名前を隠して楽しく日記。
jpopかな?
最近、Twitterやブルースカイみたいなタイムライン形式のSNSを見ていて、モヤモヤすることがある。あの形式、流れる情報は膨大だけど、一つの話題をじっくり深掘りするには向いていない。議論の途中で別の話題が流れてきて、元の話がどんどん埋もれていく。結果として、表層的な反応やバズに飲み込まれて、「本当に大事なこと」が曖昧になりがちだ。
それでも、タイムラインの片隅で見かける深い議論やリポスト形式のやり取りを見ると、「こういう内容こそ、きちんと整理された場で議論すればもっと良くなるのに」と感じることが多い。たとえば、昔の掲示板/Slack/Teamsのようにトピックごとに整理された場があれば、もっと建設的な議論が可能になるんじゃないかと思う。議論したい欲求は皆にあるのに、なぜかタイムライン形式のSNSばかりが選ばれてしまう。この矛盾をどうにか解消できないものか。
匿名性の高いサービスである増田を読んでいると、みんな本音を語れる場や、きちんと話し合える環境を求めていることを感じる。ただ、完全な匿名は荒れやすいという問題も抱えている。一方で、アカウント制のSNSではフォロワー数がないと反応を得にくく、議論が盛り上がりづらい。そのため、「発言者が誰か」よりも「発言内容そのもの」を重視する場が求められている。
そこで、「発言の内容を重視する」という観点に立つと、基本的には匿名での議論が理想的だ。しかし完全匿名では治安が悪化しやすいため、ある程度の秩序を保つためにアカウント制を導入する。この仕組みなら、誰が発言したかではなく、内容そのものが評価されやすくなると同時に、荒れにくい環境も提供できるはずだ。
掲示板文化が衰退したのは時代の流れとして仕方ないが、それでも復活させる意義は十分にあると思う。アカウント制を取り入れて治安を保ちつつ、スレッド形式で一つの話題を深く掘り下げられる場が必要だと強く感じる。
そして、誰も作らないので、作ることにした。
よかったら使ってみてくれないか?
サービスを作ったやつは誰かがわからんからアカウント登録できないわって突っ込まれるのはわかるが、わいもサラリーマンなので、難しいところがある。
子どもたちと一緒にいると、彼らの「自由な心」に感心させられることがあります。先日、家族の集まりで小さな子どもたちが即興で歌を作り、踊りながら楽しんでいる姿を見ました。ルールも決まりもなく、ただその瞬間を全力で楽しむ彼らの姿に、大人の私たちがどれほど「型」に縛られているかを思い知らされました。
大人になると、常識や責任、社会的な期待の中で「こうでなければならない」と考えることが増えます。でも、子どもたちの世界では、そういった枠組みは存在しません。彼らは自分が感じたままに表現し、楽しむ力を持っています。
その自由さが、時には大人の凝り固まった考え方を解きほぐしてくれることがあります。子どもたちの「自分らしくあること」への自然な姿勢に触れると、自分ももっと肩の力を抜いて生きていいのだと思えるのです。
子どもたちは、大人が忘れてしまった「自由な心」を思い出させてくれる大切な存在です。その力に感謝しながら、私たちももっと自分自身に正直で、自由な生き方を目指していきたいですね。
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ゲームってのは結局のところはヒーローごっこをするための玩具であって、そこに存在する手応えも最終的には「子どもの遊び相手を上手に勤める保育ロボット」みたいなもんでしかないから。
ここが分かってるというだけでゲームを相当やってきた人間であることが分かる。
給料日だ。
よって、給料が振り込まれる前に口座に余ってた金は必要ないので、その金は全て引き出した。
そして、その金で収入印紙を買って燃やしたのだ。
燃やさずに捨てて他の人に拾われることが無いようにだ。
毎度のことだが、ブクマカは、少子化対策の文脈で「子供を持つ世帯へ補助金を配る」ことを無批判に持ち上げすぎでひどい。
少し過激な物言いをすると、こんなのは自分のところに金を回せという利益誘導の主張でしかない。
既に子供がいる世帯へお金を配ることが少子化に効果がないことは、研究により明らかになっている。
このように批判すると、「国民にお金が還元されるのは良いことなのに批判するのはおかしい」とか言う人がいるが、それなら国民全員に配ればいいだろうという話になる。
「貧しい家庭が」という話をするのなら世帯の所得に応じた補助金とすべきだ。