-復興は移住を伴わざるをえない
今回の震災で、東北の海側の多くの町(宮古、大船渡、釜石、陸前高田、気仙沼、志津川(南三陸)、女川、牡鹿町など。)が自治体レベルで壊滅している。これらの街では、町民の多くが亡くなっている模様だ。本当に心が痛い。私の祖母も石巻に住んでおり、幸い無事だったものの、安否が確認できるまでは、生きた心地がしなかった。
住んでいる方々は街の壊滅を目にし、今後復興が出来るのだろうか、と思っているに違いない。
しかし、幸いにも、今は国を挙げて(世界からも)支援を行う、という機運が出てきており、金銭的・物理的な支援が今後予想される。ただし、生き残った方だけが元の場所にあらためて住居を建てて居住し、街を作るということはおそらくできないだろうし、するべきでないだろう。
それは、これらの街に(東北全部に言えることだが)共通しているのは、どの街も高齢化が進んでいると言う事だ。限界集落となる人口を超えてしまった場所が多数あると考えられる事と、人口が減ってしまう以上、人口に対して街が間延びし、電気・ガス・水道・交通などの復旧コストも増加要因となってしまうからだ。加えて行政・医療・教育・介護などはスケールメリットがきくので、ある程度街のサイズがあった方がきめ細やかなサービスを提供できる可能性も高い。
つまり、復興する街は住民の移住を伴った新しい街になる、ということだ。
そして、もちろん、何よりも地震・津波に強い必要がある。特に、今回想定を大きく超えた津波で壊滅した街が相次いだ事から、海沿いの街のあり方を根本的に考える必要がある。
今回、自治体は一からの復興を目指さなくてはいけないが、逆に言えばまったく何も無い状態から、自由な発想で一から街を作る事が出来るチャンスでもある。
一からの街づくり、というのはおそらく戦後以来であろう。まさに、戦後蓄えた都市計画の知識を総動員する時だ。
特に、高齢化が進んだ街の問題を解決する街を作る事が出来れば、将来的に東北だけでなく日本中到来する高齢化社会のモデルともなろう。
私は、ある程度(千人~)の規模を持った、中層(10F-20F)建ての共同住宅を中心とした、コンパクトシティを目指すべきだと思う。
主な理由としては、
である。
-問題は産業の復興。地域への投資インセンティブをつけ、企業の呼び込みを
今回、漁業・工業などは壊滅的な打撃を受けてしまった。それにより、漁業・工業に従事している方向けにサービスを提供していたサービス業すらもなくなってしまう危険がある。産業が無ければ、労働年齢の人口は生きていく事ができない。この地震により産業がなくなったことで、労働人口がさらに都市部へ流出してしまうだろう。
これをどのように食い止められるか。ある程度は復興事業により雇用できるだろうが、大事な事は復興事業以外の留めない事だ。一時的に復興事業により雇用も生まれるだろうが、復興事業は持続的なものではないのでいずれなくなってしまう。この地域を復興事業依存にしてしまうと、永遠に復興費用を支出しなければいけなくなってしまう。
大事な事は、企業の投資を呼び込んで、持続的な産業を作る事だ。投資企業に対する法人税の免除などのインセンティブを用意し、企業を呼び込むことを本気でやる必要がある。産業の壊滅具合を考えると、各県にこのためだけの部署があっていいくらいだ。
ここで、上記の街づくりと絡めて、「介護都市」を作り、その「介護企業」を作るのもいいかもしれない
企業は寄付も良いが、そのお金で地域再生ファンドなどを作って、会社を作ってはいかがだろうか。企業の一番の社会的責任は、産業を創出し、雇用を作り、納税する事である。
転載 http://d.hatena.ne.jp/yesucandoit2010/20110317/1300339904