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2023-09-03

新卒で入ったJTCを辞めて博士留学を始めた。

〜はじめに〜

私は新卒入社した企業をたった2年で辞めてアカデミアの世界に戻ってしまった。

周りから見たら堪え性のない最近の若者って感じだろうな。

共感してもらえるとは思わないが、なんとなく聞いて欲しくて書いてみている。

就職するまで〜

国内国立大学修士課程卒業して新卒でJTCに入社した。

分野は特定されたくないのでぼかす。

恐らく日本人なら誰でも聞いたことがあるメーカーだ。

入社した理由は周りの多くが修士を出て大企業就職してたから、お金もらって研究続けられるならそれでいいかと深く考えずに入社した。

元々研究が好きで就活時もR&D一本で就活していたので、結果的に見れば理想通りの進路だった。

業務内容について〜

最初研修を経て研究職として地方研究所に配属され、近くの寮(一人部屋)で一人暮らしを始めた。

しか入社して半年程度で、自分仕事に全く楽しみを見出せなくなってしまった。

まず研究について。

これは企業なので仕方がないのだが、入社時に希望していた研究テーマ(仮にAとする)と大きく異なる分野に関わることになった。

Aは就活当時に海外研究が盛んになっている分野で、産業的に日本にも入ってくるかどうかというタイミングだった。

就活の時には研究所の偉い方々とAの話で盛り上がった。

事実、私が入社したタイミングでその研究も立ち上がったのだが、残念ながら自分メンバーではなかった。

正直、誰よりも興味があったし先行研究もそれなりに知っている自負があった。

勿論、新しい研究の立ち上げに加えて新卒教育なんて大変なのはわかる。

ただ自分にとって真横でAの研究が行われるのを傍観し、全く異なる別のテーマ情熱を注ぐというのは正直かなり無理があった。

上司と話す機会もあったし私がその分野に強く興味があることは知っているはずだが、どうもその上司育成方針からして私は何年経ってもその分野に関わることはないだろう事を悟った。


人間関係について〜

また入社時にはコロナ流行しており、半年たっても会ったことのない部署の先輩がいる程度に希薄人間関係が出来上がった。

元々研究所はその特殊性から人員移動がほとんど起きず、10年単位で同じ課にいる人がいる程度にはクローズドコミュニティだった。

普段なら人付き合いは得意な方なのだが、その閉鎖性とマスク越しで想像し難い同僚の表情に勝手に畏怖してしまい、必要以上に気を遣う付き合い方を始めてしまった。

気づけば半年も経つ頃には人付き合いに対して過度に気を遣って自滅してしまい、人付き合いに楽しみを見出すことが出来なくなってしまった。

家と会社を往復して酒飲んで寝るだけの生活に終止してしまい、家族や友人にも会えずなんのために会社で働いているのか分からなくなってしまった。


待遇キャリアについて〜

また、自分の周りの方々を見ていると自分キャリアがこの先どのように進んでいくか、人生が概ね見えてしまった気がした。

新卒年収が400万、3-5年ごとに100-150万ずつ上がって、40代でもし課長になれば1000万超えるとか、そんな感じの年功序列が色濃く残る給与テーブル

研究員は10年とか努めたら突然の辞令研究員ではなくなり、別部署主任になるのが大半みたいな。

大体三十歳前後結婚して、近くに家をローンで買って、子供育てながらずっと勤め上げるみたいな。

恐らく多くの人から見たら幸せ人生なんだと思う。勘違いして欲しくないのは、私はそれを全く否定していない。

それでも自分には魅力的に映らなかった。

まず第一に、自分研究が好きで博士号に憧れを持っていた。

日本では取っても食えない足の裏の米粒とか言われているが、それでも私は研究に携わる上でいつかは博士号を取得したいと思っていた。

入社当時は社会人博士等も考えたのだが、会社としては肯定的ではなかった。

研究所にも関わらず職場では実務には必要ないという考えが主流で、事実博士号を持っている方々もそれに見合った待遇は全くなかった。

しろ時間と金をかけているのにほぼ年功序列のため、同年代の同僚と加えて損しているような状況であった。

もちろん全ての会社がそうではないと思うが、私は博士号を良しとしない日本の風潮と会社に大変に失望した。

また別の理由として、人生で一度は海外生活してみたいという強い思いがあった。

元々いつかは海外駐在をと思って会社を選んだが、入社してから研究員として駐在するというポジションはなく経理営業ほとんどであることも知った。

それどころか会社研究員を続けたら海外に行く機会はなくなり、10年も腰を据えればある日突然の辞令研究員ですら無くなってしまうのだと理解した。

はいつか研究から離れるにしても、少なくともその引き際については上司裁量社内政治の巻き添えではなく、自分意思で決めたいと思った。



受験準備〜

入社半年上記のような数々のギャップを抱いた結果、海外博士号を取るという決断に至った訳である

どうやら博士号欧米では十分に評価されるらしいとか、海外大学院授業料無料生活費までくれると聞いたのが大きな理由だ。

よくも知らないのに受験して海外に来ているなんて、今思えばかなり無謀なことをしているように自分でも思う。

また研究世界はどこまでいっても英語公用語であるため、基礎的な学問母国語習得した上でなら英語研究遂行する能力必要だろうと考えた。

幸い職場ホワイトだったので、勉強する時間は存分に確保できた。

主に米国大学院に絞ったため、一年目の秋頃からそれに合わせて準備を始めた。

大学院留学には主にTOEFLIELTS使用されるため、私はIELTS選択してオーバーオール7.0まで取得した。

元々英語趣味だったので、こちらは半年程度で到達できた。

続いてGREスコアを取得した。

GREとはGraduation Record Examの略で、米国大学院受験する際に要求されるスコアだ。

ただ近年では研究能力と関連がないという意見も多く、廃止される大学も増えてきている。

こちらも半年程度で目標としていた点数(Verbal 150, M170, AW4.0) に達した。

2年目の秋頃から書類を揃えて本格的に海外大学院Ph.D.プログラム日本でいう博士後期課程)に応募を始め、三校から合格をもらった。

自分レベルに見合う中堅の州立大学をメインに受けたのでIvyのようなトップスクールではなかったが、それでも合格が来た時は本当に嬉しかった。

合格した中には修士時代に少し交流のあった先生からの誘いが含まれていて、これ幸いとそこを進学先に決定した。


退職まで〜

合格が決まったので退職職場関係者に報告した。

反応は様々だった。

新卒で2年しか勤めてないのに辞めるのかとかなり叱責してくる上司もいて辟易したりもしたが、実際会社から見たらただの不良債権なので仕方ない。

そもそも会社辞めて海外留学なんて叩き上げ管理職からしたら当てつけのように感じたかもしれないから、分かり合えないのは仕方ないと割り切った。

管理職ではない方々は割と優しくて、割と前向きに送り出していただくことが出来た。

大変に良い人が多かったので、コロナ禍でなければもっと良い交流を持つことも出来たのかなと少し残念に思った。


博士留学してみて〜

アメリカでの博士課程生活は大変に気に入っていて、現状は概ね満足している。

一度社会人経験してみて履修する講義はどれも面白いし、大学時代よりも自分に存分に投資できる時間を嬉しく思っている。

ただ給料が出るとはいえ大学院生なので、収入の面では下がってしまった。

現在給与は年間で大体$25,000くらい、日本円だと350万円くらいかと思う。この額は多分アメリカ州立大学大学院生の平均的な給与だと思う。

そもそも好きに勉強して研究するだけでお金が貰えるので、自分にとっては天国である

自分としてはむしろ授業と研究だけで350万貰えるのに、フルタイムで苦労して働いて400万しか貰えなかった日本大企業やばない?と若干思うところもある。

まあしかしアメリカ田舎なので物価は安めだが、日本の時と比べると生活費は上がってるので前より余裕はない。

大学院としては年間$30,000(約400万円)の学費免除経済支援の一部としているので、それを踏まえると待遇は上がったかと納得している。

残り2-3年で卒業を目指し、卒業後は現地就職する予定だ。

アメリカでは博士卒が民間就職した場合自分の分野では平均$80kから100kは貰えるそうなので、給与の面ではJTC時代を大きく上回る算段となっている。

周りをみても外国籍特に問題なく就職しているので、日本博士卒の就職難というような問題こちらでは無縁のようだ。景気さえ悪くならなければ大丈夫だろうと思う。

幸いビザ問題とある理由クリアできる目処があるため、卒業と現地就職を目指して今後も研究に励むつもりだ。

海外生活も日々新鮮に感じることが多く、自分にとっても成長を感じる機会が多くて楽しく過ごせている。

生魚や焼き鳥が恋しいが、日本食材自体は売ってるので思ったより食事が辛いということもない。


最後に〜

自分は体質的日本企業には合わなかったのだろうと思う。

元々人付き合いは好きだが、上下関係気遣いは得意ではないので大分ストレスに感じていたように思う。

年功序列自分には向いていない制度であったし、自分意志を介在せずに自分処遇が決まっていく組織というものにに耐えられない性分でもあった。

それでも日本大企業入社してみた経験自体は確かに生きていて、培ったマナーであったり規律等は学生上がりが多くカオスアメリカ大学院生活でも大変に役立っている。

自分別にアメリカを礼賛しているわけではないが、少なくとも私のような青二歳の外国人にも挑戦すれば機会が与えられて、能力があれば高い給与が貰える可能性があるのだとすれば、これは私にとってのアメリカドリームに違いないだろうと思う。ドリームというほど上振れてもないけれども。

同じようなことで悩む若者がいたら、少しでも参考になれば嬉しい。

  • 海外博士とってとんでもない競争に負けて帰ってきたものだけどglとしか言えない。俺にとっては日本の方が100倍楽だった。

  • いつものライターは頭ぼやけている

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