現在は障害を持っていて社会に適応できない人に対しては家族だけでなく国や様々な団体が支援を行っている。
ただ、それは高度に発達しすぎた人間社会での出来事であって野生では違うアプローチがされているのではないかと思い調べてみた。
https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2015-11-10
結果はこの通り、家族以外の個体からの支援は「攻撃をしない」ということのみ。
基本的には家族内でお世話をし、お世話をしていた個体が忙しくなると障害を持った個体は世話をされずに死んだ。
これが生物の本能として種の繁栄をしていく中で本来あるべき姿なのではないだろうか。
家族では賄えない障害者の世話の負担を別のものが負担し、それによって出産や子育てに影響があるのは本末転倒なのではないだろうか。
しかし大切なことに気がついた。高度な社会性を持っているとはいえ、生物としての本能が果たしてそう簡単に消せるものだろうか。
もし生物の本能が消えていないと仮定した場合、もしかすると”種の繁栄を”という行為は何か別の本能の途上にあるものではないだろうか。
そう考えたとき、もしかすると生物は”情報”を残すことが本能としてあるのではないだろうかという仮説が思い浮かんだ。