こんな飛び道具、無くしたほうがいいよね。
幸い、というか俺は、各家庭に電話がない時から、今の携帯・インターネット時代を見てきて、そう思うよ。
携帯ないと、すぐに人に聞けないよね。
インターネット無ければ、まずは検索、なんてできないもんね。
孤立するよね。自分で何とかしなきゃって思うもんね。
いろんなパターン、可能性を真剣に考えるよね。
すぐ、人に頼れないんだから、まずは自分で何とかしようとするよね。
家族との距離感はとても困る。
近付こうと思えば、いくらでも近づけるが、
末っ子であるが故に、距離が近くなれば面倒なことも出てくる。
ただの「安心」の関係で「楽しい」関係ではなくなるのだ。
父と話す時も常に距離感を意識しなければならない。
それが、人生でうまく生きていくコツなのだから。
見た目全く寂しそうに見えない俺だが
本当は寂しくて仕方がない
寂しいんだけど振り回されてても仕方がないから
感情に波なんてほとんど起こらない
そうすると寂しそうに見えない
以下ループ
ということで全く運用できていない
寂しいよー友達欲しいよー
でも友達ってなんだろうね
要するに車両が狭いんだから、全部二、三階建ての車両に置き換えればいいんじゃね。それで内部にゆとりが生まれれば奥に座ったからといって、出られなくなることもなくなるだろうし。そもそも立ち乗りは法律違反らしいし。
さびしさ=孤独
男は孤独に強いって言うけれど、
全然そうは思わないな。そうじゃない男もいる。
その男は、ただ単に女々しいだけなのか?
それともさびしさを埋めたいのか?
さびしさを埋めるのなら、コミュニケーションをとるべきだ。
身体・言葉・視覚・・・。
5感で感じることが出来なければ、コミュニケーションではないのか?
Twitterに比べればまし
おいおい、突然どうしたw
はてなに繋がってる感が乏しい~
↓この増田の人の書いたことに対する脊髄反射です。
http://anond.hatelabo.jp/20070906034710
奴らは俺の代わりは居ないと言う。
俺にしかない魅力があると言う。自分でも気がついてないんじゃないとか。
阿呆かと馬鹿かと。
俺の代わりになるようなのなんて世の中には星の数程居るはずじゃないかと。たまたま目の前に俺しか居なかっただけのことで、もっとくまなく探せばきっと俺の代わりは、居る。
だから俺のことを選ぶ必要はないんだ。
だから他を当たってくれと思うんだけど、そういうことを言うと物凄い勢いで説得される。お前らしさとか、お前の代わりはいないとか、お前の人間的な魅力とか、そういうありがちなことを。
単純に「顔」や「能力」や文章で書けるような「人間的な魅力」の持ち主ということであれば、代わりはいくらでもいるのでしょう。
でも、「何が人をひきつけるのか」ということについて書けば、それはこの増田の人の元彼女が語ったように↓
http://anond.hatelabo.jp/20070722152006
「物体X」としか説明できないものがあるとしか言えないような。
今私が会いたいと思っている人は、何か異様に性格が内向的だったりするし、感情を思い切り溜め込んだ挙句爆発させているし、メールの返事もまともに返してくれないし、というかリアルでまともに会話したことがないし、典型的な非コミュだし、頭がいいのは確かなのだけれども、しばしば「アレ」な人に思われているし、というような感じなのですが、それでも何か「物体X」見たいなものがあってどうしてもそっち側の方角に引き寄せられてしまうものがあります。
会いたいというか。
おセックスがしたいというか。
性欲の強い人だからおセックスの相性も悪くは無いんだろう、と思いますし、話とかも合わないわけではなさそうなんだけれども、今のところはどうしても壁がまだあるのです。
「壁がある」ということを認識したまま、けっこう無駄に何年も過ぎていってしまったような。
何となく思うのは、平凡で何のとりえも無い人間であっても「俺の代わりはいないのだ」と思い込んだ人間が、何かをなすことがあるのかな、ということです。
人間はいくらでも取り替え可能であるようでいて、同時に取り替えが聞かないものでもあります。
非力で弱い人間であっても、誰かに「貴方の替わりは、どこにもいない」と呼びかけられた事実を引き受けることによって、一つ上の階層に跳躍を果たすのかもしれません。
自分の高尚さ、知的レベルの高さ、エリート的な感じをアピールしたいって事かな?
というか中二病とか大二病はあるある系のネタだから定義とか大二病の本質みたいのは、わりとどうでもいい気がする。
はてなに繋がらない~
いまさらですが、ねこ鍋動画にはまっています。
http://d.hatena.ne.jp/mellowmymind/20070905/1188989680
この文章が、あまりにも腹立たしかった。
本当のさびしさなんて感じた事もないであろう彼だか彼女だかが
毎日おしゃべりしたりゲームしたりセックスしたりオナニーしながら
得体のしれないものを実践して何かの境地にたどりついた気になって
それに「涙があふれてきました」というコメントがつく。
これは宗教だ。オウム真理教とも幸福の科学とも何の違いもない。
もっともらしい教祖の下で涙を流す信者たち。
でも彼らは正しい。人と人とのつながりはきっと、とても宗教的なものだ。
僕は自分の生きる才能のなさと自分が世界にとっていかに無意味なものかをまざまざと見せつけられて
でもきっと明日も今日や昨日と変わらず無駄な一日を過ごす事になる。
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僕は今とてもさびしいですあなたの優しさに導かれて近づいていってしまうかもしれません
でも僕はあまりのさびしさに見えない刃物で見えないあなたを切り刻んでしまうかもしれません
つるの剛士はあたまいいと思うよ。
こないだ郊外型JUSCO的大型ショッピングモールに行ったんですが、エスカレーターが遅くて驚いた。
遅いエスカレーターの横に少し早いエスカレーターを設置して、その隣にはさらに少し早いエスカレーターを設置して…と、脈絡なくアシモフの「鋼鉄都市」ネタになるところだった。
http://anond.hatelabo.jp/20070831005830
僕は組み込み系技術者なのだけど、Web系開発の仕事が楽しそうに見える。大変そうだけど。でも楽しそうだ。以前ちょっとWeb系開発をしたのだけど、あの時は夢中になってプログラムしていたのを思い出した。
何が楽しそうか。とりあえず作ってみたときにすぐ動くのがいい。プロトタイプのようにどんどん機能をマッシュアップさせていけるのがいい。あれが本来のソフトウェア開発の作り方なのだとおもう。なにせ「ソフト」なのだ。柔軟に開発するのが一番早いに決まっている。
でもWeb系開発の仕事に行くのは不安だ。なぜなら安定はしていない。そして日本人の傾向として「ものづくり」が得意、ということがある。つまりヒエラルギー的空間の中で綿密に製品を組み上げていくのだ。その作り方とWeb開発はどうも違いがある。そして日本人の傾向から見るに、組み込み系開発のほうが世界と勝負していける気がする。
そして若い間しか楽しめないんじゃないかということがある。Web開発の世界は激流だ。どんどん変化していく。それについていけるのは若い間だけなんじゃないのか?そこから振り落とされたらどうなる。それを考えたことはあるのか?
でも楽しそうだ。モチベーションを感じる。あれは楽しい世界なんじゃないのか。社会インフラを支える今の仕事は悪くない。じっくり取り組めば、きっと楽しさも見出せる。組み込み系開発は、それをやっている以外の人には出来ない仕事であるし、とてもレアだ。しかしレアということは、流用性がないということでもある。つまり会社に囚われの身となる。それは本当に怖い。
Webの世界。あの世界は本当に自由そうだ。楽しそうで、華やかだ。まるで今の僕は海面の華やかさにあこがれる深海魚のようだ。そういえば僕はガンダム占いでグラブロと出た。海面に行くと窒息死してしまうらしい。でも、行って見ないと判らないような気もしている。
結構ずっと悩んでいる。文章にしたらすこし楽になった。ありがとう増田。とりあえず労働は義務だって日本国憲法も言っているし、僕もうちょっとここに居ると思うよ。でも考えることを止めないよ。ありがとう増田。
死のうと思う、どうしようもないほどに。