ダイ
DiE
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 19:20 UTC 版)
「DiE」 | ||||
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BiS の シングル | ||||
B面 | MURA-MURA | |||
リリース | ||||
規格 | マキシシングル | |||
ジャンル | ロック | |||
レーベル | avex trax | |||
プロデュース | 松隈ケンタ | |||
チャート最高順位 | ||||
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BiS 年表 | ||||
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「DiE」(ディー アイ イー)、はBiSのメジャー・デビュー3枚目のシングル。2013年6月26日にavex traxから発売された。
概要
LIVE盤(CD+DVD、AVCD-48622/B)、MUSIC VIDEO盤(CD+DVD、48623/B)、CD盤(CDのみ、AVCD-48624)の3タイプがある。それぞれ初回限定盤と通常盤でジャケット写真が異なる仕様になっている。また、2013年5月26日に加入したファーストサマーウイカ、テンテンコ、カミヤサキの3人が初めて参加したシングルである。
収録内容
CD
- DiE
- MURA-MURA
- 作詞:テンテンコ 作曲・編曲:津田紀昭(Kemuri)
- DiE -Acappella-
- MURA-MURA -Acappella-
- DiE -Instrumental-
- MURA-MURA -Instrumental-
DVD
LIVE盤
- 2012.10.21 LIVE"IDOL is DEAD -repetition-"@赤坂BLITZ
- primal.
- Give me your love 全部
- nerve
- My Ixxx
- CHELSEA
- IDOL is DEAD
- 豆腐
- パプリカ
- エレガントの怪物
- 太陽のじゅもん
- スプリットブレインシンドローム
- gugigi
- I wish I was SpecIaL
- One day
- ウサギプラネット
- YELL!!
- 歩行者天国の雑踏で叫んでみたかったんだ
- eat it
- PPCC
- IDOL
- レリビ
- YAH YAH YAH
- survival dAnce ~no no cry more~
- hitoribochi
- ASH
- primal.
- ※2012年10月21日、赤坂BLITZにて行われたワンマンライブの模様を収録。
MUSIC VIDEO盤
- MUSIC VIDEO “DiE”
- “DiE” メイキング映像
初回封入特典
- ミニ生写真(7種ランダム封入) ※各タイプ共に。
外部リンク
D.I.E.
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DIE | |
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基本情報 | |
生誕 | 1964年2月15日(60歳) |
出身地 | 日本・東京都 |
学歴 | 学習院大学 |
職業 | キーボーディスト |
レーベル | Bears' Banquet Polydor |
事務所 | Ra:IN |
公式サイト | http://www.die1964.com/info/ |
DIE(ダイ、本名:野澤 大二郎【のざわ だいじろう】1964年2月15日 - )は、東京都出身のキーボーディスト、スタジオ・ミュージシャン。北区立赤羽台東小学校、北区立赤羽台中学校、東京都立板橋高等学校、学習院大学出身。
来歴
hideのソロ活動初期からのサポート・メンバー。後に「hide with Spread Beaver」のメンバーとして活動。同バンドのメンバー、CHIROLYNと共に、通常のサポートメンバーの枠を超えて色々な意味で暴れ「珍獣」や「怪人」と呼ばれた。
1994年から1998年までGLAYのサポート・メンバー+コーラスとして活動。1996年秋頃、頭髪をモヒカンにして、数あるサポートメンバーの中でも際立つ存在になる。
DER ZIBETのサポート・メンバーとしても活動。ライブだけでなく、アルバム『HOMO DEMENS』(1990年)全曲で演奏に参加。その際、かなり自由にやらせてもらえたことがその後の活動のきっかけになったと述懐。アルバム『POP MANIA』(1994年)収録「ぜんまい仕掛けのピエロ」では演奏だけでなく作曲も関わっている。
2002年から2004年までLOOPUSに参加。「二枚舌」、PATA・真矢らと共に相川七瀬のバックバンド、久松史奈のサポート・メンバーで活動。
2006年10月にミュージシャン名を「D.I.E.」から「DIE」へ改名。
2007年5月19日、YOKOHAMA 7th Avenueでのライブを以て、PATA率いるRa:INの正式メンバー入り。
エピソード
1996年9月8日に千葉マリンスタジアムで行われたhideのライブの最中ステージから飛び降りた際、左足踵を骨折。そのため同年開催『hide solo tour 1996-PSYENCE A GO GO』はギプスをして参加。その時のギプスはツアーファイナルの仙台公演の際に客席に投げている(骨折時の映像は全国のライブ会場で流され、後に発売されたビデオに収録)。hideからは「キィボードなのに、なぁぜか骨折」と、MCのネタにされていた。『hide solo tour 1996-PSYENCE A GO GO』にはD.I.E.のソロコーナーがあったが、その際カスタム車椅子に乗り自身楽曲『NATURAL BORN ONANIST』をティッシュペーパーを撒き散らしながら熱唱。このカスタム車椅子は火花が出る仕掛けがあったが、1996年9月28日金沢公演において車椅子を押していたhideの衣装が燃える珍事が起きる(D.I.E.は真後ろでhideが素になっていることに気付かずティッシュペーパーを撒き散らしていた)。
hideが他界した日はGLAYのツアーで三重にいた。訃報を聞いた後のライブだったため、自身にとって最も辛いステージだったと回想している。[1]
2022年公開の映画『TELL ME ~hideと見た景色~』では、自身の役をお笑い芸人のくぼゆうきが演じる。[2]
子供の頃(1970年代半ば)から、アンチ読売巨人軍で大の中日ドラゴンズファン。現在でも、首都圏で行われる中日ドラゴンズの試合には、ビジターにかかわらず年間を通し観戦。応援団と共に声を枯らすまで声援を送る。
ディスコグラフィ
シングル
アルバム
- SPEED BALL(1996年3月15日)EXBB-002
- FRAGILE(1998年4月1日) POCH-1687)
- FRAGYRO(1998年9月2日)POCH-1722
- PROGRESSIVE(1999年10月14日)POCH-1850
- ALIVE(2001年9月18日)
VHS
タイアップ
- Tulip Blue - NTV系「とりあえずイイ感じ。」エンディング・テーマ
脚注
出典
- ^ “あれから10年かぁ | DIE 公式BLOG”. DIE 公式BLOG. 2019年12月7日閲覧。
- ^ “映画『TELL ME hideと見た景色』”. 映画『TELL ME hideと見た景色』. 2022年6月29日閲覧。
関連項目
外部リンク
- DIE's JUNK HAREM
- D.I.E. (@Pukapyu) - X(旧Twitter)
DIE
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Die
- 死ぬ。
- サイコロ。複数形はdice(ダイス)
- 金型。
- ドイツ語
- die (BUCK-TICKの曲) - 日本のロックバンド、BUCK-TICKのシングル。
- Die (ミュージシャン) - 日本のロックバンド、Dir en greyのギタリスト。
- D.I.E. - キーボーディスト。Ra:INのメンバー。
関連項目
Die(ギター)
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「La;Sadie's」の記事における「Die(ギター)」の解説
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固有名詞の分類
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