写真:肥後 球磨門
地図を見る福岡県柳川市に日本を代表する詩人であり歌人の北原白秋の生家があります。北原家は代々海産物を扱う商家でしたが、白秋の父の代になると柳川地方で一・二を争う造り酒屋を営むようになりました。広大な敷地にいくつもの建物を所有していましたが、明治34年(1901年)に起きた火事で酒蔵や精米所など大半の建物が焼失しました。写真は焼け残った母屋です。福岡県の史跡に指定された昭和44年(1969年)に修復と一部復元が完工し、内部が公開されるようになりました。
写真:肥後 球磨門
地図を見る倉庫として使われていた土蔵も母屋同様「なまこ壁」の耐火構造だったため消失をまぬがれました。
写真:肥後 球磨門
地図を見る土蔵内部は展示室になっています。白秋は童謡のイメージがありますが展示物から校歌も数多く手がけていることがわかり驚きます。自筆の楽譜やレコードの展示の他に、白秋を師と仰いだ韓国の詩人・金素雲の著作の展示コーナーも併設されていますので、土蔵外観だけでなく内部の見学もおススメします。
写真:肥後 球磨門
地図を見る昔の商家や農家では必ず見られた母屋の広い土間には当時の生活感が今なお漂い、どこか懐かしい空間になっています。
写真:肥後 球磨門
地図を見る酒屋であったことを物語る酒樽がずらりと並んでいます。商売が盛んな頃は年間三千石の酒を仕込んだと記録され、一升瓶に換算すると30万本。さすが柳川一・二をあらそう酒屋だったことがわかります。
写真:肥後 球磨門
地図を見る土間には著書や遺品など北原白秋にゆかりのある様々な展示物を見ることができ、幼少期に書いたという落書きも展示されています。詩を朗読する白秋の肉声を聞くことができる設備もあり、これらの展示物とともに在りし日の白秋をより身近に感じてみてはいかがでしょうか。
写真:肥後 球磨門
地図を見る母屋には父の長太郎が青銅製の大きな火鉢の前に一日中座り、出入りの者たちを見渡していたという「茶の間」や、お金などの貴重品を保管し、白秋はおろか家族もなかなか入れなかった「父の部屋」などが復元されています。
写真:肥後 球磨門
地図を見る仏間に注目。ここには白秋のデスマスク(複製)が展示されています。「デスマスク」というとちょっと恐ろしげですが、昭和17年(1942年)11月2日に57歳という短い人生に幕を下ろした白秋のデスマスクは、充実した人生だったのではないかと想像できる穏やかな表情を浮かべています。
写真:肥後 球磨門
地図を見る柳川では毎年「柳川ひな祭り」が行われ、期間中、白秋の生家では沢山の「さげもん」が飾られます。「さげもん」とは布細工の鶴や「柳川まり」と呼ばれる手毬などを組み合わせた「つるし飾り」のことで、柳川市内あちこちで「さげもんめぐり」も楽しむことができます。ひな祭り期間に柳川を訪問するのもおススメです。
写真:肥後 球磨門
地図を見る母屋から庭を通って裏手に回ると蔵造りを模した「柳川市立歴史民俗資料館(白秋記念館)」が建っています。この資料館は白秋生誕百年を記念して昭和60年(1985年)にオープンしました。
写真:肥後 球磨門
地図を見る二階建ての資料館の一階では「水郷柳川」「柳川の歴史」「柳川の民俗」という3つのテーマで中世以降の柳川の人々の暮らしが分かりやすく紹介されています。
写真:肥後 球磨門
地図を見る二階は白秋直筆の原稿や貴重な資料の数々が展示される「白秋コーナー」になっています。生涯を5つの時代に分け、時代毎の展示物によって白秋について深く知ることができます。また三面マルチ映像システムビデオがあり、「白秋の生涯」「白秋の詩歌」「水郷柳川の旅」「柳川の祭り」が常時上映されています。7分程度の放映なので時間を取って視聴することをおススメします。
「待ちぼうけ」や「からたちの花」など誰もが知っている作品を数多く残した北原白秋。生家と白秋記念館は水郷柳川と白秋の生涯を十分に味わうことのできる、楽しく見応えのあるおススメの記念館です。
住所:福岡県柳川市沖端町55-1
電話番号:0944-72-6773
アクセス:西鉄柳川駅から約3km、九州自動車道みやま柳川ICから国道443号経由で約25分
2019年6月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2025/1/19更新)
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