はてなキーワード: 地代とは
ふと思い出した
高校時代、我々は地域の高校の同じような活動をしている生徒たちが集まる会合があり、顧問の教師の車に乗って会場に向かっていた。
お昼にご飯も奢ってもらった。
教師の車に乗ったり、ご飯もらうのも今ではありえないかもしれない。
店員には「一杯だけだだから」っていうと店員も「一杯だけならね~」みたいなノリで出してた
なんかこの頃は一杯くらいなら平気みたいな空気があった。
僕はまじかーと思いつつ、その車に乗ったけども…
でもこの地代に生きてた人はいまも現役で運転してるし、年をとるほど価値観をアップデートできないだろうから、60才くらいには一杯くらいなら平気レベルで飲んでるやつまだまだ居るんだろうね
別々に育った双子、というこの記事を読んで、亡父のこと、そしてKさんのことを思い出した。
https://courrier.jp/news/archives/314969/
目黒で生まれて目黒で育った父が、実は双子だった、という話を教えてもらったのは、私が高校生の頃だ。
親戚の法事の写真を見ていた、まだ小学生だった妹が、「あ、パパだ」と言うと、「よく似てるだろ、でも、パパじゃないんだ、パパの従兄弟なんだよ」と笑いながら父が言っていたのを覚えている。
父が住んでいた一帯の土地は、父の伯父(私からすると祖父の兄=伯祖父)が所有していた。
長兄である伯祖父は麻布に住んでおり、月に一度、地代を集めてその麻布の豪邸に持って行くのは父の姉の仕事だった。
伯祖父の家には子がおらず、末弟である私の祖父(既に4人の子持ち)に「次に生まれた子を養子にくれないか」という話をしていたらしい。
同じ顔をした赤ん坊のどちらか片方を、どういう基準で選んだのかはわからないが、Kさんは長兄の家の養子となり、父は末弟の家に残った。
正確には、養子ではない。
そのまま実子として役所に届けたらしい。
Kさんは、慶應幼稚舎から大学まで進んだ後は東京芸大に進み、その後は六本木で音楽教室を開いていた。
一方、末弟である祖父は米問屋をやっていたが、戦争で米は配給制になってしまい、商売は傾き、私が生まれた頃には既に故人だった。
父は、他の兄弟が全員大学進学したにも関わらず、高校を中退した。
家庭の事情もあったかもしれないが、そもそも学校の勉強は好きではなかったようだ。
実はこの高校中退、母との見合いの際には隠していたらしく、それなりに良心の呵責があったようで、70代になってから、酒の力を借りて(と言っても、ほぼ下戸ゆえコップ1杯のビールだが)孫たちの前でカミングアウトした。
孫たちには笑われ、唐突にそんな話を聞かされた母は呆れたという。
そんな父が、自分が双子だったと知ったきっかけは、社会人になってから少ししたある日、同僚から
と言われたことに始まる。
「君そっくりな人を知ってる」
と同僚。
そんな話を家に帰ってから母親(私の祖母)に話すと、「ああ、実はね」と、いともあっさりと、養子に出したKさんの話を教えてくれたという。
そういえば、地代を集めていた私の伯母は、「赤ちゃんが二人いたのに、一人になっちゃった、って不思議に思ってたの」と言っていた。
それ以後も、この二人はたまに法事などで会うことはあったらしい。
Kさんが真実を知ることになるのは、ずっと後、50歳になった頃だ。
それまでも寝たきりで入院していた高齢の祖母が、そろそろ危ない、という段階になった。
大学で授業を受けていた私のところにも連絡がきて、そのまま祖母の入院していた病院に向かった。
さすがに、真実を知らないとはいえ、ここはやはり教えてあげるべきなのではないか、と父も他の兄弟も考えたらしい。
だが、身長が父よりも5cm以上高い。
そんな、父のアップグレード版みたいな人が、私に敬語で話しかけてくる。
これは母も同じことを言っていたのだが、人が発する気配のようなものが、父と同じだった。
誰かが自分の後ろに立っていて、だけど姿が見えないので誰なのかはわからない、でも気配でそれが家族の誰だかわかる、ということがあるけれど、その気配が全く同じだった。
あまり科学的ではない気もするのだが、実際に多くの親族が出入りする状況で、それを何度も感じていた。
父もKさんも故人となってしまい、私自身も歳をとってきて、どこかにこの話を書いておこう、と件の記事を読んでふと思い立って、昼休みにこうして書いてる。
書いてみると、他にもいろんなことが思い出されてくる。
その後、年賀状のやりとりくらいをする間柄になったKさんが、実はある新興宗教の幹部になっていたとか、そういう話まで思い出しちゃったけど、それは書かないでおく。
減価償却ってなに?調べてみました。
減価償却費= 建物購入価額 × 0.9 × 償却率(0.031) × 経過年数
例えば土地3000万円+建物2000万円=5000万円の木造住宅について考えます。
減価償却は
20,000,000*0.9*0.031*1 = 558,000円
固定資産税を誰が払うか、ですが不動産を持っているだけで消えるお金なので住んでいる間分担すべきものと考えます。
558000+142000 = 700000円 を分担 = 350,000円
建物に関しては350,000円が各自で負担すべき額と考えます。
ただこの場合、土地は無料でいいのか?と言う問題はあると思います。
地代相場は年間2~3%ということなので、30,000,000*0.02 = 600,000
つまり年間 350,000円 + 300,000円 = 750,000円 を各自で負担するべきでしょう。
住宅ローンは年率0.4、35年フルローンとして計算してみます。
ローン返済の計算式は複雑なので高度計算サイトで5000万円、0.4、35年を入力すると127,595円でした。
127,600*12 = 1,531,200円 を分担 = 765,600円
2020年度の寄付収入が異常値なのは明らかだが、2018年度も変な動きをしている。これは単純な寄付人数の影響もあって、個人で見ると2018年度はのべ482名、2019年度は198名、2020年度は3,114名という動きをしている。
寄付金額なんて予算にできないので、2020年度の収支がめちゃくちゃになるのはしょうがない。
支出で見ると順当に前期収入見合いでスケールさせているように見える。2014年度から2020年度にかけて人件費は10倍以上になってる。
年度 | 収入合計 | (会費収入) | (寄付収入) | 支出合計 | 繰越金 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
2014年度 | 4,437,935 | 1,171,500 | 751,835 | 3,058,098 | 1,695,298 | |
2015年度 | 24,128,727 | 2,631,000 | 8,586,164 | 10,641,010 | 15,183,015 | 2期合算 |
2016年度 | 28,811,893 | 2,000,936 | 4,909,835 | 18,604,577 | 25,390,331 | |
2017年度 | 32,282,175 | 2,462,508 | 5,875,944 | 26,930,585 | 30,741,921 | |
2018年度 | 52,767, 311 | 3,324,000 | 16,304,632 | 35,691,695 | 48,062,001 | |
2019年度 | 57,207,519 | 3,642,000 | 8,969,258 | 40,666,188 | 64,533,332 | |
2020年度 | 186,039,199 | 12,900,000 | 125,288,497 | 62,432,209 | 188,070,322 | |
2021年度 | 176,250,088 | 15,450,000 | 69,349,754 | 109,828,745 | 254,421,655 |
2021年度の寄付はのべ1,010名に減り、寄付総額は半分近く減っている。
そして支出は増加。大きく増えてるのはこのあたり。まあ自分で見て。事業費はおよそ倍になっている。
費目 | 2020年度 | 2021年度 |
---|---|---|
人件費 | 13,894,.562 | 21,723,587 |
給食費 | 2,032,615 | 3,956,070 |
支援費 | 14,618,140 | 25,783,970 |
旅費交通費 | 1,651,698 | 3,324,829 |
消耗品 費 | 2,095,343 | 6,592,935 |
地代 家賃 | 3,194,930 | 10,390,053 |
その他にもシェルター居場所増設職員雇用積立金が2020年度の6000万から2021年度は1億になってたりする。公益財団法人からアパート建設のための1億の助成も受けてるのでトータルではよくわからんが。
やっぱり「2020年度に寄付が増えて収入が激増した分、2021年度の支出が増える」という想像通りの結果になっている。満足だ。
2022-08-04
良いご指摘ありがとうございます。
その「安定性」がはたして何年続くかですよね。
そのあたりのリスクファクターすべてこの会社に依存することになる。
「物価高でリース代を上げます、借地代下げます」って突然言われたらなにもできない。
自営だったら、天候とかのリスクはあるけど、ノウハウがあれば継続はできる。
って感じですかね。