1月2日(木)中吉
朝、起きると気分爽快。やはり気圧か更年期だったのだろう。
日の出からランニング。10キロ。極寒。
姉弟揃ってアルバイトに行く子供たちを車で送り、妻と浦和の調神社へ初詣に向かう。
てっきりバスで行くのかと思ったら、運動不足の妻が歩いていこうと言い出し驚く。こちらは運動過剰なのでバスで十分なのだが、ここで反旗を翻すと初詣で祈る前に家庭円満が家庭不和に転換してしまうため、妻について歩き出す。浦和駅まで50分。そして調神社まで10分。さらに参拝の行列に並んで30分。なかなかのアトラクション。
おみくじをひくと「中吉」。
「梅の花かをのみ袖にとどめおきて わが思ふ人は音づれもせぬ」
とあり、
「なすすべもなく意気銷沈。好機到来とばかり前後を忘れ進めば実のならぬ日蔭の花。心を正しく腰をすえ落着いて進めば思ひの他の幸運が授かる。」と記されていた。
中吉なのになぜ「意気銷沈」なのか。意味がわからないが、とにかくはしゃがず落ち着いて仕事をしろということだろう。
下の方に待人やら商売やら出産というカテゴリーごとの占いも書かれているが、どうしてここに介護がないのだろうか。「介護 そろそろ報われる」とかあってもいいのではなかろうか。おみくじも高齢化社会に対応すべし。
伊勢丹のデパ地下を徘徊し、PARCOのヤオコーで買い物。帰りはバスで帰宅。
夜、娘と息子を迎えに行き、ホットプレートを出して焼肉。久しぶりに焼くのが追いつかない焼肉をする。家族がたくさん食べる姿を見るとなぜにこんな幸福な気持ちが湧いてくるのだろうか。もしかしてこれもマッチョなのだろうか。
「PERFECT DAYS」をもう一度観る。初見時、前半、というか半分を越えたところで、このまま何も起きずにいってほしいという願望と、さすがになにか物語が動き出すよなという期待が私の中でせめぎ合っていたことを思い出す。
結果は、映画だから当たり前だけれど、物語は動き、主人公のバックボーンや未来がいくつかの出来事で掲示され、そのおかげで私の頬にたくさんの涙があふれたのだった。
しかし、もしかするとあのまま何も起きなくて涙はあふれたかもしれず、そうなるとこの涙はいったいどこから湧いてきたものだったのだろうか。
映画にしても小説にしても何も起きない物語というのはなく、どうしても映画的、小説的なにかが起こってしまう。
主人公がこのリアルで美しい東京の下で、ただ日々トイレの清掃をして、決まった店で飯を食い、カセットテープで音楽を聞き、昼に写真を撮るのを楽しみにしてる...という映画も観てみたかった。
Apple Musicのプレイリストでサントラを作る。あんなにカセットテープが魅力的に描かれていた映画を観たのに、結局Apple Musicを使って、いい時代になったなと思ってる自分に笑う。