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墓石には「2023年5月23日」と刻まれるだろう。この日付は、動画配信サービス「HBO Max」が単なる「Max」に名称が変更された日だ。この配信サービスは、頭に付いている「HBO」がなくなってしまうと、何の番組を製作しているサービスなのかがわからなくなってしまう。
この名称変更とMaxのアプリに不具合が起きていた際に、ネットフリックスはアカウント共有にひそかに制限をかけ始めた。この日を境に、動画配信サービスは“故人”となったのだ。
「配信サービスの死」と言ってしまうと、大げさな表現なのかもしれない。だが、動画配信業界がパニックに陥っているかのようにみえるなか、このような表現は完全に間違っていないようにも思える。NetflixやDisney+、そしてひょうきんな名前が付いたほかの動画配信サービスは、新型コロナウイルス感染症のロックダウン期間中に家の中にとらわれていた登録者たちをこの3年で失った。選択肢が広がったせいで、加入者たちは離脱したのだ。
収益の減少を食い止めるために、多くの配信サービス(Netflix、Disney+、HBO Max)は、広告付きの視聴プランを発表した。これによって一部の視聴者は節約でき、企業には金が入ってきた。しかし、めまぐるしく入れ替わるドラマや映画のラインナップのせいで視聴者たちは混乱し、金を払っている理由が分からなくなっている。配信サービスがいつかは受けるべきであった報いがすぐそこにある状態は、長いこと続いていたように感じていた。そして5月下旬、それがついに現実となったのだ。
時代は再び“セット販売”に
コンサルティング企業Omidaでプリンシパル・アナリストを務め配信業界を専門とするサラ・ヘンシェルは、配信サービスが転換点を迎えていることに同意している。
「過去10年間は西部開拓時代のような状態が続いていましたが、多くの配信サービスは成熟期を迎えています」と、ヘンシェルは指摘する。「こうした企業はいま、利益を生み出さなくてはならないという現実に直面しています。世界に向けてコンテンツを破格で提供できないことを理解したのです」
ネットフリックスが映画や番組を配信し、ドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」のような独自コンテンツの製作を始めたころと比べて、業界の見取り図は変わってきている。ネットフリックスやアマゾンといったテック企業がハリウッドの製作現場に参入してから、ハリウッド業界も配信サービスに追いつこうと躍起になっていた。新たな企業が何百万ドルといった資金を投じ、独自の映画や番組をつくり始めている。
そして、歴史ある製作会社も独自の配信サービスを発表し(Disney+、Paramount+、Hulu)、自身で手がけた作品をそれぞれのプラットフォームにしまい込んだ。ドラマ「ジ・オフィス(米国版)」はNBCユニバーサルの配信サービス「Peacock」の独占配信となり、「フレンズ」は(HBO)Maxで独占配信されている[編註:日本では、「ジ・オフィス(米国版)」はHuluで、「フレンズ」は多くのプラットフォームで配信中]。
動画配信サービスにとって最も重要なことは、登録者の獲得だ。そしてしばらくの間は、順調に新規加入者が増え続けていた。しかし、加入料は決して安くはない。そして、配信サービスは顧客を維持しコストを回収するために、広告付きプランを提供してラインナップからいくつかの作品を削除する必要性に迫られたのだ。
長いこと広告を付けていなかったネットフリックスは、22年末に広告付きの料金プランを発表している。また、ドラマ「ウエストワールド」といった番組はMaxのラインナップから消え、ワーナー・ブラザース・ディスカバリー(WBD)の税控除騒動の最中にサードパーティーの配信サービスに権利が売られたのだ。
新たに誕生した配信業界は、急にこれまでのテレビ業界になってしまったかのように感じられる。番組の放映権がケーブルテレビのチャンネルに販売され、いくつかの配信サービスが米国の3大ネットワーク(CBS、NBC、ABC)になろうと競い合っているかのように見えてしまう。「配信サービスが始まったころは、コンテンツが個別販売されていました」と、ヘンシェルは語る。そして、Huluが23年末にDisney+に吸収される発表に話を向け、「ところがいまは、再びセット販売をするフェーズに移っているのです」と、彼女は語る。
すべての番組が永遠に残ることはない
話を戻そう。HBO MaxがMaxに名称を5月23日に変更した際に起きたアプリの不具合に対し、ネットには怒りが溢れていた。しかし、配信業界で起きていた出来事はこれだけにとどまらない。ディズニーは、HuluとDisney+から数十もの番組をラインナップから外すことを5月26日(米国時間)に発表したのだ。
こうした出来事は、米脚本家組合のストライキの裏で起きている。このストライキによって多くの番組や映画の製作は止まっており、収録スタジオにも損害が出ているという。そして、配信サービスのためにコンテンツをつくる人たちに正当な報酬を支払うことに関する、緊迫した議論が再燃しているのだ。
また、Maxが発表された1日後の5月24日(米国時間)、WBDが配信している番組や映画が脚本家と監督をひとえに「クリエイター」としてクレジットしていることが明らかになり、火に油が注がれた。米監督協会はこれを「深刻な侮辱」と非難し、WBDはこれに対して謝罪を述べ、「見落とし」を修正すると約束している。
配信業界におけるこの“アイデンティティの危機”が、どのような結末を迎えるかは誰にも分からない。ヘンシェルによると、配信サービスの数は頭打ちを迎えており、むしろ減少していくだろうという。もしこれが現実となれば、一部の配信サービスは失墜し、ほかの配信サービスは衰退するだろう。
娯楽を探し求めている人たちは、いくつかの配信サービスへの登録と解約を繰り返すようになる。そして、「番組を観る」という概念には、6年前、もしくは6カ月前には存在しなかった決定要素が含まれることになるだろう。
すべての配信サービスが生き残ることはない。そして、多くの優れた番組は2度と観ることができなくなってしまうかもしれない。結局のところ、3〜4年前には無限に湧き出てくると思われた芸術の泉は、いつか消えてなくなる。そして、墓碑銘には「大人になろうとした」と記されることだろう。
(WIRED US/Translation by Naoya Raita)
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