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富野由悠季論

〈14〉イデが照らし出す人の業――『イデオン』で獲得したテーマ

富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の2つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて本論の一部を連載します。 富野監督作に通底するテーマとはなにかを探るシリーズ第2回。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia))

力を手にした傲慢

 では‟イデ”の本題へと踏み込む物語の終盤はどのように構想されていたか。

 企画書改訂稿のストーリー要約は「人類は‟イデ”の力によって、全宇宙の支配者になろうかと自負した瞬間、物語は‟イデ”の恐るべき力を見るのだった」と締めくくられている。(※1)

 その後に掲載されたもう少し詳しいストーリー紹介では、終盤、バッフ・クランの先発隊がついに地球へと迫ってくる展開が書かれている。

「全てを壊滅しない限り、バッフ・クランは地球の存在を、母星に知らせる。叩くしかない」

 その意志の統一がバッフ・クランを壊滅する。あたかも、‟イデ”そのものの力の発現であったかのように!

◯「我々は宇宙の覇者になれる」

 チームの傲慢が、ひとつの和を生む。が、パイパー・ルウ(引用者注・ソロシップにいる赤ん坊)が泣いた。

「それは、自らの死を招く」

 パイパー・ルウの泣き声がそう語ったのだ。

 ‟イデ”は意識を持ったエネルギーだったのだ。‟イデ”を使う意志がエゴイズムであった時、それが‟第六文明者”であっても、消滅させる力を、イデは持っていたのだ。

◯少年たちは新たな天地を求めて地球を後にした。イデを‟解放”する場を求めて。(※1)

 赤ん坊のパイパー・ルウが‟鍵”であることは、最初のライナーノートの第2話メモの時点で「この因果関係は伏せる」としたうえで、すでに記されている。その上でクライマックスは、大人たちの傲慢と赤ん坊の純真さが対比される形でドラマが構成されている。企画主旨にあった「無限のエネルギーを得た時、‟種”としていかに成長せねばならぬのか?」という問いかけが、無限力を手にした傲慢を超越できるかどうか、という形でドラマに取り込まれている。
 

傲慢から業へ

 では、実際の『イデオン』はどのような終幕を迎えたのか。初期案からの一番の違いは、キーワードが「力を手にした傲慢」ではなく「業」に変わっている点だ。これは劇場版で明確に打ち出される。おそらくこの、「傲慢」ではなく「業」こそが描くべきことである、という転換が、渡邉が指摘した「『イデオン論』の確立」だったのではないだろうか。

 ライナーノートを読むと、30話台にはまだ初期案の「傲慢」の気配が見える(※2)。第32話でコスモは、イデオンの戦闘力に自信をつけ「(バッフ・クランから)逃げ切れる。好きなところを城として生きていけるはずだ」と主張する。第33話では、イデに運命を左右されているかもしれないということに緊張感がないソロシップのメンバーに苛立つコスモとカーシャが「救世主は自分かもしれない」と思うシーンが登場する。また第34話ではソロシップのメンバーの気分として「我々が正義となり、イデを善き形で発現せねばならぬ!」「地球にも、バッフ・クランにもその事実を知らせ、攻撃をやめさせる必要がある」という台詞も書かれている。そして第37話のラストにはナレーションであろうか「因果の線――宇宙の果てに向かおう。この人の住む時空にイデはあってはならないのだ」との台詞が置かれている。

 このあたりまでは、少なくともライナーノートの方向性は、戦いを切り抜けたことでコスモたちソロシップのメンバーが傲慢になっていく一方で、宇宙の果てを目指す流れが強調され、企画改訂稿のストーリーに近い雰囲気がある。問題はその行き着く先である。

 富野が『イデオン』のラストを、最終的にどの段階で構想したかはわからない。ただ先述のとおり、ラスト4話は1980年6月23日に一旦まとめられた後、9月6日にフィックスされたことはわかっている。この最終決定に至る途中の段階の1980年8月27日に、富野は取材を受けている。そこで富野は全員が死亡するラストに触れている。

 富野は、赤ん坊のパイパー・ルウが、イデの力が発揮される鍵であることを説明したうえで、以下のような展開を語っている。

 ルウのもう一歩イデに近い人が出るとなれば、登場人物を全部殺すつもりだったのを少し変えてコスモだけでも残そうかなと思っています。

(中略)

 その人(引用者注:ルウよりもイデに近い人)がコスモを守り、コスモが最終活動を始めたイデオンを「止められるものなら止めてみよう」と思うところで終わる……これもあまりぱっとしないので、次に考えたのが霊界物語なわけ。全員死んだままで終わらせるんじゃなくて、新しい星に魂の形で行っている。最初に言っていた輪廻転生の話なんです。

(中略)

 しかし今の話(引用者注:輪廻転生)は、やっちゃいけないかと思い始めているんです。とても危険な話になる部分があるからで、最近若い人の自殺が多いでしょう。(※3) 

 今後の展開の明言を避けるためか、まだラストを決めあぐねているのか、言葉は揺れ動いているが、すでにはっきりとキャラクター全員が死んでしまう構想そのものを持っていることがわかる。

 そして、ライナーノート第38話からは、そこに向けて物語が具体的に展開を始める。そこで先導役となるのが、キツい口調でしばしば周囲の気持ちを逆なでしてきたシェリルだ。

 シェリルは、妹リンや恋愛関係となったバッフ・クランのギジェを立て続けに失い、徐々に狂気に陥っていく。彼女の精神が安定を失っていく様子が、作品に「誰もがもう後戻りできない状況へと飲み込まれている」印象を強く与える。第38話のライナーノートにはこんなくだりもある。

 シェリルは発狂しかかっていた。が、それ故に、イデの意志を聞くこともできた。

‟我もまた、己の場、、、を守るための力を欲するのだ”

「イデは力を欲しがっているのよ! 自分を守るために! そのためには、もっともっと大勢の人が死んでゆくわ!」(※4)

 ここから続く第39話、そして劇場版『発動篇』に相当する第40話~43話は、当初に想定されていた「力を手にした傲慢さ」がピックアップされることはなく、イデを巡る戦いがどんどんエスカレートして、ある種のカタストロフへと突き進んでいく様子が描かれる。この「なるようにしかならない方へ進んでいく人の様」の中から最終的に浮かび上がってくるのが、人の‟業”である。

 

イデオン論とはなにか?

 ここで大事なのはイデが人を誘導しているわけではないということだ。イデは自らが求めるものを得るために、ある状況を設定することはできる。しかし、それが実現するかどうかは、その状況下で人々がどういう選択をするかに大きく左右される。これが「イデの手のひらの上で踊る」ということで、ライナーノートでそうした構図が明確に打ち出されたことが、渡邉のいう「『イデオン論』の確立」だったのではないだろうか。

 このためTVシリーズ後半のエピソードをライナーノートと比較すると、この「イデの手のひらの上で踊る」という自覚がキャラクターたちの中に徐々に生まれてきている様子が付け加えられていることがわかる。

 たとえば第35話「暗黒からの浮上」(脚本:渡邉由自)は、ライナーノートにあったコスモとカーシャが「救世主」を自認する、「傲慢」に紐づいた台詞は採用されていない。そのかわり第35話序盤で、研究中のシェリルが「(イデの)コントロールなんて不可能じゃない?」「わたしたちイデに弄ばれているのかもしれない」と不安を漏らしている。またラスト間際にもベスが「俺たちはイデにコントロールを拒否されたのかもしれないのだ。イデの力に助けられたと思ってはいけない。俺はそう思う」とも語る。

 また第37話「憎しみの植民星」(脚本:松崎健一)では、ソロシップをバッフ・クランに売り渡そうとする植民星の幹部コモドアが登場。コモドアが今際の際に「なぜ、我々まで巻き込む」とつぶやくと、ギジェは「我々も巻き込まれた口だ」と返す。こちらのやりとりもライナーノートにはない。

 こうして「『イデオン論』の確立」により、物語はラストスパートへと加速していくが、テレビ放送は、玩具売上の不振などもあり、全43話の予定が、第39話で打ち切りになってしまったのだった。 テレビ放送の最終回となった第39話「コスモスに君と」のラストでは、バッフ・クランの軍隊を率いるドバ・アジバ総司令(カララの父でもある)が、全軍にソロシップ追撃を命じる。その直後に「その瞬間であった。イデが発動したのは」とナレーションが入る。ナレーションは、イデが与えた和解のチャンスを人類とバッフ・クランが互いに拒否したため、イデは無限力を解放し、地球人もバッフ・クランも因果地平の果てに四散したのかもしれない、と語り、物語は唐突に締めくくられる。

 この最終回は当初予定した第39話の内容はそのままで、ラストのナレーション以降を付け加えて‟最終回らしく”仕立てたものだ。当然ながら制作スタッフの本意ではない。サンライズは放送終了後も自主的に制作を続行。最終的に劇場版として、制作中だった未放送分(第40~43話)を上映することを決定。‟ダブルリリース”と称して、テレビシリーズの内容を再編集した『THE IDEON 接触篇』と、未放送の第40~43話を中心とする『THE IDEON 発動篇』の二本立て興行という特殊な形での上映を行うことになった。公開日は1982年7月10日である。(続く)

 

【参考文献】
※1 日本サンライズ編『伝説巨神イデオン 記録全集1』1981年、日本サンライズ
※2 日本サンライズ編『伝説巨神イデオン 記録全集3』1981年、日本サンライズ
※3 『アニメック 13号』1980年10月、ラポート
※4 日本サンライズ編『伝説巨神イデオン 記録全集4』1981年、日本サンライズ

 

 

 

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