私は、どこにでもいるようなオタクだ。
大好きな推しがいて、イベントが開催されようものなら何枚もCDを買って応募し、グッズが発売されようものなら貯金をおろす。
そんな推しは近年売れに売れ、名前を知らない人はいないのではないだろうかとすら感じる。
本当に嬉しい。Twitterなどでも、推しは頻繁に話題になる。
推しの音楽を聴いてくれてありがとう、歌詞を深く考察してくれてありがとう、CDを買ってくれた方もたくさんいるだろうし、私はすごく嬉しい。ぜひここの歌詞が素晴らしいとか、深く語り合いたい!
みなさんに、ひとつお願いがあるのだ。
頼むから!□□というアーティストが〇〇(その楽曲に関係ない作品、あるいはカップリング名)のイメソンにぴったりだ!とか話すときは検索避けをしてほしい!※その楽曲とタイアップなどで関係のある作品を除く
私だって、今すぐその妄想を全部やめてくれ、なんて無茶は言わない。
音楽の楽しみ方は人それぞれだと思うし、多少なら私が『イメソン』をワードミュートにするなどして防御すればいいだけの話である。
オタクらしい言い方をすると、私は『イメソン』が地雷な人なのだから。
だが、近頃はどうだ、もはや推しの名前や楽曲で検索をかけるだけでトップに推しカプの解釈に負けて悔しいだのなんだの、そう言った言葉がたくさん出てくる。サジェストにすらイメソン、だとか、全く関係ない作品の名前が出てくる。ワードミュートを突き抜けてくる。
もちろん、そう思ってもらえるほど推しの楽曲が素晴らしいんだと思うと嬉しくなる時期もあった。
だが、あまりにも数が膨大で、「この人たちは妄想がしたくて私の推しの楽曲を聴いているのではないだろうか…?」と一度感じてしまってからは、そういった音楽の楽しみ方がすごく苦手になってしまった。
私の推しは当然そういった方々の推しカプや、タイアップではない作品のために音楽を作っているわけではない。
どうして腐向け二次創作には検索よけをしなければならないという暗黙の了解があるのに、イメソンとして消費されるアーティストやその楽曲にはそう言った暗黙の了解がないのだろうか?
もちろん音楽の楽しみ方は人それぞれだ。私にとやかく言う権利はないし、音楽を聴いていて推しカプにぴったりじゃん…と思ってしまったことがないわけではない。
でも、ツイートボタンを押すその前に、それは楽曲のファンを不快にする内容ではないかしっかりと考えてみてほしい。
どんなアーティストにも作品の世界を純粋に楽しんでいるファンがいることを忘れないでほしい。
心の片隅にでも置いておいてもらえると幸いだ。
私が不快だからお前は口を閉じろって、よく言えるなぁ この増田を読んだ俺が不快に思ったんだけどどうしてくれんの?
そういえば少女漫画でイメージアルバム出す文化ってなくなったな。昔はけっこうあった気がする。 カプのイメソンとか設定したがる女オタクは、たぶんあのへんの文化受けてるし世代...