登録日:2021/03/07 Sun 23:51:47
更新日:2024/10/09 Wed 20:13:52
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FNS27時間テレビとは、毎年7月中旬の土曜夕方から日曜夜にかけて
フジテレビ系列で放送される特別番組。
「
FNSの日」とも呼ばれ、制作はフジテレビ単独ではなくフジネットワーク(FNS)系列全局が担当する。
誕生からの歩み
第1回が放送されたのは1987年。『
24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(日本テレビ)のパロディ及びアンチテーゼが番組の根幹にあり、募金もチャリティー活動もしない、ただただお笑いだけをやる24時間の生放送番組として企画された。
この年はフジサンケイグループが東京と大阪で「夢工場'87」のイベントを開催しており、その連動企画として当番組が企画された経緯がある。放送が始まってから数年間は『夢列島』(初回から1991年までのタイトルが『FNSスーパースペシャル 1億人のテレビ夢列島』だった事から)という通称で呼ばれたり、日テレ同様『24時間テレビ』と呼ばれることが多かった。
チャリティーを行っていないため第1回の番宣広告や放送内では「募金は行っておりません」というテロップが出ていたが、第1回では、非チャリティーのバラエティ番組という事が理解されていなかったのか、開始した後すぐに勘違いした視聴者が小銭がぎっちり詰まったビンを河田町に持ってくる人もいた。
また、1993年・1994年の企画「全国〇×王座決定戦」の第1問目として出題された問題で「平成教育テレビ(当時の番組名)は募金活動を行っている」と自らギャグネタにすることもあった。
当初は1回きりの予定だったが、初回放送の平均視聴率が19.9%、瞬間最高視聴率は38.1%という高視聴率。これをフジテレビが1年で捨てるはずが無く、次の年からも毎年継続して企画・放送。以降も後述する中断期間を除き放送を続けている。開始当時の放送時間は24時間だったが、伸び縮みを経て現在は27時間30分にも及ぶ。
名目上は「FNS各局との連携による製作能力の向上」を目指しているため、地方局との中継企画やFNS系列局対抗企画が多く放送されるのが特徴であり、なおかつその各局も空回りと言わんばかりのドンチャン騒ぎで番組を盛り上げるのが名物となっている。
27時間テレビと銘打っているのも、FNSの業務協定に参加している放送局が27局であるのが理由。テレビ大分のみネットしていない。これは業務協定に正式参加していない事、さらに土日のプライム帯(19〜23時台)と朝・深夜のニュースが日テレ系からのネットとなっているため。
エンディングではその年のフジテレビ新人アナによる「全スポンサーの提供読み」が第1回から毎年続く恒例行事となっている。
フジテレビの新人アナウンサーは入社してから研修期間を経てこの番組で本格的にデビューするため、全国に向けての新人アナウンサーの顔見世という重要な役割も担っている。
各回のデータと出来事
- 第1回『FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島』(1987)
1987年7月18日21:00 - 19日20:54 平均視聴率19.9%
総合司会:
タモリ・
明石家さんま テーマ:「夢家族」
記念すべき第1回。「笑っていいとも」の名物コーナーだった「日本一の最低男」のオープニングテーマと共にタイトルがアニメーションするというふざけたオープニングで始まった。
当時ネットしていた24局が推薦する「夢家族」の元に山本晋也・片岡鶴太郎・所ジョージ・渡辺正行が生突撃する企画が目玉だった。この他にも早朝の神宮球場に人を集めてさんまと古舘伊知郎・森末慎二と一緒にラジオ体操をやったり、当時日曜の朝にさんまが本名の「杉本高文」名義で司会していた味の素提供のトーク番組「テレビくん、どうも!」の生放送スペシャル、「真夜中のサンコン探し」、具志堅用高、渡嘉敷勝男、輪島功一、ガッツ石松の4人を迎えての「夜明けの電話相談室」などといった企画が盛り込まれた。この時から「笑っていいとも!増刊号」の生放送やサザエさんも放送されていた。
上記の通り、ビンに詰めた小銭を持ち込んだ視聴者がいたりしたが、一番のハイライトはフライデー事件の謹慎から明けた
ビートたけしが深夜に突然登場。タモリ・さんまとトークを繰り広げ、以降お笑いBIG3として当番組および正月のゴルフ特番で数多くの伝説を作ることとなる。
グランドフィナーレでスタジオに来た薬師丸ひろ子とさんまが「ヘイポーラ」をデュエットした場面は、1996年にも映像が流され初期の27時間を飾る名場面になった。
番組テーマソングも作られ、松田聖子が歌う「夢のクレッセントムーン」(洋楽を日本語詞にしたカバー)が番組内で流された。なお、この曲は現在に至るまでレコードやCDになったり、配信も一切されていない幻の楽曲になっている。
- 第2回『FNSスーパースペシャル 1億人のテレビ夢列島'88』(1988)
1988年7月16日21:00 - 17日20:54 平均視聴率14.0%
総合司会:タモリ・
笑福亭鶴瓶 テーマ:「結ぶ(「Good Communication」)」
さんまがある事情(後述)で司会を断ってしまい、鶴瓶が務めることになった。
青函トンネルと瀬戸大橋の開通で本土が鉄道で繋がったため、JRグループ全面協力の下、東京六大学の鉄道研究会の学生たちの監修のもと特別列車を運行。当然トンネルの中や新幹線ホームでは映像が乱れることもあったが、列車内からも生中継された。
札幌駅と
博多駅から数チームに分かれた芸能人・文化人・当時のニュース情報番組やバラエティ番組で人気者だったフジテレビアナウンサー達が全国各地の駅や名所を回って東京・河田町にあったフジテレビまで戻って来られるように日程を組んだ。
博覧会ブームとあってそこのイベントコンパニオンからお土産をもらうシーンがあったり、各局推薦の「おもしろ人間」とも出会うシーンがあった。その「おもしろ人間」の中でテレビ西日本が紹介した一人が、当時大学生で、TNCでケーブルさばきのアルバイトをしていた松村邦洋。全国放送への初出演だった。中継のため小呂島へ行っていた片岡鶴太郎との出会ったことが芸能界に入るきっかけとなったという。
さらに、この回のみの番組イメージキャラクターとしてCGアニメの女性型キャラが番組中の提供テロップや本編でタモリ・鶴瓶とやり取りするCGキャラクターを登場させた。このキャラのネーミングを電話で募集し、『ノケゾリーナ』という名前に決まった。
名付け親は当時栃木県在住の女子小学生。しかしこのネーミング募集に電話が殺到し、電話回線がパンクしてしまうトラブルがあり、翌日の『笑っていいとも!増刊号 電リクスペシャル』で行う予定だった電話リクエストを中止せざるを得ないという影響も出た。
ちなみに『ノケゾリーナ』と出演者の会話にはタネがあり、最初から番組内で出演者が話す言葉を脚本家が書き、その返答が描かれた紙をオペレーターが見て、音声合成装置にキーボードから入力するという方法が使われた。
CGの動作は、丸型の携帯ラジオから内部の機械をすべて外して、動きを指示するためのボタンを付けたリモコンが使われた。リハーサル時にはCGシステムが故障するトラブルもあったが、本番では、予備のハードディスクを使うことで事なきを得たという。
深夜企画で進行役を務めるためスタジオにやってきた島田紳助が、「骨盤当てクイズ」で出てきた一般女性の恥骨をスプーンでたたくハプニングがあり、紳助は後年「今夜も眠れない」で「スタッフに怒られた」と語っている。これが影響したのもあるのか紳助は2005年まで27時間テレビへの出演が無くなってしまう。
グランドフィナーレでは出演者が泣き出すなど謎の感動に包まれた。
- 第3回『FNSスーパースペシャル 1億人のテレビ夢列島'89』(1989)
1989年7月15日20:00 - 16日20:54 平均視聴率14.7%
総合司会:タモリ・明石家さんま テーマ:「クイズ」
今回は野球中継が手前になかったため夜8時スタート・25時間番組となった。
全国各地のFNS系列局の対抗企画がこの年からスタートし、今回はクイズで競った。1局につき、FNS系列局で行われた予選を勝ち残った一般人の解答者2人と系列局のアナウンサー1人の計3名がフジテレビの第6スタジオで25時間通しでクイズを行った。
クイズはスタジオからのほか、当時放送されていた番組・映画やドラマの収録先、解答者の地元応援団、さらに小堺一機と関根勤のご存じ「コサキン」による移動中継、その他各コーナーからも出された。25時間で出題された数は全部で130問に及ぶ。
コサキン中継は新宿のスタジオアルタを出発地として『アルタ→タケシタ(竹下)通り』と次の中継先がしりとりになるように25時間東京近郊を回ってクイズを出した。対抗企画の初代優勝局はNST新潟総合テレビ。
各地からの中継出題ではハプニングが続出。日曜の朝、石川の寺院にある墓地から中継した際にはリポーターが「お墓に霊がウヨウヨしている」と発言し檀家から抗議の電話が発生。これについて昼の中継クイズで出場した寺院の住職が釈明した。
福島からの中継で登場した「ポチ」や現在報道記者になっているテレビ新広島の矢野アナウンサーの気弱なリポートは27時間テレビの名場面の一つになっている。
- 第4回『FNSスーパースペシャル 1億人のテレビ夢列島'90』(1990)
1990年7月21日21:00 - 22日20:54 平均視聴率11.7%
総合司会:須田哲夫・河野景子 テーマ:「おたく」
どのタレントからも司会を断られて人選がなかったのか、この回はなんと当時のフジテレビ局アナ全員で分担して進行を務めることに。ゲストに来た上岡龍太郎も思わず「経費削減に走りおった」とコメントするほどの冷め様だった。
テーマは「おたく」("家"と"マニア"を指す)。宅八郎など典型的なマニアが登場したり、フジテレビをはじめとするFNSの各アナウンサーが、全国の家を回った。
この年は初めて縦軸企画が登場し、「24時間以内に家を一軒建てる」という企画がミサワホームの全面協力の下で行われた。これは番組が始まった時点で土台だけ出来ている予定地に部屋ごと工場で組み立てたユニットを次々と積んでいく工法。そのうえ引っ越しまで済ませてしまおうというのだ。担当リポーターはご存じ「現場の東海林」ことワイドショーリポーターの東海林のり子。もし24時間以内に家が完成しななかったら「ハイレグ水着姿になる」という公約を立てた。結果、家は無事に完成して「ハイレグ水着」も封印。フィナーレで完成パーティーが行われた。
昼のBIG3の企画もスタート。第1回は『ビッグ3おたく座談会』と題して昭和30年代の家をイメージしたセットの中でかつて各々が住んでいたアパートの写真をもとにトーク。
当時、タモリが船舶免許を取得。この年の放送中である日曜早朝に「ヨット乗船中、額を強打し4針縫うけがをした」という情報が入ってスタジオをひやひやさせたが、当のタモリ本人は額に絆創膏を付けて『笑っていいとも!増刊号スペシャル』とBIG3コーナーに元気に出演。
この日からタモリは、デビュー当時から変えてこなかった「整髪料で固めた真ん中分けの髪型に丸い銀縁のサングラス」、そして『いいとも!』出演時の「7:3分けの髪形に茶色系レンズのサングラス」というスタイルを辞めて、オールバックの髪型と黒色系のサングラスにイメージチェンジした。
進行役の露木茂がコーナー終盤に、フジテレビアナウンサー(当時)の一員として不眠不休だったことや爆笑のあまり、よだれをこぼす失態を起こした。
FNS対抗企画は「全国美人妻コンテスト」。その名の通り、系列各局が推薦する美人な奥様自慢のコンテスト。優勝はテレビ静岡。
- 第5回『FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91 ~24時間ぶっ闘志~』(1991)
1991年7月20日21:00 - 21日20:54 平均視聴率11.7%
総合司会:桂三枝(現・六代桂文枝)・有賀さつき・八木亜希子 テーマ:「戦い」
この年、岩手めんこいテレビの開局で岩手県でも27時間テレビが見られるようになった。
通し企画は『東京さ行くだ!クイズ』。松本明子・牧原俊幸が札幌から、吉村明宏・木幡美子・太平シロー(
デーモン小暮のものまねで)が鹿児島からFNS各局の代表として一般人を大型バスに乗せ、各地で勝ち抜け方式のクイズをしながら東京を目指す企画。
北ルートは無事にゴールしたが、鹿児島からの南ルートは大渋滞に巻き込まれ河田町のフジテレビまでたどり着けず結果企画倒れに。
八王子のパーキングエリアに止まったバスの車内でエンディングを迎えることになった。
昼のBIG3企画は『BIG3闘いゴルフ対談』。スタジオに小さなゴルフ練習場を作ってゴルフ対決。
ここでたけしとタモリがさんまの自慢のクラブを壊そうと暴走したり、「誰が一番車の運転が上手いか」という事でフジテレビの駐車場でさんまのレンジローバーを使って車庫入れ対決をした時にはたけしが暴走して、さんまのクラブで車体に傷をつけたりブロック塀でつくられた車庫に激突したりして、さんまのレンジローバーはボロボロになってしまう。
以降毎年のようにおもちゃにされるさんまのレンジローバーであるが、本番組の影響でそれまで一部のマニアや評論家にしか知られていなかった同車の知名度が大きく上がることになった。
FNS各局対抗企画は「戦う!ビデオ大賞」。グランプリは岡山放送だった。
- 第6回『FNSスーパースペシャル1億2000万人の平成教育テレビ』(1992)
1992年7月18日19:00 - 19日19:58 平均視聴率19.0%
総合司会:北野武・逸見政孝 テーマ:「平成教育委員会」
この年から1995年まではたけしが日曜夜8時から『天才たけしの元気の出るテレビ!!』に出演していたため、夜7時58分終了となる。
「平成教育委員会」がメインとなったため、各時間を「教科」として授業を行った。
全国一斉模擬試験では福島の中継先で参加した男性にリポーターが何の職業なのか尋ねると、「百姓です」と答え、スタジオ中が大爆笑に包まれた。
お昼のBIG3企画ではさんまが前年の復讐を果たそうと、ご存じ真昼のエロ番組「スーパーJOCKEY」の生放送で一旦フジテレビを抜けて麹町にあった日本テレビへ移動していたたけしの帰りを待ち伏せしたが、たけしの策略にあっさりと騙されてしまい失敗に終わった。
- 第7回『FNS大サービスバラエティー1億2450万人の平成教育テレビ』(1993)
1993年7月24日21:00 - 25日19:58 平均視聴率17.9%
総合司会:北野武・逸見政孝 テーマ:「平成教育委員会」
台風の影響で大雨が降る中での放送となった。前枠では当時「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」が放送されるはずだったが、収録中に海外から来たゲストを死亡させる事故を起こしてしまい番組はすでに打ち切りになっており、つなぎとして野球中継を放送することになっていた。
ところがその野球中継が中止に。番組ではオープニングでその中継を行う予定だった場所も含めて各試合が行われる予定だった場所、予定通り試合を行った場所を中継で結んだが、これまたハプニングが続出する事態になった。
深夜に放送されていたたけしのレギュラー番組「北野ファンクラブ」はたけしとレギュラー出演している高田文夫先生やガダルカナル・タカに加えて、平成教育委員会の企画のためにスタジオに来ていたゲストや各局のアナウンサーも招いてカラオケ大会を実施。逸見が千昌夫の「君がすべてさ」を歌った際には、ご存じの音痴ぶりにたけしらが呆れたり、所がヤジを飛ばしたりして、しまいにはたけしが畳に敷いてあった布団に入って寝ようとして逸見を笑わせた。
早朝の中継企画に登場した交通安全を呼び掛ける「トラメガおじさん」に降りかかったメガホンが突然動かなくなるハプニングも27時間の名場面の一つと言っていいほど。
「車庫入れ」企画ではさんまのレンジローバーのボンネットを外されて鉄のオブジェの材料として無断使用された。
FNS系列局対抗クイズの優勝チームは秋田テレビ。賞品としてこの鉄のオブジェが贈られた。
この年1月に癌が見つかった逸見にとっては、直近に2回目の手術を行ってから出演。
放送後の9月に世間へ癌を公表し12月に逝去した為、これが最後の27時間テレビとなった。
- 第8回『FNS総力スペシャル1億2500万人の平成夏休みバラエティー』(1994)
1994年7月23日21:00 - 翌24日19:58 平均視聴率13.8%
総合司会:北野武 テーマ:「夏休みバラエティー」
この回は当初、癌から生還した逸見とたけしの司会を想定して企画され放送されるはずだったが、9月に入院して一時はよくなったはずの逸見の容体は周囲の期待や願いに反して悪化し、前年のクリスマスにこの世を去った。
結局この年はたけしが単独で総合司会を務めることになったが、もちろん1人では心持たないため逸見に代わって「平成教育委員会」に加わった中井美穂やさんま、所、ヒロミら親交の深い仲間がサポートした。しかし、逸見の死によるショックから依然抜け出せなかった上に自身が監督を務めた映画も不評だったためか、当時「うつ状態だった」と振り返るたけしは例年になく饒舌に喋り倒していた。そして、この放送直後にあのバイク事故へと繋がってしまう。
BIG3ではさんまのレンジローバーがゴルフボールでボコボコとなり、しまいには鍵を折られた。
早朝の中継企画に登場した「交通安全犬」や「ちとちんとん」が名場面になった。
FNS系列局対抗クイズの優勝チームは秋田テレビ。賞品としてジミー大西作の巨大壁画が贈られた。
- 第9回『FNSの日 1億2500万人の超夢列島 そのうちなんとか23時間』(1995)
1995年7月15日21:00 - 翌16日 19:58 平均視聴率15.1%
総合司会:北野武 テーマ:「そのうちなんとか23時間」
野球中継で50分押しのスタートとなったオープニングはパリからタイトルロゴの仕掛け花火を中継で披露した。
前述のバイク事故で顔面麻痺などの重傷を負った事で94年秋からたけしは長期療養後この年3月にめでたく復帰したが、事故の影響は大きくこの回は総合司会ながらも完全出演とはならなかった。
BIG3では3人の愛車でダイビングクイズを行い、さんまの問題だけ露骨に難しい問題を出題されるというお約束でやはりレンジローバーは壊された。
そしてこの年を最後にレンジローバーをめぐる長い戦いは終わることとなった。
この年の7月に全線開通した九州自動車道を記念し、松村邦洋が鹿児島でタクシーを拾い、高速道路を使って23時間でフジテレビまで向かうチャレンジも行われ、無事に成功。
FNS系列局対抗クイズの優勝チームはサガテレビ。商品としてジミー大西作のステンドグラスが贈られた。
- 第10回『FNSの日十周年記念1億2500万人の超夢リンピック』(1996)
1996年7月13日18:00 - 翌14日23:24 平均視聴率14.4%
総合司会:北野武 テーマ:「スポーツ」
スポーツ企画を主軸に行われ、この年にSMAPが27時間テレビに初登場。
新宿区河田町の旧社屋からは最後の放送となった。
FNS対抗企画は第1回「全国フリースロー選手権大会」が開催され、鹿児島テレビが優勝した。エキシビジョンの「フリースロー・ドリームマッチ」でも芸能人軍団のタレント選抜とSMAPの2チームを一蹴し完全優勝を達成。
- 第11回『疾風怒涛!FNSの日スーパースペシャルXI真夏の27時間ぶっ通しカーニバル 〜REBORN〜』(1997)
1997年7月26日18:00 - 27日20:54 平均視聴率11.6%
総合司会:
ダウンタウン テーマ:「REBORN」
お台場から初めての放送となったこの年は、それまでの番組カラーやBIG3などの出演者を一掃して、ダウンタウンを総合司会に迎えた。
もちろんダウンタウンが司会とだけあってご存じ『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』をメインに、音楽番組に縁のある様々なアーティストなどが出演して野外ライブなどを行った。また、メインとなる大物ゲストにデニス・ロッドマンも迎えた。
さらに番組序盤にはナゴヤドームからの野球中継、FNS企画は全国各地から船で27時間の放送中にお台場へ食材を運ぶメイン企画と第2回となる「全国フリースロー選手権大会」と最強の目玉企画が揃い準備も万端だった。
しかし、1日目に台風9号が直撃。その日に野外で行う予定だった企画が軒並み中止に追い込まれた。屋外の特設会場に1万人の観客を招いて行なう予定だった公開放送も飛んだ上に使われるはずだった100面マルチモニターが故障。ナゴヤドームの試合も中止となったため、オープニング後の3時間が丸々吹っ飛ぶアクシデントが発生。急遽オールスター戦のダイジェストとプロ野球選手の名珍場面、過去10年の27時間の歴史をたどりながらダラダラと喋り続けて場を繋ぐのがいっぱいいっぱいな状況に。
さらに、仮設テント内でぷよぷよ大会を放送したところ、ロッドマンも、番宣で来ていた「ビーチボーイズ」のキャスト陣も、テントに人が密集した上に照明を当てた事でなおさら蒸し暑かったせいもあり、全員不機嫌な空気になるなど過去に前例のないグダグダぶりに。なお、福岡ドーム以外は全試合台風接近で中止が決まったため、深夜の「プロ野球ニュース」も内容を変更する事になった。肝心のFNS企画も船でお台場へ食材を運ぶメイン企画も一部の局は漁船のお台場への移動を断念し、大島に集結する予定だった多くの船も神奈川県の三崎漁港に集結させて翌日にお台場に向かう方向となった。
なお、2日目は台風一過によるものか快晴となり予定通りの企画が実施され、三崎漁港を出た漁船も大島から出港した船と合流し、エンディングで何とかお台場に到着する事が出来て、食材も無事に届いた。また、系列局で唯一海がない長野県からは笹舟をトラックに乗せて陸路でお台場にやってきた。
フリースローは台風の影響は受けたものの無事に開催され、福島テレビが初優勝を果たし、ドリームマッチのデニス・ロッドマンも完封した。
この年開局のさくらんぼテレビ、高知さんさんテレビでネット開始。
ちなみに、この放送から4か月後、松本人志とヤクルトスワローズの揉め事、ダウンタウンがそれまでの収録でのスタッフの怠慢に怒りを積もらせていた事により『ダウンタウンのごっつええ感じ』が突如打ち切りになる騒動が起きている。
- 第12回『'98FNS1億2700万人の27時間テレビ夢列島』(1998)
1998年7月18日18:00 - 19日20:54 平均視聴率12.1%
総合司会:中居正広 テーマ:「てれずにいいこと・てれずに楽しく」「全国いい事しよう宣言」
この年から「27時間テレビ」というタイトルが定着。
当時
ジャニーズ事務所のアイドルだったSMAPの中居正広を総合司会に起用。以降3年連続で中居は司会を担当することに。
通し企画は全国を結んで27時間かけてドミノを作る「夢ドミノ」で、北海道の「車ドミノ」が見事失敗。
この年のFNS各局対抗企画は「FNS空き缶アートフェスティバル」で、使った空き缶の総数が一番多かった局の優勝となる。今回はテレビ愛媛が優勝し、27時間テレビでは四国ブロックの系列局で初優勝を決めた。一方、仙台放送は時間内に作品が出来なかった為に27時間史上初の失格局となってしまった。
生BISTRO SMAPも27時間テレビで初めて放送され、細川元総理大臣をゲストに迎えた。
エンディングではSMAPの4人が中居へのサプライズとして「BEST FRIEND」を生演奏したが、演奏中に番組がぶつ切りになって終わるハプニングがあった。
- 第13回『'99FNS1億2700万人の27時間テレビ夢列島』(1999)
1999年7月17日18:00 - 翌18日21:24 平均視聴率13.3%
総合司会:中居正広 テーマ:「てれずに楽しく・てれずに愛して」「愛&リベンジ」
今回も縦軸企画は「夢ドミノ」で、北海道は「車ドミノ」でリベンジを図るも、2年連続で見事失敗。
生ビストロには「とんねるずのみなさんのおかげでした」で生まれてこの年に紅白初出場も果たす事になる、とんねるず率いる野猿が登場。今まで27時間に出演しなかったとんねるずの初登場となっただけではなく、お台場移転後初の生番組出演にもなった(直近の生番組出演は1996年元日の「新春かくし芸大会」だった)。
この年のFNS対抗企画は「スーパーバスケ」で、サガテレビが優勝。2回戦では北海道文化放送と長い延長戦を戦った。
- 第14回『2000FNS1億2700万人の27時間テレビ夢列島』(2000)
2000年7月8日18:00 - 9日20:54 平均視聴率:13.9%
総合司会:中居正広 テーマ:「家族 愛 LOVE YOU」
通常よりも早い7月上旬の放送。
北海道の「車ドミノ」、3年連続で見事失敗。
深夜の恒例企画となった「さんま・中居の今年も眠れない」はこの年からスタート。初期は「ラブメイト」ではなく電話口で一般女性の視聴者があえぎ声を披露するというお色気企画をやっていたが2回で終わった。
対抗企画はスーパーバスケの7人兄弟版が行われ、サガテレビが2連覇。
また、新人アナ提供読みでは政井マヤが日清食品を日本食品と言い間違えて号泣するハプニングも…………。
- 第15回『FNS ALLSTARS 27時間笑いの夢列島』(2001)
2001年7月21日18:00 - 22日20:54 平均視聴率:11.4%
総合司会:なし テーマ:「希望」
綜合司会者を置かず、パートごとにとんねるずやキャイ~ンなどが出演する形式となった。
とんねるずの石橋貴明(とんねるずはこの時「ダーイシ」と「小港」に扮していた。)がパターでゴルフボールを思いっきり打ち、大画面モニターを破壊。
通し企画では「大嵐浩太郎」に扮したウッチャンナンチャンの内村光良がドミノを一人で並べる企画を行ったものの、放送時間中に兵庫県明石市の歩道橋で起こった将棋倒し死亡事故を考慮して途中で中止された。
対抗企画はFNS各局のマスコットキャラクターが集結した「FNS最強キャラクター大相撲」。キャラクター(の着ぐるみ)が相撲に挑戦し、優勝局を決める。当時はFNS27局全局のキャラクターが設定されていなかったため、福島テレビのように急遽キャラクターを作って参加した局もあった。優勝したのはテレビ愛媛のビビットくん。
- 第16回『FNS27時間テレビ みんなのうた』(2002)
2002年7月6日18:30 - 7日21:00 平均視聴率11.6%
総合司会:みのもんた テーマ:「みんなのうた」「あの素晴らしい日本をもう一度」
この年、番組タイトルに正式に「FNS27時間テレビ」の名が入るようになった。
年明けに早々とサンケイスポーツの紙面で当年の制作決定を発表。その時には仮題として「みんなのうた」に加えて「-もう一度、勇気と元気を取り戻すために-」というサブタイトルが付いていた。折しも前年からのアフガニスタンやイラクでの戦争、アメリカ同時多発テロと言った不安な国際情勢や不況・リストラ・陰惨な事件と失意に満ちた時代にテレビができることを追求し、「うた」と「絆」をキーワードに勇気と元気が出る内容を目指すべく、ここから2年間はお笑いバラエティの路線から一旦撤退。
番組制作がバラエティ担当の部署から情報番組を担当する部署に変更して「めざましテレビ」「とくダネ!」のスタッフが主導となり、バラエティの「笑う犬の発見」「力の限りゴーゴゴー!!」も加わって情報番組とバラエティー番組を合体させた新鮮な切り口で企画を作り上げる事となった。この時サンスポの紙面では「視聴者が持ちよったペットボトルでフリースジャケットを作り難民に贈ったり、5万人が沖縄の砂浜に集まり琉球の島歌を熱唱するなど、家族や地域、国、自然へと広がる壮大なプランが練られている。関係者は「人は“うた”に希望を見出し無限の力をもたらす。そんな元気を伝えたい」と意欲を燃やしている。」と報じたが、この段階で視聴者からは賛否両論の意見が巻き起こる事態に。
そして、この報道の直後から今回のFNS各局対抗企画となる「みんなでハモネプ」の出場者募集と予選会を「めざましテレビ」の中で放送して各局の代表を決定。さらに正式なテーマが「あの素晴らしい日本をもう一度」に決まり、みのもんたの総合司会起用も決まって、いざ放送してみると…お笑い色が一掃された27時間テレビは歌と感動路線がメインのヌルい内容になってしまった。お笑い排除の影響は長寿番組にも容赦無く、この年4月に5000回を迎えたばかりの『笑っていいとも!』ですら、この2年間『増刊号生スペシャル』が放送されなかったぐらい。
案の定評判は芳しくなく、この2年間深夜に起こった笑福亭鶴瓶のある事件で話題になった程度。この年は中継で尻を出しながら酔いつぶれて寝ている様子が流れてしまった。
さらに「ある海岸でゴミ拾いを行う」という企画では「あらかじめゴミを撒いといてゴミ拾いする絵を撮っているというやらせでもやるんでしょ」と非難が相次いだ結果、放送に先立って企画内容に反感を抱いていた2chねらーがその海岸へ集結してがっつりゴミを拾い尽くし、さらに生放送の様子を監視する事態となった。
ちなみに「ハモネプ」は1989年に初代優勝局となったNST新潟総合テレビが2冠目を掴んだ。
その一方、オープニングで司会者が「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌いながら登場した際に、進行役の内田恭子が見事な音痴ぶりを披露。翌年の放送で治す企画が行われた。
- 第17回『FNS27時間テレビ みんなのうた』(2003)
2003年6月28日18:00 - 29日21:00 平均視聴率10.3%
総合司会:みのもんた テーマ:「みんなのうた」「再会」
この年は6月の放送となった。「再会」がテーマという事で、各局でもご対面企画が多く行われた。
対抗企画はかつて日曜夜に放送されていた「オールスター家族対抗歌合戦」をFNS各局の女性アナウンサー版にした企画を開催。優勝はテレビ新広島だった。
「ドーハの悲劇」から10年を記念し、ラモス瑠偉が当時のイラク代表選手3人(1994年4月1日の「めざましテレビ」第1回放送にゲスト出演した)と当時の日本代表選手6人の合計9人との再会でドリームチームを組み、一般公募のフットサルチームと試合をした。実はこのイラク代表の3人は少し前まで当時勃発していたイラク戦争に出兵しており捜索が難航。その後、無事に生還した事が判明しようやく出演に漕ぎ着けられたそうだ。
そしてこの年深夜、鶴瓶があの伝説的事件を起こしてしまう…。詳しくは後述。
なお、開始当初から内包されていたプロ野球中継はこの年が最後となった。
- 第18回『FNS27時間テレビ めちゃ²オキてるッ! 楽しくなければテレビじゃないじゃ〜ん!!』(2004)
2004年7月24日18:30 - 25日21:00 平均視聴率16.9%
総合司会:ナインティナイン・中居正広 テーマ:「楽しくなければテレビじゃないじゃ〜ん!!」
3年ぶりにバラエティ路線に回帰。「27時間、とにかく楽しいことをやり続ける」をコンセプトに、とにかく「笑い」にこだわった内容となった。
SMAPライブを中継するというコーナーが放送され、そのコーナーの中でテレビ朝日「SmaSTATION!!」との同時生放送企画があった。
縦軸企画のシリーズとして「24時間テレビ」のパロディとしてマラソン企画がスタート。第1回は加藤浩次がランナーとなったが、本来は2日目最終企画の具志堅用高VS岡村隆史のボクシング対決で感動する中加藤がゴールし、誰にも祝福されずに加藤がキレるというシナリオが、加藤がそうめんの食べ過ぎで放送時間内に到着できずにgdgdのまま終わる。
笑福亭鶴瓶が前年の開チン事件の反省で、南京錠が就いた鉄製のパンツを着用して登場。
対抗企画は「
FNS全国一斉期末テスト」で、優勝は高知さんさんテレビ。最下位の「サマージャンボバカ」はサガテレビだった。
- 第19回『FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビ やっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!』(2005)
2005年7月23日19:57 - 24日20:54 平均視聴率13.0%
総合司会:笑福亭鶴瓶 テーマ:「やっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!」
この回はフジテレビ全社員から募った企画を多く放送した。
鶴瓶が大嫌いな〆サバを無理やり食べさせられそうになって逃亡するという設定で中継が挿入されるスタイルで放送。それが縦軸企画の一つとなった。
逃走して総合司会が不在という形になったスタジオは西山喜久恵と高島彩が中心になって進行した。
この逃走劇の中でTBSテレビの生放送番組「アッコにおまかせ!」に乱入し、TBSテレビとの同時生放送となった時間もあった。もう一つの縦軸企画は当時局アナだった山中秀樹に突然人事異動が告げられ、それを免除させるためにマラソンを走らされるという企画。
エンディングで無事にゴールし、「あなたが愛する人の名前をフルネームで応えろ」というクイズに母と夫人の名前を答えて、晴れて人事異動が免除された。暴行事件の謹慎明けの島田紳助が「さんま・中居の今年も眠れない」に登場。同期のさんまと若手時代の暴露話大会となる。
対抗企画は「トリビアの泉」の派生企画「FNSあっついテレビ局決定戦」で、テレビ宮崎が優勝した。
実は鶴瓶の逃亡劇には裏があった。
フジテレビのバラエティ番組でプロデューサーを務めた小松純也が人事異動でバラエティ番組の制作から一旦離れることが決まっていた為、総合演出を担当する事になった。小松氏は鶴瓶に総合司会を依頼したが、鶴瓶は重圧に思って「軽く出来ないか」と訴えた。その答えとして提案されたのが「鶴瓶が逃げ回る」という設定の中継企画、要するにコント仕立ての縦軸企画だったのだ。
- 第20回『FNS26時間テレビ 国民的なおもしろさ! 史上最大!! 真夏のクイズ祭り 26時間ぶっ通しスペシャル』(2006)
2006年7月15日19:00 - 16日20:54 平均視聴率12.6%
総合司会:中居正広 テーマ:「クイズ」
中居、さらに一緒に司会を務めた高島彩の2人が様々なクイズに挑戦し、当時放送されていたクイズ番組とのコラボも見せた。FNS各局企画も「お国自慢を紹介し、嘘を当てる企画」が行われ、秋田テレビが優勝した。
クイズとはいえ身体を張ったクイズにも挑む場面が非常に多かったのが特徴で、中居だけでなく当時局アナだった高島も熱湯に落とされてその後朝5時にガウン姿、フィナーレの○×クイズで粉まみれ(これは中居やその年のプロデューサーも巻き込まれた)と例外なく巻き込まれていた。
- 第21回『FNS27時間テレビ みんな なまか だっ! ウッキー!ハッピー!西遊記!』(2007)
2007年7月28日19:00 - 29日21:15 平均視聴率12.4%
総合司会:香取慎吾 テーマ:「なまか」
「西遊記」とのコラボ企画で久々に感動路線。そのため香取は「香取慎吾」ではなく同作の主人公「孫悟空」として番組に臨んだ。また、この年に完成した湾岸スタジオから初めて生放送も行った。
深夜帯にはMCハマーが生出演。スマスマで香取がパロディ化していたコントキャラ「MCカマー」と共演した。
参院選と放送日が被ってしまったため急遽放送時間を縮小したほか、番組中に開票速報を実施するため番組を一時中断。
その後27時間テレビに戻っても、出口調査や選挙情報をL字画面で放送した。
対抗企画は「目指せストライク!TEN竺ボウリング」で、東海テレビが優勝した。
- 第22回『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』(2008)
2008年7月26日19:00 - 27日21:54 平均視聴率13.8%
総合司会:明石家さんま テーマ:「笑顔」
7年ぶりに「夢列島」がサブタイトルに付いた。「オレたちひょうきん族」や初期の「夢列島」をベースにさんまが、当時のレギュラー番組やひょうきん族の復活コーナーに様々なひょうきんキャラになって出演するスタイルで放送された。
ビートたけしが沖縄、北海道、東京、佐渡と全国を巡って中継を行い、体当たりで様々な中継コントを行った。この時に「
火薬田ドン」が初登場。翌年からも27時間テレビお馴染みのキャラとして毎年出演することとなる。
対抗企画は「爆笑レッドカーペット」の派生企画「列島カーペット」で、関西テレビが優勝した。
ゲスト出演したBEGINがさんまの無茶ぶりを受けて放送時間中に作曲してエンディングに披露した「笑顔のまんま」が話題となり、その後もさんま出演の缶コーヒーのCMにも起用されたり2011年には番組終盤で東北三県の中継場所とお台場を結んで大合唱している。
ヘキサゴンでのジミー大西の暴走、ペナルティ・ワッキーの1・2行進事件、にしおかすみこの深夜帯及びネプリーグでの失態、ザキヤマのピラルク、半ば交通事故に巻き込まれる今田耕司、さんまの『HEY!HEY!HEY!』乱入など記憶に新しい伝説もここに誕生。
今回はオレたちひょうきん族でディレクターを務めた三宅恵介がフジテレビを定年退職することになっていた為、退職前にもう一度ひょうきん族をやりたいとさんまとたけしにオファーしたことがきっかけで実現した。ところが役員待遇となった為定年が2年延びてしまい、そのことをグランドフィナーレでたけしにバラされてしまった。激怒したさんまは、三宅をひょうきん懺悔室に入れ大量の水を浴びせたのだった。
- 第23回『FNSの日26時間テレビ2009 超笑顔パレード 爆笑!お台場合宿!!』(2009)
2009年7月25日19:00 - 26日20:54 平均視聴率13.8%
総合司会:島田紳助 テーマ:「笑顔と感動」
「クイズ!ヘキサゴンⅡクイズパレード」がメインとなり、バラエティと感動の路線を行ったり来たりする内容に。番組中のどのコラボ番組に出演するのかを早押しクイズで決めるコーナーなどでその要素が見られた。
また、総合司会の紳助の方針で今までの大テーマであった「笑い」のほかに「感動」もプラスされ、2010年までの2年間は「FNS対抗三輪車耐久レース」や「211km24時間駅伝」などが縦軸企画として実施された。
深夜の「さんま・中居の今年も眠れない」には島田紳助が4年ぶりに登場。さらに、前回の中継コントで「もう一度やりたい」と熱望したビートたけしも登場。
対抗企画は「FNS27局対抗!三輪車12時間耐久レース2009(ワールド・トライシクル・クラシック)」で、仙台放送が優勝した。
- 第24回『FNSの日26時間テレビ2010 超笑顔パレード 絆 爆笑!お台場合宿!!』(2010)
2010年7月24日19:00 - 25日20:54 平均視聴率12.6%
総合司会:島田紳助 テーマ:「絆」
前年の路線・「ヘキサゴン」ベースはそのままに、さらに「絆」を強く押し出して放送された。「さんま・中居の今年も眠れない」にも島田紳助が2年連続で登場した。
対抗企画は「三輪車12時間耐久レースO−1グランプリ」で、この年は系列各局ではなくベース番組のヘキサゴンチームが優勝した。番組チームが優勝してしまったのは現状この年のみである。
エンディングで紳助は「このメンバーで『26時間テレビ』をやることはもう2度とないでしょう」と述べた通り、翌年はコーナーとしての参加、そして直後に紳助の芸能界引退と番組終了で「ヘキサゴン」は27時間から去る形となった。
- 第25回『FNS27時間テレビ めちゃ²デジッてるッ! 笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!』(2011)
2011年7月23日18:30 - 24日20:54 平均視聴率14.0%
総合司会:ナインティナイン・中居正広 テーマ:「笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃ~ん!!」
岩手・宮城・福島の3県を除いた全国で地上デジタル放送完全移行が放送中に実施されることから「めちゃ2デジッてる!」というサブタイトルが付いた。2004年以来5年ぶりのナイナイ・中居トリオメインだが、総合司会の一人である矢部は100kmマラソンに挑戦。見事にエンディングでゴールした。なお、7月24日正午の地上アナログ放送停波のカウントダウンは「笑っていいとも!」で実施された。
また、3月11日に発生した東日本大震災からの復興を応援する企画も行われ、宮城にはさんま率いる「サタデーナイトライブJPN」「ピカルの定理」メンバーによるコント企画、岩手・福島には中居以外のSMAPメンバーが二手に分かれて赴き、「出張ビストロSMAP」が同時進行で実施された。
対抗企画は「FNS歌へた自慢」で東海テレビが優勝した。
「地デジ化大使」に任命されていた草彅剛に対抗して、「アナログ大使」として中居正広が任命され、放送中ずっとアナログテレビの終了をカウントダウンするタイマーベルトを装着させられていた。
- 第26回『FNS27時間テレビ 笑っていいとも! 真夏の超団結特大号!! 徹夜でがんばっちゃってもいいかな?』(2012)
2012年7月21日18:30 - 22日20:54 平均視聴率14.1%
総合司会:タモリ テーマ:「団結」
タモリが23年ぶりの総合司会を務めたほか、当時の笑っていいとも!レギュラーが総出演した。27時間テレビでは毎年の恒例企画として生放送の「いいとも!増刊号」が放送されていたが、番組自体が全体のベースとなるのはこれが初めて。ちなみにオープニングはアレンジ版の「ウキウキWatching」に乗せ、27時間テレビ用の替え歌でスタートしている。
また、「さんま・中居の今夜も眠れない」で1999年以来実に13年ぶりにBIG3の共演が実現した。
対抗企画は「FNSアナウンサーがんばった歌謡大賞」で、福島テレビが優勝した。
この年は草彅剛がマラソンに挑戦。見事にゴールを果たし、エンディングで大縄跳びに挑戦するレギュラー陣を見守った。
この年はちゃんとスタジオに出演していたかのように見えた鶴瓶は、日曜の朝にまたしても逃亡。「ツルベカーメン」としてマラソンの邪魔もしたが、夕方に自分でお台場へ戻った。
- 第27回『FNS27時間テレビ 女子力全開2013 乙女の笑顔が明日をつくる!!』(2013)
2013年8月3日18:30 - 4日20:54 平均視聴率9.8%
総合司会:オアシズ・森三中・椿鬼奴・友近・ハリセンボン・柳原可奈子・渡辺直美 テーマ:「女子力全開」
この年の7月最終週に参議院選挙開票特番やサッカー東アジアカップ中継が編成されたため、初の8月第1週の放送となる。
女性芸人計11人が総合司会となり、そこに相談役としてマツコ・デラックス、アシスタントとして明石家さんま・岡村隆史・今田耕司などが就く形を取った。
番組オープニングでマツコ・デラックスが「嫌いなテレビ局、断トツ1位よ!相当嫌われてるから!」とフジテレビに毒づく。
「めちゃイケ」の生放送スペシャルで
渡辺麻友を振り回して暴れる加藤浩次に抗議が殺到し、放送後にBPOで審議される事態となった。
ビートたけしが「ほこ×たけ」中継として登場。エンディングで火薬田ドンとして花火を打ち上げた。
第1回から一定して2桁台の平均視聴率を取っていた27時間テレビは、その年を境に視聴率が下降線をたどるようになり、今回、番組平均視聴率で史上初の10%割れ・1桁台を記録してしまった。
対抗企画は「ミスターFNSコンテストおまえらを惚れさせてやるグランプリ!」で、テレビ新広島が優勝した。
不祥事や極端な低視聴率で印象に残らない回となったが、実はこの回で放送された『サザエさん』は、
堀川くんのサイコパス化を決定づけるエピソードが放送された回である。
- 第28回『武器はテレビ。 SMAP×FNS 27時間テレビ』(2014)
2014年7月26日18:30 - 27日20:54 平均視聴率13.1%
総合司会:SMAP テーマ:「武器はテレビ。」
SMAPとしては最初で最後の番組司会(中居と香取は過去に単独で司会経験あり)。
番組冒頭、「生前葬」と称して各界著名人からの不躾な質問に答える演出からスタート。各番組とのコラボも織り交ぜつつ、同年に最終回を迎えた「いいとも!」のMCであるタモリと共演したり、さんまが総合司会だった回から6年ぶりとなる「生さんタク」では湾岸スタジオの屋上に雪の世界を作ったりした。
ちなみにその後、結果的にSMAP最後のライブツアーとなった「 Mr.S "saikou de saikou no CONCERT TOUR" 」内の映像にさんまがゲスト出演した際、オチで本番組時のある恨みをSMAPから叩き返されていた。
番組のクライマックスで丸一日司会を務めたSMAPが持ち歌の中から27曲をメドレーで歌う「27曲ノンストップLIVE!」を行い、メンバー全員がふらふら(特に中居は満身創痍の状態だった)になりながら27曲を歌いつくした。
フィナーレではサプライズとして1996年にSMAPを脱退した森且行からの手紙が紹介され、SMAPの面々が涙する場面も。
対抗企画は「FNS系列27局Presents SMAPよりアイドルな!?ご当地SMAP選手権大会」で、岡山放送が優勝した。
ちなみにタモリさんはこの年を最後に27時間テレビへの出演を辞めてしまった。
- 第29回『FNS27時間テレビ めちゃ²ピンチってるッ! 1億2500万人の本気になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!』(2015)
2015年7月25日18:30 - 26日21:54 平均視聴率10.4%
総合司会:ナインティナイン・中居正広 テーマ:「本気になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!」
「本気」をテーマに掲げて、テレビの危機をチャンスに変えるために色々な企画本気で挑戦。
矢部は「サッカー27枚抜き」、中居は「ホームランを1本打つ」、岡村は30時間ほぼ不眠不休の上、番組終盤に60分以上ダンスを本気で踊り続ける「ノンストップライブ」の各企画にそれぞれチャレンジした。このライブでは吉本印天然素材の一夜限りの復活があった。さらに大トリとしてSMAPと共演したが、翌年の騒動で解散したSMAPにとってはこの回が5人が揃って出演する最後の27時間テレビとなってしまった。また、日曜夕方の事前収録コーナーに出演したとんねるずもこの年を最後に出演を辞めている。
「サザエさん」には中居、ナイナイに加え江頭2:50が登場した。
裏番組でイモトアヤコがエベレスト登頂に挑むという内容だったため、本当のテレビの本気はこっちじゃないのかと一部で囁かれているが気にしてはいけない。
- 第30回『FNS27時間テレビフェスティバル!』(2016)
2016年7月23日 18:30 - 24日21:24 平均視聴率7.7%
総合司会:リレー形式 テーマ:「一年に一度、皆さんに笑顔をお届けする大感謝祭」
「今までとは違った27時間テレビに」という局の意向から、「フェスティバル」形式として複数人のMCリレーで放送した。
MCにはウッチャンナンチャン、明石家さんま、中居正広、坂上忍、ネプチューンなどが参戦し、27時間を縦で結ぶための「フェス実行委員」は指原莉乃や陣内智則、山崎弘也、オードリーが務めた。「サザエさん」には「スカッとジャパン」のメンバーが参加したほか、ビートたけしも番組冒頭からコントを披露。
が、それまで最低視聴率だった2013年を下回り、7.7%を記録してしまった。視聴率の調査やニーズの変化で一概に言い切れないが、以降視聴率は1ケタ台が続くことなる。
- 第31回『FNS27時間テレビ にほんのれきし』(2017)
2017年7月23日 18:30 - 24日21:24 平均視聴率8.5%
総合司会:ビートたけし・村上信五 テーマ:「にほんのれきし」
放送内容やスタイルをさらに大幅変更し、番組開始以来生放送主体だった27時間テレビはめざましテレビと競馬中継のパートを除きほぼ全編が事前収録による内容へと変更される。コーナー間にあったインフォメーションコーナーも視聴者プレゼントの賞品紹介を兼ねた枠が2〜3回程度挟まれただけだった(これも生放送)。また、開始以来初の9月第1週の放送となった。
ここから3年間は面白一辺倒のバラエティ路線から27時間をかけて一つのテーマに基づいて、その歴史をたどったり追求したりする路線へと転換。27時間テレビのために企画されたコーナーを中心にしつつ、フジテレビのレギュラー番組がテーマに合わせた特別な内容となって組み込まれていくスタイルになっている。
歴代最低視聴率更新こそは免れたものの、前年に続いての視聴率一桁を記録。
- 第32回『FNS27時間テレビ にほん人は何を食べてきたのか?』(2018)
2018年7月23日 18:30 - 24日21:54 平均視聴率7.3%
総合司会:ビートたけし・村上信五 テーマ:「にほん人は何を食べてきたのか?」
去年に引き続き総合司会と放送週を引継ぐ形で「日本人の食生活」について27時間かけて振り返る番組を放送。
昨年のコーナーを一部引き継ぎながら、食をテーマにしたこともあり「くいしん坊!万歳」とのコラボとして、ほぼ1時間ごとに松岡修造が食にまつわるメッセージを発信するコーナー、さらにメインとなる日曜午前の「くいしん坊!万歳」では何故かミュージカルをやり出す場面もあった。
- 第33回『FNS27時間テレビ にほんのスポーツは強いっ!』(2019)
2019年7月23日 18:30 - 24日21:54 平均視聴率5.8%
総合司会:ビートたけし・村上信五 テーマ:「にほんのスポーツは強いっ!」
3年連続のたけし・村上コンビに加えて今回は松岡茉優が加わり、実質的に司会者は3人体制となる。また、一部を除いて生放送主体に戻すこととなった。
今回は「日本のスポーツ」について27時間かけて振り返ったほか、令和改元後初めてかつ、結果的に最後の放送となってしまった「平成教育委員会」のスペシャルや「今夜も眠れない」の復活版も放送された。
視聴率の低迷も歯止めがかからなくなり、最低視聴率を更新。5.8%を記録してしまった。
実は2020年も放送が決まっており、8月中旬の放送を目指して準備を進めていた。しかし、コロナ禍の影響は27時間にも及ぶ事となった。
大勢の出演者・スタッフ、さらに全国の系列局からの局員が集まって番組制作を行うというリスクを伴う事ができず、5月25日にやむなく当年の放送を断念する事となったのである。
続く2021年も感染者数の増減が激しい現状などから5月11日に2度目の放送断念を決め、代替として8月末に『FNSラフ&ミュージック~歌と笑いの祭典~』を放送。
しかし関係者の取材で本当は近年の低視聴率が続いている状況と製作費が高すぎて番組を作れないとコロナ以外の問題点がある事が明かされた。
2022年もコロナの影響による安全の担保やタレントのスケジュール調整がうまくいかなかったことから4月28日に3度目の放送断念を決め、代替として9月に『FNSラフ&ミュージック2022〜歌と笑いの祭典〜』を放送。
フジテレビ側はこれまで放送断念に至った理由を公式の場で明らかにしていなかったが、9月にオンラインで開催された秋の改編会見で初めて言及し、同局編成部長の中村百合子は「今フジテレビとしましては、これまではコロナ禍のこともあり総合的に判断して、3年連続休止の状況でしたが、今後に関しましては改めてさまざまな視点で検討していきます。また視聴者の皆様にお届けできるタイミングがあれば、積極的に放送をお届けしていきたいです」と述べていた。
コロナ禍の現状において27時間テレビの制作・放送は厳しい状況にあった。
またドンチャン騒ぎができるその時が来るまで、そしてこの番組を通じて日本中の視聴者がまた心の底から笑える日が来るまで… フジテレビは決して終了という手段は踏まず、「休止扱い」とし続けた。そして…
- 第34回『FNS27時間TV 鬼笑い祭』(2023)
2023年7月22日 18:30 - 23日21:54 平均視聴率6.5%(個人視聴率4.0%、コア視聴率4.6%)
総合司会:千鳥・かまいたち・ダイアン テーマ:「真剣勝負」「楽しいを塗りかえろ!」
2023年2月19日に放送された『
千鳥の鬼レンチャン』の番組内で、『27時間テレビ』が4年ぶりに復活する事が発表され、その総合司会に千鳥・かまいたち・ダイアンを起用する事が発表された。
コロナが5類感染症に移行しひとしきりの規制が撤廃されたこと、中断期間中に個人視聴率をターゲットとした大規模な改編が功を奏し人気番組が続々誕生、誰の目から見ても風向きが変わったと思われるようになったフジテレビ。
『とんねるずのみなさん』シリーズなどで知られるあの港さんがフジテレビの社長となったこともあり、満を持しての復活発表となった。
放送直前には「ロバート秋山のクリエイターズ・ファイル」から“TVプロデューサー・唐沢佐吉”の参戦が発表され、本編では観覧に来ていた津田のオカンとともに事実上のサブMCとして番組を盛り上げた。
放送内容はお馴染みの『めざましテレビ』『サザエさん』のスペシャルに加えて、上述の3組が出演している『 - 鬼レンチャン』をベースに「サビだけカラオケ」「スポーツレンチャン」などの企画を展開、『イタズラジャーニー』『有吉ダマせたら10万円』『ドッキリGP』『今夜はナゾトレ』とのスペシャルコラボを放送。
放送も2016年までの生放送主体形式に戻ったが、VTRを極力使わず生放送のスタジオ展開に頼る(1987〜2016)→全編収録もしくは生放送パートと収録パートを別立て(2017〜2019)→コロナ禍による休止…という流れを経て、今回は「長時間に及ぶ一部のコーナーは放送に先立って事前収録した上で、生放送当日はそのVTRをスタジオで総合司会や出演者が観る」というスタイルを確立。「鬼レンチャン」のように発言になぞりテロップが付かないので視聴者が通常の収録よりもツッコミを拾うのが難しくなってしまう番組やコーナーもあるが、これが好評だったのか翌年の放送にも引き継がれた。
大きく変わったのはFNS系列局対抗企画で、系列局からの生中継・アナウンサー出演はオープニングの「FNSスゴ技鬼レンチャン」のみとなり、それ以外では事前収録で系列局に縁のある芸能人が出演する『逃走中』のスペシャルを放送した。
また、『ダウンタウンのごっつええ感じ』の名物企画だった「TEAM FIGHT」が復活し、愛人宅に行っていた浜田を除いたほぼごっつチーム(松本・今田・東野・130R・キム兄)との対決が実現した。
さらに、久々となる他局番組とのコラボとして濱家がMCを担当する
NHK「Venue101」とのコラボやTVerでの「リアルタイム同時配信」も決定。TVerでのリアルタイム配信が24時間以上にわたって実施されるのは史上初の試みとなった。
また、大悟が臨時喫煙所で煙草を吸っている時にJT(日本たばこ産業)の提供クレジットが表示されるという奇跡もあった。
深夜の恒例企画だった「明石家さんまのラブメイト10」も復活。
伝説の花火職人も弟子・火薬田小ドン(劇団ひとり)を引き連れて帰ってきた。
グランドフィナーレの恒例行事だった提供読みはこの年に入社したアナウンサー2名に加えて、中断していた3年間の間に入社したアナウンサー9人の11人で実施した。当初は12人で行う予定だったが、当時のアナウンサーだった渡邊渚が放送直前に兼ねてからの体調不良が悪化して入院したため無念の欠席となってしまい11人で行わざるを得なくなった。結局渡邊は仕事復帰が叶わぬまま翌2024年8月末にフジテレビを退社。結果的に現状、27時間テレビで提供読みを経験しないまま退社した唯一のアナウンサーとなっている
そしてフィナーレは大阪時代のMC3組の写真を写しながら、津田のオカンをメインボーカルとした中島みゆき「時代」を鬼レンチャンカラオケメンバー全員と合唱して大団円となった。
番組平均視聴率は前回よりも上昇し、全パートにおいて世帯・個人・コアともに同時間帯横並びトップを記録した。
瞬間最高視聴率は11.9%で、23日19時41分頃の「400mサバイバルレンチャン」でおばたのお兄さんが鬼レンチャンを達成し優勝した場面だった。
- 第35回『FNS27時間テレビ 日本一たのしい学園祭』(2024)
2024年7月20日 18:30 - 21日21:54 平均視聴率6.1%(個人視聴率4.0%、コア視聴率4.6%)
総合司会:霜降り明星・チョコレートプラネット・ハナコ テーマ:「日本一たのしい学園祭」
前年の成功を受けて継続が決定。今回は土8『新しいカギ』の面々が司会を務める事になり、『めざまし』ブランドのメインキャスター陣である井上清華(『めざましテレビ』MC)と小室瑛莉子(『めざまし8』MC)がサポート役を務める。テーマ曲としてKEYTALKの楽曲から2014年発売の「MONSTER DANCE」が起用され、オープニングで生演奏が予定されていた。
が、そのKEYTALKはメンバー1名が兼ねてから仲が悪かった他のメンバーと対立を起こしてクビ同然の形で脱退し、オープニングには残留したメンバーだけが生演奏を実施した。
この回は「新しいカギ」のメインである学生参加企画をメインとして「クイズ何問目?」「学校かくれんぼ」などの企画が実施され、昨年に引き続き『千鳥の鬼レンチャン』『逃走中』『100kmサバイバルマラソン』『ドッキリGP』も実施された。
そのマラソンに夫婦で参加予定だった森渉と金田朋子が放送当日の昼に円満離婚発表という事態も起こり、これまたオープニングで中継を繋いだ際にカギメンバーからイジられる始末となった。また、直前に起きた「粗品VS宮迫」騒動も先輩勢からひたすらイジられ、これまた盛り上げに貢献することとなった。
「学校かくれんぼ」は土曜夜に高校(事前収録)、日曜日の夕方に生中継が行われ後者はかくれんぼ博士を名乗る小学生100人がやす子を見つけ出すものだった。また、深夜企画の「お笑い向上委員会」には
大人の事情でしばらく出られなかった今田耕司が久々に登場。そして粗品のYouTube企画をベースに若手芸人を大量に集めてクイズを行い、優勝チームには粗品自腹で100万円を贈呈する「ソシナゲーム」も実施れた。
フィナーレはカギメンバーと高校生ダンサーによる「カギダンススタジアム」も行われ、優勝校決定後に全員が挨拶をして大団円となった。
番組平均視聴率は世帯は前回よりも少し下がったが、個人・コアは全パートにおいてともに同時間帯横並びトップとなる高視聴率を維持。最終パート(21日午後6時30分から午後9時54分)は個人6・9%、コア7・8%をマーク。放送時点でフジテレビの2024年内における個人視聴率最高記録を更新した。
瞬間最高視聴率は世帯では21日20時54分の12・2%、個人では同時刻ならびに57分の8・6%でいずれも「カギダンススタジアム」で優勝した「武南高校×松尾駿チーム」のダンスパフォーマンスから得点発表の場面、コアでは同日20時57分と21時1分、2分の9・3%で21時1分~2分は同じく準優勝した「北九州市立高校×丸山チーム」が涙ながらに練習する模様のVTRが放送された場面だった。
主な企画
基本的にその時のメイン番組で行われている規模の拡大版や、その時々で人気となっている番組を生放送でMC陣が挑戦するという構成が多い。
一方、27時間テレビにおいてワンコーナーでも任されるということはそれだけ「今の
フジテレビの主力番組」と評価されていることであり、もちろんメイン番組に抜擢されれば「エース」と呼ぶに相応しい箔がつくことになる。
そのため元の番組が終了してしまうと当然27時間テレビにも登場しなくなってしまうが、本項では一部終了した企画についても解説する。
列島中継リレー
中断明けの2023年から主にグランドオープニングで行われる。FNS27局で中継リレーを行い、後述の「FNS系列対抗企画」の出場者の紹介やパフォーマンスを披露していくのが恒例。とはいえ生放送・一発勝負ということからパフォーマンスに失敗してしまう事も度々あり、時にはこのオープニングの時点で「今年のMVP」級のインパクトを残す人もいる。
ちなみに中断する以前の00年代初頭までは対抗企画などで各地と中継を結ぶ事が多かった。
FNS系列局対抗企画
FNS27局から各局のアナウンサー・局員・各都道府県を代表する芸能人・さらには公募で選ばれた一般視聴者が様々な企画で対決し優勝を目指す企画。1989年から始まった。
コロナ禍以前は各地からそれらの人達が東京のフジテレビ本社(河田町→お台場)に集まっていた。開催される企画は基本的に毎年異なり、「トランポリンで跳ねながら後ろを走る選手にパスし続け、最後の1人がダンクシュートを決める」という「スーパーバスケ」や「フリースロー」「三輪車耐久レース」などの体力、「全国一斉模擬試験」や「抜き打ちテスト」などの知力、「ハモネプ全国大会」や「がんばった歌謡大賞」などの歌唱力、「ドミノ」や「空き缶アート」といった独自の発想力、その他にもパフォーマンス力やエピソードを通したお国自慢などで争われる。
こちらも生放送企画ということもあり白熱した試合の年もある一方で「ストライク以外はノーカウント」という「TEN竺ボウリング」では中々ストライクが出なかったり、「ミスターFNSコンテスト」でもパフォーマンスの失敗が相次ぐなどグダグダな年になってしまった事も多く、地味にこの企画の出来がそのまま「その年の27時間テレビ全体の評価」に繋がりかねないこともしばしば。
放送再開後の2023年からは「FNS逃走中」としてその年の総合司会と各局代表の芸能人が『
run for money 逃走中』に挑むという形を取っている。
マラソン企画
2004年から不定期に実施されている企画。
名前の通り
24時間テレビへの対抗で、ランナーも距離も内容は様々。
大抵放送時間内にゴールできるが、年によってはゴール前に放送が終わったこともある。
2023年からは『
千鳥の鬼レンチャン』とのコラボ企画で、運動自慢の芸能人が賞金を目指す「100kmサバイバルマラソン」が放送されている。
さんま・中居の今夜も眠れない
土曜深夜パートの恒例企画。
明石家さんまと中居正広が「中居が住んでいる」というボロアパートの一室でフリートークを行う。
また、親交の深い
タモリや紳助、鶴瓶、後輩の岡村などがその年の総合司会となっている場合はトークに加わることもある。
また、
火薬田ドンの中継もここで行われる。
ラブメイト10
後半企画。さんまがここ1年で気になった女性をランキング形式で紹介していく企画。
取り上げられる女性には「長澤まさみ」「綾瀬はるか」などさんま自身がファンの女優もいれば、アスリートやAV女優、さらには「〇月に△△で見た人」など一般人も含まれる。
尚、芸能人・一般人共に放送中に気づきコメントを残したい場合は直通電話として「#8888(シャープ「ややパパ」)」が紹介される。
めざましテレビ
日曜朝パートで放送時間がいつもの平日より短いが、総合司会を迎えてのめざましテレビ。1995年から2001年までは特別企画一色か放送自体がない年のどちらかだったが、2002年からは毎年放送されるようになった。主に前日のスポーツニュースや、めざまし内で放送される「ココ調」の調査対象を総合司会に向け、幼少期や現在に至るまでのルーツを調べていくなど普段よりバラエティ色が強め。通常の番組で伝える一般ニュースはこのコーナーとは別に「FNNニュース」としての時間があるため伝えないが、過去にはスポーツ・エンタメと共に通常の平日と同じ仕様で伝えた回があった。
笑っていいとも!増刊号
日曜午前パート。第1回から2013年までほぼ毎年放送されており、通常の増刊号と同じく「テレフォンショッキング」の1週間のまとめを流した回もあった。
1993年からはアルタからフジテレビのスタジオに場所を移す形で平日と同じ公開形式となり、その時の曜日レギュラーが集結。総合司会と共にいいとものコーナーに挑戦したり、総合司会を「テレフォンショッキング」のゲストに迎えてのトークも行う。
冒頭タモリが「毎年、この時間帯が一番眠いんですよね…」とホラを吹き一斉にツッコまれるのがお約束だったが、実際に番組開始から15時間頃という所であり、総合司会にとっては一番きつい時間帯。
主にネプチューンチームと総合司会チームでお馴染みの「ファイブリーグ」や「ファイブボンバー」に挑戦する。
また、前身番組「力の限りゴーゴゴー!」から生まれた「ハモネプ」の大会が開催された年もある。
ペケポン川柳→ナゾトレ川柳
日曜昼・午後パート。「ペケ×ポン」で放送され、現在は「今夜はナゾトレ」の一企画として放送されている川柳当てに総合司会が挑戦する。
基本的に「川柳四天王(有田哲平・タカ・トシ・柳原可奈子)」が非常に強いため、そこら辺のセットにある花や石を「ジャンピングチャンス」「ボンバーチャンス」のアイテムとして使用し大逆転チャンスを強引に作るのが恒例。
一方、2023年からは総合司会が後輩になったこともあってか、コーナー司会の上田晋也も川柳四天王びいきをするなど「露骨なアウェー感」を出すのも恒例となっている。
川柳四天王以外ではレギュラーのインテリ枠(
伊集院光など)も登場するが、その枠であるはずのロザン宇治原は回答させてもらえない上に新聞のテレビ欄に名前も載せてもらえず単なる
罰ゲーム要員になるのもお約束。
競馬中継
日曜15時ごろに挿入されるコーナー。
通常この枠で編成されている競馬番組のスペシャル版といった趣で、当日開催の重賞レース1レースのみを中継する。
通常放送する競馬中継は地域によって異なるが、この日は東京制作の「みんなのKEIBA」の仕様になる。そのため回によっては西日本で放送される「競馬BEAT」のスタジオから「みんなのKEIBA」の司会者が出演する現象が起こることもある。
総合司会チームと
ヘキサゴンファミリーでクイズで対決する。総合司会以外は番組でも収録前に行われる事前ペーパーテストを受け、その得点順に順位・席が決まるのだが、総合司会は「多忙過ぎてテストを受ける時間が取れなかった」ということで自動的にチームの最下位(=ラストの「行列早抜けリレークイズ」のアンカー)となる。
ご存知毎週日曜の夕方に放送している国民的アニメ。グランドフィナーレ前の最終コーナー。こちらは第1回から途切れなく放送されている。当初は3本とも通常の回と変わらないエピソードだったが、1998年からは殆どの回で通常回らしいエピソード1〜2本とその年の27時間テレビにちなんだエピソード1〜2本が放送され、特に総合司会やメインキャストが特別に声優として参加するのが恒例。なお放送される時間は通常時間帯より数分前後することがある。役柄は本人役・番組のキャラ役もあれば名前等は同じだが役柄は全く違うということもある。さらにオープニングも前述の通り特別なバージョンに差し替えられるが、27時間テレビが放送されない大分、青森、山口などの遅れネット地域ではオープニングを通常の仕様に差し替えた上で放送されるため、何の事前告知もなく唐突に芸能人のゲスト声優が出てくる状態になってしまう。
インフォメーション
コーナー間のCMの合間にチャイムが鳴ると共に始まるミニコーナー。コーナーが終わった後のスタジオや局内の廊下などから進行役のアナウンサー等がこの後の内容を予告したり、マラソンなどの通し企画の状況を伝える。番組の進行状況によってはここでFNNニュースが入る事もある。総合司会はこの時間を利用して着替えや本社と湾岸スタジオ間の行き来、あるいは次のコーナーが行われる別のスタジオへの移動を済ませる。インフォメーションコーナー自体は回によって放送の有無がバラバラで、1回しか放送されない年もある。
27時間テレビ事件簿
明石家さんま司会キャンセル騒動(1988年)
1回きりで終わるはずだった27時間テレビは結果大成功に終わり、翌年以降も放送される事が決まった。
スタッフは2回目も総合司会は
タモリ・さんまで行こうと交渉するが、タモリに交渉する際、まださんまに出演オファーをしていない状態で「さんまも司会をする」と伝えてしまい、タモリも快諾した。
しかし、それから何日か経ってさんまに交渉したところ「第一回放送内容を超えられない」という理由で司会を辞退したのだ。
タモリはさんまにオファーしていなかった状態で交渉した事実を聞かされていないまま、さんまが司会を辞退したと耳に入り、理由を聞く為、深夜にさんまに電話をした。それも何故か泥酔した状態で。
だがタモリがかけた番号は自宅ではなくさんまの個人事務所「オフィス事務所」。たまたま事務所に寝泊まりしていた村上ショージが応答した事が事を大きくさせてしまった。
夜中に、それもタモリ本人が電話をかけるとは思わず、タモリを名乗ったイタズラ電話だと思い込んだショージはなんと電話相手のタモリ本人に激怒してしまった。
そのことがタモリを「裏切られた」と勘違いさせる一因となり、三日三晩酔い続けたと後年さんまとタモリは語っている。
しかもタモリは1988年7月1日の「いいとも!」にも泥酔した状態で出演し、オープニングの歌唱で暴走。コーナーでもふらつきながら進行するなど酔いが醒める気配は全く無く、さんまに厳重注意されていた。
タモリ放屁事件(1989年)
開始から十数時間が過ぎた日曜日の昼下がり、タモリ・さんまが一番辛いであろう時間帯に癒しの企画として二人を「笑っていいとも!増刊号スペシャル」から出演していたダウンタウンと
ウッチャンナンチャン、笑福亭鶴瓶と共に、ジャングル風に仕立てたスタジオに招待した。
そこでは鍼、鍼灸、整体、気孔、食事療法などを体験したが、気孔を体験中、タモリが気のゆるみからかおならをしてしまった。鶴瓶やさんまから突っ込まれたタモリは
「気が出た」と弁明し爆笑を誘った。
東野幸治暴言事件(1995年)
上岡龍太郎、そのまんま東、トミーズ雅、武田祐子、木佐彩子の5人がオーストラリア・ゴールドコーストマラソンに挑戦。
マラソンは全員完走かつベストタイム更新となったが、日曜朝の企画「料理の女鉄人」内でマラソンの模様を中継した直後(調理終了2分前)、東野幸治がこっそり
炊飯器の中に入っていたご飯を盗み食いしているところをコーナー進行の笑福亭鶴瓶と今田耕司に発見された。
そのことを指摘した鶴瓶と今田に対して東野は
「わしだって飯食うわぁ!!」「(マラソンなんて)どうでもええんじゃぁ!!」と暴言を吐いた。
同じく進行役の
森口博子が「ケンカはやめて!」と仲裁した直後に東野が慌てて「ファイト!ファイト!雅!」とフォローしたものの、この発言に対し、フジテレビには視聴者から2万本の抗議の電話がきたという。
鶴瓶開チン事件(2003年)
27時間テレビを語る上で外せない伝説の事件。
鶴瓶とココリコが離島に上陸し島民が会いたい人との再会を実現させる企画で、この年は
長崎県の松浦市にある飛島へ向かった。
鶴瓶は前年(2002年)の放送で夜中に『今夜も眠れない』のコーナー内で中継した際、酔いつぶれた挙句
尻を丸出しにして爆睡したり、「さんまの若手時代の駆け落ち話」を突然暴露したりする体たらくぶりだった事を受けて「今年は酒を飲みません」と宣言。
だがそれにも関わらず、鶴瓶はその後の中継では既に村長と酒盛りをし、夜10時には「居酒屋つるべ」をオープンさせた。その後も
隣に座った老婦人の乳を揉んだり、放送禁止用語を叫ぶなど失態を連発。
深夜、「今夜も眠れない」で中継した際に裸で寝ていた鶴瓶はさんまと中居にこっぴどく叱られた上に、タイミング悪く提供のテロップが出てしまい、さんまが表示されたほぼ全社の名前を言った上で「売れ行き落ちるわ!」とフォロー。中居から「座ってるなんて失礼ですよ!立って、びしっと!!」と言われて立ち上がったところ…
さんまも中居も驚いてひっくり返り、さんまはCMに入った途端「あのおっさん脱いどったぁ…」と呆然。
CMが明けた後さんまは「中居、お前が謝れ…。パンツ穿いとったのにわざわざ脱いでる、おかしいて!もうあのオッサンの為に尽力するのイヤや…」と匙を投げていた。
渋々ながらも中居は視聴者に向けて謝罪したが、さんまは放送には流れていないが、フジテレビの局内で常時流れていた鶴瓶中継の回線映像で風呂に入っている鶴瓶の股間がモロ見えになっているのを見たスタッフが「小っちゃいwww」とつぶやいたことに触れながら、追い討ちとばかりに
「明日映像を見直してみ、鶴瓶にいさん、きっと“どや顔”してるぞ!」
「ジャニーズ事務所も正式に抗議した方がええかも分からんね…。というか、ジャニーズ事務所で鶴瓶にいさん、潰せ」
と、真顔で語った。
コーナーの終了後にも改めて高島が「先程中継の中でお見苦しい点がありました事をお詫び申し上げます。」と視聴者に向けて謝罪する事態となった。
そしてこの事件は後年まで27時間テレビや他番組の中で尾を引く形となった。
まず、鶴瓶は局部露出について後日フジテレビに謝罪。さらにその年の秋に「とんねるずのみなさんのおかげでした」の特番に出た際に高島に謝罪。放送翌日の新聞各紙にも記事が掲載されるほどの事態となった。
翌年の放送でも初めてオンエアのテープを見せられた鶴瓶本人が改めて視聴者に謝罪した。そして、過ちを再び起こす事のないように鶴瓶には前述した通り「南京錠付きの鉄製パンツ」を穿かされたのだ。
これ以前にも1988年の総合司会時には番組中に熟睡した挙句『いいとも!増刊号』では「テレフォンショッキング」のVTR中にソファで横になったことや、1997年の企画「大決戦!日本列島エエヒト怪獣ツルベVSワガママ怪獣ヒトシ」に登場した際には松本人志が鶴瓶の尻に火をつけてその熱さに系列各局の女性アナウンサーの目の前でスタジオを駆け回ったこと、そしてこの上記2年で起こった尻丸出し・御開チン騒動と番組内で何度も問題を起こしたことにより、2005年、制作発表の場で以下の5箇条を叩きつけられた。
「本番中に酒を飲まない」
「本番中に寝ない」
「本番中に脱がない」
「本気で怒らない」
「1つでも多くの企画を実行する」
逃亡劇の末、海猿の手でお台場に送還された鶴瓶はこれらを(逃亡劇の演出のため)実行こそできなかったが、
フジテレビ、そしてライブドア問題に苛まれたニッポン放送へのメッセージを送った。
その後番組に関わった各セクションのスタッフから贈られた自分への感謝の手紙を聞いた鶴瓶はスタジオに来た幹部やスタッフへ感謝のメッセージを送ったのであった。
2012年、「今夜も眠れない」のスタジオにやってきてさんま・タモリ・中居とトークした鶴瓶は「
このコーナーで俺はこの世界から居なくなりかけたんや」と回想して笑いを誘い、中居が鶴瓶の頭にムヒを塗った。「
ムヒが目に入ったんや!!」
1・2事件(2008年)
深夜に放送した『ネタ見せスナック若手芸人の集まる店』でペナルティのワッキーが起こした事件。
ワッキーはボケをかました際、スベった時は「1・2!1・2!」と歩いて他の出演者に近づき、「ツッコんで!!」とツッコミをお願いして頭を叩かれるというネタを披露した。
最初はウケが良かったが、何度もこれを繰り返したのでさすがにスベりが加速し場の空気が凍りつく様になってしまう。最終的に出演者全員がワッキーから逃げてそのままCMに入った。
その後、『27時間テレビ向上委員会』で「30人の芸人をスベらせたワッキーは酷い」というFAXが視聴者から届き、『さんま裏のめちゃイケ』でもワッキーは懲りずにこのネタを披露し関係者全員が振り回された。
のちにこの出来事は「1・2事件」と名付けられた。
番組終盤に行われたコーナー『めちゃイケが選んだ記憶に残る名場面BEST5』では、さんまは「1・2事件」が1位だろうと予想した。
にしおかすみこ号泣(2008年)
にしおかすみこ芸人人生最大の失態。
かつてSM女王様風のキャラと凄まじい音痴ぶりで人気を集めた彼女だが、深夜お笑いパート『復活!有名人の集まる店。貴子ママと若手芸人スペシャル!』で事件は発生した。
コーナーの内容は若手芸人達がさんまや中堅芸人の前でネタを披露するというもの。
しかし、にしおかはやる前からウケる自信がないと不安そうで、ピンクのワンピース姿で女王様ネタを披露するも見事にスベってしまう。途中で中断したり再開したはいいが混乱してネタが不発したりとグダグダになり、最終的にたまらず泣き出す。
大舞台で芸人が号泣してネタを放棄するという異常事態に出演者全員が大慌て。
こうして、本人が危惧した以上に大失敗に終わってしまった……。
これだけならまだよかったが、その後日曜夕方『さんまin「ネプリーグ」』で彼女はまたも失態をやらかす。
号泣した件はなかったかのように明るく振る舞ったが、原田の「朝のことは忘れて頑張れ」というフォローに「朝のことは忘れてますよ!嫌なこと蒸し返さないで下さい!」と発言し、視聴者や他の出演者に反省の色が無いと捉えられる。
さらに、さんまに対し「休み過ぎ」と爆弾発言をかましたり、問題が答えられずキャーキャー叫んだり、「滑舌悪いから問題が聞き取りにくい」と言ってアナウンサーのせいにしてしまい、先輩の名倉やホリケンもにしおかに激怒。勝負的にも対戦相手である「ひょうきん族チーム」の圧勝に終わるという盛り上がりの少ない内容となってしまった。
バスケットボール事件(2011年)
めちゃイケが主役を務めた『FNS27時間テレビ めちゃ2デジッてるッ! 笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃ~ん!!』で発生した事件。
コーナー『すぽると! 美女アスリート合コンSP』にて岡村隆史、中居正広、そして当時めちゃイケに加入したばかりの新メンバーの一人だった福徳秀介がゲストの女性アスリート3人と合コンバスケ3on3を行った。本来なら「調子に乗って女性アスリートへのちょっかいなど問題行動を繰り返す岡村を、福徳らがバスケットボールを投げつけてお仕置きする」というコントになるはずだった。
ところが、このコーナーはスケジュールなどの関係で十分な打ち合わせがされておらず、さらに直前のコーナー『ホンマでっか!?TV』が盛り上がって長引いてしまい、時間がかなり押してこのコーナーの放送時間が激減したのだ。
短い時間の中で関係者一同は予定通りコントを成し遂げようと焦ってしまう。
その結果、
- 時間がないので岡村が問題を起こすという「フリ」ができなかった。そのため岡村は悪い事してないのに最初から最後まで中居らの態度が冷たく、無視したり鬱陶しがるという不自然な流れに。
- 岡村がした事と言えば、パスが来ないので「ヘイヘイ!」叫んだり、シュートを失敗した程度。
- いきなり福徳が敵意丸出しの顔で岡村に一発目からボールを強く投げつけてしまう。以降これを何度も繰り返す。
- これは「福徳!ボール!ボール!」というカンペを見た福徳が焦り、また本番前に加藤にかけられたアドバイス通りにしたため。
- 最終的にめちゃイケメンバー全員が岡村にボールを投げつけ始める。中にはペットボトルやヘルメットも……。
など、まるで「中居や福徳が岡村を理不尽にいじめている」かのような絵面になってしまう。当時の岡村はうつ病による休養から復帰したばかりという事もあってますます理不尽さが際立った。
放送後、苦情が一部の視聴者から殺到し、ネットでは大炎上。
コーナーの関係者全員が叩かれ、中でもボールを何度も強くぶつけた福徳へのバッシングは激しいものとなった。福徳にとってこの件は人生で一番苦い経験となっている。
さらに、近くで見てただけで岡村いじめに一切関わってない女性アスリートまで何故か責められブログが炎上した。
他にも福徳が岡村に悪意を持ってるというデマや悪質な捏造動画も出回った。
その後、岡村はラジオ番組で福徳らをフォローした上で、このコントは失敗だった事を認め謝罪した。これは関係者全員も同様に認めている。
一方で、岡村は福徳らに対してあまりにも行き過ぎた中傷をしたり何もしてない女性アスリートまで責めた視聴者やネットユーザーに激怒しており、かなり過激な発言をした。
実は27時間テレビ放送からわずか数日前、彼に殺害予告のメールが届くという事件が発生しており、同番組で犯人に対する怒りを露わにしている。岡村からしてみれば、殺害予告が届くわコントの件で炎上するわ仲間がいじめ同然の扱いを受けるわで災難の連続だっただろう。あんなに怒りたくなるのも当然である。
なお、福徳らを中傷していた連中は、今度は自分達を非難した岡村を叩き始めたらしい。
余談だが、バスケ事件からわずか一ヶ月後、
8.21フジテレビ偏向報道デモが発生。
このデモ自体はバスケ事件と直接関係はないが、岡村は殺害予告やら福徳らへの叩きやらで人々に不信感を抱いてたのか、デモに対して「嫌なら見るな」とこれまた過激な発言をかました。
―追記・修正はレンジローバーの修理をしてからお願いします。
- コロナで昨年フジの27時間テレビは中止で日テレの24時間テレビは開催して今年はどうなるのか。 -- 名無しさん (2021-03-08 00:21:48)
- ヘキサゴンメインの二年連続ほんと地獄だった、27時間は素直に笑いやってくれよと。三輪車とかあれなんだったん? -- 名無しさん (2021-03-08 00:41:19)
- ↑その前年のひょうきん夢列島が神憑り的な面白さだっただけに、余計にな・・・。 -- 名無しさん (2021-03-08 14:42:12)
- 2000年以降だと2006年のと2011年のがかなり面白かった。だが2007年と2008年のはテレビも無いある場所に3日間行ってた為視聴できなかったんだよな…しかし2015年以降の落ちぶれっぷりはどうにかならんかったんか?生放送じゃなかった2018年と2019年のは全く見なかったな…因みに昔はぷよぷよのゲームで対決する企画もあったらしい -- 名無しさん (2021-03-08 19:39:09)
- 感動路線始まったあたりから徐々に24時間テレビっぽくなってる。24時間の方がとっくに飽きられてるんだから、その路線を真似してもただ同じようにコケるだけなのにな -- 名無しさん (2021-03-08 22:44:04)
- コロナ禍もそうだけど視聴率もあれだから無理してやらなくてもいいかと。無理してやったら視聴率はあれであちらみたいにあれこれ言われたりでリスクしかない気が…。 -- 名無しさん (2021-03-09 10:10:11)
- 記事にも書いてあるように連携能力の強化って目的があるので -- 名無しさん (2021-03-09 16:00:30)
- 今年も中止か。逆に日テレの24時間テレビは今年もやるという。 -- 名無しさん (2021-05-12 11:05:27)
- 27時間テレビの事件ならキムタクに引っ掻き傷作ったのもあったやん。 -- 名無しさん (2022-06-19 07:49:36)
- 2005年頃だったか、テレ朝との同時放送もやってたな -- 名無しさん (2023-02-20 17:35:42)
- みんなのうたとヘキサゴンは世間からの評価低いイメージ。特にみんなのうたはネットに映像が出回ってないから何が悪かったのかわからない。個人的にモーニング娘。が絡んだ2003年を見てみたいんだが -- 名無しさん (2023-06-25 21:05:57)
- 初期の早朝の地方局からの生中継が1番面白かったなあ -- 名無しさん (2023-07-26 16:52:56)
- ダイアンってそんなクラスになってたんだ…吉本さんさすがだなぁ。。声優以上に仕事が集まってるのが芸人界隈な気がする… -- 名無しさん (2023-07-27 00:27:15)
- 今年は面白かったな。多少普段から鬼連チャン観てないと置いてかれたかもしれないがそれでも良かったと思う。 -- 名無しさん (2023-08-11 20:52:35)
- 第一回のベースになった「夢工場」の関連企画でスーパーマリオUSAの基になったゲームソフトも発売された事に触れてやっていいと思う -- 名無しさん (2024-06-16 08:15:43)
- 一回だけ二年連続生じゃなくて収録した奴を流す勉強番組になったけどやっぱりすぐやめたね… -- 名無しさん (2024-06-21 20:35:28)
- ↑三年連続だった -- 名無しさん (2024-06-21 20:37:17)
- ↑やっぱり生放送じゃなくちゃなあ。あれ1分ほどしか見なかったわ -- 名無しさん (2024-06-21 20:37:27)
- 1・2事件to -- 名無しさん (2024-08-28 21:11:17)
- ↑にしおかすみこ号泣事件の詳細は入れないの? -- 名無しさん (2024-08-28 21:11:36)
- なんか詭弁みたいに言われてたけど嫌なら見るなって正論だよな。 -- 名無しさん (2024-10-09 20:13:52)
最終更新:2024年10月09日 20:13