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2021-12-31

文春をソース神田沙也加元カレ誹謗中傷を書き込むネットの人々

松田聖子神田正輝に「今の気持ちは?」と聞いた記者いたことがいたく炎上していた。

それは当然だ。実の娘をなくして憔悴しきった人に聞いていいことじゃない。


しかし、記者を叩いている連中もその次の瞬間に前山剛久辛辣言葉を書き込んでいる。

ソースは文春に掲載された遺書ライントーク画面。

いくらでも捏造できるような代物だ。なんの信ぴょう性もない。


というか、アレが本物だったとして、前山叩きに走るとしてもあまりにも安直すぎる。

文春の目的煽情であって公正ではない。

前山擁護できるような情報は書かないし、神田一方的被害を受けているようにしか書かない。(まあ、よく読めば誓約書書かせるのは「えっ?」ってなるけど)


文春砲が放たれた後、前山自分擁護するツイートいいねしたり、追悼文を出したが、これに対するネットの反応は

「本当に悲しかったらエゴサなんてできない。この期に及んで自己保身とは。やっぱり文春は正しかった」

薄っぺらい追悼文。このタイミングでわざわざこんな追悼文出すのは文春が正しい証拠

総じてこんなものばかりだった。

いやいや、もともとあんたらに「文春は正しいと信じたい」という気持ちがあって、それに沿うように前山の行動を解釈してるだけじゃん。


前山自己保身のことを考えていると言って、悲しんでいないことの証明にも、文春の記事が正しいことにもならないよ。

例え大切な人を亡くして悲しい状況であっても、ゴシップ紙に悪評垂れ流されて食い扶持と選手生命を同時に失いかけてたら気に掛けるのは当たり前だ。

私もそうだし、多くの人はそうだと思うのだが、ネット住民人格者の集まりらしい。

(ただ、擁護ツイートいいねをしたのは隙を見せたという意味安直だったと思う。)


あと、感情で繋がった恋愛の「愛」は血で繋がった親子の「愛」とは違う。

自分ときめかなくなれば、例え相手自分を好きなままでも別れようと言うのは至極当然だ。

フられた側は愛情が裏切られたと感じて傷つくが、それは誰が悪いとかそういう問題じゃない。

ときめく・ときめかないで別れたり別れなかったりするのが恋愛なんだから、例え絵にかいたような聖人君子同士の恋愛だろうと「傷つける」ということは起こりうるはずだ。



木村花さんが亡くなってから久しいが、あの事件はなんの教訓ももたらさなかったんだなあということを実感する。

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