくれる被害者を救済する手段が「被告の死だけしかない」というこの国の現状こそ問題にすべきだと思える。 刑事裁判の目的が、被害者救済ではなく社会秩序の維持に偏っ

    【死刑考】他人の死を望んだり喜んだりする感覚って人間としてどうよ
    z0rac
    z0rac 2007/09/22
    うん。1点を除いて全面同意。/人命よりコストを優先するのもアリ。その分を社会保障に廻せる。/死を望むのは社会的な刷り込みだろう。テレビでは勧善懲悪の物語が多いから。
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