ニッポニア (小惑星)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 07:49 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ニッポニア 727 Nipponia | |
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仮符号・別名 | 1912 NT |
分類 | 小惑星 |
軌道の種類 | 小惑星帯 (マリア族) |
発見 | |
発見日 | 1912年2月11日 |
発見者 | アダム・マシンガー |
軌道要素と性質 元期:2008年11月30日 (JD 2,454,800.5) | |
軌道長半径 (a) | 2.569 AU |
近日点距離 (q) | 2.299 AU |
遠日点距離 (Q) | 2.838 AU |
離心率 (e) | 0.105 |
公転周期 (P) | 4.12 年 |
軌道傾斜角 (i) | 15.06 度 |
近日点引数 (ω) | 274.14 度 |
昇交点黄経 (Ω) | 133.11 度 |
平均近点角 (M) | 260.72 度 |
物理的性質 | |
直径 | 32.17 km |
自転周期 | 5.07 時間 |
スペクトル分類 | DT |
絶対等級 (H) | 9.62 |
アルベド(反射能) | 0.2423 |
色指数 (B-V) | 0.801 |
色指数 (U-B) | 0.273 |
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ニッポニア[1] (727 Nipponia) は小惑星帯に位置する小惑星。
日本で初めて検出された小惑星のひとつ[2][3][4]。1900年に平山信が東京で観測したが、軌道確定には至らなかった。その後、1912年にアダム・マシンガーが軌道を確定して発見者となり、平山の提案をもとに命名された。
発見と命名
1900年3月6日と3月9日、東京の麻布台にあった東京天文台(現在の国立天文台)で、平山信がブラッシャー天体写真儀を用いて天体写真を撮影した[2][3][4]。この2つの写真からは小惑星候補が3つ検出され、うち2つ(本天体と (498) 東京)が未知のものであった[2][3][4]。本天体は日本で初めて検出された小惑星のひとつであるが[2][3][4]、2点のみの観測で軌道を確定できなかったため[2]、平山は「小惑星の発見者」とはなっていない。
その後、1912年2月11日にハイデルベルクのケーニッヒシュトゥール天文台でアダム・マシンガー(de:Adam Massinger)によって観測が行われて軌道が確定し、マシンガーが発見者となった[2]。マシンガーは命名について平山に相談し、平山は "Nippon" を提案した[2]。実際の命名は、これを女性形にした "Nipponia"となった[2]。
2012年、東京天文台が麻布に所在していた時代(東京天文台は1924年に三鷹に移転した)の写真乾板が再発見され、ここに平山が本天体を検出した写真乾板も含まれていた[2]。それまで、当時の資料は関東大震災や1945年の東京天文台の火災によって失われたと考えられていた[2][4]。
なお、日本(の古名・別名)に由来する命名が行われた小惑星として、他に (10727) 秋津島がある。
脚注
- ^ “全世界の観測成果 ver.2 (Excel)”. 薩摩川内市せんだい宇宙館 (2018年3月3日). 2019年3月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 中桐正夫 (2012年3月16日). “100年以上前の天体写真乾板発見-その1-(日本人最初の小惑星検出乾板の発見)”. アーカイブ室新聞(第565号). 国立天文台・天文情報センター・アーカイブ室. 2019年3月1日閲覧。
- ^ a b c d “日本最古の星野写真の発見”. 国立天文台 (2012年3月16日). 2019年3月1日閲覧。
- ^ a b c d e “日本最古の星野写真を発見 113年前の麻布で撮影”. アストロアーツ (2012年3月19日). 2019年3月1日閲覧。
関連項目
外部リンク
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「727 Nipponia」の例文・使い方・用例・文例
- (在位1727‐60).
- ロシアの女帝で、夫ピョートル大帝の後を継いだ(1684年−1727年)
- 英国の肖像と風景の画家(1727年−1788年)
- ハノーバーの選挙人、または1714年から1727年まで即位した英国およびアイルランドの最初のハノーバー王(1660年−1727年)
- 1727年から1760年までグレート・ブリテン国王でハノーヴァー選帝侯(1683年−1760年)
- 英国の改革者で、ジョージ3世への攻撃を好評し、アメリカの入植者の権利を支持した(1727年−1797年)
- 同イベントの6年の歴史の中で最多となる,計1727体のマスコットキャラクターがこのコンテストに参加した。
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