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2024-04-05

天才とは災いであ

その増田文章は散文的であり、詩のようでもあった。

その増田文章はあまりに乱雑で、優雅で、情緒にあふれ、まるで熟語ことわざのように、ある言葉の並びがそれによって別の意味になるよう自然に仕向けられていた。

その増田文章日本語で書かれていながら他の言語と呼べる可能性を秘めていた。

増田はこの増田を目にして一読すると、非常に苛々した。

胃はムカムカし始め、目は充血し、その増田のことを少しでも思えば気分が重くなり今にも憎み出すほどだった。

増田怒髪天になりながらも心の底では気が付いてた。

自分では決してこの文章を書くことはできないだろう。

増田無自覚を装いながら激しくいきり立った。

そして「くだらない」とその文章を一蹴する。駄作だ。ブクマだって0じゃないか

こんな文章の何処がいい?腐ってるよ。糞文。駄文ブクマが0なのがその証明だ。

増田は気を落ち着かせようと俗な投稿に目を向けた。雑多にブクマを集めている注目エントリに目を向ける。

そこに書かれていることは日常のことであり、自分自分のままで共感することも説教することも出来た。

そして同情することもでき、自分にも書ける内容であることに気づくと増田はこの増田のことを好きになった。

そしてブクマをつける。ブクマは周りからも集っていき、その増田はどんどんブクマを集めて注目される。

自分の目に狂いはなかったのだなと増田自分のことのようにブクマが増えていくのを喜んだ。

ブクマがたくさん集まった増田は内容が平易で、世間的で、同情やら共感などの感情を呼び易く、説教用の隙間を開けてある。

そして、ブクマが0のその増田の内容はまさに耽美的で、素晴らしく、言葉から作られたのではなくそ文章のものから言葉が作られているような響きがあった。

文盲はその素晴らしさに気付けず、目利きはそれに対して激しい憤りと憎しみを持って出迎え、誰の手からブクマがつくようなことは決して起きない。

今日もまた皆が理解することが出来る調和の取れた増田が壇上に上がり、歓声と共にブクマを集め続ける。

それは決して悪いことではない。世の理とはそのようなものだ。

あなたは惑わされず、増田投稿を続ける。

自分の思いの丈を綴る。迎合するものを書こうとしないのではない、それは呼吸なのだ

あなた生命をそのまま文字に描き起こす。

あなたはそうして増田投稿をする。

その増田ブクマは0で、それが1になることは決してない。

しかし忘れないでほしい。

あなた増田は、そういった類の増田かもしれないのだということを。

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