軍事同盟
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軍事同盟(ぐんじどうめい、英: military alliance)とは、国家目標を達成するために、2つ以上の国が、軍事上の義務を伴った条約に基づいて提携することである。
概要
軍事同盟とは一般に安全保障のために二ヶ国以上の独立した国家が相互に軍事力の援助を行うことを定めた条約である。このような軍事同盟で想定される軍事的な支援は直接的な部隊の展開や連合作戦、軍事施設の共有だけでなく、兵器売買や経済的支援を通じた間接的な軍事援助を含んでいる。軍事同盟にはさまざまな形態があるが、同盟国が二ヶ国以上の国と戦争状態になった場合に参戦する義務が生じる防守同盟や同盟国が1国以上の国と戦争状態になった場合に参戦する義務が生じる攻守同盟などがあるが、ディングマンの研究では連合体(alignment)、提携(coalition)、協約(entente)、そして集団安全保障の四つに大別されている。
現行
- アメリカ合衆国
- 中華人民共和国
- 中朝友好協力相互援助条約(中朝同盟)
- ロシア
- 集団安全保障条約(ロシア、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン)
- 包括的戦略パートナーシップ条約(露朝同盟)
- イギリス
※上海協力機構はユーラシア諸国間の安全保障会議であるが純粋な軍事同盟では無い。
歴史上
歴史上で著名な軍事同盟には以下がある。一部は協商など軍事以外を含む。
- 古代・中世
- フランス革命終結まで
- 第一次世界大戦終結まで
- ビスマルク体制
- 三帝同盟・三帝協商(独墺露同盟) (1873-1887)
- 三国同盟(独墺伊同盟) (1882-1915) - 第一次世界大戦の中央同盟国に発展
- 独露再保障条約 (1887-1890)
- 三国協商 (1894-1917) - 第一次世界大戦の連合国に発展
- 日英同盟 (1902-1923)
- 日露協約 (1907-1917)
- 日仏協約 (1907-1941)
- ビスマルク体制
- 第二次世界大戦終結まで
- 第二次世界大戦終結後
- 西側諸国
- 東側諸国
- 中ソ友好同盟相互援助条約(1950-1980)
- ワルシャワ条約機構(1955-1989)
- ソ朝友好協力相互援助条約(1961-1996)
- ソ蒙友好協力相互援助条約(1966-1993)
- 印ソ平和友好協力条約(1971-1991)
- ソ越友好協力条約(1978-1991)
日本の戦国時代
日本の戦国時代、室町幕府の力は衰え、各地方に戦国大名や国衆をはじめとする地域権力が出現し、地域権力間の外交関係が展開された。戦国大名領の拡大に伴い、それぞれの大名領国は国境を接するようになり、合戦が多発した。
戦国大名は領国拡大や他国への牽制等を目的に大名家同士で軍事同盟を結び、戦国期の同盟は共通の利害のある双方で国境再編(国分け)を行い和睦を確認し、起請文を取り交わして成立した。同盟に際しては婚姻を伴うことが多い。また、同盟関係の締結においては第三者や室町将軍等が仲介を行うこともあり(中人制)、大名家中においては同盟相手国の領国近辺に配置された家臣や国衆などが取次を担当した。
戦国大名はこうして成立した軍事同盟を基盤に領国拡大を行い、双方に軍事援助や軍事的仲裁を行っているが、一方で同盟の締結は他方の外交関係を破綻させるなど脆弱性を伴うものであった。そのような外交情勢の変化などに伴う同盟国間との信頼の動揺を防ぐため、同盟国は頻繁に起請文を交わして同盟関係の維持に務めていた。
参考文献
- 黒野耐『大日本帝国の生存戦略』 講談社〈講談社選書メチエ〉、2004年、13-14頁。
- Claude, I. L., Jr. 1962. Power and international relations. New York: Random House.
- Deibel, T. L. 1980. Commitment in American foreign policy. Washington, D.C.: National Defense Univ. Press.
- Dingman, R. V. 1979. Theories of and approaches to, alliance politics. in Diplomacy: New approaches in history, theory, and policy, ed. P. G. Lauren, pp. 245-66. New York: Free Press and Macmillan.
- Fay, S. B. 1935. Alliance. in Encyclopedia of the social sciences, vol. 2, pp. 3-4. New York: Macmillan.
- Friedman, J. L. 1970. Alliance in international politics. Boston: Allyn and Bacon.
- Holsti, O. R., P. T. Hopmann, and J. D. Sullivan. 1973. Unity and disintegration in international alliances. New York: Wiley-Interscience.
- Morgenthau, H. J. 1968. Alliances. in The restoration of American politics, pp. 176-97. Chicago: Univ. of Chicago Press.
- Osgood, R. E. 1968. Alliances and foreign policy. Baltimore, Md.: Johns Hopkins Univ. Press.
- Liska, G. 1962. Nations in alliance: The limits of interdependence. Baltimore, Md.: Johns Hopkins Univ. Press.
- Schroeder, P. W. 1976. Alliances, 1815-1945. Weapons of power and tools of management. in Historical dimensions of national security problems, ed. K. Knorr, pp. 227-62. Lawrence, Kans.: Univ. Press of Kansas.
- Walt, S. M. 1985. Alliance formation and the balance of world power. International Security 9:3-43.
- Wolfers, A. 1968. Alliances. in International encyclopedia of the social sciences, vol. 1, pp. 268-71. New York: Collier-Macmillan
関連項目
軍事同盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 09:42 UTC 版)
「オスマン帝国の対プロテスタント政策」の記事における「軍事同盟」の解説
オスマン帝国とヨーロッパ勢力の軍事的連合は1535年のフランスとの同盟関係から始まる。この同盟は、カール5世の野望からフランス王国を効果的に防衛し、それに戦略的支援を与えた。また、この同盟はオスマン帝国に、ヨーロッパ外交に参加させる機会を与え、ヨーロッパ各国の間での地位を上げるものであった。このムスリム勢力と「非聖」同盟を結ぶというフランスの活動に対して多くの批判的な宣伝がなされたという副作用もあった。歴史家アーサー・ハッサル(Arthur Hassal)によれば、このフランス・オスマン同盟の結果はもっと大きなものである。「オスマントルコとの同盟は強力な影響を与え、カール5世からフランスを救い、さらにドイツにおけるプロテスタントを助け、フランスの目から見れば、フランソワ1世の北ドイツにおける同盟を救ったのである」 1571年のレパントの海戦以降も、オスマン帝国はフランスを支援し続けようとしたし、1580年以降はオランダやイギリスを同様に支援した。プロテスタントやカルヴァン派への支援はヨーロッパにおけるハプスブルクの勢力拡大に対する対抗策であった。カトリックのハプスブルク家という共通の敵と戦っているプロテスタントに、オスマン帝国からさまざまな働きかけが行われた。スレイマン大帝は少なくとも一通の手紙をフランドルのルター派に送ったことで知られている。その中で、もし望むなら軍隊を送ると記している。ムラト3世も、エリザベス1世にイギリスとオスマン帝国の間に同盟を結ぶことを提案していることで有名である。。全体的に、ヨーロッパ南部の前線におけるオスマン帝国の軍事活動は、ルター派がカール5世の圧力にも関わらず生き残らすことができ、1555年9月にアウクスブルクの和議の締結にこぎつけた理由になるだろう 。「1555年までにドイツでルター派が強化し、拡大し、正当化されたは、他のどのような理由よりも、オスマントルコの帝国主義が貢献したと考えるべきであろう」
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