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2023-11-27

アメリカ人的「謝らないコミュニケーション」は、ただ単に幼稚性から来るのかもという推察

アメリカ人は謝らない、とよく言われる。自分の非を認めるのはすなわち、10:0で過ちを認めたからだ、と言われるのだ。


しかし実際にアメリカに行ってみると違うことに気付く。

実はアメリカ人結構頻繁に謝る。


「君が傷ついてしまった、すまないと思う」

「今のは君に不快な思いをさせる言葉だったね」


と。意外と謝るじゃん、とその時は思うのだ。

しかしよくよく考えてみると、謝っていないことに気付く。

彼ら、とにかく「主体」を「自分」ではなく「他人」に設定するのだ。


「君が傷ついてしまたことをすまないと思う」→お前が勝手に傷ついただけ

「今のは君に不快な思いをさせる言葉だったね」→君が「不快になったことは」謝るよ、でも俺は悪くない、俺の言葉で傷つかない人もいるんだから


日本人責任回避しがちというが、実際は違う。責任が0か100なのだ。謝る時はしっかり、

貴方を傷つけてすいません」「不快言葉を言ってすいません」

という。しかアメリカ人は「自分責任」と「相手責任」を切り分ける。

根底に、「あくまで傷ついたりしたのはお前の責任」と思っているのだ。


ぱっと思いつくのは、小学生の「謝っているようで謝ってない謝罪

とにかく責任回避をしたい、自分の悪さを認めたくないという部分。


自分の非を認めて前に進むことは大人必要なことだ。

外資に長年勤めている人は、アメリカ企業が良くも悪くもだんだん日本化しているとも聞く。

逆に日本企業は謝らない、幼稚になったとも聞く。


そういう「自分責任他人の切り離し」を、個人主義的な美徳だと考える人も居るが

実際はただ単に未熟な人が多いだけで、自分の非を認められないだけなんじゃないか最近は思っている。

  • 「すげーChatGPTみたいなアメリカ人だな。」というブコメが逆じゃん!と笑った後かんがえさせられた。 アメリカ人が非をみとめないからCHATGPTも非を認めないのだが、 それが通用す...

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