白鳳伽藍
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金堂 - 1976年(昭和51年)再建。奈良時代仏教彫刻の最高傑作の1つとされる本尊・薬師三尊像(国宝)を祀る(薬師三尊像については後述)。上層は写経が納められた納経蔵となっている。再建にあたっては、「鉄は持って数百年程度、木材(ヒノキ)は千年持つ。鉄を使うとその部分から腐食する」と主張する宮大工で文化財保存技術者の西岡常一と、「台風や地震、火災からの文化財保護の観点からも鉄筋コンクリート補強が望ましい」と主張する名古屋工業大学教授竹島卓一の意見が衝突するが、結果、金堂の内陣のみは鉄筋コンクリートで造られることとなった。なお、慶長5年(1600年)に増田長盛によって再建された入母屋造の以前の金堂は、1975年(昭和50年)に興福寺に仮金堂(現・仮講堂)として移築された。その際、寄棟造に改造されて向拝を撤去している。 東塔(国宝) - 三重塔。既出。 西塔 - 1981年(昭和56年)再建。東塔と対称的な位置に建つ三重塔。旧塔は享禄元年(1528年)に戦火で焼失している。この塔はかつての伝統様式・技法によって再建されたものである。デザインは東塔と似ているが、東塔が裳階部分を白壁とするのに対し、西塔は同じ箇所に連子窓を設けるなどの違いもある。東塔も元々は連子窓であったが修復で白壁にされている。再建に際しては、西岡常一により、西塔は鉄の使用を極力少なくし木材の乾燥収縮を考慮して東塔より約30センチ高くして再建されている。500年後には西塔も東塔と同じように材木の撓みと基礎の沈下が起きて同じ高さに落ち着く計算とのことである。 大講堂 - 2003年(平成15年)3月21日再建。正面41m、奥行20m、高さ17mあり、伽藍最大の建造物である。以前の大講堂は享禄元年(1528年)に戦火で焼失後、嘉永5年(1852年)に再建されたものであったが、今回の再建にあたって解体されている。本尊の銅造三尊像(重要文化財)は、中尊の像高約267センチの大作だが、制作時期、当初はどこにあった像であるかなどについて謎の多い像であるが、大講堂に安置される直前には西院弥勒堂で弥勒三尊像として祀られていた。大講堂に安置後は金堂本尊と同様に「薬師三尊像」としていたが、今回の大講堂の再建後に弥勒三尊像に復している。堂内には仏足石(国宝)や仏足跡歌碑(国宝)も安置されている。 食堂 - 2017年(平成29年)再建。本尊「阿弥陀三尊浄土図」を祀る。 東僧坊 西僧坊 鐘楼 中門 - 1984年(昭和59年)再建。 東回廊 西回廊 東院堂(国宝) - 鎌倉時代の弘安8年(1285年)再建。境内の東側、回廊の外に建つ。元明上皇の冥福を祈るために娘の吉備内親王が養老年間(717年 - 724年)に建立した東禅院が前身である。当初は南向きであったが、享保18年(1733年)に西向きに建て変えられた。堂内の厨子に本尊・聖観音立像(国宝)を安置する。 龍王社 勧進所 休ヶ岡八幡宮若宮社(重要文化財) - 鎌倉時代末期築。 弁財天社 平木大明神社 不動堂 與樂門 唐院 - 北受付となっている。 聚寶館 大宝蔵殿 南門(重要文化財) - 室町時代の永正9年(1512年)建立。境内南正面にある小規模な四脚門。元は薬師寺西院の門だったが、後に現在地である南大門の跡地に移築した。
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