むみょうい‐やき〔ムミヤウイ‐〕【無名異焼】
無名異焼
名称: | 無名異焼 |
ふりがな: | むみょういやき |
芸能工芸区分: | 工芸技術 |
種別: | 陶芸 |
認定区分: | 各個認定 |
指定年月日: | 2003.07.10(平成15.07.10) |
解除年月日: | |
指定要件: | |
備考: | |
解説文: | 無名異焼は、新潟県佐渡に伝わる伝統的な陶芸技法である。江戸時代後期に始まったとされており、佐渡の金銀山の金鉱脈近くから産する無名異土【むみょういづち】(酸化第二鉄を多く含む赤色粘土)を用いた、赤い肌を特徴とする陶器の制作技法である。 無名異焼は、中国江蘇省宜興窯【ぎこうよう】で明時代以来つくられてきた朱泥系統の無釉炻器質【むゆうせっきしつ】の陶器制作に似たもので、幕末以来の煎茶趣味の流行の中で盛んになったとみられ、茶器や花瓶等が主に制作されてきた。 今日の無名異焼は、無名異土という素材をいかした伝統的な技法をもとに独自の創意工夫が加えられ、地方的特色をもちながら高度な芸術的表現を可能にする陶芸技法として高く評価されるものである。 |
無名異焼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/02 16:06 UTC 版)
概要
無名異焼は無名異土(酸化鉄を多量に含んだ赤土)を原料とする焼物である[1]。1819年(文政2年)に、伊藤甚平が佐渡金山の坑内で産する無名異を用いて楽焼を製造したことが始まり。1857年(安政4年)に伊藤富太郎が本焼を始める[2]。明治時代に入ると、三浦常山や伊藤赤水らの手によって[3]、高温で硬質に焼成する現在の無名異焼が出来た[1]。
技術的には、水簸(水を使った土の精製作業)を行ってからさらに絹目に通すため、他の陶土より粒子が細かく収縮率が大きいのが特徴である[1]。また、成形後は生の内に石や鉄へらなどで磨いて光沢を出し、焼成後には佐渡金山の精錬滓でさらに磨いて、独特の光沢を出す[1]。完成した焼物は堅く焼き締まっているために金属音を発する特徴をもち、その色合いは使用するほどに光沢を増し、独特の落ち着いた色味となる[1]。
無名異焼は佐渡で産出する陶土と釉薬原料を使用することが原則であるが、技術の進歩や陶工たちの長年の工夫により、近年は釉薬原料や造形が多様となり、窯元ごとに特徴の異なる製品が作られるようになった[1]。
2003年に重要無形文化財の指定を受け[2]、同時に5代伊藤赤水が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されている[4]。
2024年10月17日に、経済産業大臣指定伝統的工芸品の指定を受けた[5]。
石見無名異焼
石見銀山産の鉱物「無名異」を原料に、陶工の肥田泰山が1906年(明治39年)頃から1943年(昭和18年)にかけて製造した焼物も「無名異焼」と呼ばれる[6]。現存数が少なく、幻の焼物とも称される[6]。銀山の山中より採取した無名異を水でこし、粘土を混ぜて練って成形し、時には彫刻を施して焼き上げられた[6]。表面は無釉で堅く、褐色を帯びた赤色をしているのが特徴である[6]。
脚注
- ^ a b c d e f “佐渡市指定 無形文化財:無名異焼[佐渡の文化財]”. www.city.sado.niigata.jp. 2020年10月27日閲覧。
- ^ a b “無名異焼とは|玉堂窯元”. 無名異焼 「玉堂窯元」公式サイト. 2020年10月27日閲覧。
- ^ 新潟県観光協会. “無名異焼”. にいがた観光ナビ. 2020年10月27日閲覧。
- ^ “佐渡の大地から生まれる 赤と黒の緊張”. WEDGE Infinity(ウェッジ) (2016年5月22日). 2020年10月27日閲覧。
- ^ “「佐渡無名異焼(さどむみょういやき)」、「いずみガラス」を伝統的工芸品として指定しました” (2024年10月17日). 2024年11月3日閲覧。
- ^ a b c d “スポット展示「無名異焼の魅力」”. 石見銀山資料館. 2020年10月27日閲覧。
外部リンク
無名異焼と同じ種類の言葉
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