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『忘れられた巨人』についてもう一度考えてみたこと

別にたいした感想というわけでもないのだけれど、思いついたことをメモしたくなったのでひとつの記事を作ってみた。以前読んだカズオイシグロ氏の『忘れられた巨人』について、私は正直全然ついていけなかったなと感じていた。個人の歴史と社会の歴史というわかりやすいテーマでありながら、各登場人物の行動原理や心情が、自分の問題として捉えきれない部分が多すぎた。しかし時間を置いてすっきりした点もあり、やはり味わい深い作品でイシグロさん大好き、そしてやはり素晴らしい方となったのであった。

 

私は人を愛するということがどうもわかっていないからこの本の内容がボヤッとしてるんじゃないかということをなんとなく思い、主人公のおじいちゃん・アクセルの行動が理解しづらかったのではないかと気づいた。

アクセルの妻への献身的な態度は、正直「こんなおじいちゃんどこにおんねん」という感想しかなかった。なぜそんなにも好きなのか?と思っていた。アラサーにもなって自分の愛し方おろか機嫌の取り方すらわからんため本当にご迷惑な存在で偉そうなことは言えないが、今ならこの本で言いたかった内容はわかる気もする。愛って覚悟なのかもしれん、非常にありきたりな表現になってしまうが…。その記述があった気がして、嫌な記憶が戻ったら私たち愛し合えないんじゃないかしら、と言っているシーンや、記憶が戻った後に妻の一瞬の不貞を船頭に語るシーンもある。戦に生きるアーサー王の甥からの「妻を愛することを選んだ男」という評価も。愛ってなんだ!そこは正直わからん。情けねえ。

まあそれは置いといて、ごくごく当たり前のことしか言わないんだけど、相手の最悪な言動を許せなくても苦しみは理解して許した上で相手と支え合って生きるとか、決して両立し得ない名声とを天秤にかけたときに妻を選ぶとか。まあなんかありきたりだけどそういうことなんじゃないかなあ。

最後でアクセルは不貞の原因は自分だったかもしれない、と話しているけれど、もしかすると一文だけ出てきた「妻の姿になぜか怒りをおぼえた」というような描写は、妻が犯した失敗を許してはいないということなんじゃないかなあ、という気もする。許しはしないけれど、苦しみは理解はして相手と生きる決心をする。自分の存在を認めてもらうための妻ではなく、生き方としての愛というか…。それはもう相手を好きとかそういう次元じゃなくて、妻を愛することが自分の生きる道そのものだという健全な(ある種狂気的な?)覚悟なのかもしれないなあと思った。そこまで覚悟してるから彼の言動はずっとブレない。でもやっぱり妻の不貞は自分にどうしようもない予定外のことだったから許せないみたいな。同じだけ覚悟が決まってなかった妻への失望と諦めや悲しみだろうか?

言葉選びが難しくて後で見返してもわからない感じになってきた。彼の生き方を狂気的だと感じてしまう時点で私は何を治したら良いのかわからないのが辛い。

とにかく私より遥かに人を愛することをわかっていて、自分を肯定する生き方をしていて、人を人というだけで尊敬できる素晴らしい作者なんだろうなということが、自分の問題としてわかっただけでもすごい進歩かもしれない。この本を再考して自分のあまりにもひどい人間性と浅はかさを知る結果になったので、自分のダメな部分と向き合うのは苦しいけれどこれから少しずつ人間になっていきたいと思います。

【12月】読んだ小説メモ

2024年の個人的ベストは川上未映子氏の『夏物語』でしたー。今月は島清恋愛文学賞を獲った作品を大量に読んでいた。ドロドロしすぎて、自身の人格の問題と謎にリンクして鬱になりそうだった。12月も12月とて,クソ長感想。2025年は読むジャンルを広げたい。

以下ネタバレが含まれます。

浮世の画家/カズオ・イシグロ

1948年の日本が舞台で,戦争の士気高揚の絵を描いていた小野という老人が主人公。著者の序文を最初に読んでから本編に入ったのだけれど,プルーストの『失われた時を求めて』が参考になった,という話を意識して読むと確かに独特の描き方がされている。回想の中に回想を重ね,読者に語りかけてくるスタイル。時系列は直線的ではないが,「ああそういえばこんなこともあった」と彼の中では意味的に紐づいているエピソードが出てくるために,活き活きと語られてる。もしや?と思って読んでいたけれど,構造は『日の名残り』と似ていて,お爺さんが昔の自分は間違ってなかったと語り続ける回想なんですよね。ただ,執事の彼と受ける印象があまりに違いすぎる!執事は不器用な人だったのが憎めなくてけっこう好きだったんだけど,本作は第二次世界大戦の話が絡むだけに,ちょっとその正当化は見てられないかもと感じる部分が多かった。これは私が日本人で,日本視点の平和教育を受けているからこその可能性があるが。まあ結局それも彼にばかり責任があるとは言えないことがラストで判明し,語り手と第三者目線での世界の見え方の違いを見せつけられるのだが!

序盤は,彼はかなり影響力を持っていた画家さんで,かつて自分が信念を持ってやってきたことは日本を戦争に引きずりこんでしまったという意識があって,その罪の意識を回想しているのかなあなんて思っていた。自分のせいで娘の縁談がなくなるとかね。でも終盤で実は,著名な美術評論家からは認知されておらず,娘からも「あなたはただの画家で責任なんてないんだから,死ぬとか言わないでね」とか言われる始末…。おいおい!じゃあ今までのはなんだったんだ!となったんだけど,小野はそれを素直に受け止めないのがまた頑固だ。自分の人生で信念を持って仕事を成し遂げた,ということが誇りであり幸せなんだ,というメッセージは『日の名残り』でも繰り返されていたな。私も共感できるし,自分も年取ったらこんな感じになるのかなあ,ていうか今までやってきたことが間違いだったらきっとあらゆる正当化をするだろう…と勝手にいろいろ重ねて考えてしまった。だからこそどんなにこの人の主張におかしさを感じても,非難ばかりをすることができない。人間の愚かさと,彼らへの愛情の両方を本当によく感じさせられる。

あと,過去の過ちを直視せねば,と言いながらも,実際に反省場面になったときに全然反省っぽく見えないのも面白い。これが第三者視点で描かれていたらそうは思わず「うわあ,そんなに責任を感じていたのか…」くらいに思うかもしれないのだが,読者からしたらかつての自分は間違ってなかったと言いたい気持ちをわかってるからこそかな。それでも最後のページで,新しい時代の若者たちと,幸せを願っているのが小野らしさだなと思った。

わたしたちが孤児だったころ/カズオ・イシグロ

1930年頃の上海・イギリスが舞台で,両親に捨てられた探偵が親を探す話.あまりにも戦争の時代を描いているのだけれど,終始救いがない.誘拐されたと思っていた親は,父は恋人と駆け落ちし,母は裏社会の人間に飼われるように過ごしていて,しかも母がそのようになったのは子供の頃,なついていたおじさんだったということが判明するという.本作も自分を過大評価しているタイプの語り手かな?と思ったけれど,周囲の人の評判や,社交界での立場から,決して本人の思い込みではないということが判明してくる.なんとその名声も自分の母の犠牲の上に成り立っていたので本当に救いがない.『浮世の画家』のおじいさんが平和なくらいだ….

イシグロ作品にしてはかなり暗かったかな?と思う.戦争描写(間接的にではあるが)があるからだろうか.まだ母も父もいた頃の思い出がありながら,両親を失ってしまっているからかどれも暗い影がある.心の故郷というものが一切ないのは辛いことだということが堪える….唯一の友達と呼べそうなアキラも戦禍で失い,自分の伴侶になってくれそうだったサラも同じタイミングで離れていく.最後に養子のジェニファーが慕ってくれているシーンがあるのが唯一の光か.この人の本にしてはかなりさみしい内容だなと思った.人はいつか孤独になるものだと思うが,そのとき人は孤児となり,自分が安心できる世界を守ってくれる親を探すものなのかなあなどと思うなど.

【夏物語/川上未映子

Twitterで「まんこつき労働力」というパワーワードをぶっ込んでる小説,と見てからどうしても気になっていて,読み始めたらいろんな女性の生きる痛みとか、女性として見られることに対する不快感が詰め込まれていて,夢中になって一気に読んだ。そして,これはきっと感想会やったら大議論になるだろうなあなんて思うと同時に、結婚やら出産やらにともなって女性だけが負わされがちな責任に対する違和感を、代弁してもらったようで嬉しく感じた。ラストはちょっとびっくりしたけど、「自分の身体は自分のためにある」ことを語ってくれていると信じている!川上氏の優しい語りで一見隠されてはいるけれど,女性であるということによって社会的に課せられる役割を批判する内容だった。女性の身体に向けられる性欲と,生命が誕生する過程を切り離したい,そんな主人公の気持ちを私は受け取った。ではその中で男性の在り方はどうなのか?ということは一度横に置いてはいるものの,女性という身体を持って生きることに絶望しないでと励まされているように感じた。生きていれば制度とか人との関係の中でめちゃくちゃ嫌な思いしてしまうこともあるけれど,できるだけ自分に素直に生きていたいなあー,と改めて思ったのだった。

内容は,母子家庭で育った主人公の夏子が,結婚相手もいないけど自分の子どもに会ってみたい,という理由で精子提供で妊娠をするか悩むという話。恐らく本編では一度しかはっきりと「男なんて」と出てこないのだけれど,夏子は男性が自分の人生に干渉することに対して明らかに良く思っていない。実際、夏子の親族でちゃんと出でくるのは亡くなった祖母と母,シングルマザーの巻子とその娘の緑子だけ。子育てをしている男性は,逢沢の父しか出てこないし、息子が語るだけなので本人は登場しない。夏子の「自分は子どもを産んでいいのか」という苦悩は,生むということに対する非常に真剣な問いかけを投げかけてくる。他の登場人物が語る大変さは子どもを養うことに対する金銭的な苦労であったり,家という制度に基づく揉め事だったりする。生きていくには食べないといけないし働かないといけないという、自身から切り離せない問題と地続きであるために、「生むことの善悪」というテーマが実感をともなって感じられる。

そして全編通じて,「男性も女性も本来は同じ人間なのに,身体性だけでどうして求められる役割が不平等なのか?」という訴えが投げかけられる。

全編読んでてうっすらと「命が生まれてくるのに性欲とか,夫婦とか家とか必要なくない?」ということが繰り返される。その上で、本来もっと考えるべきはずの「望んで生まれてきた人なんていないのに,なぜ生むの」という問いに対する答え方を,個人が持っておくべきなんじゃないのと感じた。この問いは小6の緑子と善が投げかけているが,産んだ側のエゴに対する疑問に見せかけた非難ではないか,と私は思う。こんな不幸なのに,なぜ産んだ側は責任をとってくれないの?という。巻子を責めた緑子はその後,和解もあったのか,男性と付き合うようにもなって明るく生きていくような描写がされる。一方大人になっても「生まれたことを肯定したら,1日だって生きていけない」と言う善。この対比がうまい。「自分と同じくらい幸せにできるか?」という産んだ側の「賭け」に対する責任の所在は,自分は必要とされてないと感じたら問うて当然だ。巻子に対しては序盤の豊胸手術のくだりで,この人は子どもを育てる側として大丈夫なのかと焦ったけど,緑子と2人おそらく仲良くしているところを見るに,親としてちゃんと子どもを守ったんだろうなと思うととても良かった。

「女の痛みは女しかわからないよ」と言う遊佐のセリフも、自分の苦しみを代弁してくれたようでとても良かった。例えば、生理をはじめとして、勝手に始まる体の変化も、それがまるで生殖のためにありますという教え方も、子どもを産める体になったことはありがたい(書いててかなりキモい表現だと思った)という強要じみた話だって正直気持ち悪かった。自分の体がないと自分は生きていけないのに、それは他の誰かのためにあるんですよと言われているようだった。胸が膨らみはじめたときに、恥ずかしくて必死に隠そうとしたことも思い出した。原因はひとつじゃないだろうけど、女性の身体を性的に見て良いという表現を、テレビとかゲームとかいたるところで刷り込まれていたのが大きいのだろうなと今は思う。もはやどう折り合いをつけたかは忘れてしまった。でも、もしその時期にからかわれたりとか、嫌がらせや犯罪にあったりしたらと思うと怖い。自分の身体からは逃れられないのに、精神はそこにあるという苦しさで生きていけないくらい辛くなっていたんじゃないかと思う。

ここで言う痛みは上のようなことだけを指すわけではないし、もちろん男性にだって男性にしかわからない痛みがあるんのだと思う。痛みをわかれよ!と言いたい気持ちは確実にあるんだけど、でもやっぱり性別が違えば本当に理解することは無理なんだと思う。共感できる痛みとそうでない痛みがあるという事実を、まずは忘れないでおきたい。そして誰しも、私にはわからない痛みを抱えているということも忘れたくないなと思った。

描写が的確すぎて衝撃を受けたシーンもある。「妊娠なんて精子卵子がくっつくだけ,愛とか関係ないじゃん」ということを遊佐から聞いた後で,個人で精子提供を行っている恩田という男が「妊娠させたい」という支配性を持っていることを夏子が知るシーンがそうだ。精子という物体には変わりないかもしれないが,その裏には「妊娠させてやった」という欲求が存在し、いとも簡単に自分のエゴを人助けと言えてしまうのかと…。ここめちゃくちゃ怖いんだが、まあ人助けって一方的な側面もあるよな。汚い欲求によって行われた行為でも,1人の人間をこの世に作ることができるということには変わりないんだと改めて感じて,ぞっとした。そのような欲求の裏でできた子どもが育ったとき,もしその事実を知ったらどう感じるんだろうとか,本来は全く関係ないはずの性欲が,別の生命を侵害しているような気色悪さは拭えないなとか、いろいろ考えてしまう。そして恩田は絶対にそこまで考えていないし、悪いことだとも思っていなさそうだ。目の前の夏子を同じ人間だと思ってないんだろうなあ,と思わせる描写が見事。恩田はフィクションとの区別ついてなくてちょっとアホなのか(そもそもこの小説はフィクションである),ということすら思ってしまうのだけど,このエピソードもしっかり意味があると感じる。もし夏子が恩田から話を聞かず,誰のものかわからない精子で妊娠する話になっていたんだとしたら,そういった加害性も含めて肯定する可能性もあったので。まあ正直,その可能性に関しては読むまで想像ができていなかった!読んでやっと,なるほど確かに生理的に受け付けられないなと思った。いやしかし、恩田の欲求と、誰かが「子どもが欲しい!」と思うことは、エゴという視点で見たらいったいどれほどの違いがあるのだろう。ちょっと話を抽象的にしすぎだろうか。このあたりを読んだ感想がどのくらい人によって違うのかが、ちょっと気になる。

一方この流れで,結局は普通に逢沢とセックスして出産するのかなあ,もしそういう展開だったらちょっとないな,と思いながら読んでいたのだけれど,逢沢から精子提供をしてもらって,人工授精で妊娠・出産するというのが良かったな。子どもが父親に会いたかったら会いに行ける約束にする,でも逢沢とは結婚しないし夏子1人で育てる,ということが,これまで出てきた女性の立場全部を救うようだった。全員掬い上げるにはこれしかないラストだったかもしれない。

子どもを持たなかった仙川に対してはどうだろう。彼女は途中で亡くなってしまったけれど,2年後に彼女のことを夏子と遊佐が語るシーンがある。子どもがいなかったら,自分が死んだときみんな私のことを忘れてしまうんだろうか,自分が生きてきた意味は最初から消えてなくなってしまうんだろうか,私はそんな漠然とした恐怖みたいなものがあるのだけれど,ちゃんと覚えてくれている人がいるのかもしれないなと感じた。「人は二度死ぬ」なんて言うから,じゃあ覚えている人がいなくなっちゃったらおしまいだな,とも思ってしまうが,そこに対しては逢沢の父からの話があった。人の寿命なんてせいぜい100年程度のもので,その間に何代続くといっても地球はいつかなくなってしまうだろう。その間の人の営みなんてばかみたいに思うかもしれないけど,人間の歴史とかを載せたボイジャーが,誰かに人間たちの思い出を運んでくれるかもしれない,それって素敵じゃん,と。自分の生きた直接的な証にはならないし,ただの慰めでしかないかもしれないけど。あとは夏子の新しい男性編集者が,純粋に夏子の小説を良いと言ってくれたという点も地味に良かったポイント。自分の本なんか出ても出なくても一緒だ,と言っていたところから,ずいぶん変わったなと思った。

で,冒頭の「まんこつき労働力」ってなんだったのという話なんだけど,家庭に縛り付けられて父の言いなりになっていた母の話を、夏子の友人がしていたシーンだったらしい。母は横暴な父の振る舞いを我慢していたと思いきや,娘である自分より父を大切に思っていたという悲しみ。娘の怒りと,気付けば自分も同じような状況になっているというやるせなさ。これも読んでてけっこう苦しかった。結婚という制度によって、本来は赤の他人だったはずの家から生き方を縛り付けられるって、結婚するときそんな状況になるって普通考える?あったとしても、言わない可能性もある。ていうかこのへんから最早本編あまり関係ないんだが、結婚したら家どうしの付き合いをゴリゴリにやります!嫁はうちの家の人!という認識に擦り合わせていくの、女性が折れないと無理だと思うんですけど。それと、子どもの頃から「結婚したら元の家とは縁が切れます」みたいな言い方があるけど、私は子どものときから「なぜ?」と思ってるんですよね。そういう考えがあること自体は否定しないけれど,家族と過ごす時間が大事だった自分としては、その考え方を押し付けられたら絶対にその人と結婚はできない。私が子どもを欲しいと思わない理由もそのへんにあるかもしれない。子どもができてしまったら血を半分ずつ夫婦で分けるから、結婚相手の親や親族という本当によく知らない、もしくは知っていかないといけない人との繋がりから逃げられなくなる。逃げるなよって話なんだけど、本来他人であった人たちと、直接の交わりはないのに家族になるってよくわからない怖さがある。私は恋人のことだけが純粋に好きで一緒にいたいと思っただけなのに…という気持ちに近いかもしれない。それこそ上で書いた恩田並の身勝手さで自分でも最低だな、相手を好きならその家族も好きになるべきだとはわかるんだけど。いずれにせよ、自分の生活を相手の家族のために諦める事態がもしあったとしたら、じゃあ私の存在や私を育ててくれた家族ってなんだったんだろう、となってしまうことに間違いない。夫婦でお互いの認識を擦り合わせるまではよくても、家族含めて擦り合わせるのって本当に難しいと思う。単純に人数増えるしほぼ不可能だ。1人で生きていけるという社会が作られれば,コミュニケーションの中ですれ違いがあっても、どっちかが自分の人生を縛り付けられたと感じることは起きづらいのかな。なんか,読めば読むほど結婚ってなんだったっけとなった。

ここ数年で出版されたような,新しい本を読むようになって気づいたのは,社会の状況がよく盛り込まれているから共感しやすいということ。昔の本も,当時の状況をよく知っていたらもっと意味のある読み方ができるかもしれない。

【ダブル・ファンタジー/村山由佳

これは,官能小説…?読んだことないのでわからんが。いやもうテーマも何もないよなたぶん。でもめっちゃ面白かった。めちゃくちゃ性欲強い女性脚本家が,憧れのパイセン(だいぶ年配)に恋してしまい,寝たはいいがあっさり振られ,浮気に浮気を重ねまくる話。やべえわね!花火大会で新しい男とはぐれて,脱げて河川敷に転がった下駄を拾うため,両足とも裸足で下っていくラストシーンが地獄への入り口みたいで良い。自分の責任は全部自分でとってみせる,という生命力の強さと,恋愛感情を最初の相手で遠くに捨て去っているというのが官能小説っぽさか。恋愛感情とか性欲でしょ,という山田詠美さんの本で出てきた発言を思い出した。恋愛感情を遠くに捨て去っているけど性欲に忠実な話,人間が生き物であることをまざまざ見せつけてきてとても良い…。

海辺のカフカ/村上春樹

中学生のときに読んで、当時はファンタジーの延長として読んでた。こんなに自由な文体で書いていいんだ、という衝撃を受けてどんどん読み進めた記憶がある。ところどころ出てくるマスターベーションとかいう用語を辞書で引いたり、性交渉の描写の意味も全くわからなかったかったのでたまに苦労したりしながら。暗喩を交えながら出てくる人生観も、なんか大人ってすごいこと考えてるんだなとちょっとワクワクすることもあったと思う。特に最後の田村カフカが、学校に戻ると決意したシーンなんかは、自分にはできないと思った記憶がある。

中学生のときには完全に田村カフカに感情移入しながら読んでいた。年齢が近いのもあったし、学校が嫌いで「世界一タフにならなきゃいけない」ことを自身に課し、ひたすら1人で体を鍛えたり勉強したり、本を読んだりしているのがなんというか、学校嫌いだった自分のロールモデルみたいになっていた。

大人になった今読むと、当時と全く違う。本当に違う。まず田村カフカの人となりはそれなりに無味乾燥に書かれていて、正直「こんな中学生いない」という印象を受ける。大人が感情移入することは少ないし、感情移入しづらく描かれているんだと思う。自意識過剰な中学生がロールモデルにしようとするんだからそれはそうだ。

一方で、集団失神事件から読み書きすらできなくなってしまったナカタさんパートは、生い立ちも含めて生活に根ざした描写が多い。生活保護で暮らしていて、猫と喋れることを使って猫探しでお金もらってるとか。

ジョニー・ウォーカーを殺してから高知に向かうときに出会うホシノさんが今回読んだ中では1番好きだったかも。20代後半くらいのトラックドライバーの男性なんだけど、人となり自体は地元の不良が1人で自立したような感じ。ホシノさん、よくわからんおじいさん(ナカタさん)を拾って、自分の仕事を放棄してまで彼に付き合うって過程で、今まで自分の考えてなかったようなことをしていって、緩やかに自分を変えていくシーンがめっちゃ好きなんだよな。同年代の人に刺さりそうなキャラクターだ。

主にカフカとナカタさんパートで、入り口(死界のメタファー?)と繋がってしまった世界を閉めるまでの物語が進む。

そこらじゅうに物事の見方に対する意見が散りばめられていて、細部を楽しみながら物語全体を捉えようとすると「結局どういうことだったんだ?」となって迷子になる印象が村上春樹作品には多いけど、この本もそんな感じ。たぶん正解とかなくていいんだと思うし,その分感じることは人それぞれだと思うので肩の力を抜いて読める良い話。

【婚約のあとで/阿川佐和子

出てくるどの女性も現実の何かしらに不満とか不安は持ってるし,時には性格難ありなのか?と思わずにいられないシーンもあるのだけれど,なんかみんな好きになってしまう。この本めっちゃ良かったな。父親と昔から仲良いおじさんと不倫して子どもまで産む展開があるのとか,取引先の女性社長と浮気したのがバレてて「あの子にはキツく言っとくから安心してね!」と,しれっと書いてる手紙を花嫁に結婚式でよこすとか,まあ現実だったら笑い飛ばすのも厳しい話がいろいろあるんだけど,全部が明るく書かれていたのでだいぶ前向きな気持ちになった。人間だからまあいろいろなごたごたが起こるわけだけど,相手を許そうとか,間違いがあっても仕方ない,生きるのを恐れるなみたいな感じか。なんでも背負いすぎるなってことかなー。妙に極端で原理主義みたいな思想だねと言われることがあるので,誰かに対しても寛容でありたい。多分その方が楽だし苦しくない。そんなことを思ったのであった。しかし阿川さんの文体の読みやすさよ。さすがベストセラー作家や。

ふがいない僕は空を見た/窪美澄

家庭環境が歪な人々の連作で、読むのがしんどいけど止められなかった!コスプレ主婦と男子高校生の不倫、団地住まいで1人で認知症の祖母を支える男子高校生と、バイト先のゲイかつ小児性愛者との関係性など…。ひとつひとつの短編で起こる出来事が、昼のワイドショーで取り上げられては面白がられるような類のものばかりなのだが、そのやっかいさと閉塞感がリアルすぎて息が詰まりそうになる。

個人的にしんどかったのが2編目。オタクの主婦による、ですます調の語りが、人との距離感をうまく測れず、自分の周りの物事にすら鈍感な感じを助長している。好きでもないストーカー男と結婚し、姑から子どもを産めと脅迫され、それでも尚自分のことと認識できてないかのような客観的な語り口が逆に生々しい。高校生との不倫(というか売春)がDV夫にバレ、行為中の動画をばら撒くと言う夫にも、「あの高校生の人生のいろんな場面で今回のことが尾を引くかもなあ」という他人事感…。

なんか全編救いがないというか、劇的に背負ったものが変わるとか、あるいはめちゃくちゃ悪くなるとも言えないほの暗さがあまりに自分の生活に近くて。唯一安定した雰囲気の漢方の先生は,背負ったものはいつか解決すると,励ましてくれるのが救いか。逆にこれだけどうしようもない世界を描いているからこそ,自分の間違いとか後悔とかも全部持ったまま生きていてもいいかなと思わせてくれた。

【よるのふくらみ/窪美澄

地元の息苦しさや,血の繋がりの煩わしさと温かみ,みたいなものを感じた.窪さんの性描写が生々しくて息が詰まりそうになる.

いろんな人の視点から描かれるのだけど,なんというか兄がかわいそうだなという感想がすごい。計画的に真面目に生きてきて,愛想と要領の良い弟に勝手にコンプレックスを抱いて,婚約者をとられて。まあでもこの弟さんモテそうだしな〜と他人事な感想である。なんというか,婚約者とられても兄弟は兄弟なんだよね。血の繋がりってやっぱり強烈で,一緒に暮らしてたら否応なく比べてしまうし,あっさり縁を切ることもできない。お互いなんとなく好きじゃないという感情まであるんだなあ…。

様々な作家さんが描いているけど,夫婦間でレスってめちゃくちゃ重要問題なんだなというのを感じる。恋愛は性欲であると言い切る人もいるが,それを信じるなら恋愛感情もない相手と一生を過ごすことになるのだから当然なのかも。女性側が相手を求めてるのに,男性は家族みたいな存在と言って相手を遠ざけるっていうのが,付き合ってるときと逆っぽい構造なのはなんでなんだろう。これめっちゃ不思議だ。そんでだいたい女性側から離れていく。そんなことを人って繰り返すのかなと思うと,結婚という制度はめちゃくちゃ欠陥なんじゃないか?と思わざるを得ないな。こういう作品って昔から多いのかなあ。

【あられもない祈り/島本理生

これは読んでてひたすら苦しかった.他の作品に見られるときめきとか,そういうのが一切なくて,恋愛ってなんだろね…?とひたすらなる.でもめちゃくちゃ引き込まれるんだな~.特に「私」のところにきた「あなた」からの電話をとってしまい,私を刺そうとしたのを,洗ったはずの包丁がシンクに置いてあるのを見て悟ってしまうとか.夕飯を仲良く旅館で食べてたのに,浮気したから「あそこにしようか」と言って翌日心中しようとするシーンの鮮明さとか.ひとつひとつの描写が鮮明で,「私」と「あなた」の輪郭だけがあやふや,という西さんの解説がとても的確だった.正直難解だったので,かなり解説に頼ったんだけど「恋をする個々ではなく,恋そのものを描いている」というのがしっくりきたかもしれない.

【憐憫/島本理生

売れっ子ともそうでないとも言えない,アラサーの女優さんの話。最後は大女優になっててちょっと意外な展開だなという気がした。

声かけてきた綺麗な男性としばらく仲良くするみたいなのが話の大筋なんだけど,最後に自分より圧倒的に年上だったことを知るって展開が異様すぎて。彼が寝てる顔を見て,なんか違和感あるなってシーンが怖かったわ。散々自分の仕事とかいろんなことを語りながら,年齢を詐称していたことの怖さ。年齢って仲良い人とは暗黙の了解みたいな感じになりがちだと思うんだけど,勝手に同年代だと思ってた人がめちゃくちゃ上だったらなんか怖いよな。

【あなたの愛人の名前は/島本理生

「恋人」だと思ったら「愛人」だった…。各短編にゆるい繋がりがあるタイプの作品。どれも明るい感じの話ではないけど,うまくほの暗い気持ちを描くなあ,と思う。ドロドロの内容でも,最後はあったかい感じの短編で終わったのが良かった。私は瞳の婚約破棄後の生活後を見たかったけど,瞳の話が終わってからは浮気相手の妹に語り手が移ったのが意外だった。浮気相手は軽薄な感じの男だったけども,両親が離婚している家庭だったのね。で,母の性格に難ありだったのか,父親が愛人作って離婚か…(書いててしんどい)。最後まで父は愛人の名前を言わなかったことがタイトルの由来みたいだけど,相手の名前を言ってしまうと現実味が出てきてしまうから,というのを読んでなるほどなあ〜と思った。実際,友人の恋人に会って,この人ってこんな人と付き合ってるんだな,とか実感が湧くこともある。同じように,他人を通して見た自分というのが,案外自分を形作っているものなのかもしれない。瞳のように,恋人と全く違うタイプの男性に触れて,他人から言われるものの違和感のあった「家庭的な人」という像から抜け出すこともある。いずれにしても,人から見た自分というのが,けっこう自分の性格を作ってるんだなということを思いながら読んだ。

【2020年の恋人たち/島本理生

ラストで主人公が1人で立ち上がって生きようとするのが,やっぱり好き.『よだかの片想い』に通ずるものがあるかな?

可愛くしていれば大事にされるかもしれない。

(中略)自分を守るために,守られるためのものが必要だったのだ。ありったけ。

引っ越しのために物を片付けるシーンで,20代の頃に男性に褒められた服とかを捨てまくってるときの言葉.これはめちゃくちゃわかる.でもこの言葉の裏返しが怖いってわかってるからこそ,辞められないみたいなところがある.可愛くしてないと脅威から自分を守れないんじゃないか,と怖いので.節々で,女性が女性である状態で生きることのめんどくささをうまく掬い上げて,批判するでもなく,ただ優しくするのではなく,寄り添ってくれるのがこの人の好きなところなんだよなー。

たくさんの依存交じりの関係から抜け出したと思っていたのに,また新しい束縛や依存に戻ろうとしていた.

そういう幸せだってあるのかもしれないけど,せっかくならもう少し,自由になってみたいのだ.

読んでてけっこうドキドキしてしまうシーンである.でも自由と自己責任の具現化みたいな芹とう女性も,フェレットを飼っていることを話すシーンが出てくる.結局依存というか,自分の分身みたいなものをみんな探しているのかもな,ということまで描かれているのが,決して(ある種の)束縛や依存を否定しきっているわけではなく,だからこそこの一文が一層説得力を増している気がした.

人との関係を進めたら戻れないというのも,そうだなあ.完全になかったことにはできない.だから既婚者との関係を進めるのを諦める.葵,偉い!(偉いのか?)興味を持った人に対して,踏み込まないである程度でとどめておく,というのはたまに難しいと思うんだけど,それを「進んだら戻れない」の一言で止まれるの,けっこうすごいな.でも進むってなんだろう.なぜ戻れないんだろうということを自分の感覚としていまいち理解してない私であった.

あと!この物語は亡き母の残したワインバーがメインに話が進むけど,やはり食事の描写がものすごく美味しそうなところが良いなと思った.『私たちは銀色の...』のときもそうだったけど,食事描写が丁寧な作品は,彼女の作品の中でも明るい感じで読みやすい.あと海外旅行描写が良い話もそうかも.

伊藤伊のシェフとスペイン行ったときの話もけっこう好き。海伊さんが重いというか束縛しそうなタイプなのを見抜いたの慧眼だな。「君がいれば幸せだ」って少し苦しいな,というのが印象的。その気持ちはなんかわかる。自由を何より求める人間はきっとそう思う気がする。一方で専業主婦のおばさんも印象的で,家庭があることを大切に思う人もいるというのが,なんかまあ当たり前なんだけどそうだよね,と腑に落ちる感じ。おばさんと妹的なポジションの3人が作る女子会の雰囲気がめっちゃ好きだったな。女だけ集まっておばあちゃんちで過ごす正月を思い出した(なんの感想だ)。

一緒に働くことになる年下の男子と,本当にただルームシェアをするだけの関係になるとことかけっこう好き。現実にはなかなかないのかもしれんが,仕事を対等にできる大事な相手がいるって貴重だよなあ。男女関係なく,そうなれる世界を切に求める!(?),と思いつつ,異性に対する一定の遠慮があるからこそ成り立つ可能性もあるなとも思う。この本はある意味お仕事小説ともとれるのだが,与えられた環境で1人で頑張る,でも完全に1人じゃないってことを自覚するシーンも含めて,大人が成長していくのを見せられる気持ちの良い作品だと思った。やっぱ島本さん好きだ。

【ロゴスの市/乙川優三郎

同時通訳と翻訳家の男女のすれ違い恋愛。めちゃくちゃ良かったんだが。最近生々しい作品を多めに読んでいたので,久々に純度の高い恋愛小説を読んだ気がする。翻訳家の男性視点で話が綴られるんだけど,同時通訳の悠子がものすごいせっかちというか型破りな女性で,1人で急にアメリカに行ったと思ったら,黙って戻ってきてはまた海外に行ってしまい,挙句母の再婚相手の息子と結婚してしまうという…。で,男性方が彼女を見守ると諦めたところで彼女が離婚し,もうめちゃくちゃやお前!!!となった後,なんやかんやで事故で彼女が亡くなるまでの数年間は再び心を通わせるという話。

実はずっと心が通い合ってました,今更どうしようもないけどね!という話がけっこう好きで,これもそのパターンかもしれない。この作品,直接的な性描写がなくて逆にびっくりしたんだけど,悠子が本格的に海外と日本を行き来するような生活が始まる前に,2人で一緒にお寿司食べるシーンがあるんだけど,そこの匂わせシーンで妊娠してたんかい!というのが終盤で発覚する。おい!

悠子が自分の生い立ちに,かなり長い間縛られることになってしまったことが痛ましい。結婚も自分が望んだわけではなかった…というのも,純愛っぽい所以か。女性ってそんなに何十年も同じ相手のことを想ってるもんかねー,それはなくないか,となるところを,お互いの生業で結びつけている点が素敵だった。仕事に情熱を注げば注ぐほど,それを理解し議論できる相手が貴重になってくるというか。下手な恋愛関係より重要になってくる場面もあると思う。お互いが英語と日本語という言語によって理解を得ていて,文学作品への理解を語り合うシーンとか,なかなかに棘のある言葉を放つシーンも良い。彼らが仕事人間であること,言葉については忌憚なき意見をし合うのを紡いでいることが,ラストの説得力を増してる。

伝えようと必死に言葉を紡いでも,口に出すと消えていく言葉を伝え続ける同時通訳の切なさや,英語で書かれた物語を日本人にも伝わる言葉として必死に紡いでも,高い評価を得ようとも大抵は原作者に還ってしまう宿命。誰かに何かを伝えるということがいかに難しいか。言葉同士を繋ぐことを仕事にしているにも関わらず,修復不可能なすれ違いが起こってしまうのも皮肉な話だ。

1人の人間が一生で成し遂げることができる仕事の限界や,同志との結びつきが描かれているのもお仕事小説としてアツいよ。良い仕事したいっすね〜(こたつで寝ながら言ってる)。

【蔦燃/髙樹のぶ子】

初代島清恋愛文学賞の受賞作なので,ちょっと昔の作品かも.解説で渡辺淳一が,女性作家の性愛小説の走りというように評価しており,今でこそ性描写が詳しい文芸小説は超絶珍しいものでもないが,当時としてはもしかしたら衝撃的だったのかもしれない.渡辺淳一作品は『失楽園』しか読んだことないけど,そこでの描写がロマンティックな雰囲気もあったのに比べれば,『蔦燃』は目を背けたくなるようなグロテスクさが含まれるように感じた.暴力的な描写や痛い場面があるわけではないんだが,女性が身体構造的に受け入れる側であることとか,妊娠する性であることから,性欲に伴う避けられない生々しさ・痛々しさがものすごくよく描かれていたと思う.

主人公が義父の隠し子とズブズブの関係になっていくんだけど,隠し子の方が自分の母を下の名前で呼ぶという異常な関係性とか,義理の兄嫁を支配したいという暴力性が,人間が寂しさを感じたときに出す異常性みたいなものを感じてすげえ怖かったわね.実の母から恋人の役割を担わされるとか,その母と自分だけの墓を自分で先に買ってしまうとか,そもそも起こっていることは恐ろしいというのはありますが….

過去に恋人を刺してたとか,義理の兄嫁と無理やり性交渉をするとか,自分の境遇に絶望している状態で兄嫁から愛されて,最終的にはお互いに恋して人間に戻っていく過程にほっとしてしまった(やってることはひどいことが).こういうの読むと昼ドラだ!となりがちなんだけれども,そこで起こった出来事よりも,主人公の生々しく蠢く感情の描き方が秀逸でした.

【ツルネ2・3/綾野ことこ】

ツルネ続編.桐先ではない新たなライバル校の出現と,新入部員入部がメイン.そして私はまだ2期を見ていないので早く見なければならない.

自分が弓道全く詳しくないので,文章を読んでいても弓を引く瞬間がなんとなくでしか想像できないのだが,個性あるライバル校生徒の弓の引き方がどうアニメで描写されているのか楽しみだなあ.なんといっても愁をライバル視するお人形風高飛車新入部員がどんなキャラデザなのかけっこう気になる.

【11月】読んだ小説メモ

10月は小説を読みませんでした!中学生くらいのときまでは小説を読まない日なんてなかったのに,年々読書の時間が減っている気がする。絶対インターネットのせいだ!

以下作品のネタバレを含みますのでご注意ください。

【香水 ある人殺しの物語 / パトリック・ジュースキント

日本に密かに香水ブームがきている(ような気がしている)。ミーハーなので香水ブームに乗っかってサロパに行ったり,毎朝香りと言葉のラジオ「NOSE knows」 | Podcast on Spotifyを聴いたりしているんだが,そこで思い当たったのがこの作品。

小説自体は80年代に出たのでまあ古いのだが,かなりヒットして映画化もしたらしい。なぜこの作品を覚えていたかといえば,子どもの頃になぜか映画の宣伝動画を見ており,そこで出てきた「全身茶色の人間たちが絡み合っている画像」がマジで怖かったからである(参考: https://www.cinematoday.jp/news/N0010213)。メイキング動画まで見た気がするのだが見つけられなかった。なぜそんなおぞましいものを見ていたかは不明。

内容はタイトル通りであるが,恐ろしく鼻の利く男が,気に入った香りを自分のものにしたいがために次々に女性を殺してしまい,最後は自分自身で存在を消すという話。推しポイントがいきなり内容とは全く関係のない話で申し訳ないが,悪臭,香水,体臭などが文章から立ち上ってくるのがすごい。私は香水が好きなので意識して鼻を使っている方ではあると思うが,好きな香りを嗅いだときに,それがどういう香りなのかというのを表現するのはめちゃくちゃ難しい。それを一冊の本で,ほとんど絶え間なくやるのが驚き。冒頭で魚を捌きながらこっそり主人公を産み落として放置する母親の血生臭さ,市場の魚臭さの表現で「うわあ最悪だ,でも読んじゃう」となってしまい,臭いかもしれないのに切った足の爪を嗅ぐ人状態に陥ってしまった。香水とか言っちゃってるのに文章の大半が臭いのかよ,とツッコミを入れたくなる。綺麗な表現だけ,もしくはそれ自体は臭いけど,香水に入れると香水の香りが引き立つシベット程度の表現しかないのであれば,そもそもこんなサイコな内容にはならないのかもしれない。

あとこれ海外の作品のほぼ全部に言っている気がするのだけれど,当時のフランスの時代背景や,文化や宗教を知っている方が楽しめる気がした。例えば最後,人々は「愛」ゆえに彼を姿形が残らないよう食べてしまった,というような記述があるのだけれど,あえて愛という言葉を強調しているので,何か宗教的な特定の意味を持たせたのかなあ,とか。宗教的な意味は置いておいても,ラストをどうにか解釈したいのだが,その上でキーになりそうなのが主人公は体臭がないこと。自分自身は香りを完璧に記憶できる上,思うままに人を操る香水さえ作れてしまうのだが,話の中でちょくちょく「自分に体臭がない」ことで取り乱す。誰もが持つ体臭に憧れ,体臭を作るために人まで殺すわけだけれど,自分に体臭がないと気づいた瞬間に起きることが決まってしまった悲劇という感じがする。自分に体臭がない故に他人とは違うという悲しみ・恐ろしさ…。人殺しをしてまで体臭を得たが,結局人からは愛されないために孤独は埋まらず,食べられることで誰かと一体化するしか思いつかなかったという解釈が今のところ一番しっくりきている。まあ難しい話抜きにして,面白いし香りの表現が素晴らしいのでとってもおすすめです。

 

日の名残り / カズオ・イシグロ

『わたしを離さないで』と一緒なんだけど,終盤で「自分の人生とはなんだったのか…!?」に気づき,作者の優しさと世界の酷さ,それでも静かに自分で受け止めなさいと優しく諭される,そういう作品だった。他にも読んだ作品あるけどめっちゃ良かった。

英国のお屋敷で,品格ある執事(英国紳士?)を目指し続けているスティーブンスが,数日間の休みをもらって昔を回顧する話。時代背景としては第二次世界大戦の前から1950年代頃なので,歴史を全然知らん私でも楽しめるか…?と思っていたが,沁み入った。だけどイギリス・ドイツ周りの歴史は絶対知っておいた方が楽しめると思う。

カズオ・イシグロ鉄板の一人称で話が進むのだけれど,序盤の方でだいぶ鈍感で不器用な人なんだなあと気づく。例えば雇い主のアメリカ人へのジョークにうまく答えられないでがっかりするのを,妙に丁寧に話すのでちょっと笑える。小説としての語り手でありながら,誰かと話しているときのような本心を隠したリアルさがあるというか…。これまで一人称小説を散々読んできたのに今更気づいたのは,一人称であるということは誰かのフィルターを通してしか物語を知れないということ。『わたしを離さないで』も,私はラストでようやく恐ろしい事実に気づいたんだけど,これまで読んできて信頼していた世界が崩れてしまう,あの怖さ。カズオ・イシグロの作品が心に沁み入るのはそういうところかなと思っていて,語り手の愕然とする気持ちや悲しみが,作品中の第三者から指摘されることによって「自分ってこんな悲しかったのか」と気づけるところにある(何言ってるかわからないと思うしなかなか良さが伝え切れない)。

ティーブンスは,昔の雇い主であるダーリントン卿が外交でダメな方向に進むのを止められなかった哀しみ,自身の過ちにすら蓋をしてしまっていること,女中頭の気持ちにも自分の望みにも気づかなかったこと,とにかくもう不器用すぎて泣ける。最後まで「自分は品格を求めて生きるのだ」と語ってしまう芯の強さが彼らしくはあるけど,ラストの桟橋のシーンで知らないおじいちゃんに慰められるシーンで彼の本音がようやく見えるかなという気がする。それでも言葉にはしていないけど。

自分の執事としての人生も,結婚も家庭も全部もっと良い方向にできた,そういう回顧が「昔はよかった」という美しい形で語られる,爽やかだけど悲しい,でも不思議と嫌な感じはしない作品だった。彼の中では一瞬,これまでの人生なんだったのか,そんな悲しみを感じたけど,1mmも自分を譲らずに生きてきて,これからも静かながらに自分を貫くということが「雇い主が帰ってくるまでにはジョークを練習してみよう」という一言に詰まっててめちゃくちゃ好きだわ。世界の要人でもなんでもない人が,微力ではあるけど頑固に生きる姿って,もう古いかもしれないけど私はけっこう好きだな〜。

忘れられた巨人/カズオ・イシグロ

これは考察が捗るタイプの小説。以下全部自分用のメモもいいところな文章。原題は"The Buried Giant",『埋葬された巨人』って感じかな?老夫婦が息子に会いにいくために旅に出るというファンタジー小説で,鬼とか出てくる。幼い頃に『ナルニア国物語』とか『ストーンハート』とか『デルトラクエスト』とか,『モモ』,『はてしない物語』みたいなファンタジーが好きだった身からすると,正直ファンタジーものとしては物足りない…!!!!序盤から老夫婦がえっちらおっちらお互いがちゃんと歩けてることを確認しながら進むとかなので。しかもアーサー王伝説の世界観で描かれているらしく,知らない人は知ってる人よりも話に入りこめる感が薄い。ちなみに私はアーサー王について全く知らなかったので,作中の要であるサクソン人とブリトン人の関係性等,読み進めないと全くわからなかった。少しでも知っておくことをおすすめします。

おいおい微妙だったのかい,という雰囲気になってしまったが,やはりカズオ・イシグロ氏なのでめちゃくちゃ良かった。簡単なあらすじとしては,老夫婦は自分たちの過去の記憶についてほとんど失ったことに気づくのだが,その元凶は王による民族虐殺を,国民全ての記憶を消してしまうことで,虐殺の事実を忘れさせて見せかけの平和を作ることだったというもの。老夫婦は記憶を取り戻すことを選び,社会全体に民族間対立が戻ってきて,これから大きな争いが起こるだろうという状況で話は終わる。民族が共通に持つ記憶というテーマが軸だが,個人の記憶という軸もまた話を構成していることで,ストーリーに重みが出ていると個人的には思っている。

主人公であるアクセルは,妻のベアトリスを「お姫様」と呼び,丁重に扱う溺愛っぷりなのだが,2人の間には嬉しかった記憶も辛かった記憶もない。しかしこれがけっこう重要で,妻は過去に不貞をしており,それが原因で息子が出ていってしかも亡くなっている記憶が最後に戻っている。さらにアクセルは妻を許せないからか,墓参りを許さないことで彼女を罰していたかもしれないということを白状していた。思い出さなければベアトリスがラストシーンで死ぬまで仲良くやれていたのに,そう簡単には終わらせない作者だなー!しかし,忘れてしまったからこそ2人仲良くやっていたのも事実で,今では不貞などささいなことで,年月が自分たちを徐々に変えていった,だから愛情は嘘でないと語る。こう書くと伝わりづらいんだけど,アクセルが妻を愛しているというのが本当にひたすらブレない。てか,妻と比べて,アクセルってずっと精神的にブレがないかっこいいキャラである。アーサー王の甥との対比で,神にも近づく偉業を成し遂げるのを選ばず,ただ妻を愛することを選んだ男だもんな。

こう書いていて思ったけど,死のメタファーである島渡り(たぶん)の際に,あえて「死んだ息子の墓参り」にした意味はなんだったんだろうか?そこは単に「島に渡って息子に会う」でも良かった気もしなくはないんだが,妻を許せない気持ちを強調するために必要だったのだろうか。しかし向こうに行って会えないということを2人はうっすら感じている気がするよ。死んだら終わりというメッセージがひしひしと伝わってくる。冒頭では「島の向こうでも強い愛情で結ばれていれば,一緒に暮らせる人たちは稀にいます」ということを船頭が言っていたと思うけど,ラストシーンではベアトリスに聞かれるまで「忘れていましたよ」と言うあたり,夫婦で暮らせる人たちがいるなんて嘘なんじゃないかなと思った。人生は死んだら終わりでしかなくて,天国だとかそういった類の話は死にゆく人への慰めで,船頭の質問は自分1人で人生をゆっくり振り返るメタファーに思える。悲しいけど,最後のアクセルとベアトリスのやりとりから,神的なものを信じていそうなベアトリスですら,もう会えないということはどこかでうっすらわかっているんじゃないかなと思うんだよね。カズオ・イシグロってそういう部分は無慈悲に現実を突きつけてくるな…。必死こいて生きろ!ってメッセージなのかもしれん。

アクセルが船頭を振り返らず歩いて行くラストは,妻亡き今,混沌とする世界でまだやるべきことがあると静かに燃える様子を表しているのではないか,という解釈がすごくしっくりくる。最初はなんて悲しい終わり方なんだー!と思ったけど,ちゃんと考えるとかっこいいしどの作品にも共通しているラストシーンだ。自分の望んだ状況にならなくても,その中でなんとか生きさせようとする終わり方。好きだなー。

遠い山なみの光』,『日の名残り』,『わたしを離さないで』,『夜想曲集』などの著作と違うのは,語り手の回想によって物語が進行するわけではないところ。彼の作品は「信頼できない語り手」と言われているらしく(最近知った),記憶想起の際に語り手の主観が大いに入るため,終盤になるにつれ語り手から見た世界と,作中第三者の世界の見え方があまりに乖離していて驚く。ここまで書いてようやく,この物語のメインキャラが老夫婦である理由がわかった気がする。ラストシーンで,辛い出来事もその後の過程も含めて振り返るということが,これまで自分がどうやって生きてきたかを振り返る構図になってるんだな。これがもし若い人,例えばサクソンの戦士が主人公だったのなら,もっと民族間争いが全面に出ていて,社会へのメッセージをゴリゴリに投げかけそうな話になっていただろうなあと思う。何を忘れて復讐の連鎖を断ち切るか,これに対していろんな立場のキャラがいたのは,あえて作者自身の立場は示さないし,正解もわからないということなのか。本作では複数の登場人物によって語られること,現在進行形で話が進むことからずいぶん違う印象を受けたんだが,実は回想が重要な役割を担っているという点には変わりがなかった。

この本は民族間の争い,復讐と正義というかなり社会的な部分に踏み込んでいるように感じたんだけど,他の人はどう感じたのかな。いろんな議論を引き起こしそうな内容ではある。それにしてもカズオ・イシグロの感情を揺すぶってくる書き方,上手く言えないけど本当にすごい。読んでる間は考えさせる暇を与えないすごさ。本当にすごいな。すごいしか言ってない。

『ティファニーで朝食を』見た

中学生くらいのときに原作を読んだけど、ティファニーが何かすらわかってなかったのでほぼ記憶になかった。でも見て納得。これは中学生には何もわからん…!

奔放に男と遊ぶヒロイン・ホリーと、売れない作家のラブストーリーだった。

金目当てで男にくっついていくヒロインが、金なし作家に「今日はやったことないことしよ!」って言って、散歩したり10ドルでティファニーで買い物したり、図書館で自分の本があるとか言うとか駄菓子屋(?)で万引きするとか、無邪気に遊んでたと思いきやデート終わりにキスするとか萌えポイントがすごいんだけど。だが!何か男性の言葉に引っかかってしまう点はあるし、容姿に恵まれた故に絶妙にトラブルを引き寄せるヒロインとか、今見てしまうと純粋なラブロマンスとして見れない点はあったかも。まあでもそこは気にしながら見れば時代の流れを感じるくらいで、本筋のラブストーリーとしては全然古臭くないと感じた。デートシーンまでがちょっと長い気がするが…。

あと、作家のパトロンの金持ち女性が別れを切り出されたとき、小切手を書いてさくっと別れようとしたのに、いかにも「若い男が好きなオバハン」みたいにされてたのが切ない。お互い表面上はウィンウィンな関係とわかっていながら関係を持ってるやつだ。たぶんだけど2人とも付き合ってたときはお互い好きという気持ちはあったから、終わってしまったことの悲しみがあったんじゃないかとか思ったよ。立場と金だけを見ていて、結局人としては見てなかったんでしょ、とお互いが思い合ってるやつな。いつか終わる関係が終わったときの双方が傷つく現象に名前をつけたいわ。

 

2024.10.18 追記

原作を改めて読み直した。ところどころ内容が違う他、結末がだいぶ違っていた。原作の終わりの方が好きだな。映画のラストは2人が結ばれた風のラブロマンスらしい終わり方だけど、原作ではホリーが失踪・一度だけ作家に手紙を送り、彼は捨てられた猫がどこかの家で静かに飼われているのを見つけてホリーの安寧を願って終了する。自由気ままにいたいホリーらしさが原作では一貫しているし、ほろ苦い思い出としての回想感が出ていて素敵。

【9月】読んだ小説メモ

あっという間に9月になってしまい恐ろしい。ここ最近,研究会やら何やらで忙しく,小説を読んでいる場合ではないという気持ちだったが結局読んだので今月も感想を並べてみた。今ハマってるので島本理生氏満載です。ネタバレしてますのでご注意ください。

【よだかの片想い/島本理生

恋愛慣れした年上映画監督と、顔にあざのある大学院生の初恋!みたいなことが書いてあるから、悪い男に女の子が振り回される話か…?と思ったけど全くそんなことなかった。女の子の実家でお母さんに「お付き合いしてます」と言うくらい真剣に付き合っとった。ポップで読みやすいながら、顔という超絶センシティブな話題で傷ついた心を優しく塞いでいってくれるような感じがとてもよかった。学生時代のアレコレで他人と比較され,地味な自分に嫌気がさして「恋愛なんかくそくらえだ!」になってあえてキラキラした生活から距離を置いて他のことに没頭していた全人類におすすめ。主人公のアイコさん、途中まで君は私かと思ったよ。物理部で物理学科へ行き博士課程まで進学したあなたは最初から精神的に強かったし監督との恋愛を通して成長したし偉すぎる…。

それはともかく、この小説には自分の辛さが刺さるポイントと素敵な描写で刺さるポイントが散りばめられている。私はまず冒頭から衝撃を受けた。小学校で顔のアザをからかわれ、それに怒った教師の言葉によって傷つくシーン。自分のアザは悪いものなのだと、そこで初めて刷り込まれる悲しみ。良かれと思って言ったことが相手にとっては重いコンプレックスになってしまう様に心当たりがありすぎて辛い。人の見た目については善意でも本当に言ってはいけない

【夜はおしまい/島本理生

『二周目の恋』の持つそこはかとない温かみにすっかりハマり,島本氏作品を買いまくった。あらすじに「数合わせで出場させられたミスコンの順位は8人中8位で…」とか書かれていたら,中学生のとき通りがかった同級生(?)とかに「別に全然かわいくねーじゃん」とか言われていた自分的には読むしかねえとなってしまう!!!!クソのような思い出すぎる。このような体験をした人々は元気に生きてほしい(私は長年こういうことがありすぎて性根が歪みまくって今困っている)。初めて恋人ができたとき,しばらく「かわいいと言われたことねえ,やっぱり外見だめってことかなあ」と思って病んでいた自分は,相手が中身を見てくれているのにこんなことを思うなんて異常かもしれないと思っていたが,この本を読んでそうやって病んでも別に良いんだと思えるようになった。綺麗な人だと違うのかもしれないが,周りに否定されたりどうでも良い人だという感じで素通りされる環境に慣れていると,誰かに肯定されるのがなんやかんやで安心する。しかしこれが良いかと言われると良くねえよね。まず誰かの見てくれについて一言も言うな(自戒を込め)。

内容は、キリスト教司祭の金井さんという人を中心にゆるいつながりのある短編集。語り手の女性たちは,いわゆる都合の良い女として扱われていたり,おじさんの愛人として稼いでいたりで搾取されていると見られがちな立場が多い。女性の身体を生まれてもってきたことに対する向き合い方がメインテーマだとするなら,もう一つのテーマは信仰かな。このへんは私はあんまりピンとこなかったんだけど,世間的にダメとされること・悪いこととわかりながらやっている事柄に対する折り合いの付け方を祈りと呼んでいるのだと解釈した。自分にはどうしようもない問題に直面して,頭と心が分離しそうなときの拠り所とも言えるかもしれない。とにかくどれも読んでて心が苦しすぎるんだが,不思議と読めてしまうんだなこの人の文は。特に最初のミスコン強制出場最下位ネキが,完全に悪い男につかまってしまって不本意な性交渉をさせられるシーンとか「そいつの下半身蹴り飛ばしちまえ!!!!!!!!」になるんだけど,彼女の心情なんか見てると「我々が勝手に彼女を可哀想にしてるだけでは…?」と思うわけだ。「もしかしたら自分にも日が当たるのかも」と期待したミスコンでドベだったら,ちょっと見た目の良い人に声をかけられて騙されてるのがわかっていたとしても,ちょっとかっこいい人に必要とされているという安心感で自分の価値はあるって確認できるもんな。一見騙されているようにしか見えなくても,それは実はお互い利用し合ってるとまでは言えないかもしれないが、自身が望むならwin-winな関係かもなあ。たぶん勝手に可哀想とか言っている側が一番何もわかってない。コンプレックスに思っているところを慰めてくれる誰かがいたら,頭では騙されてるなあとわかってても,自分が必要としてる言葉をかけてくれる相手には心を許すし,優しくされたらどんなに苦しくても離れられないものだし。なんで人間って誰かに価値を認められないと辛いんだろうね。

性的に破滅的な行動をしてしまう場合,女性だとなんか可哀想という感じにされがちである。女性は奪われるという役割しかないのかなあ,もやもや,みたいな気持ちがうっすらずっとあったんだけど,いやそうじゃないだろと必死にもがいているような印象を受けている。ただ生まれもった身体的な特徴だけで,奪って良い側の性だと勝手に言うな,という訴えだと私は感じて,勝手に元気になった。生まれ持った自分の体について他人にとやかく言わせない。そういう願いはきっと多くの人にあるはずだと信じる。

 

【私たちは銀のフォークと薬を手にして/島本理生

アラサー女性と年上男性がのんびりおいしいものを食べる平和な小説です(嘘)。島本氏の中ではもしかするとけっこう明るい雰囲気なのでは!知世と椎名さんという落ち着いた真面目な人たちの組み合わせが良い。しかし島本氏の作品だからタダでくっつくわけではなく,椎名さんはHIVということを小説のけっこう序盤で自ら知世に告白し,付き合えないとやんわり突き放す。んで椎名さんを良いと思ってた知世がショックを受けるわけだけど…。あ〜タイトルの薬ってそういうことか!と。椎名さんの優柔不断さと優柔不断故の優しさが,くっつきそうでくっつかないという展開に妙に馴染む。まあ別にこのままおいしいもの2人で食べ合うのを読者は読まされててもいいんじゃない,みたいな。島本氏,人を描くのが本当に上手い。

エピソードが短く紡がれていくタイプの短編なのだが,知世視点だけでなく友達・(毒)妹など他の女性の視点からもいくつかエピソードが描かれている。これがまた,上手くいかない婚活,特に付き合うでもないのに誘われたら寝てしまうなどどっかで見たような話が不快感なく読めるという感じで面白い。おそらく妹が多くの読者に強烈な印象を残しているあろうでキャラ。手のひらで潰したみたいな顔(知世友人談)なのに妙に自己評価が高く,姉を常に馬鹿にした態度をとる。それに母が乗るものだから止まらないのだが,その妹視点から見ると彼女は彼女で毎日満たされない心で生きてることに気づく。夫がやけに冷たいというか,干渉してこないとかね。妹視点の話なので自分の行動が人に与える印象とかは全く考えていなさそうなのがちょっと面白い。同じ団地の人に無駄にキツイ言葉で注意してビビられるとか,女友達は1人しかいないとか,夫から「ちょっと性格悪いと思う」と言われるとか,自分も気をつけよ…となる描写満載。でも憎めないのがすごいとこだな。ラストで夫を残して家を出ちゃうなんて逆にスッキリしてしまった。この話,後に知世が「妹と子供も誘って旅行に行こう」と思うときに,読者がいらっとしないためにあったんじゃないかとすら思ってしまう。ひどい人でも誰かにとって誰かは大事な人なんだなあ〜。

あとホルモン食べる描写美味しそうすぎる。食事の描写がめちゃくちゃおいしそうで良いです。

【Red/島本理生

(以下性的な表現があるので注意)もうずっとあ〜〜〜!!!!!!!って感じ。恋愛小説というより,家族に縛られてると感じたことある人向けって感じがした。読んでるのツラミすぎるが続きが気になり,登場人物の心情が気になり,めちゃくちゃ読まされる。大手勤めイケメンとの幸せな結婚・かわいい子ども・姑との良好な関係。だがセックスレスである!出産してから夫が何もしてくれない!でも自分はさせられる!そして夫がマザコン(これ個人的にはエピローグの手紙で自覚しているのが泣ける)!

で,昔の年上の不倫相手と再会して不倫してしまう。自分はもう家庭があるからダメだと何回も言いながら。しかもそれが遊びって感じじゃないのが苦しすぎるんだよなあ。夫君今動かないと手遅れだよ!!!!!と夫君が出てくるたびに思う。お前!ホテルの方行くと見せかけてコーラ買って一気飲みしてんじゃねえ!!!!!!子供の面倒は母親に任せずに1日くらい自分で見ろ!!!!!!!そこで母親に屈するな!!!!!!と。まあ全部失敗しているのだが…悪意がなさすぎるから余計悲しい。

セックスレスってそんな問題なの,と思っていたけど,そうなってしまうにいたるまでがたぶん大問題なんだと。島本氏,他作品でもこの問題にけっこう切り込んでいるイメージ。塔子が男性に触られるのが苦手って嘘ではなく言っているし,たぶんずっと人に気を遣って,自分が母という役割でしか見られなくなって,だからそれ以前の自分として見てくれる人に惹かれてしまったんだろう。惹かれたというか,癒されたというか。別にそういう関係じゃなくても,自分が背負ってる役目から降ろしてくれる人ってたぶん依存しちゃうだろうなあ。夫が浮気性だったら,姑の性格が悪かったら,こんなに主人公の塔子が窮屈に見えてしまうこともないんだと思う。作品の中では本当に誰も悪意がないから,余計苦しい。

あと鞍田さんにめちゃくちゃ気持ち良くされてるときに,体の底から言葉が湧き上がってきて「好き」って言っちゃう描写好き。これ悲しすぎるよな。夫がいるから言っちゃいけないって一応わかってそうなところが余計悲しい。体が先なんやな〜という感想しか普段なら持たない気がするけど,そこに至るまでの塔子の寂しさやらそれを埋めてくれる鞍田さんの優しさやらで完全に塔子目線でしか見れなくなっているので…。

鞍田さんの気持ちが全くわからなかったけど,金沢出張行ったら雪で足止めくらってる塔子に必死に会いにいくとこで,わあガチだ,と胸が熱くなったな。病気が再発したから命懸けて会いに行くって好きじゃないと無理だよな〜…。このへんのシーン周りでキーになってと思うのが,一瞬でも本気になれたら,ずっと続かなくたってそれで良いじゃんの精神。なんとなく何事にも当てはまる気がするし,この2人の関係性が嘘じゃないって慰めな気がしてなんか好きです。

そんな胸熱な話をしておきながら(?)エピローグからの夫の手紙はさすがに泣いてしまう。マザコンであなたと以外付き合ったことないから,女性のことがわからない。あなたが僕を愛してなくても,あなたには本当に幸せになってほしい。これもし自分が塔子でこの手紙読んでたらマジで罪悪感で立ち直れない気がする。当の彼女はこれ読んでから鞍田に最後の挨拶をしに行くわけだが。塔子視点で紡がれる本編ではわかりづらかったけど,彼女はかなり強かだし,エピローグの娘視点になってから,自分1人で生きていける感じに突き放された感じがしてけっこうぞっとしてしまうのであった。ずっと傷つけられる側だった塔子が,いつの間にかエピローグでは娘も含めていろんな人を傷つける側になってて,大人になりきってしまうと自立心って無意識にいろんな人の心を傷つけてしまうのかもなと思った。まあでも誰かと生きる限り絶対に傷つけるし傷つけられるよね。仕方がない。

 

【若きウェルテルの悩み/ゲーテ

言わずと知れたゲーテ先生の名著。実は7年くらい前に読んで、文体の格調高さと、主人公ウェルテルくんの友人に宛てた手紙によって進行する話のわかりづらさにやられてしまい、面白さを1mmもわからず友人に譲ってしまったのであった!しかし4か月前、石谷春貴さん目当てで見に行った朗読劇がウェルテルで、「めちゃくちゃ面白いやん!」となってもう一回買い直した。結果、今回は楽しめました。ウェルテルくんが人妻ロッテちゃんに恋をして、気持ちが暴走して自ら命を絶ってしまうという話である。朗読劇を見たときは、銃で自らを撃つというラストがあまりにも「うわかわいそう…」という感じだったんだけど、原作はむしろウェルテルがロッテに(無理やり)キスしたことで、「じゃあもうこの気持ちのまま神の元へ行けばロッテは永遠に自分のものだよね〜(意訳)」といった感もあったので、ちょっと拍子抜けした。当然それは人妻を好きになってしまったことに対する悩み・苦しみが生んだ行動であったわけだけども。まあとにかく人を好きになるときのエネルギーというものはすごいし、狂気だなと𝓞𝓶𝓸𝓽𝓽𝓪...。たまにある事件なんかも、暴走した気持ちが自分に向くか相手に向くかでだいぶ結末変わるよね。ウェルテルは自身が目指す気高き人間像というものがはっきりあるように思われたので、ロッテに手をかけるということもなかったのだろう。たぶん。

ていうかロッテ、ウェルテルが自分への思いでおかしくなっていくのを見ておきながら、自分の知り合いと結婚させて、良き友人として近くに置いておきたいと思っているのちょっと怖いよ。

『きみの色』を見た

見ました。タイトルそのまんまや。山田尚子さんと吉田玲子さんのタッグは強かった。ネタバレを含みます。

 

めちゃ〜〜〜好みだった。まず絵がきれい。テーマも好き。曲も良き!テーマは割と大人向けかも?人に色が見える共感覚を持つトツ子ちゃんが,憧れのきみちゃん(きれいな色)が退学してしまったのを探すうちに,るいくんとともに3人でバンドを組むことになって卒業までの束の間,一緒に過ごすお話。

ポスター見たときは「え,このほんわりした絵柄でバリバリのバンドって感じなのか」と密かに度肝を抜かれていたんだけど(密かとは),当該シーンを見てええやんええやんになった。度肝抜くって言葉,うるさそうすぎてウケ。

やっぱりオリジナル映画なので,登場人物がどんな人だろと思うのが先で話に入り込むまではやや時間かかるんだけど,そこらへんまっさらな気持ちで見られるのでそれはそれで楽しかった。トツ子ちゃんが人に色がついて見えるタイプの共感覚なので,もしかしたらこの絵柄は彼女の目を通して見える鮮やかな色がついた世界か,と思ったり。

ラストで,船で出ていくるいくんが投げた色とりどりのリボンが青空に舞うシーンがめちゃくちゃ素敵だったわね。なんて静かに終わるんだろうと思った。きみちゃんがるいくんに向かって「がんばれー」って叫ぶのも良かったな。きみちゃんは(たぶん)自分の意思で退学している一方,るいくんは親の病院を継ぐために自分の意思とは少し違うところで,大学に行くことになる。この対立がかなりきれいだなと思っていて,自分が100パーセント望んだ通りの道じゃなくても,どうか負けないでくれという気持ちをきみちゃんの叫びから勝手に感じていた…。

物語全体を通して,秘密を抱える自分を赦せるかということを問われているように感じた。あなたは善人ですかと問われて問われ続けて,でも最後は自分で自分のした悪い行いを受け入れてもいいんだよっていう優しさを感じた。私は全く詳しくないが,通ってる学校がキリスト教系であるらしいことからも,テーマはわかりやすいかも。

メイン3人が,勝手に学校を辞めたことを育て親(祖母)に言えない・人に色がついて見える・親に秘密でこっそりバンドをやるなど,各自秘密があって抱え込んでいるんだよね。側から見てると,そりゃー勝手に退学しちゃやばいぜとか,こっそりバンドやるくらいなんでもねえぜとか比較しちゃうんだけど本人からしたら関係ない。バレたらやばいって瞬間,あるよね(小学校にあがったのにおねしょして夜中に目覚めた日とか)。しかも秘密を隠す相手が自分の大事な人とかだったら尚更…。

日吉子先生の「あなたは人を欺きましたね」でどきっとしちゃうんだけど,「でもその嘘はあなた自身も傷つけました」が優しすぎるわね。きみちゃんが寮に忍び込んでしまったことに対して,「償うチャンスを…」と優しさを見せているのも,これは大人じゃないと意味がわからないかもしれないなと。だって普通は違反して罰が回避できるならラッキーだもんね。ちなみにこの怒られシーンで,きみちゃんが夜中に寮ではしゃいで塗った青のマニキュアを服の袖で隠すシーンめちゃくちゃ良いです。ていうかこれ,リアルにやる。人に怒られてるときとか「こんな爪にしてる時間があったら自己研鑽しろだよなごめん…」となるし。ルール破ってはしゃいでた自分が恥ずかしい,とんでもないことをしてしまったなという気持ちになるよね。このへんって刺さる人には刺さると思うんだけど,自分が10年前そんなこと思ってたかと聞かれると微妙かもしれん。彼女らは秘密を打ち明けて自分を相手に見せたし,自身の行いを償うチャンスもあったけど,世の中決してそんなことばかりではないし,償えないことの方が多い気がしている。例えば自分の機嫌が悪くて誰かに当たっちゃったとして,後で謝ったり妙に変な風に機嫌をとったりすることが相手のためになるわけでもない。でもそれをわかった上で,なかったことにしてしまうのではなく,抱えて生きていくことこそが自分にとって大事なのかもと思うなど。まあ要は自分が病まない程度に反省して生きろってことかもしれん。

【8月】読んだ小説メモ

読書の夏!!!!!暑すぎるため,クーラーの効いた部屋で部屋に篭って本を読む日々。日本で40°超えの地域が続出しているのが恐ろしいが,一体20年後の地球はどうなっているんだろう。「80まで生きると仮定したらまだ自分は生きてるから夏って怖い」と考えるのは夏の風物詩である。地球がアチアチになりすぎて人間が滅んだ後の世界に思いを馳せ「いかに良い小説も論文も文明がなくなったら意味を成さないんだ…」と切ない気持ちになるのもまた夏の風物詩。そんなことを考えると,ではせめて自分は好きに生きようという自暴自棄でありながら希望に満ちた気持ちになるが,日常に戻ると「社会の中では好きに生きれないよ〜」という気持ちに負けてしまうところまでがセット。しょんぼり。やはり地に足をつけて明日の飯のために地道に働くのが健全かもしれない。

久方ぶりに読書習慣が戻ってきたので8月も小説の感想を残すことにした。昔は人の暗い部分を真剣かつ抽象的に論ずるような本をよく読んでいた気がするが,院生になったあたりから趣味で抽象的議論に向き合う体力がなくなってきた(そんな趣味があるかい)。近頃は「人間関係って面倒くさいね」という身近な話を秀逸に書いた小説に共感することで,ストレス発散とか不安を解消する方向にシフトチェンジしてきたかもしれない。これもある意味,地に足がついてきた証拠ということにしておく。

以下の作品のネタバレを含みます。

 

【息が止まるほど/唯川恵

恋愛関係で苦しみを抱えている女性たちが主人公の短編集。恋愛小説といえばかつては「どうせデロデロに甘いことが書いてあるんだろー!!!!」というキモ・オタク全開の逆張りで絶対読まないようにする時代もあったのだが(逆にコンプレックスが強過ぎて怖い),本作は実は真逆と言っても良い気がする。登場人物は不倫現場を見られたOL,より好みをしていたら40手前になってしまった美人,結婚式当日に夫に逃げられた新婦など…。言葉にしてしまうとありきたりな話に見えるが,実はそれぞれサスペンス風味であったり,予想しなかったどんでん返しがあったりと,様々なしかけがあって面白い。もちろん女性たちの気持ちの描写も秀逸だ。タイトルからして甘々でほろ苦い大人の恋愛小説っぽいが良い意味で期待を裏切られた。寿退社が当たり前とされる時代背景などに若干の戸惑いはあるものの,おすすめ。

この中の一作『雨に惑う』の地味で冴えないと言われる主人公・ヨリコがけっこう好きであると同時にけっこう嫌いだ。内容は,満員電車の中でヨリコが若い女性に濡れた傘を押し付けられたことを注意したら,逆ギレされたために腹が立って嫌がらせをしてしまうという筋書きである。これだけ見たらなんて最悪な主人公だと感じるが,正義感故の憤りであったことが,会社内で自分だけ理不尽に注意されることへの怒りがあったことなどからも読み取れる。彼女の怒りには「社会の理不尽さ・厚顔無恥な人間は理不尽を被らないのは許さない」という正義感が常に潜む。確かに自分も,濡れた傘が当たってしまったら不快だし,傘を地面と水平に持ってぶんぶん振りながら歩く人とか,隣に人がいるのに盛大に足を組んで座る人とかがいたら説教したくなった経験に覚えがある(怖いから説教はしないけど,不快な顔くらいはたぶんしている)。

この短編は,自意識過剰度マックスな中学生のときに読んでたら首もげるくらい頷いてただろう。かつての自分は,公共空間で他人を顧みない行動をする人がいたら,その不利益を被るのは自分であることへの怒りばかりに支配されていた気がする。そんな怒るなら自分から嫌だと言えよ,と片付けるのは簡単だが,自分の容姿の醜さが枷になって言えなかった。そんなあまりにも唐突な,という感じだが,例えば学校。イケてる人たちが支配する教室で,冴えない自分が目立つ発言をしてしまったら,言ってる内容が正しかったとしても集団から外されてしまうのではないかという怖さが常にあった。そしてなぜ同じ人間なのにそんなことを気にしないといけないのだ,という怒りもあった。そういうことが積み重なっていつの間にか美しくて無邪気な人々に腹立たしさと嫉妬を感じるようになったのかもしれない。たぶんこれは単なる僻みとして笑われてしまうものだけれど,じゃあなぜ自分だけが生まれたときから人を僻んで生きることを決められてしまったのだろう?

ひとりで生きてゆくことは、当たり前のように身についていた。美しくもなく、可愛げもない自分には、そうすることが生まれる前から決まっているように思えた。

「よりによっての、よりこ」

これが小さい頃のあだなである。いつも仏頂面で不機嫌そうな顔つきの依子は、席替えでも、フォークダンスでも、組む相手には必ず言われた。それが身に染みている。

このへんを読むとめちゃくちゃ苦しくなる。こんなことを言われて人を恨まず生きていけるだろうか?容姿によって人からの扱いが変わり,自分がどう振る舞うかを自然に決められていく。大半の人間はどう生きるかという方向性を,見た目によって決められてしまっているんじゃないだろうか。そう感じたときは他人に何を言われようと,性格とか行動をなんとか自分で変えていくしかないのだけれど,何歳になっても見た目でとやかく言われ,勝手に評価されて型にはめられるのはあまりにも苦しい。他人の感じ方は変えることができない。ヨリコは確かに人を僻みすぎているし,自意識過剰な部分や人のせいにしすぎる部分がおおいにある。まして見知らぬ女性へ嫌がらせなんてあってはいけないことだ。だけど彼女を責めることは私にはできない。これはいつかの自分だし,今も自分が飼っている一面で,それを否定するのは社会にある理不尽を認めることだと思うから。激重感想になってしまったが,自分がいつも感じている理不尽とやるせなさを,的確に指摘してくれる作品のうちのひとつだった。

 

【とける、とろける/唯川恵

こちらも短編小説で,女性たちが主人公である。作中のどの女性も,どこか人生で満たされない部分を良くない満たし方でどうにかしてる感じの内容。そんなこと書いちゃって大丈夫かというエロシーンの連発である。唯川氏の著作は,まどマギもびっくりのタイトル・表紙詐欺が多いのかもしれない(もちろん良い意味で)。これを世に送り出してくれた作者の勇気がすごい。何がって心理描写がすごい。わかる人が読めば「その場面でそんなこと思ってるのを世間に大公開してしまっていいのか!おしまいだ!」という恥ずかしさがあるし,わからなければ「え〜そこでそんなこと思ってるの,キャー」と乙女チックになるし(?)。エロ漫画だとそのへんを描くことが主題ではない気がするので,そことコントラストがはっきり出ている本作大変良いです。全体を通して『息が止まるほど』よりも言葉が甘めでありながら,少女漫画的キュン要素はない。キュンの代わりに毒が仕込まれている。

基本的には登場人物は悪いことばっかりしているので褒められたものではないのだけれど,かっこいいなあと思ってしまったのが『スイッチ』の千寿。地味で男っ気もないことから,会社の同僚から散々マウントをとりやすい相手とされているのだが,彼女は気にしてすらいないあたり,勝手に優越感を抱いている同僚が気の毒ですらある。千寿は1人で生活する幸せで満ち足りている上に,実はパートナーもいる。まあ相手は既婚者なんだけど,自身の生活には干渉してこないからこそ,甘い部分だけ享受できて幸せだという強かさである。しかもパートナーが脳出血で倒れたときですら,

私は私であり続ける。

そのことに,千寿は深く安堵する。

という感じなのだ。「自分の価値観を強く持たないと!」という強迫めいた焦りでもなければ,完全な無関心でもない。ただ,自分が好きなことは自分で決める・誰かに干渉されない生活に幸福を感じる,そういう自然な生き方である。同じ冴えない女性である『息が止まるほど』のヨリコが,自身が孤独であることに対して劣等感を持っていたとするならば,彼女は1人であることを善とするか悪とするかを判断する世界で生きてすらいない,といったところだろうか。この小説で彼女1人が異質で,現代のジェンダーフリーを目指す価値観ですら追いつかない境地がここにある気がする。2008年に書かれたというのだから驚きだ。おすすめなので1回読んでみてください。

 

【二周目の恋】

いろんな作家のオムニバス集。少なくとも文庫版は2024年に出版されていたらしく,シリーズもの以外で最新の小説を読むことがほぼない身としては,身に覚えがある単語が多く出てきてめちゃくちゃ新鮮だった。zoom,『同志少女よ、敵を撃て』,新宿の映画館,ロフトなどなど。やっぱり同じ時代に生きてる感出てくると,一気に小説が自分の世界と近くなったように感じて素敵。

【最悪よりは平凡/島本理生

妖艶で美人な女性に育つように,という意味で「魔美」と名付けられた女性が主人公。親がそんな名前つけるなんてまあまあヤバくて,開幕早々母親がインコを間違えて掃除機で吸い込んでしまったという話から始まる。「顔は和田で首から下が魔美」と男性から言われたり,家具の組み立てに来た人からキスされそうになったりと,聞いているだけで泣きたくなるような話が続く。上に挙げた話は実際にあったら(というかいくつもあると思う)注意喚起的な意味も含めてTwitterでバズってそうな話題である。島本氏の文体の特徴なのか,こういう傷つくようなことをけっこう淡々と書くというところに悲壮感を与えない読みやすさがある。『ナラタージュ』もそうだったが,性暴力への抵抗というテーマは意図的に含ませているように感じる。あと,魔美が二番手の女にしかなれないことからかけっこう簡単に関係を持ってしまうこととかも,性に奔放なのではなく心に積み重なった傷により人との関係性の作り方がわからなくなってしまった感がある。それはもう自傷行為と変わらないんじゃないかな。これ書いてて,男性と仲良くなってもすぐ変な感じになったり,触られたりして怖い,性別なんてなくなったら良いと言っていた友人を思い出した。友達としてもう接することができないのが辛いと言ってたことも。確かにそんなことがしょっちゅうだったら生きてるだけでものすごく疲れるだろう。相手の好意に対してどう返したら安全な反応が返ってくるのかとか,向けられた感情がセンシティブなだけに気を遣うだろうし。実際,好意を向けられても相手の感情が恋愛なんだかなんなんだか区別つかなかったり,そのときは精神が削られていたことに気づかなかったりする。嫌だと思ったことをなかったことにしたくて、自身の認識を変な方に歪めるとかも。例えば触られたことが嫌でも怖くて抵抗できなかったこと自体、誰かに知られたら自分が惨めになる気がするから言わない、相手をかばってしまうなど、他者から見ると歪んで見えることも多い気がする。

最後はハッピーというか,穏やかな感じで終わるけどなんとなく心配でもやのかかった感じが残った。岩井さんに魔美が救われてほしいけど,どうなるだろう。

【深夜のスパチュラ/綿矢りさ

女子大生がバレンタインデー前日にお菓子作りの材料を買って作って好きな男の子に渡す話。本当にたったそれだけなんだけど,思ったことをそのまま書き出す機械があったらこんな感じなのだろうか,と思わせるような心情の描き方が楽しい。

チョコあげて 軽く様子見 バレンタイン でお茶を濁すつもりだったけど

としれっと川柳を挟んでくる表現は,SNSなんかだとありそうだけど小説じゃあんまり見ない気がする。『蹴りたい背中』の頃も瑞々しい文章だったと思うが,しばらく読んでいなかったうちに綿矢りさだとはっきりわかる文章として醸成されている感がますます出てきたなと思った。この話,オチがけっこう好きだ。チョコあげた男の子の方が主人公より弱そう感がと良い。綿矢氏,女性がいつも強くて良いよね。

 

【フェイクファー/波木銅】

大学時代の着ぐるみ同好会のメンバーが亡くなったことをきっかけに,過去のサークルメンバーと会って昔を回想するような内容。メンバー同士が「もずく」,「キップ」などあだ名で呼び合うところとか,希死念慮ネットスラングにまみれた自称「弱者男性」のTwitterで有名な先輩とか,いかにも今っぽいサブカル感が面白い。大学時代のことを話しているところから,Twitterの世界と一歩距離を置いている表現になっていると感じた。あまりにネットスラングが自分と距離が近すぎて,内容が難しかったかも。主人公の性格も掴みきれなかったけど,かわいいものが好きで,擬態しているのが落ち着くっていうところがいかにも現代人っぽい。それと,冒頭を少し読んだ時点では語り手が男性か女性かがわからなかった。性別をあえてニュートラルに書いているのだろうか。表題と違って恋愛要素は薄かったけれど,かわいい!と思う気持ちや裁縫に恋しているみたいな,サブカルのごたっとしたイメージからちょっと離れた純粋さや素直さを感じた。着ぐるみ界隈は狭いから言動に気をつけなきゃとか,自由になりきれない閉塞感みたいなものも少しあったけど。

【カーマンライン/一穂ミチ

ハーフの双子の甘酸っぱい話。個人的にキュンポイント高め。内容は911とか2本だったら震災とかを扱っている上,バイリンガルの中でも2つの言語とも十分に自信のものとして習得した感のない「ダブル・リミテッド」も描いており,自身のルーツという点での辛さも描かれている。主人公は双子だけれど,アメリカ人の父親を亡くしてアサミは日本で,ケントはアメリカで育っているためにお互いほとんど面識がない。大学2年生のときにアサミのところに2ヶ月間ケントが来ることになり,最初はギクシャクしているけれど,だんだん両思いみたいな雰囲気になっていくところで胸がギュッとしてしまう。血のつながっている祖父母の冷たさ,父親が亡くなってしまったこと,5歳で急に日本で生きていかなきゃいけなくなったアサミの寂しさ…孤独に寄り添えるのは似た境遇のケントしかいないから,まあ恋愛感情らしきものも芽生えるよねと。

萌えポイントはめちゃくちゃに散りばめられていて,例えば同じ大学の男にアサミが絡まれたときに相手を追い払うとか,「好きでもない男と寝るなんて,自分を大事にしなきゃだめだ」と怒るとか,絵葉書に"I miss U"と書いて送ってくるとか。これでもか!というほどキュンとすることが散りばめられている。これ,アメリカ人だからストレートな表現がここまで萌えるのかもしれない。同じことを日本人がやってもちょっと違うような気もする。

ケントの好きな本をアサミにプレゼントして,全く日本語のわからないケントは同じ本の日本語版をどうにか読むことでアサミの苦しさを背負うと誓うシーンがとても良い。しかも内容が弟と恋に落ちる少女を描いたものという。日本語版を買いに行くシーンで,英語版も新しいのを買うか提案したときに「ケントのが良い」と言った勝気なアサミの健気さで心を打たれてしまった。

語り手はアサミだから素直に心情が描かれているはずだが,ケントへの気持ちははっきり書かれない。でも描写とか言動からなんとなく好きなのかなとわかるし(海遊館で指を絡めるのとか),実際にカウンセラーの人から血の繋がりがあるのにまさか違うよね?的な諌め方をされてキレちゃうとか,苦しさが伝わってくる。数年後にケントは別の人と結婚する。婚約者と彼に会いに行く飛行機の中のシーンで終わるんだけど,まあさっぱりしていて爽やかで良いものだ。理性がだめだというのと,好きという気持ちの間で引き裂かれそうになっても,とりあえず保留にしちゃうのも良いのかもね的な教訓(教訓か?)。最後でまだほんの少しだけケントへの気持ちが自分でもわからない状態で残っているような描写が少し切ない。冒頭も飛行機シーンで始まるので,たまに引っ張り出しては眺める宝物的な思い出に,きっとこれからなっていくんだろうな。これ少女漫画みたいな甘酸っぱさじゃん!

 

道具屋筋の旅立ち/遠田潤子】

良い意味で全体から狂気しか感じない!気の弱い主人公の優美が,自分のトラウマを克服する話だ。時代は平成2年。大学生の年下彼氏と付き合うOLの優美は全然自分に自信がなくて,158cmで40kgしかないのに太ることを恐れている。一方で彼氏は誠は優美の体型とか,口紅とか服装とかにとにかくうるさくてモラハラまっしぐら。冒頭から「男は男らしく,女は女らしく」と言うところとか,優美が頑張って選んだ口紅を「似合ってない」と言い放つとか,とにかく不安になる要素しかない。それでも「かわいい」と言われると弱い優美はまあわからなくはない。しかしある日誠に昔自分が太っていた頃の写真を見られ,罵倒されてしまう。マジでなんでこの男こんなに最悪なんだ。優美は子供の頃からひたすら食べないと自分は親から捨てられると思い続けてきた故に,食べることに対する恐怖がある。優美がこうなったのも,妊娠させられて不本意な結婚をした母親が,父親に異常量を食べさせてじわじわ殺すということに優美が付き合わされたからだ(そして父は本当に死んだ)。家族の食事のシーンは壮絶で,一度食事をした後,丸々太った父親にもう一度食事をさせるためとんでもない量が出てくる。「残したらあかんよ」という母の言葉で無理やり食べる優美視点の食卓は,グラタン,ポテトサラダ,ケーキですら地獄の光景だ。二郎系で頼みすぎたときの絶望を思い出してしまい,こっちまで胸焼けしてくる。

優美も優美の母も,ある意味誰かに自分の体を奪われたようなものだ。母は夫を消すことで,モデルとしての自身の人生を取り戻した。優美は自分の意思で大食い大会に出て大食いをすることで,自分の食欲は自分で決めていいことに気づく。しかし最後までとんでもなくて,男は男らしくというスタンスだった誠が実は女装に憧れていたことを優美が知ってしまい,それを本人に直接伝えるのだ。好きな格好をして良いと。秘密のつもりだった誠,しかも自分より下の存在と勝手に見ていた優美からこんなことを言われたら青ざめるだろう。この立場の逆転が気持ちよくてたまらない。でも単にすかっとするだけではなくて,誠に「化粧や服のことは教えてあげるし,力になれる」と言った優美の優しさがラストの爽快感に必要なのだ。特にこの時代に育った人たちは,男女はこうあるべきみたいな考え方がけっこう強いと感じるからこそ,窮屈さを感じている人たちにとっては救いの言葉であるかもしれない。我々はもっと自由に生きていい!!!!!

【無事に、行きなさい/桜木志乃】

アイヌのデザイナーであるミワとシェフの話。ミワが淡白というか、デザイナーとしてかなり優れているので、シェフの男が付き合ってるのにどこか距離を感じるみたいな話かと思われる。悲しいが自身の読解力が足りず内容がよくわからなかった…。2人は恋人どうしだと思うのだが、恋愛の浮いた感じは一切感じられず、大人の恋愛ってこんな感じなのか〜と思うなど(?)。途中で出てくるバイトの大学院生の女性がミステリアスすぎたな。彼女がキーパーソンだと思うけど、彼女の存在によって、ミワがどういう人なのかとかあまりわからずだった。文体は静かで素敵な感じ。

 

【海鳴り遠くに/窪美澄

夫を亡くした未亡人女性、海辺の別荘地で静かに暮らしていたものの、近くに別荘に滞在しにきた若い画家の女性と恋に落ちてしまい、春までの短い時間を共に過ごす。亡くした夫を思い出しながら、自分は女性が恋愛対象である事実を受け入れていくこと、近所の目を気にして素直に女性の恋人と一緒にいられない様子などが描かれる。物語終盤で、画家が怒って半分喧嘩別れのように別荘地から出て行ってそのまま音信不通になってしまうが、結局は主人公の方が耐えられずに人目も憚らず新宿で彼女を探し回る、という変化が好きだ。女性同士の恋愛に素直になりきれない主人公と、そこに苛立ちや悲しみを感じる画家のすれ違いがありながらも、好きという気持ちをとった主人公が画家に受け入れられるという流れが良き。あと夫がいた(いる)人が恋人を作ったとき、けっこうな打率で「私とのことは遊びなんでしょ!」と恋人に怒られシーンが出てくる。これは決して「この人とはちょっと楽しいことできたらまあそれでいっかハハハ」的な心情ではなく、「相手のことは好きなんだけど今の生活をすぐ変えるのはきちぃ〜〜〜」という、どっちつかずな状態で上手い立ち位置にいようという魂胆のことを遊びと責められているのだなと気づいた。モテないオタクの感想や。

 

マディソン郡の橋/ロバート・ジェームズ・ウォラー

田舎に住んでる人妻が、夫と子供不在の間に素敵なフォトグラファーと4日間だけ一緒に過ごしてしまいましたなお話。そこだけ聞くとやべ〜んだけど、小説だとめちゃロマンティックに書かれているんだよね。お互い4日間のことは死ぬまで胸に秘めているし会うこともないんだけど、双方が運命の相手だったということを確信して何十年も生きてた様子が、フランチェスカが子供に宛てた手紙から発覚する。自分が子供の立場だったら耐えられねえ…。妻が他の男に心奪われた状態なのを知りもしないで亡くなった旦那さんよ…という気持ちにまずなってしまうんだが、知ったら知ったで地獄すぎるので良かったのかもしれない(?)。惹かれあってる様子は確かにロマンチックではあるんだが、それは人生で4日間しか会わなかったから燃え上がっただけでは?感が若干拭えないかなあ。このへんって文化の違いで感じ方が違うんだろうか。アメリカの文化とか宗教的な背景を知ってたらもっと違う感想を抱くのかもしれん。

 

【ツルネ/綾野ことこ】

京アニでやってたアニメの原作あったんだ〜と思って読んでみた。弓道男子たちが5人で弓道の大会に挑むって話なので、Free!と似たアツい感じなのかと思ったけどちょっと違うんですよね。まず主人公の湊が、自分の意思よりも早いタイミングで矢を放ってしまう「早気」という症状が出ているよろしくない状態なところから話が始まっている。湊自身は早気のせいで大会で勝てなかったと思っているところがあり、好きだった弓道を辞めるつもりだったんだけど、とある事故から湊に後ろめたさを感じている幼馴染の静弥が何度も湊を弓道に戻そうとする。その異様なまでの執着がすごくて、普通そんな嫌がる人を戻そうとしないだろう…と思ってしまう。結果的に湊は戻ってくるし、一見個人競技っぽい弓道はチームで行うものだ、誰かに背中を預けていいということに気づくまでになるというのが素敵ポイント。まだアニメ1期と原作1巻しか読んでないので続きが楽しみ。次はもうちょっと個々のキャラが考えてることがわかればもっと物語に入り込めそうかなあ。あと原作から弓道の説明のガチっぷりがすごいので経験者の人は読んだら楽しめそう。

【僕は勉強ができない/山田詠美

これ自分が高校生のときから気になってたんだけど、自身も勉強ができない子だったのでそれを肯定されてダメな方向に引きずられそうで、全く読めなかったんですよね。読んでからその判断が正しかったかもしれんと思った。高校生の主人公くん確かに勉強はできないんだけど、「良い大学に行くべき」とか「自分が男性から好かれる仕草をわかってやってる女の子」とかに対して容赦なく切り込む切れ味の鋭さがすごい。もし勉強できないだけの自分が思春期に読んでたら、人を斜に構えて見ることしかできなくなりそう(今もそうやろがいという気はする)。「お前は当たり前とされてることをちゃんと考えたことあるんか?」みたいなことをずっと突きつけられ続けるので精神に余裕があるときに読むのがおすすめ。学歴とか社会的地位にこだわりのある人とか私みたいにぼやっと生きてる感じの人が読んだら特にハッとするかもしれん。

【死神の精度/伊坂幸太郎

近いうちに死ぬことがふさわしいか,実際に対象に接触して判断する仕事を行なっている死神を描いた短編集。話どうしに緩い繋がりがある短編小説はハズレがないことがわかってきた。死神の話なんて聞いたらホラーかと思うがそういうわけではなかった。対象の人の死を可とするか見送りとするかを判断する存在ではあるものの,そのシステムはビジネスのように回っているという設定が面白い。死神の会社(?)にもしっかり情報部があり,実際に対象を見にいく部署もある。あくまで語り口は淡々としているが,クールなだけではなく「事態を甘く見る」という言葉を「味がするのか」と問うなど,ちょっとズレた受け答えをしているのがお茶目で,読者側からもこの世界が新鮮であるかのように映るという構造が作られているのが見事だ。私が一番好きなのは最後の短編で,これまでの話が回収される気持ちよさと晴天描写の爽やかさ,作中では実は何十年も経っていたことなどが一気に押し寄せるので「これはやられたな」と良い意味で思わされる。「勘違いによるすれ違いなんて人間の得意とするところじゃないか」という言葉も,素直に「ああそうだな」と思わされる。日々必死に生きていると,人との些細なすれ違いとかイライラといった些細な感情ばかりに足元を掬われてしまう。自分が死ぬだなんて,生きててそれほど意識することじゃないから退屈で平和で幸せな時間が延々と続くと勘違いしてしまうのだ。だから死を扱う死神からしたら人間の行動とは理解できないのだろう。たまには,人生の時間は誰にとっても有限であるということを思い出したい。ところでこの死神たちって,死という概念がないから永遠に働き続けるのかね。

 

【秘密/東野圭吾

弟のために殺人を犯してしまった兄,兄が殺人者であることで冷飯を食ってきた弟。弟想いゆえに兄は手紙を送り続けるがそれが常に弟の人生を邪魔するため,兄とは縁を切ってしまうのだが,その影では弟をずっと支えている女性がいて…というようなあらすじ。実は6月か7月に読んでいたが書きそびれてしまったのでここに追記(雑か)。職場の上司に「良い話だよ〜」と勧められて読んだが,無限の後味の悪さが残ってしまった。いや,話自体は良いしラストシーンも美しいとすら感じるのだ。だけど自分のこととして考えてしまうが故に苦〜〜〜い感じの後味が残る。読後,もはや誰が良くて誰が悪いかわからなくなってしまったのは(まず兄は事件を起こした時点で悪いというのは抜きにして),登場人物に対する善悪のジャッジが自分たちにもそのまま降りかかってしまうことで苦しくなるからだろう。例えば,殺人者の身内に対しては明らかな差別をしなくても,距離を置くという行為を良しとするか否か。作中では兄が刑務所に入った後,弟は飲食店で働き始めるが,兄のことがバレて店主から遠回しに煙たがられる。店主側からしたら店の評判もあり,当然そこには自分の生活もあるわけで全く責めることができないし,なんなら自分だって店主と同じ反応をすると思う。でもそれが弟の目から語られると苦しいわけだ。同じような話が延々と続く。辛い。何って自分も絶対に彼を苦しめる側になると思うからだ(もちろん弟側の人間にならない保証だってない,縁起でもないけれど)。そういうのがとにかく形を変えて最後まで続く。社長が言った「犯罪者の家族は差別されて当たり前なのだ,それも含めて贖罪なのだ」という発言も,私は最後までどうやって飲み込もうか迷った。あんまり本題に触れたくないんだけど,きっと触れないということが誰かを傷つけるんだろうな,という後味の悪さがずっと続く。題材が重すぎる。ミステリー作家と思いきやこういう話もしっかり書き切ってしまうのが東野圭吾氏だなあ,という締まらない感想で締めておく。ちなみに東野氏の作品だったら『さまよう刃』が一番好きです。こちらもテーマが重いけど。