F1ジャーナリスト世良耕太の知られざるF1 PLUS vol.11 ジャガーワークスの復活

 “JAGUAR RETURNS TO RACING”
2015年12月15日にジャガーが発行したプレスリリースのタイトルだ。

 直訳すれば「ジャガーはレースに復帰する」となるが、シンプルかつストレートな表現から、「いよいよレースに戻るぞ」という強い意気込みが伝わってくる。

 「復帰する」と宣言したからには過去にもレース活動に打ち込んでいた時期があったということだ。ラリーやヒルクライムで実績を積み重ねたジャガーは1950年、当時すでにその地位を確固たるものにしていたル・マン24時間に初めて挑戦する。市販車のXK120をベースに小規模な改良を加えて臨んだが、それでは不十分なことを痛感。大がかりな改良を加えたXK120・Cタイプ(CはCompetition=競技の意味)を開発し、’51年のル・マンに臨む。すると、参戦2年目にして優勝をもぎ取ってしまう。ジャガーは’53年のル・マンも制するが、この年投入したCタイプは、伝統の24時間レースに初めてディスクブレーキを持ち込んだ車両として記録に残っている。

 ’55年から’57年まで3連覇を成し遂げたジャガーはその後しばらくル・マンから離れるが、’84年に復帰。’88年にはXJR-9(メインスポンサーの名称から「シルクカット・ジャガー」と呼ばれた)で31年ぶりの優勝を果たすと、その進化版であるXJR-12で’90年のル・マンを制した。ル・マン優勝7回は、17回のポルシェ、13回のアウディ、9回のフェラーリに次ぐ歴代4位の記録だ。

 ジャガーが次に照準を定めたのはF1で、’00年から’04年まで参戦した。だが、ル・マンでの栄光を再現することはできず、1回も優勝できずに撤退する(レッドブルが買収)。’05年以降のジャガーはレースから遠ざかったが、それどころではなかったのが実状だったろう。ジャガーは’89年にフォードの傘下に入ったが、ビッグ3の一角を占めるアメリカの企業といえどもイギリス伝統のブランドを再生させることはできず、’08年、ランドローバーとともにインドのタタ・モーターズに売却された。

 タタ傘下に入ったジャガーは見事に息を吹き返した。業績が上向きになり、レースに復帰する下地ができたということだろう。だが、復帰の舞台に選んだのはかつて栄光を手にしたル・マンではなく、未勝利に終わったF1に再チャレンジするわけでもない。電気自動車でレースを行うフォーミュラE(FE)であり、2016/2017年のシーズン3から参戦する。

 決め手はFE参戦を通じて培った電動化技術を、将来の量産車にフィードバックできるから。レースの技術と量産車の技術がダイレクトにリンクしている点を歓迎したようだ。ジャガーのブランド名には「気品とスピード」のイメージが重ね合わせられているが、そのイメージに合うと判断したカテゴリーがル・マンでもF1でもなく、新興勢力のFEだったことが興味深い。

フォーミュラEは2015/2016年のシーズン2からパワートレーン(モーター/インバーター/ギヤボックス)の独自開発が可能になり、自動車メーカーやサプライヤーの関心が一気に高まった。すでにアウディやルノー、シェフラーといった有力メーカーが参戦している。チーム数は10に固定されるため、新規に参戦するには、既存のチームを買収するか、撤退を待つしかない。元F1ドライバーのJ・トゥルーリ率いるチームがシーズン2期間中に撤退したため、ジャガーはその枠に入る。

Kota Sera

ライター&エディター。レースだけでなく、テクノロジー、マーケティング、旅の視点でF1を観察。技術と開発に携わるエンジニアに着目し、モータースポーツとクルマも俯瞰する。

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