名前を隠して楽しく日記。
TSMC社員の上位何割かの出生率が高くなるだけなんですよね。
この例をわかってる人も行政の少子化対策は全員をTSMC社員にするかのような政策を支持してきたわけ。
巨額の社会保障費を使って。
このツケはいつか払わなければならないわけですが、TSMC社員にするのが少子化対策になると信じてるアホには何を言っても無駄なのだろうね。
彼と初めて出会ったのは、友人の紹介だった。婚活イベントの一環で開かれた「趣味コン」。テーマは「食べ歩き好きが集まるフレンチディナー会」だった。私は一人で行くのも気が引けたので、気の合う友人と一緒に参加した。会場はオシャレなフレンチビストロ。美味しい料理を楽しみながら、ゆるく会話を楽しむというコンセプトだった。
その彼は、隣の席に座っていた。少し緊張しているのか、どこかぎこちない笑顔を浮かべていたが、話してみると意外と楽しい人だった。「僕、こういうの初めてでさ」と少し照れくさそうに言いながらも、フランス料理について熱心に質問してきた。
最初は聞き間違いかと思った。でも、その後も彼は「バケットってさ、外がパリパリで美味しいよね」と連発する。少し違和感を感じたけど、「まあ、細かいことはいいか」と軽く流すことにした。彼の真剣な目とちょっとしたユーモアに惹かれたのだ。
数回のデートを重ね、彼が「次は家で手料理を振る舞いたい」と提案してくれた。彼の手料理?と驚いたけれど、彼が張り切っている様子に、私も少し期待を抱いた。そして迎えた料理デート当日。彼は玄関先でこう言った。
「フランスパンが重要だと思ったから、ネットでバケットを取り寄せたんだ!」
彼の家に入り、テーブルの上を見た瞬間、私は目を疑った。そこにあったのは、銀色に光るブリキのバケツだった。
彼はそれを指差しながら、自信満々に言う。
……何を言っているのかわからない。目の前にあるのは、どう見てもパンではなく、庭で土を運ぶためのバケツだ。彼の表情を見ても、冗談を言っている様子ではない。
私は恐る恐る聞いた。「えっと、これ…フランスパンじゃないよね?」
彼は慌ててスマホを取り出し、注文画面を確認し始めた。そして、おもむろに言った。
「いや、これがバケットでしょ?フレンチバケットって書いてあるし!」
画面に映った商品説明には、確かに「French Bucket」と書かれていた。レビューには「頑丈で長持ち!」とか「ガーデニングに最適!」といった文言が並んでいる。彼はしばらく沈黙した後、小さく呟いた。
「……あれ?これ、食べられないの?」
その瞬間、私はすべてを悟った。彼はずっと「バゲット」を「バケット」と呼び続け、さらにそれを心の底から信じていたのだ。オシャレなフレンチディナー会で出会った彼。フランス料理好きな私の期待を背負って、ネット注文までしてくれた彼。そして届いたのが、これだ。
笑うべきか泣くべきか迷ったが、私はブリキのバケツを見つめながら言った。
「ねぇ、このバケツ…何かに使おうか。パンは、近くのパン屋さんで買ってこよう?」
彼は真っ赤になりながらも、すぐに「そうだね」と答えてくれた。そして、近所のベーカリーで本物のバゲットを買い、なんとかディナーを無事終えた。でも、心の中には小さなモヤモヤが残った。
愛嬌のある人だし、一生懸命なところも好感が持てる。でも、フランスパンとバケツの違いすら気づかない彼と、一緒に未来を描けるのだろうか?そんな疑問が胸をよぎる。
帰り道、彼のことをどうするべきか考えながら、友達にLINEした。
「ねぇ、今日のデート、バケット(バケツ)問題で大事件が起きたんだけど…!」
ひろゆきの
「イエス」か「ノー」で答えてください
ってやつ、使い所間違えるとただの馬鹿だよな。
「カレーは好きですか?」
って聞かれて、ココイチは好きじゃないけどゴーゴーカレーは好きなんだよなってときにうまく答えられないので、例外が出てきたときだけ否定すればいいかと「イエス」で答えると「ココイチを食え」と言われる。
んで、食べたくないので「イエスかノーでって言うから〜」と反論すると
「では答えられないと最初に言ってください」と言われる。
ん?女はナチュラルに息を吐くように嘘をつくってこと?
結局孤独が人を狂わすんやろなあ
再投稿は人権である。その理由は、再投稿という行為が自己表現の自由の一環であり、投稿者が自身の声を何度でも届ける権利を守るものであるからだ。表現の自由は、個人が自らの考えや体験を伝える基本的な権利であり、それが匿名で行われる場であろうと、その価値は変わらない。再投稿の否定は、この表現の自由を制限し、声を上げる機会を奪うものであり、許されるべきではない。
再投稿を「甘え」と批判する声は、表現の自由の本質を理解していない。その批判は、投稿者が同じ内容を繰り返すことで伝えたいメッセージの重要性や切実さを無視し、表現の場を狭める行為である。特に匿名の場においては、投稿者が自分の言葉を届けるために選ぶ唯一の手段が再投稿であることも少なくない。これを否定することは、声を届ける術を持たない者の人権を奪う行為に他ならない。
再投稿は、情報の流れを断絶しないための行動である。匿名ダイアリーのような速いペースで更新されるプラットフォームでは、一度の投稿では多くの読者に届かない可能性が高い。そのため、再投稿は投稿者が平等に自身の意見を広める権利を確保するために必要不可欠な手段である。再投稿を否定することは、社会的に価値のある情報が共有される機会を減らすだけでなく、投稿者の自己表現の権利を奪う暴力的な抑圧である。
再投稿は自己表現の自由であり、平等な情報発信の機会を確保するための基本的な権利である。これを揶揄し否定する行為は、個人の尊厳を踏みにじり、匿名ダイアリーが持つ多様な声を育む場としての価値を損なうものである。再投稿を否定することは、人間の基本的権利に対する挑戦であり、それに対抗するために再投稿の正当性を擁護し続けることこそが、自由で公平な社会を維持するために必要不可欠である。再投稿は人権であり、それを守ることが私たち全員の責任である。
それ以外の男は、や