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「697年」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 697年とは

2018-12-21

https://anond.hatelabo.jp/20181221162102

七福神 -- Key:雑学事典より。

後に福禄寿寿老人が加えられ、七福神誕生することとなった。この際、五福神福禄寿を加えただけでは六福神になるため、「福」と「禄」を福禄寿とし、「寿」だけを独立させて寿老人を作り、無理矢理七福神としたと伝えられる。

福禄寿寿老人神様ではなく仙人であり、元々数合わせ的に参加させられたためか、元禄10年(1697年)の『日本七福神伝』には、「福禄寿の変わりに吉祥天七福神に加えてもよい」と記され、また享保年間(1716-1735年)の『書言字考』では寿老人に代えて猩猩七福神の一柱とされている。また、寿老人福禄寿はともに南極老人星化身とされることから、この二神は本来同一とみなし、寿老人の代わりに吉祥天猩猩が入れられた時代もあったといわれている。

2018-09-27

anond:20180925183624

麻婆焼きそば ×

1970年代前半に、仙台市内の中華料理店「まんみ」にて賄い料理として提供したのが始まり

//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E7%84%BC%E3%81%9D%E3%81%B0

せり鍋 ○

河北新報の「仙台やすこ歩き」によると、

発案者が思いついたのが10年前と言っていたので、

2000年代の真ん中から広まったのではないでしょうか?

//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11156573366

ただし他にも元祖を名乗る店がある。

チーズタッカルビ

16年2月に「チーズタッカルビ」を発売

//www.itmedia.co.jp/business/articles/1802/20/news021.html

塩焼きそば ×

1959年 4月

清ちゃん1959年4/10開店となる!

ここから小松名物塩焼きそば伝説が産声をあげる!

//www.sio-yakisoba.com/

ツナマヨおにぎり ×

1983年(昭和58年)に「ツナマヨネーズおにぎり」を発売

//q.hatena.ne.jp/1256202677

パン

14〜15年前ですかね。パンって、夏は本当に売れないんですよ。暑いからみんなソーメンを食べたり、おやつスイカになったりしてね。なんとか夏に売れるパンができないかなぁと思って開発したのが、塩分補給もできる塩パンだったんです

//tabi-labo.com/287605/painmaison-yawatahama

2018年のインタビューなので2003年頃か。

ししゃもっこの軍艦

1970年代以降、シシャモ代用魚として輸入が急増

//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%A2

寿司メニューになった時期は不明

豆乳鍋

当店が1991年に開発したオリジナル

//irori.owst.jp/foods

ただし他にも元祖を名乗る店がある。

おにぎらず

【第22巻・第213話】いま話題おにぎらずクッキングパパ発祥

//cookpad.com/recipe/2831394

第22巻は1991年発売。

フルーツグラノーラ

91年にフルーツを加えた「フルグラ」(当時のブランド名は「フルーツグラノーラ」)を発売

//www.cross-m.co.jp/column/insight/insight82/

恵方巻 ×

1970年代半ばからマスメディアに取り上げられるようになり、以降は再び定着するようになった。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%96%B9%E5%B7%BB

ご存知のとおり発祥には諸説ある。

魚のカルパッチョ ×

落合「僕が帰って来たのが1981年で、前のお店を開けさせていただいたのが1982年ですから

(中略)

干場「実は、魚のカルパッチョを作ったのは落合さんなんですか!?

落合「実はそうですよ(笑)

//www.tfm.co.jp/cruise/index.php?itemid=91890

1982年に魚のカルパッチョを作ったとは語られていないが、近い時期であることが示唆されている。

塩麹 ×

古くは本朝食鑑の鱗部の巻「鰯」の箇所に「或有甘塩者有糟漬者有塩麹漬者号曰黒漬」という下りがあり、「塩麹漬」という文字列が見られる。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E9%BA%B9

本朝食鑑は1697年刊行

レバ刺し ×

日本人はいから牛の生肉生レバーを食べるようになったのか。

焼き肉などの食文化に詳しい滋賀県立大鄭大聲(チョン・デ・ソン)名誉教授は「戦後在日韓国朝鮮人が家庭で食べていたもの焼き肉店で出すようになり広まったのではないか」という。

//sankei.jp.msn.com/life/news/120428/trd12042822020023-n1.htm

万葉集内臓生食示唆する歌があるとの話もあり。

魚介つけ麺

つけめん」が定着するきっかけとなったのは2000年頃からのことです。つけめんの考案者である東池袋大勝軒の店主 山岸 一雄氏のお弟子さん達が独立し始め、大勝軒系列の店が増えたこと、大勝軒常連から人気店になった「べんてん(高田)」、「道頓堀(成増)」といったお店が繁盛したこと、そして川越にある「頑者」が「自家製極太麺×魚粉×濃厚つけだれ」という新しいジャンルつけめんを生み出したことが影響し大きなエポックとなりました。

//web.archive.org/web/20130622095039///www.asahi.com/business/pressrelease/ATP201005190013.html

サーモン寿司 ×

プロジェクトが始まったのは86年。当初の計画では、輸出の要はカペリン(カラフトシシャモ)だった。しかし、その前年、時の漁業相らが日本を視察して方針が変わった。日本には生のサーモンを食べる文化がない。江戸前寿司にもない生サーモン握り寿司を考案し、試食会を重ねた。

//trendy.nikkeibp.co.jp/atcl/pickup/15/1008498/061500791/

ティラミス ×

日本イタリア料理史の中で、最大のブームとなったのは「ティラミス」と言って間違いありません。80年代半ばから評判を呼び、90年に雑誌Hanako」で特集が組まれるや、人気は最高潮に達します。

//www.metromin.net/feature/15133.html

アボカド ×

日本の輸入量は1970年代までは微々たるものだったが、1970年代後半から増え、1980年には479トン、1990年2163トン、2000年14070トン、2005年は28150トンと急増している。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%83%89

オリーブオイル ×

1908年明治41年)、魚の油漬け加工に必要オリーブオイルの自給をはかるため、農商務省アメリカ合衆国から導入した苗木を三重県鹿児島県香川県試験的に植えた。香川県小豆島に植えたオリーブけが順調に育ち、大正時代の初めには搾油が出来るほどの実が収穫された。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB

バターコーヒー

「朝はヨーグルトより、バターを食べる」

//www.amazon.co.jp/dp/4478039674

チキンタツタ

1991年4月期間限定商品として初登場

//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%84%E3%82%BF

単なる竜田揚げとして見れば×。

油そば ×

1952年昭和28年)に創業した国立市一橋大学そばの「三幸」が、のびたラーメンをヒントに昭和30年代前半頃から酒の肴として提供を開始したとする説や、同じく昭和30年代武蔵野市境の亜細亜大学そばの「珍々亭」が中国拌麺をヒントに油そばを発売したという2説が存在している。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B9%E3%81%9D%E3%81%B0

火鍋 ×

火鍋唐代に普及

//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E9%8D%8B

日本のしゃぶしゃぶは火鍋をもとにして作られたとの説も。

発泡酒 ×

新規企業の太洋醸造が当時自由販売化していたイモとホップ使用したイモ・ビール試験醸造申請して認可され、1950年昭和25年)から新発売され、日本市販発泡酒第1号となった

//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E6%B3%A1%E9%85%92

食べるラー油

垣島在住の夫婦(夫は中国陝西省西安出身の辺銀暁峰、妻は東京都出身愛理)が、具材を食べるタイプラー油を開発し、2000年(平成12年)、石垣島にて開催されたイベント販売したのが始まりである(ただし、具の入ったラー油のもの中国にて古くから存在している)。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B3%B6%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%B2%B9

 
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