〝最強柔道家〟の哲学とは――。柔道男子81キロ級の永瀬貴規(31=旭化成)は2024年パリ五輪で金メダルを獲得し、同階級史上初の連覇を達成。73キロ級で五輪2連覇の大野将平がかねて説く「永瀬最強説」を証明した。帰国後は一般財団法人東京スポーツ新聞格技振興財団のパリ五輪金メダリスト表彰など、数々の賞を受賞。本紙の単独インタビューでは真夏の死闘を振り返るとともに、自身が目指す理想の柔道家像を明かした。

 ――前回の東京五輪に続き、パリ五輪でも金メダルに輝いた

 永瀬 柔道のイベントや柔道教室で金メダルを持っていくと、子供たちが「金メダルに触りたい」と輝いた目をしていて、改めてじゃないが、金メダルを取ったんだなと感じる。パリ五輪に至るまでは苦しい時間が多かったけど、今まで取り組んできた成果を全て出し切れた。自分でも完璧だったんじゃないかなというくらいのパフォーマンスを発揮できた。

 ――パリ五輪で最も印象的な試合は

 永瀬 準決勝、決勝は一本で勝てたが、その前の山が準々決勝だった。その直近に負けていた相手(マティアス・カッセ=ベルギー)の対策をして、パリ五輪に臨んでいた。延長までもつれたけど、自分らしいというか、粘って粘ってワンチャンスを生かすことができた。準々決勝は1日通しても、すごくキーとなった試合だった。

 ――パリ五輪の表彰式では金メダリストながらも、一歩後ろに引いた立ち位置で写真撮影に応じる姿が話題となった

 永瀬 表彰の時はやはり狭い空間だったので、あのスペースにガタイのいい4人が乗るには詰めないと全員が乗れない(笑い)。普段から意識してポーカーフェースというよりは、自分の性格なのかなと思う。ただ、一人の柔道家として周りから応援される選手でありたい。偉そうにしている選手より、しっかりあいさつできたり、一人の人間として模範になる柔道家、人間でありたいと思っている。自分の大事な部分は、今も昔も変わらずに持っている。

 ――パリ五輪では他国の選手の大柄な態度が波紋を呼んだ。それだけに謙虚な姿勢が「永瀬すぎる」と注目を集めた

 永瀬 今まで出会った指導者や仲間を通して今の自分がいる。柔道は相手がいて成り立つ競技なので、相手に対してのリスペクトを忘れないという思いは自分の中にある。なるべく相手に失礼のないようというような考えは持っている。

 ――無差別級で争われる全日本選手権(4月29日、日本武道館)への出場は考えているのか

 永瀬 もちろん出たい気持ちというか、興味はある。ただ、今後の動き、動向というのを見てもらえたら。直近の目標もこれから少しずつ詰めていけたらと思っているが、まだ現時点ではこれというのはまだ言えない段階。

 ――今の練習状況はどうなのか

 永瀬 継続してトレーニングはやっている。パリ五輪前の強度、量という部分と比較すると、やっぱりまだ劣る部分があるけど、継続してやっているところ。

 ――最後に理想の柔道家像を教えてほしい

 永瀬 周りの人から応援される、信頼される選手、ゆくゆくは指導者になりたい気持ちもある。選手としても指導者としても応援されたり、信頼される選手、人、柔道家になりたい思いが強い。死ぬまで柔道家でありたいし、いつかは選手としては終わる時が来ると思うが、それ以降も柔道を通していろんな方に影響を与えられるような存在になりたいし、あり続けたい。柔道家としてずっと成長していきたい。

 ☆ながせ・たかのり 1993年10月14日生まれ。長崎県出身。地元の養心会で6歳から柔道を始める。長い手足を生かした大内刈りなどを武器に、2015年世界選手権で初の世界一に輝いた。16年リオデジャネイロ五輪では銅メダルを獲得したが、17年世界選手権で右ヒザの靭帯を損傷。約1年に及んだリハビリを経て、19年全日本選抜体重別選手権で復活優勝。21年東京五輪で金メダルを奪取し、24年パリ五輪でも頂点に立った。181センチ。