・日本国において無作為に選んだ人間の集合の中で、議論を交わすために十分な能力を持つ人間は1割に満たない。
・言語は情報を伝えるための媒介であり、抽象化されたイメージには本来伝えたい情報からいくらかの欠落が生じることを自覚していない人間は多くない。
グエー死んだンゴ
推敲もなにもしないで書きなぐっていくので読みづらい部分はご愛敬。
わたしは元々pixivにアップされていた彼女の作品を何作か読んだ。
キャラ崩壊したラインのやりとりや、小説においての新しい切り口等が、それまでアップされていた作品とは一風違っていたから、目を惹いた。イベントや通販もされていたが、特に購入しようとは思わなかった。その程度のファンだった。
両手を挙げて「大ファンです!」という程ではないが、「この人は本をたくさん読むんだなぁすごいなぁ」とは思っていた。
6月初旬頃に、彼女がアップしたプライベッターを読んだ。以前より彼女が二次創作においてルールを守っていないことについて意見を述べているひとがいるのは知っていた。
正直わたしは二次創作のルールはよくわからない。グレーゾーンだからとか、売り上げで利益が云々とか、彼女の現在のジャンルがDなのでルールに厳しくて…等、奥が深すぎて全容を掴めていない。
なので、その部分について、裁判官でも弁護士でもないわたしが、著作権云々のことに述べるのはやめておく。専門分野は専門家に任せるのみ。
わたしが心に引っかかっているのは、彼女のプライベッターにもある<ツイッター上での暴言>の部分に関してだ。
わたしは、彼女の作品のゆるいファンであると共に、ここに描かれているネイルデザインの絵師さん、ヒプマイ絵師さんのこともフォローしている。
TLに流れてくる彼女らのイラストを見て、時には引用で、時にはマシュマロで感想を送ったこともある。インドの大運動会さんと同じ(もしくは絵師さんに対してのほうが少しだけ熱心な)ファンなのだ。
純粋な疑問として、まずなぜ2年間もの間放置していたこの内容を今になって認め、謝罪しようと思ったのか。それが疑問の始まりだった。
このプライベッターをアップする理由はやはり、炎上の沈下なのだと思う。そもそもが「騒動に対しての謝罪」なのだ。
騒動に対しての謝罪…騒動に対しての謝罪???この<ツイッター上での暴言>に関しては、謝るべきは暴言を吐いた相手にである。わたしたちにではない。
彼女は「作者様と連絡を取る手段がなく、直接の謝罪はできておりません」と述べているが、相手からブロックされているということなのだろうか。それとも作者のアカウントがわからないということなのだろうか。
いや、そもそも。直接謝罪をしようと、アクションを起こしたのだろうか。
「連絡が取れれば直接謝罪する」とあるが、それは「こちらからは連絡できないので、相手からコンタクトがあれば直接謝る」という、条件付きの謝罪ではないのか?
正直、第三者からでもその絵師さんが誰なのか特定することは簡単だし、「謝意を伝えたいので取り次いでほしい」と誰かに頼むこともできると思う。
「相手が直接連絡を取りたくないということであれば、弁護士を通して伝えます」という部分にも、疑問符だらけだ。
弁護士とは、本来「加害者Aさんが、被害者Bさんに謝罪を伝えたい。しかしBさんはAさんと直接話をしたくない。だから間にワンクッション挟むために雇う」ものだと認識している(違う?)
今回に当てはめると、インドの大運動会さんが、絵師さんに謝罪を伝えたい。しかし絵師さんは直接話をしたくない…から…絵師さんが…?弁護士を…雇う…?
本来、彼女自身が精神誠意に謝意を伝えるべきで、そこに第三者を挟むかどうかという選択は相手が選ぶべきだと思う。
ではなぜ弁護士が出てくるんだろう…。
正直、2年も経ってしまった今更、相手の絵師さんたちが怒るのには「遅すぎる」とも思う。そういうことをされて嫌だった、怒った、謝ってほしいという気持ちは、2年前に伝えるべきことだと思う。
リアルタイムでならインドの大運動会さんに対して「このジャンルから出ていってほしい」などという要求が、もしかしたら通ったかもしれない。わからないけど。もしかしたら。絵師さんたちが同じジャンルに居たくないからってことでね。多分。わたしの勝手な想像。
ただ、2年後の今「わたしも同じジャンルに居て、当時のことを思い出すのでこのジャンルで活動してほしい」という要求をしても、年月を考えたらもしかしたらその要求は不当かもしれない。これもわたしの勝手な想像。
そして、その相手からの要求が不当か否かをジャッジする為に、弁護士がいるのではないか、とわたしは思った。
「2年も放置してきたくせに今更何!?人の創作物にケチつけたペナルティとして今のジャンルで活動しないで!」と怒った相手が同等以上の要求をしてきたときに「そこまでは飲めません」とジャッジするために、弁護士がいるんじゃないか…?
自分が相手に対して、本当に申し訳なく思っているから、謝意を伝えたい…と思うことに対して、何がどうなって「弁護士用意します」になるんだろう…?
今回のインドの大運動会さんのプライベッターは絵師さんたちに対してではなく「騒動に対して」の謝罪をしているように見えた。本人たちに謝意を伝える為にできる限りのアクションを起こそうとしていない時点で心の底から申し訳ないと思っているわけではない、と思った。
わたしはネイルデザインの絵師さんの作品も好きだ。ヒプマイイラストの絵師さんも好きだ。もう一方の絵師さんは存じないがきっと素敵な絵を描かれるのだろう。そして、インドの大運動会さんの作品も好きだ。
だからこそ、インドの大運動会さんは、絵師さんへの謝意が本物ならば、相手から連絡がくることを待つのではなく、自発的に相手へ謝意を伝える為にアクションを起こしてほしいと思う。それが誠実だとわたしは思うから。
絵師さんたちのことを考えると、どうしても手放しでインドの大運動会さんの新作に、沸けないのだ。
だってわたしなら。わたしの作品に引用で暴言吐いて、2年も音沙汰ない人が、炎上のついでに突然わたし宛ではなく「関係者、ファンの皆様、ごめんなさい」なんて言ってるのを見たら、「そのごめんなさいはまずわたしにちゃうんかい!」って思うもん。相手からコンタクトがないのに「連絡があれば謝罪したい」なんて言っているのを見たら、「お前から出向くべきだろうが!」って思うもん。
わたしは、作品と作者は別物と割り切れるタイプなので、インドの大運動会さんの作品を読んで、素直に面白いと思う。
だが、その気持ちをツイッターで表面化したときに、絵師さんたちがどう思うだろうかと考えると、ポジティブな感想をツイートする手が止まってしまう。
「彼女は人の作品に暴言吐いて、2年も知らない顔をして、炎上のついでに謝罪のポーズを見せてるけど、わたしのとこに直接謝りにきたわけじゃないですからね!」っていうのは…絵師さんは悪くないのにあまりにも孤独なのではないかと思った。
だけど、どうかインドの大運動会さんの謝意が本音であるということ、本当に申し訳ないと思っていること、炎上を沈下させる為ではなく、傷付けてしまった相手に対して誠心誠意誠実であってほしいと、わたしは勝手に願っている。
わたしは絵師さん本人ではないので、絵師さんは意外と「え、もうどうでもいい」って思ってるかもしれないし「一切かかわりたくない」って思ってるかもしれないし、わからないけれども。
リアルでも言ってそう
こうやってライバルが出現しないように抑え込んでる
違うアニメは具体的になんだよ
その雨が降っていましたってことが本当に書きたいことだったのか?
違うだろ?
「おめーらはいつもいつもくだらねー事ばっか書きやがるが俺っちはクレバーなので『雨が降っているなあ』くらいしか思うことがないんだぜ!」と正直に書きたまえよ?
ロッテが強いんじゃなくてオリックスがやっぱ死ぬほど弱いだけなのでは?
投打は噛み合うことを知らないし僅差の試合は落としまくるオリックスさん…
それ知らなかったの凄い
子供の頃からどういうわけだか政治家が嫌いだった。ただ嫌いなだけじゃない。穢らわしいとさえ思って嫌悪している。
おそらく子供ながらの潔癖で汚職が許せなかったのだろう。幼い頃はとかくそういったニュースが多く、汚職事件なる言葉が脳裏にこびりついている。(『お食事券』と勘違いして覚えていたせいかもしれない)
それではいかん、と中学生のときは生徒会役員に立候補して自ら選挙ごっこに身を投じた。それでも政治家に対する侮蔑的な感情は消えなかった。
大人になって選挙権を得た。とりあえず毎度欠かさず票を投じてはいるが、当選した人は必ず私を裏切るに違いない、という不信感が拭い去れない。
会ったこともない知らない人を勝手に嫌悪して蔑んで疑って穢らわしいと思ってしまう。これの延長で、特定の候補者や政党を支持している人を、まるで怪しい宗教の信仰者であるかのように見てしまう。ただただ気持ち悪い。
政治の話は大切なことだ。生活に関わる。自分の将来にだって。そんなことは分かっているのに、往来で大声で性的な話をしているような抵抗がある。
これの原因はわからない。いつからこうだったのかもわからない。どうすれば治るのかもわからない。個人的には政治アレルギーなんだと思っている。これにつける薬はきっとない。
私は「何かしら追い詰められた人間は政治の話をする」と思っているし、比較的それに合致することを見てきた。大学を3留した先輩はある日突然政治の話をし始めたし、就活に全部落ちた同期も政治の話が大好きになった。私にとって政治の話はそういう人達がするものなのだ。
せめて選挙の間だけは目を向けないといけないと、票を入れるべき候補者を信じなければならないと思ってはいる。思っているがそれをしようとするととてつもなく憂鬱だ。
都民なので間もなく都知事を選ばなければならない。ただでさえ政治家不信に政治アレルギーなのに、勘に障る候補者ばかりが目立って不愉快極まりない。
けれど、初めてこの人ならと思える人が見つかったから信じてみたい。多分この人は当選できないと思う。悲しいかな都知事選なんてものは所詮はただの人気投票で、私のように悩む存在の方が少ないはずだ。
この人は目立っていない。この人はまだ若すぎる。それでも一矢報いることくらいはできるかもしれない。その経験をもって私も政治家不信と政治アレルギーから脱することができるかもしれない。
せめて「選挙なんてのはエリートや人気取りの奴らが私の一票ほしさに靴を舐めにくるのが最高に愉快だ」と思えるようになりたい。