最初にTwitterトレンドの「乗車拒否」をクリックして、何が起きたのかを知った。最初に「乗車拒否にあった」と訴えているらしい車いすユーザーの方を批判する多くのツイートを目にし、元ツイートの方に辿り着いて本人のブログを読んだ。
なるほど。と思った。
何が批判されているのかは、ブログの文章でだいたい把握できた。
モンスタークレーマーみたいに見えるのは、ちょっとわかる。でも決してそんな横暴な主張をしてるわけではないし、なにより批判している方の叩き方が異常だと思った。なんでそんなに怒っているんだろう、と違和感を感じた。
その後もTwitterで彼女のツイートを取り上げ、支持しますと表明している人のツイートに対して、鼻息荒く噛みついている多数のリプを見た。なにこれ、怖い怖い。
車いすユーザーの人からの批判的リプがとても多いのが気になる。「こんなのと一緒にされたら困る」と。彼女の発信が、逆に自分たちの立場を危うくすると思っているようだ。
この感じ、何なのか。最近話題になったあのワードが、頭の中でリンクした。
彼女は「わきまえない車いすユーザー」として叩かれているのだ、と思った。
彼女に批判的な車いすユーザーは、「健常者中心の社会で回りの皆さんに助けてもらって生きさせてもらっている者として、立場をわきまえろ」と言っているのだ。
勿論、彼女を批判している健常者も同じことなのだが、なぜ同じ立場にある車いすユーザーが彼女を背後から撃つのかと言ったら、そういうことだ。
それはつまり、「マイノリティが社会に権利を訴えたら、ひどいバッシングにあう」からだ。それが怖いから率先して、自分たちの権利を訴える代表者を黙らせにかかる。「わきまえて」謙虚に暮らしていれば、社会の中で存在していいと認めてもらえる。今以上の権利を主張すると、潰される。自分が発信しなくても、「現状の社会に盾突く存在」だと思われたら攻撃を受けるかもしれないと恐れている。実際、そんなことがずっとこの社会では起きているのだから、そう怯えるのは無理もない。
だが、忌むべきはそういう社会の方であって、声を上げた彼女ではないのだ。
そして、批判している多くの人が誤解をしているように見えるが、彼女が問題にしているのは「JR職員の対応」ではない。その先にある、「車いすユーザーの生活に対応しない社会」なのだ。
ブログの文章を読んで、「対応してくれた熱海駅の駅員さんに対する感謝がない」と感じた人が多いようだ。私も、最初の印象はそうだった。
だが、彼女が問題提起しているのはもっと広い視野の話なので、個別に対応してくれた駅員さんに対する感謝というのは主旨から外れる。だいたい、ブログに書いていないからといって、彼女が現地で駅員にお礼を述べなかったと決めつけるのもおかしい。
彼女はブログで個人対個人の話をしているのではない、「社会」が車いすユーザーの権利を制限している、という問題について書いているのだ。
勿論、今回の旅行は彼女の個人的なものであって「権利向上活動」としての目的ではないだろうが、それは関係ない。車いすユーザーであっても健常者と同様に自由に公共機関を利用して旅行に行ける社会を、彼女は求めているのだ。
その視点を理解できない人が、狭い視野で「個人の権利を主張して、駅員に迷惑をかける人」と断じているのが、この炎上案件だと思う。
結果的に、当初小田原駅でははねつけられた彼女の要求が現地で通り、熱海駅から駅長以下4名が同行して無人駅の来宮駅の階段を運んでくれたとのことだが、これを「結果的に要求が通ったのにまだ文句言ってる」と批判するのは、あまりに状況がわかっていない。
私も健常者で、バリアフリーに関しては殆ど知識のない人間だが、ブログを読む限り「バリアフリー法によって設備のない駅ではそれ以外で対応する義務がある」となっていても、実運用は現場判断まかせによるもので、対応する人によっては「できない」と言われる可能性がある、というのは大問題ではないのか。
たまたま熱海駅の駅長がいて対応してくれたが、もしかしたらその日駅長さんが非番だったらそうならなかったのかもしれない。そんな個人の裁量まかせでは、車いすユーザーの方は毎回事前予約でしか駅が利用できないことになってしまう。駅長グッジョブとか感謝とか言っている場合ではない。
批判ツイートやリプでは「最初から想定されている不便なら、それ相応の準備をしておくべきだ」という意見が目立った。それはたしかに一理あるように見えるが、社会が抱えている問題を覆い隠すことにしかならない。
私は本件のコラムニストのことを今回初めて知ったので、彼女がどんな半生を送ってきたかろくに知らないが、先天性の病気の方のようなので、普通に生活するだけで健常者には想像もつかないような多くの不便とぶつかってきたんだろうと思う。「出来ないことは我慢する」「他で代替する」なんてことはとっくの昔から繰り返ししてきたはずだ。それを、たまのイベントのように「これがダメならこうしたらよかったのに」と上から目線で言うような人間は、自分の想像力の欠如を恥じてほしいものだ。
車いすユーザーの人は、外に出たかったらもっとどんどん公共機関を利用して外出するべきなのだ。もちろん、不安な人は彼女のような思いをしないために事前に準備し、連絡をしていけばよい。車いすで駅を利用する人が減っていけば、今後も駅のバリアフリー化は進まないだろう。ニーズがなければ設備投資はされず、いざという時に人力だけが頼みとなってしまう。駅員さんも危険だし、誰も幸せにならない。
コラムニストの方は新聞に取り上げてもらうように動いているようなので、この件が記事になってメディアに出た時、どんな取り上げられ方をするのか、またそれに対してどんな意見が出るのか、引き続き注視したいと思う。
なお、この文章をつらつら書くのに数時間かけてしまい、再びTwitterでブログ主のホームを見たら、彼女に賛同するツイートに「#わきまえない」「#障害者差別」とあり、やっぱそれよね~~という気持ちになった。
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