はてなキーワード: 紅茶とは
私には未来があると信じて疑わなかったけど、その未来は砂のように手ですくった瞬間から少しずつこぼれ落ちていた。
認めたくなかった。
友達よりも職場の同僚よりも私の人生はうまくいってるって思ってたけど、みんないつの間にか結婚して出産していった。
結婚が全てじゃないって言う人はたくさんいたけど、やっぱり私たちを囲む世界には独身か既婚かの壁が大きくてすごく辛かった。
既婚者の苦労はみんなわかってるけど独身の苦労は誰もわかってくれないし気に留められることもない。
そんな無視されてる存在でいるのがすごく嫌だったし、好きで独身でいるわけじゃないのに色々言われるのにもう疲れちゃった。
夜のティータイムが私のささやかな楽しみだけど、もう何も考えずにその時間を過ごすこともできなくなった。
もう年末だし実家に帰らなきゃ行けないなと思いつつ、お母さんやおばあちゃんに彼氏が出来たかどうか聞かれるのが嫌で帰りたくないって思ってる私がいる。
けど実家に帰らなかったら寒いワンルームに1人だし、気晴らしに外に出れば楽しそうに過ごしてるカップルを見なきゃいけないのも嫌だなぁ。
結局色々言いながら実家には帰ると思う。
小学校の時はよく男子にちょっかい出されたし、中学の時は部活の先輩に告白されたこともあった。
大学生になってからは友達より早めに垢抜けたし、年上の彼氏がいたから同い年の子達とは違う経験をしてた。
みんながサイゼでご飯食べてトリキで飲んで彼氏の学生寮のマンションに入り浸ってる間に私は色んなホテルや一見さんは入れないお店にも行けた。
キラキラしてないけど入りたい旅行会社の内定をもらえたし、同期の中では私が1番かわいかった。
大学のゼミの子達は先行と全然関係ない大手会社の受付とか事務に就職していった子が多かった。
受付とか事務って男の人にニコニコするのが仕事みたいでそういう仕事はしたくないって思ってた。女の子だからとか関係なく正当に自分の仕事を評価してもらいたかったし、
そんなに勉強をすごくする方じゃなかったし、若ハゲの教授のゼミで愛想笑いをするのも得意じゃなかった。
職場の人は良い人ばっかりだったけど、私はあの人たちみたいにはなりたくないしなれないなって感じるところもあった。
職場に入った頃はそんなゆるい温度感にすごく私は合っているな〜って思ってたんだけど、夏頃に同期に誘われて行った合コンであったベンチャー企業の人たちのポジティブさというか向上心のある感じを見ちゃうと自分の職場が急に違うなって思えてきて「ここは私の居場所じゃないかも」って感じ始めたの。
それがきっかけかわからないけど、会社帰りに夕食がてらカフェに寄ってTOEICや韓国語を勉強し始めた。
韓国トークをする友達と韓国で旅行したときは私が成長しているなって実感できたし、ニューヨークでメトロポリタン美術館に行ったときにイケメン外国人に話しかけられたときもちゃんと会話できてインスタ教えてもらえたのも勉強のおかげかなって思った。
でも、その頃からだろうか。私の中で何かが少しずつズレ始めた気がするのは。
韓国語や英語を勉強して、旅行をして、新しい人や世界と繋がるのは本当に楽しかった。そう思っていたはずなのに、いつの間にか周りの友達たちは結婚して、子どもを持って、話題が変わっていった。昔は一緒に旅行やショッピングの話をしていたはずなのに、今では子どもの習い事や夫婦の関係、家のローンといった現実的な話ばかりになっていた。
私が海外での思い出や、最近買ったお気に入りのコスメの話をしても、みんなの反応はどこか薄い。それなのに、ふとしたタイミングで言われる言葉がある。いいなぁ、自由で、とか。独身だからできることだよね、とか。そのたびに胸の奥がちくりと痛んだ。私は自由を楽しんでいるつもりだったのに、なぜかその自由という言葉が妙に重く感じられるようになっていた。
それでも私は自分らしく生きたいと思っていた。誰かに縛られることなく、自分の人生を自分で選びたいと。でも、ある日ふと気づいてしまった。自分らしくと言いながら、私が選んできた道は、本当に私が望んだものだったのだろうか、と。
年末が近づいて、とうとう実家に帰る日が来た。駅から家までの道を歩きながら、冷たい風が頬を刺す。玄関を開けると、お母さんとおばあちゃんの明るい声が出迎えてくれた。おかえり、寒かったでしょ、と言われて、一瞬ホッとしたのも束の間。食事の席で案の定、彼氏は?の話題になった。
焦らなくていいのよ、とおばあちゃんが優しく言った。でも、そろそろ考えないとね、と続けた言葉が胸に刺さる。私は無言で笑ってごまかした。
その夜、部屋に戻って荷物を整理していると、古いアルバムが目に入った。開いてみると、幼い頃の私がそこにいた。誕生日のケーキを囲む家族、学校の運動会で笑う友達たち。どの写真も明るく、未来に向かって輝いている私が写っていた。
その写真の中の私を見て、思わず涙がこぼれた。未来があると信じて疑わなかったあの頃の自分。けれど、今の私はどうだろう。いつの間にか、周りの価値観や目線に振り回されて、自分自身を見失っている気がする。
その瞬間、紅茶に入れるために買った豆乳のパックが思い浮かんだ。あれはきっと何かの象徴だった。冷たい豆乳を注ぎながら、自分の心を冷たい孤独で覆い隠していたんだと思う。
私、何してるんだろう。
そう呟いた夜、翌朝、私はひとつの決心をした。このままじゃいけない。未来は砂のようにこぼれていくけど、それをただ見ているだけじゃ、本当に全てを失ってしまう。私の人生を作るのは、周りの誰でもなく、私自身だ。
年が明けたら、何かを変えよう。大きくなくてもいい、小さな一歩でいい。でも、その一歩を踏み出さなければ、私は一生、同じ場所に立ち尽くしたままだ。
そう心に誓った瞬間、外の空が少しずつ白んできているのが見えた。新しい年は、もうすぐそこに来ている。
今朝は部屋の点検で朝から人が来るというので珍しく10時には起きて掃除をした。
普段は起きた瞬間から寝るまでパジャマだが、今日は一応着替えた。
点検の人が来る前にほうじ茶豆乳ティーを作って飲んだ。美味しい。
毎朝、今日は何を飲むかとても迷う。
夏は水ばかり飲むのに、冬になると味が欲しくなる。
家にいる時はどうしてもパジャマがいい。
話を作るのも絵を描くのも楽しい。
やりたいことにやっと技術が追いついてきた感覚があって、長くやってて良かったなと最近思う。
最近まで締切のことを考えて焦る日々だったけど、ふと、技術が上がりスピードも上がってるので、そこまで焦る必要はないのかもという思いに至った。
完成まで何があるか分からないから早めに作業するに越したことはないんだけど。
それでも、気持ちがずっと焦ってるのはメンタル的にも良くない。
休日は休日を半分楽しみつつまったり作業することを心がけたい。
15時を過ぎて、小腹が空いてきた。
朝ごはんは一応軽く食べたけど、冷蔵庫を見たらバナナが2本余っていた。
ので、それを使ってパンケーキを作ることにした。
パウンドケーキを作るか迷ったけど、よく考えたら先週も先々週もパウンドケーキを焼いた気がする。
GPTに聞いたら、バナナの他にシナモンとダージリンの茶葉を入れるといいと言われた。
茶葉はあったけど、シナモンが切れててなかった。
代わりにその辺にあったカルダモンを適当に入れた。ついでにジンジャーも。
瓶を振ってたら、思ったよりカルダモンが多めに入ってしまった。まぁいいか。
料理を作るのはなかなか苦手で、フライパンの前に立って火の管理をしている時間が嫌いだ。
イライラする。楽しくない。
でも、お菓子を作るために材料を混ぜたら、火を使ったりするのはとても好きなのでいつも不思議な気持ちになる。
甘くて美味しいものがこのあといっぱい食べられる!っていう幸福感がいいんだろうか?
美味しそうな匂いがしてくる。
この時のワクワク感が本当に好き。
火加減を間違えて、1枚目は若干焦げてしまった。
チャイの味がする!
チャイ味のパンケーキは食べたことが無かったので、やったぜという気持ちになる。
美味しい。
出来立てだけど、部屋が寒いためみるみるうちに冷めていくのがちょっと悲しい。
でも美味しい。手が止まらない。
明らかに食べ過ぎだ、と思いながら食べる。
でもそれを見越して小麦粉は使わず、米粉とオートミールのパンケーキにしてある。
夕飯も炭水化物は控えよう…。
美味しくて幸せ。
お菓子が作れるようになって良かった。
休日こそ早く起きる方がいいな。
今日はまだ終わってないけど、現時点で割と完璧な休日を過ごせた。
ミルク入れても香りが負けないし、レモンスライス浮かべたらオシャレ度MAX。
冷やしてアイスティーにしても最高だし、紅茶初心者はまずここからいっとけ!
1707年創業という歴史のある会社で、まさに英国紅茶って感じのブランド。
なかでも「ロイヤルブレンド」は、アッサムとセイロンのいいとこ取りしたコク深いやつ。
缶がオシャレすぎて、飲み終わっても捨てられない。
これで朝の一杯とか飲んだら、ちょっと上流階級の気分味わえるぞ。
セイロンとアッサムのバランスが神レベルで、ストレートでもミルク入れてもどっちもウマい。
紅茶って渋すぎるイメージある人でも、これは飲みやすくてハマるはず。
香りがもうエレガントすぎて、「自分の生活こんなにおしゃれでいいの?」ってなるレベル。
バニラっぽい甘い香りがスイーツとの相性バッチリで、紅茶という名の贅沢体験を味わえる。
夜でも飲める軽めの感じがうれしいし、桃好きには問答無用でオススメ。
駄菓子っぽいって言われるけど、それが逆にクセになる系の紅茶。
ほんのりバラの香りも混じってて、飲むだけでちょっとテンション上がるやつ。
コメでも書いたけど
https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/竹100%携帯用ペーパーナプキン/4550512104315?srsltid=AfmBOor74F9BpVCSpHzj1txCl9PPf_UZD7nq3tc9iajJmuCID-o88C4w
布巾や台拭きの代用になる
https://www.amazon.co.jp/dp/B08QHXBMJ1?ref=ppx_yo2ov_dt_b_fed_asin_title&th=1
ビジホの電源少ない対策。プラグ部が折れてしまえる、差し込み口が小さくて干渉しない、コード長が選べる、携帯用延長電源コード
https://www.amazon.co.jp/dp/B079P3H8Q3?ref=ppx_yo2ov_dt_b_fed_asin_title&th=1
朝一発目部屋でコーヒーや紅茶飲みたい人(ワイ)、古いビジホや温泉旅館だと意外とコーヒーカップはなくて湯呑みのみで飲みにくいので、アウトドア用の折りたたみコーヒーカップを持参してる。
すごい。
どうせマヨネーズとは名ばかりの甘いジュースかと思ったら違った。全然甘くない。そして、酸っぱさと油っぽさがあって、まさしくマヨネーズの味だ。でも、塩辛い。1本200mL中、食塩相当量1.6gなのはかなりの塩分量だ。もう少し塩分量が少なくても良かったのでは?
とはいえ、マヨネーズには塩気が必要という考えも、わからなくもない。食塩が少なければ、ぼやけた味わいになってしまいマヨネーズらしさが失われてしまうだろう。それと、夏の暑い時期なら発汗で失った塩分補給に適していたのになぁとも思った。
しかしながら、この飲むマヨはどういう時に飲めばおいしく味わうことができるのだろうか? と考えてみた。唐揚げやサラダなどマヨネーズを付けて食べる食品と一緒に飲むことが想起されるが、これは相性が良くなさそうだ。なぜなら、普通にマヨネーズを付けて食べた方がおいしいに決まっているからだ。
逆に、お菓子やデザートなどの甘い物と一緒に飲むマヨを飲むのが向いているように私は感じた。洋菓子ならば紅茶やコーヒーを和菓子ならばほうじ茶や緑茶をといった具合に、菓子の甘さを引き立てるのは甘さとは対極である苦みや渋みをもつ飲み物が適しているからだ。飲むマヨの酸味が甘さを引き立てるであろうことはもちろん、多量に含まれている塩分もまた甘さを引き立てるのに役立つだろう。
和菓子には塩分を多く含まれる物が多数ある。せんべい、みたらし団子、カンロ飴にはしょう油が含まれているのでもちろん塩分が多いし、しょう油でなくとも塩を含む和菓子は多い。和菓子にはあんこがつきものだがあんこの甘味を引き立てるのは塩であるし、スイカやトマトに塩を振りかけて食べることもある。このように和菓子などの日本の間食に塩を含ませる文化は、日本の夏の高温多湿な気候によって発汗で失う塩分を補わせる意味合いが強いのだろう。
対して、洋菓子には塩分を含む物が無いように感じる。ここに、飲むマヨの需要があるだろう。
油気も塩気も少なくあっさりとした味わいの洋菓子に対しては、飲むマヨが合うのではないだろうか。例えば、ゼリー・ジュレ・ジャム・シャーベットである。あるいは、酸味の少ない果物でも飲むマヨが合うかもしれない。バナナやマンゴーやスイカやカキといったもともと酸味の無い果物はもちろん、近年は品種改良でイチゴやブドウでも酸味のない品種が生まれているので、飲むマヨで酸味を補えば果物の甘さを引き立てることだろう。
昨今の気温上昇は日本に限ったものではないので、海外でも発汗によって塩分補給の需要は高まっているだろう。そこで、塩分の乏しい洋菓子に対して、飲むマヨの需要が生まれることは想像に難くない。
このようにして、飲むマヨには将来性があると考えられる。飲むマヨはテスト販売中とのことだが、ただの一過性のテストで終わってしまってはもったいない。
30代で喪女――それは社会の枠組みから自由になった者たちだ。恋愛至上主義という虚構に縛られず、自分だけの世界を築き上げる選ばれた存在。周囲が婚活だ、恋人だと浮かれている間、喪女は一人で静かに本物の自由を噛みしめている。喪女とは孤独の達人であり、その孤独こそが人間を深く耕すのだ。
恋愛市場という狭苦しい闘技場から一歩外に出たとき、人は初めて本当の自分を見つけられる。30代喪女は、その外側から冷静に世の中を眺め、他者に左右されない選択を取る。結婚を人生のゴールだと盲信する人々がいる中で、喪女はその欺瞞を知っている。そしてその視点こそが彼女たちに深みを与え、社会的な"普通"を超越した存在へと押し上げる。
朝はお気に入りの紅茶を淹れ、静かな部屋で本を開く。休日は誰にも邪魔されずに映画館へ向かい、名画をじっくり堪能する。SNSで誰かの承認を求める必要もなく、派手な生活を演出する気もない。自分と向き合う時間をたっぷり持ち、自分が好きなことに情熱を注ぐ。それが喪女の生活だ。そして、それは決して孤独ではない。むしろ喧騒の中にいる他者よりも豊かで、誇り高い生活だ。
30代喪女という言葉には時にネガティブな響きが伴う。しかしそれはただの偏見にすぎない。彼女たちは恋愛や結婚という「社会的成功」の幻想に惑わされず、真に価値のあるものを手にしている。喪女とは、選ばれし孤高の存在であり、その自由と深みは羨望の的となるべきだ。
今日は、心の底から何もしない日にすると決めていた。昨日までの忙しさを振り返り、「もう疲れた!動きたくない!」と強く思ってしまったのだ。だから、今日は朝から夜までただ自分のためだけに、好きなように過ごすと決めた。
目覚ましをかけずに眠ったおかげで、目が覚めたのは午前10時半。薄暗いカーテン越しに差し込む光が目に入るけれど、まだベッドから出たくない。布団の中でスマホを手に取り、SNSを見たり、好きな動画配信者の最新動画をチェックしたりする。「朝からこれでいいのか?」と心のどこかで自問しつつも、今日は許すことにした。
30分ほどだらだらした後、ようやくベッドから起き上がる。キッチンに行く途中で、リビングのソファに腰を下ろしてしまい、また5分間のゴロゴロタイムが始まる。部屋着のポケットに手を突っ込みながら、「そういえば何か食べないと」と思い出し、ようやく体を動かして朝昼兼用のご飯を作ることにした。
昨日の夜に残ったカレーを温めるため、電子レンジをセット。温め待ちの間にコーヒーを淹れ、キッチンのカウンターに並べると、なんだか「準備が整った!」という気持ちになる。お気に入りのトレーに食事をのせてリビングへ移動。今日はテレビの前が特等席だ。
テレビでは、ちょうど日曜日の旅番組が放送されていた。「行ってみたいなあ、こういう温泉街」と思いながらぼんやり画面を眺める。でも、今は家が最高の場所だ。熱々のカレーと一緒にコーヒーを飲むこの時間が、何よりも贅沢に感じる。
食事を終えた後、テーブルの上に広げていた本に手を伸ばす。最近友達に勧められたミステリー小説だ。冒頭だけでも読んでみるつもりだったけれど、これが面白くてページをめくる手が止まらない。登場人物たちの複雑な人間関係や、張り巡らされた伏線に夢中になり、気づいたら午後2時を過ぎていた。
「さすがにちょっと休憩しよう」と思い、キッチンへ向かう。冷蔵庫を開けると、昨日買った抹茶プリンが目に入る。甘いものを口にするとさらにリラックスできる気がして、プリンを手に取る。それに加えて、お湯を沸かし、少し濃いめの紅茶も淹れる。日差しが気持ち良い窓辺に腰掛け、ゆっくりと味わいながら、またスマホでSNSを覗く。
友達の投稿には、華やかな外出先の写真が並んでいる。「みんなこんなにアクティブに過ごしているのか」と、ちょっと羨ましくも思うけれど、今日は誰とも会わず、自分だけの時間を過ごす日と決めているから気にならない。
その後、ソファに戻ると、突然眠気が襲ってきた。さっきまで読んでいた本の続きを読もうかと思ったけれど、瞼が重くて文字がかすんでしまう。結局そのまま毛布にくるまり、軽くお昼寝をすることにした。
目覚めたのは午後4時。寝過ぎたかなと思ったけれど、時計を見るとほんの1時間しか経っていなかった。それでも体はすっきり。眠気が取れたおかげで、何か軽く動こうかなという気分になった。そこで、リビングの床にヨガマットを敷き、ストレッチを始めることに。
久しぶりに体を伸ばすと、体中がバキバキと音を立てる。「これじゃ運動不足だな」と苦笑しつつ、ゆっくりと体をほぐしていく。特に肩と首周りが凝っていたので、念入りに回してみると、なんだか血流が良くなった気がした。
ストレッチを終えた後は、ふたたびキッチンで作業を開始。夕食は簡単な鍋料理に決めた。冷蔵庫に残っていた野菜を適当にカットして、シンプルな出汁で煮込むだけの手軽さが魅力だ。コンロの上でぐつぐつと煮える鍋を眺めながら、ポン酢を小皿に準備する。この瞬間のワクワク感がたまらない。
一人で鍋を囲むのは少し寂しいけれど、今日はこれが最高の贅沢だ。湯気の立つ鍋をつつきながら、テレビでは録画しておいたドラマの続きを見る。「そういえば、これ前回の放送見逃してたな」と思い出しながら、一人で物語に浸る。
夕食を食べ終わった後は、もう一度小説の続きを読もうと思った。クライマックスに近づいている部分なので、読む手が止まらない。犯人が明らかになる瞬間は予想通りの衝撃的な展開で、思わず声が出てしまった。
その後、少し余韻に浸りながらも、最後に何か映画を一本見ようとストリーミングサービスを開く。おすすめに出てきたSF映画を選び、部屋を暗くして一人映画館気分に。壮大な映像美とスリリングなストーリーに心を奪われ、エンドロールが流れる頃には「今日はなんて贅沢な一日だったんだろう」と心から思った。
気づけば時計は夜中の12時を回っていた。結局、今日は外にも出ず、家の中で好きなことだけをして過ごした。何か特別なことをしたわけではないけれど、この「だらだら感」が、どれほど心を癒してくれるかを改めて実感した。明日からまた忙しい日々が始まるけれど、こうしてたまには何もしない日を設けることが、自分をリセットする最良の方法なのかもしれない。
でも家にずっといて在宅で仕事ができる人がうらやましいとも感じる。
毒入り紅茶、オーダーふたつ~!
だいたい、ルビーっていう、赤い色が鮮やかな小物は一緒に合わせる服を選ぶのでめんどくさそう。
「誕生石だよね」みたいに二人で買いに行ったとして、値段も高くて気を使うから、身につける機会が少なくなるんだよ。たまに無理して付けてくと、例の低い声で格好つけながら反応してくれるもんだから、余計に気が重くなっていく。もう最後の方は会うたびに、何を身につけるか考えて嫌になってた筈。
ベージュのコートだってたまたまその時気に入ってただけで、いつまでも着てるわけではない。
そんなんだから、別れて2年も経つのに、曇りガラスの向こうから、例のジトっとした目で街並みを眺めながら、ベージュのコートとルビーの指輪の組み合わせを探し続けるとか、だいぶズレた感じのやつだから、そういうとこやぞ!って言いたくなる。
だいたい、別れる時に「指輪は捨てーてくーれー」とかいうのも、そのときの勢いみたいなところがあったにせよ、DVを感じさせて嫌。そんなこと言いながら紅茶かよ、って思う。紅茶?ウイスキーじゃなくて?コーヒーでもないの?やっぱ変だよ。
「あなたを失ってから」とか何回も言ってんじゃん。ここも微妙に気をつけたほうがいいところあるけどわかる?失うって、相手のことを所有物かなんかだと思ってませんか?自分の思い出を纏ったマスコットかなんかだと心の底で思ってるっしょ。ルビーなんていう、見た目がいかにもなものを付けてるのを父親に見られたらどうなるかとか、想像したこともないでしょ。それはいくらなんだ?相手の仕事は何だ?ミュージシャン?親の仕事はなんなんだ?劇団俳優?とか言われて面倒臭かったんだよ。
ルビーの指環なんてものじゃなくて、もっと別のもので良かったんじゃないかな。しばらく使ったら無くなるけど、ちょっといいものとか。例えば香水。ドルチェアンドガッバーナとかな。
ルビーの指環は別れた時にメルカリで売ってると思う。コートは去年か今年の秋に、違う色のをGUあたりで買ってそう。だから、もう探すな。
相変わらずNIKKE勝利の女神はコツコツとやっていて
その私のモットーである『ステラーブレイド』のコラボ企画でイヴがくるまで課金はしないってのを掲げているので、
でもこつこつレヴェルアップに必要なアイテムを集めてあげているのよ。
ようやく部隊の戦闘力が10000に迫る9000台ってところね。
敵が強すぎるわ。
それを回収して地味にあげるしかないのよ。
今の私は。
そんななか私はその放置している間にお鍋の具材を買ってきてお鍋にしたのよね。
大根鍋よ。
手羽先を出汁にしてるので昨日から煮ているやつがしっぽり使って仕上がっているはずよ。
なんか胃の中とか腸の中とかそういったところ気にしないと行けないの?って思って
そんでね、
私点滴の針初めてだったの。
私の腕って血管が浮いて無くて、
看護師の方も探すのに必死だったようでベテランの方にバトンタッチしてもらっても、
刺した箇所6か所!
うーん、
5回刺して血が出てこない血管に巡り逢わなくて、
針先を腕の中でまさぐるのがちょっとゾワワってしたわ。
そんで、
あれよ!あれ!
手の甲に始めて針刺してここは行けるか?って思ったけど、
手の甲の肉の薄いところも血管にたどり着けなくてここも断念。
手の甲って針とか刺され慣れないから痛いのなんのって、
うーん、
両サイドの試していない方の手の甲も試されそうになったので、
なんとか手の甲は勘弁して欲しいと言うことを懇願してなんとか回避したのよ。
でも最終結果的には手首!
うー、
手首のところも肉薄いから痛くない?
はあ辛いけど我慢して、
よく見ていると点滴の針って長くて奥まで刺すからますますゾワワってなったわ。
日頃採血とかのは慣れてるから太くても細くても指される場所は決まったところになっているから慣れて大丈夫だけどね。
さすがに慣れていないところの手の甲とか手首とかに針が刺さると
表情が歪んじゃうわ。
検査中それが一番の山場で私の腕には6か所の穴が開いて絆創膏だらけになったんだけど、
これは私の腕のコンディションの問題なので看護師さんの腕前とかは関係ないのは分かっているけどたくさん刺されるのはいい気持ちでは無いわよね。
32回ぐらい刺されて試しても点滴の血管にたどり着けなかったらどうしようかと思うわ。
6回目でよかったーなんて。
無事検査も終わって、
私はなんかぼーっとしたままとぼとぼと歩いて帰ろうかと思っていつも行っている町中華屋さんも近かった近所だったから立ち寄ろうかと思ったけど、
下剤とか飲んでいたから美味しいものを食べてもなんかいま胃とか腸とかが検査用に仕上がったまんまなので、
美味しいものを食べてもなんかくだしちゃいそうで
今回は遠慮したところよ。
何事も経験って大切だけど、
まあ検査思ったより点滴の針以外は困難を喫するところはなくあっと言う間に終わったわ。
ベッドがなんか廊下をしゃーって走っていく感じは微かに感じていたわ。
ドラマとかで見るやつよ!
廊下を走るベッド。
それだけでも体験出来ただけでも収穫よね。
大根って煮れば煮るほど美味しくなる!って思っていたけど、
煮れば煮るほど砕けて朽ちてくるし最後には鍋のベーナーのルーシーのスープの中なのに乾燥して陥没した感じ干からびてくるから謎現象だわ。
煮すぎもダメなのよ。
今多分いい大根のコンディションなので、
美味しくいただきたいと思うわ。
野菜なんかより摂った方がいいのを思い知らされたわ。
でも何度も思い出しても
肉の薄いところに針を刺すのは
ちょっと勘弁!ってことも学んだし
点滴のあのなんか何処でも刺せばいいんじゃね?って思ったけど違くて、
点滴に最適な刺しどころってのがあるってのも発見だわ。
はぁできることなら点滴のあの針はやりたくないなぁってちょっと鰯気になりながらも
学び多き日でもあったことをここに賞するわ私に!
うふふ。
やっぱりタマゴ美味しいわ。
ションテン上がるわよね!
たくさんは入れないようにしてるけど、
なんかさっぱり味があるのかないのかよく分からないわ。
ちゃんと紅茶でやんないと雰囲気いやイキフン出ないのかしらね?
分からないけれど。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!