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アンマリジャブルフレンド

アンマリジャブルフレンド(結婚できない友人:unmarriageable friend)という造語を作ってみました。英語が正しくないかもしれません。ここで表現したいのは、結婚をしたくてもできない可哀そうな友人の話ではなく、結婚できないけれども信頼し合っている間柄のことです。これが今自分の中で「欲しいな」って思う関係性なのです。

 

結婚できない理由はなんだっていいのです。同性だから、見た目が好みじゃないから、人生設計が違うから。それでも、気をつかわずに接することができ、なおかつ相互に持続したいと思っている関係性です。たぶん「セックスできる親友」くらいの表現がわかりやすいかもしれません。結婚以外のほとんどのことはできるくらい仲のいい関係です。

 

「パートナー」という関係は、人生を共にする間柄でしょう。アンマリジャブルフレンドはそうではなく、個人の人生は別々に過ごします。互いに彼氏彼女が居ていいんです。

 

セックスは関係性を強固なものにする効果があります。普通の親友とは違ってセックスする。そうすることで排他的に固有の関係性を自覚することができるのです。しなくてもいいですが。

 

お互いに自分の恥ずかしいところをさらけ出して受け入れることができる関係性。受け入れるだけで、同調や強要はしない。依存せず自立している。互いをリスペクトしあっている。友情より深いが恋愛ではない。好きか嫌いかで言えば好き。愛してるけど恋してない。寂しいときは構ってほしい。異性同士で物理的・社会的に近しければ結婚した世界線もあるかも。

 

人生に過干渉しない程度に好き同士。そういう相手が欲しいです。

 

初心者のための麻雀Tips7

Tips1:数牌が宣言牌のときはスジの信用度が下がる

 

逆をいうと

 

Tips2:字牌が宣言牌のときはスジの信用度が上がる

 

宣言牌はイーシャンテンから聴牌に変わる時まで持っておきたかった牌。手牌に絡むことが多い。
イーシャンテンのときに不要牌を抱えられるのはターツ×ターツの形のみ。
ターツ×ターツのうち愚形のこりの場合は、フォロー牌を抱えることがある。
逆にいうと、ターツ×ターツのうちリャンメン×リャンメンは不要牌を抱えても問題ない。
つまり、抱えられた不要牌≒安牌≒字牌が宣言牌になるのはリャンメン×リャンメンのことが多い。
したがって、リャンメンターツへの放銃回避方法であるスジの信用性が上がる。

 

MEMO イーシャンテンの形

くっつき:

ヘッドレス:

完全イーシャンテン

ターツ×ターツ

 

これをもってTips1を再確認すると

つまりは、リャンメン×リャンメン以外の可能性が多いということ。その場合、愚形受けの可能性も高くなる。

 

Tips3:完全イーシャンテンにきめて対子固定すべき

4つ選択肢がある。2p、3p、7s、8s。
このときは対子固定をして、つまり3pか8sを切るべき。

MEMO 受け入れ枚数の比較

摸[ 20枚 ]
摸[ 20枚 ]
摸[ 16枚 ]
摸[ 16枚 ]

 

Tips4:端のスジの方が安全

 

が捨てられているときの

が捨てられているときの

が捨てられているときの

これらは危険度が違う。

安全なのは1、2、3の順。
というのも、愚形の組み合わせが異なるから。
1は1タンキ、11シャボのみ。
2はくわえて1-3のカンチャン。
3は(2-4のカンチャンにくわえ)さらに12のペンチャン。

 

Tips5:左隣の人が今さっき捨てた牌がもっとも安全牌

 

リーチ者には通っていた牌で他家からロンされた経験は誰でもある。
もっとも安全なのは、上家がさっき捨てた牌である(ルール上、誰からもロンされない)その次にノーチャンスを考える。

 

MEMO ノーチャンス

4枚みえた牌の外側・周辺は安全度が上がる

1が4枚みえたら:1-3,12-の形がなくなる(2,3がちょっと安全)
2が4枚みえたら:-23-,12-,2-4の形がなくなる,1が安全(3はやや安全)
3が4枚みえたら:1-3,-23-,-34-の形がなくなる→1,2が安全

 

Tips6:序盤牌の切り方による傾向

3・7から切る→チャンタなどの役ねらい。
2・8から切る→タンヤオでないことが多い。役牌対子のことが多い。
1・9から切る→タンヤオかな?
役牌から切る→リーチを目指している。
(誰かの)ダブ東/南から切る→リーチを超目指している。
オタ風から切る→わからない。

 

MEMO 第1打東

リーチを目指しているときは、親に鳴かれる前に捨てるというため良い手段。
しかし、鳴き手やオリ手の場合は最後まで切らない選択肢もあることを忘れずに。

 

Tips7:最後に信じるべきは確率

己ではない。

 

J-pop DJのはじめ方 Dig・分類編

前回・前々回の記事につづき、J-pop DJの方法を記載していきます。

urara-k.hatenadiary.com

urara-k.hatenadiary.com

 

今回はDig編です。

 

 

 

Dig編といっても、今はストリーミングサービスやwebストアがありますので、探し方の話はあまりしません。webですぐ購入できてしまいますので。どう探すかではなく何を探すかといった方向の話を主にします。つまりJ-popの歴史と分類のような、座学チックな話になります。

 

どんなJ-popをつなげると「うまい」のかというと、文脈(前回の記事ではタグ)が近いものなのです。そのためには、タグってどういうものがあるのか、つまり、楽曲をどのように分けたらよいのかという話になります。

 

時代による分類

平成 西暦 期の名前
1~4 1989~1992 プレJ-pop
5~7 1993~1995 ビーイング
8~10 1996~1998 TK
11~14 1999~2002 JK
15~19 2003~2008 さくら
20~24 2009~2012 AKB
25~31 2013~2019 LDH

平成のJ-POPを7つの時代に分けてみたらいろいろ見えてきた 〜LL教室の試験に出ないJ-POPイベントふりかえり - 森の掟

 

上記サイトではこの7つの分類をしています。詳しくはリンク先を見ていただきたいのですが、それぞれの特徴はざっくり以下のとおりです。

 

1990年代(バブル崩壊阪神淡路大震災

2000年代(携帯電話・インターネットの普及)

2010年代(CD不況、東日本大震災

 

この分類のよいところは、J-popが時代によって特徴づけられているところです。ですから、同じ期の楽曲でつなぐと「なつかしさ」「あの頃」を演出することができるのです。また、年代で区切られているため、自分で楽曲がどの期に入るのか分類しやすいのもポイントです。

ただし、音楽性として必ずしもまとまってはおらず、ロック色が強い楽曲といかにもポップスな曲が同じ期に入っているということもあります。ですので、曲調に親和性が少なく繋ぐのが難しいのです。

 

 

感性による分類

ソケッツレポートNO.9|株式会社ソケッツ

上記サイトでは感性をもとに10個に分類しています。

 

topic1:切ない恋愛系ソング

topic2:苦悩、憂鬱系ロック

topic3:パワフルな励まし系ロック

  •  FANTASISTA / Dragon Ash(2002)
  •  ねがい / B'z(1995)

topic4:軽やか・明るい、さわやか系J-POP

topic5:励ます、優しい・あたたかい系ソング

topic6:軽やか・明るい、アイドルグループ系ソング

topic7:温かい・穏やか、感動的バラード/メロウ系ソング

topic8:人生、ゆったり、ほろ苦い系ソング

  •  夢うぐいす / 天童よしみ(2003)
  •  プロポーズ / 純烈(2018)

topic9:ラップ、R&B、ヒップホップ、ダンサブル系ソング

topic10:夢・頑張る、あたたか、さわやか系ソング

  •  Daylight / 嵐(2016)
  •  二人セゾン / 欅坂46(2016)

 

この分類のよいところは、感情を揺さぶれるところです。失恋ソングでまとめたり、ダンス調の曲でまとめたり、演出の手札が増えます。

しかし、トピック数が10と多く、新たに楽曲を分類するとなると手間がかかるのが欠点です。例えば、キリンジの「エイリアンズ」ってどこに入るんだろう……と迷ってしまいますよね。繊細な音なのだけれど、別れがテーマではないし、バラードが近いのかな? など。

 

わたしの分類

私は感覚的に、楽しさ「POP」落ち着き「CHILL」激しさ「HARD」の3つに分類しています。

落ち着いたバラードはCHILLとPOPの間、HIPHOPはCHILLとHARDの間、シンセが特徴的なcapsule小室哲哉はPOPとHARDの間に置いています。あまり細かく分けすぎても頭が追い付けないので、ものすごく好きなジャンル以外はこういうざっくりとした分け方でとらえています。

そして、この距離的に近いジャンルのもの同士ならばつなぎやすいのではないか、と思っています。

アゲ・サゲの2種類だけで区別している人も居るかもしれません。CHILLはサゲでHARDはアゲですね。私も最初はこの2つで分けていたのですが、しかし、次のような曲はどちらにも分類できないため、もう一つの軸が必要となったのです。

 

youtu.be

 

youtu.be

 


 

分類について まとめ

J-popのDJはある曲の文脈と別曲の文脈を並べることで相違を提示し演出しています。つまり、A曲とB曲がどちらも平成アイドル曲であった場合、「平成アイドル」というなつかしさを場で共有できます。例えばアイドル戦国時代の曲を使えば、その頃の話で盛り上がるのです。これが楽しいのです。具体的には、フライングゲット/AKB48BPM:131)→サイレントマジョリティー/欅坂46BPM:132)などです。

 

そのため、曲から想起されるイメージをある程度まとめておくのが便利なのです。音楽的なジャンル分け(PopsやRockなど)とは別に雰囲気によるジャンル分けがあるとよいのです。

 

その3つの例が、時代による分類、感性による分類、わたしの分類(感覚的な分類)でした。2つめと3つめは、結果は似ていますが、分類のしやすさが大きく異なります。結局、自分で曲を探して手に入れてプレイするわけですので、自分で分類しやすい方がおトクなのです。

 

具体的な作業としては以下のとおりです

・気になった曲を自分で分類してみる(どの分類法でもOK)
・同じグループに入っている曲でつなげてみる

 


 

曲を探す

上の作業をするにあたって、「同じグループに入ってる曲」のストックがない。という問題にぶつかります。

 

これには2つ解決策があります。一つ目はひたすら曲を聞き、自分で分類していくことです。もうひとつは似ている曲を探してくれるサービスを使う方法です。

 

last.fm 

www.last.fm

 

spotifyの選曲でもいいですね。気になる曲を4つほどいれたプレイリストをつくって、サービスがオススメする曲を更新し、気になった曲をプレイリストに入れていくのです。

open.spotify.com

 

また、カラオケや企業のランキングサイトも参考になります。

www.joysound.com

www.karatetsu.com

www.oricon.co.jp

 

新しい曲を調べるにはタワレコ、流行りの曲を調べるにはショート動画がオススメです。

tower.jp

 

 


 

以上、Dig編として自分なりのJ-pop分類法をまとめました。

これを通して、J-pop DJが増えて、J-popイベントも充実していくことを願っています!

 

VRChatは「いき」か?

「いき」とは日本人に特有の美意識のことです。「いきだね」というと、何となく素朴で格好よい印象をもちます、それのことです。いきについては九鬼周造が哲学的考察をしました。

 

九鬼によると、いきは媚態、意気地、諦めの3つから成り立つとされています。

  • 媚態:異性を惹きつけるしぐさや身なり
  • 意気地:武士道精神、自主独立性、禁欲性
  • 諦め:万物はうつろいゆくもの

 

媚態とは、相手に近づき相手を自分のものとしてしまう態度のこと。可能的関係。
ここでいう、相手を自分のものとすることそのもの、相手と自分を同一とすることを合同といいます。

性風俗で例えましょう。
性風俗には恋人接客なるものがあります。淡々と性的サービスを与えるのではなく、「趣味も合うし、この人とここで会えたのは運命かも」「好きになっちゃう」といった疑似恋愛感情を与えるのです。こうしたもしかして感、可能的関係が媚態なのです。

 

意気地とは、相手との距離をとろうとする態度。自己を保つ強さ。
恋をすると、相手は私のことをどう想っているのだろうか、と意識してしまいます。それは、どうしたら相手に好かれるだろうか、と相手に従属し自己を失っている状態です。そうならない自己の強さ、武士道的な精神を意気地といいます。

 

諦めとは、よい距離感を保とうとする態度。他者の尊重。
たとえ合同したとしてもそれが永遠に続くわけではない、合同したら一発逆転できるわけではない。例えば自身の抑圧を恋愛が叶うことで払拭できるという独断な仮説、執着を諦めることです。「運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心」。

2人は結ばれ、笑顔の絶えない家庭を作ったなどという結末はいきではないのです。
前の例の続きだと、好きになっちゃうかも……といった感情の先に「でも嬢――客の立場だしな」と冷静になるのです。

 

ここまでがいきの復習です。コケットリーやダンディズムに近い印象をもちますね。

 


 

それではメタバースやVRChatと「いき」について書かれた記述はないでしょうか。

それが、現代思想2022年9月号にあります。

 

記述を読んでいくと、メタバース、とくにアバターに関しては「いき」ではないと難波は指摘します(現代思想,2022:9)。「現実のおしゃれにあった美的なよさがない。それは、諦めによって現状を引き受けその中で生き続けることで醸し出される格好良さだ。」と、表現に関していきではないと述べています。美的な指摘としていきではなく、逃避であるとしています。さらに現代思想の記述ではこの後やましさについて論じています。

 

続いて「互いに身の上話をするまでは、純粋な個人と個人として出会うことができる。そこに、苦しみを感じることから来る道徳的なやましさはない。」とあります。

私はここに原住民として肌感覚の差があるように感じます。つまり、メタバース(ここではVRChat)は互いに身の上話をするようなコンテンツではないかということです。

 

VRChatは美少女ビジュでボイスチェンジャーをもって、性別を無もしくはkawaiiにできるサービスともいえます。しかし、プレイしつづける、継続するということは他者との関係性を築くということにほかなりません。したがって、会話をし、自分を知ってもらい、相手を知り、コミュニケーションをするのです。

もちろん、現実の自分とはまったく別のキャラクターを演じることもできます。ただ、肌感覚としては、そういった人はまれで、多くは現実もメタバースも地続きのキャラとして生活している感があると思います。

アバターを選ぶ基準であったり、話し方であったりそういった趣味嗜好から、現実の他者像がみえてくるのです。もっとも、Twitter(X)を併用しているユーザーが多く、メタバースと現実をつなぐ役割として機能させていると思うのです。

まったく、Twitterでは見ない、VRChatだけでしか知らないユーザーと、身の上話をせずに継続して関わり続けること。それは想像しにくいかな、と思います。

 

難波とは違う点について考察しているので、異なった内容になるのはあたりまえです。前者は表現について、私は関係性についてです。

だから、一概にいきかどうかいえないと思うのです。自身の趣味前開なアバターに対していきとは言えません。ですが、独身アラサー男性(全員ではありませんが)が社会との関わりをもとうとしている一つの形としてはいきだと思います。

 

『放浪息子』漫画読書感想文

志村貴子放浪息子』(コミックビームエンターブレイン,2002-2013)の読書感想文になります。



物語の概要

物語の構成

この物語はいくつかの視点から区切ることができますが、もっとも簡単な分け方は主人公である二鳥修一(にとりん)の就学による区切りかたでしょう。つまり以下の分け方です。

放浪息子』就学による構成区分

  • 小学校:1巻~4巻
  • 中学校:5巻~12巻の途中
  • 高校:12巻の途中~15巻
主な登場人物

本作は群像劇であり、複数の視点から描かれています。ですから、主な登場人物についてまとめておきましょう。

  • 二鳥修一(にとりん
    メインの視点。女の子の格好をしたい男の子。可愛い。
  • 高槻よしの(高槻くん)
    第2の視点。男の子の格好をしたい女の子。かっこいい。
  • 千葉さおり(千葉さん)
    第3の視点。にとりんが好きな女の子。わがままで可愛い。

ほかにも登場人物はいますが、主要なのはにとりん、高槻くん、千葉さんの3人です。

1巻pp1-2


 

小学校

主な事件・できごと

転校

高槻くん・千葉さんから服をもらう

ユキさんとの出会い

交換日記
↓(モデルになる)
新郎新婦とからかわれる

告白

 

小学校時代でもっとも大きな事件はにとりんから高槻くんへの告白でしょう。
ここを深掘りする前に、まずは三角関係があることを整理します(本当はもう一つ矢印があります)。

にとりん→好き→高槻くん

好き

千葉さん

 

にとりんが高槻くんを好きというのは、告白シーン4巻p134でわかりますが、実際はもっと前から好意があると思います。

高槻くんへの好意

最初、高槻くんからにとりんへ服をあげたのはそういった好意ではないでしょう、単純なものです。しかし、ユキさんとの出会いから、「互いに異性装をしてニューハーフのお姉さんの家に遊びに行く」という2人だけの秘密を共有することになります。内心をうまくしゃべれないからと交換日記を共有します。互いに内心をさらけ出して交友していくなかで好意が生まれるのは自然なことでしょう。

そんななか、2人がキスをしていたと見間違えられ、新郎新婦とからかわれます。2人はつきあっているわけではなかったのですが、「つきあってるかも」「はやくつきあえよ」という外野によって、あらためて2人の関係性を意識するのです。4巻では無意識が関与するとされている夢をつかって2人の頭の中を表現しています。

 

千葉さんからにとりんへの好意は1巻p106誕生日に服をあげるシーンから描かれています。2巻p129には「高槻さんからはもらうくせに」と嫉妬がみてとれます。

オカマといわれたにとりんをかばった千葉さんは嬉しいことがありました。2巻p186でみれるとおり、『赤毛のアン』というにとりんと2人だけの共通点をみつけることができたのです。



特徴的な描写 [無言のコマ]

高槻くんの生理、にとりんの夢精(精通)といった身体的変化も描いています。『放浪息子』はこういった表現の仕方がとてもうまいので、例として、1巻のある場面を引用します。

あらすじ

にとりんは女装、高槻くんは男装して少し遠くの街に出かけてみようというところです。高槻くんはまえからやっていて、にとりんは今回初めて。最初は勇気がなかったのです。

街についたとき偶然にも高槻くんは生理が来てしまいました。おそらく初潮で、トイレから出られない高槻くんの代わりに女装したにとりんがナプキンを買ってきました。いち段落した後、せっかく街にでかけたのだから買い物しようというところです。

1巻p152

右下のコマに注目してください。何もセリフもないコマです。それだけでなく高槻くんが見切れています。前のコマまではにとりんの方を向いていたのに急に逆方向を見ているのです。そしてつぎのコマでは場面が変わっています(高槻くんの家)。さらにこのコマだけ背景がグラデーションになっています。

にとりんは一緒の思い出としてお互いにプレゼントしあいたかったのでしょう。しかし、高槻くんは突然の生理に感情が追いついておらず、にとりんの前で強がるだけで精一杯なのです。なので、ちょっと投げやりな態度になってしまうのでしょう。

そのツンさを表した1コマだと言えます。

 

 


 

中学校

登場人物の増加(人間関係の複雑化)
  • 有賀誠(マコちゃん)
    にとりんと対比する形で存在。女の子の格好をしたい男の子。外見は可愛いわけではない。主要の3人のなかでは、にとりんがもっとも描写されるので、対比されるマコちゃんの存在も重要になります。
  • 更科千鶴(ちーちゃん)
    自由人。スタイルがいい。高槻くんの行動の源になることが多い。
    常識人枠で世間の役割をする白井桃子と仲がいい。
  • 末広安那(あんなちゃん)
    にとりんの姉、二鳥真穂の友達。モデル。
  • 土井伸平
    カースト上位とかチャラ男とかそういうかんじの描かれ方。ここでは嫌な奴。
主な事件・できごと

文化祭準備

買い物(ブラジャー→ナベシャツ)、姉の下着を着る

文化祭:演劇

ニキビ

あんなちゃんと付き合う(マコちゃん、高槻くん、千葉さんにも知られる)→カラオケ

女装して登校

高槻くんが告白される

あんなちゃんと別れる(時系列不明)

文化祭:演劇

志望校

高槻くん兼田先生が好き?

文化祭:ファッションショー

受験

 

中学時代で一番の事件は女装して登校したことでしょう。この前後、にとりんたちが2年生のころがもっとも激動の時期だったと思います。

なぜ女装して登校したのか

間接的な理由と直接的な理由の2つがあると思います。
間接的な理由。ちーちゃん→高槻くんと男子の制服で登校し始めました。着たいものを着ていいというまっすぐな気持ちから来るものです。これは別に先生に怒られたり学年問題になったりしていません。
直接的な理由。8巻p164、土井に「おまえこれで学校来いよ」といわれたからでしょう。しかしにとりんはさすがにすぐ行動には移しませんでした。友達に相談したのです。

女装登校にみんな否定的 8巻 第65話

でもみんな否定的だろうなと考え(高槻くん、千葉さん、マコちゃん3人とも相談したらダメって言われるだろう)、ちーちゃんに相談することにしました。

ちーちゃんに相談:「でもいじめられたりしないかな」「男子の方がハードル高いじゃんこういうのは」「変態扱いされるからじゃない?」「学校でするのはすすめないけど/決めるのは私じゃないよ/にとりんだよ」

帰り道に高槻くんにも相談、というか制服を借りに行きました。

高槻くんに相談:「だめだってばしたがっちゃ」「だってなに言われるかわかんないよ」

「決めるのはにとりん」もともと女の子の格好をしたかったにとりんが好意的にとってしまったともいう言葉でしょう。あとでちーちゃんも反省しています。

女装/男装に対するにとりんと高槻くんの比較

7巻p68、高槻くん。(リボンつけたくないんです)「あ…あの」「すみません」「失くしました…」(でも)(言えなかった)

9巻p32、にとりん。「ぼくも」「ずっとこういうふうにしたかったんです」「…女の子になりたいからです」

9巻p90、高槻くんからにとりんへの手紙。「どうして着たい服を着たらいけないんだろう」「私はずっとそう思っていました」「でも前に二鳥くんが言ったこと」「『私はなにも言われないから』というのはすこしあたってるなあと思います」「私はちーちゃんがいなかったら男子のかっこうで学校に行けなかったと思います」「二鳥くんの立場だったらきっともっとむりです」「二鳥くんはすごいなあ」

高槻くんはここぞという勇気がなく、にとりんにはそれがあるという対比が描かれています。

 

特徴的な描写 [無言の見開き、フキダシ]

少し長いが10巻pp60-65を引用します。とくに真ん中の、台詞のない見開きに注目したいです。


麦わら帽子をもらって、合法的にかわいい格好ができる嬉しさがありました。しかし長ズボンをはいている男性をみて、大人の足になること(日焼けが嫌だということ、すね毛が生えるのが嫌だということこの2点のうちどちらかもしくは両方)を思い浮かべたのでしょう。さいしょはうきうきでしたが、走って、焦って、行動してしまったのでしょう。どちらかというとおそらくは日焼けかなと思います。p60p62の中段、p65左下に空だけのコマがあり、それに全体的に背景が白く太陽光を示しているようで、天気がいいことが強調されているからです。

このように、無言でも訴えかけるようなシーンが特徴的なのです。

また、フキダシにも注目してみましょう。このシーンでは、コマの枠を突き抜けているフキダシが多いです。p60やp65なんかは、おばさんのセリフがコマとコマの間にかかってます。つまり、一時一時ではなく、コマとコマをつないで連続の時間が流れていることを読者に伝えています。主要登場人物以外・主人公はそんなの流し聞きしているという態度を示しているわけです。

 


 

高校

主な事件・できごと

バイト

みいたんのおとうさん

高槻くんモデルになる

あんなちゃんとキス

小説を書きはじめる

たびたびオナニー

あんなちゃんとセックス

ぼくはおんなのこ

高校時代はいままでのまとめのようなものです。小説を書き始めたあたりから、物語が終わりになっていくのを感じます。オナニー、キスやセックスといった性的行為が描かれているところから、年齢相当の恋愛をしているのがうかがえます。とても自然で表現がうまいのです。志村貴子のうまさは、直接語らずに後から「そうだったのか」と気づかせる描き方をするところです。例えば、15巻p141チアガールの衣装を着て応援団をすることをあんなちゃんに報告するシーン「でもあたし」「あのかっこするシュウとエッチする想像してたよ」(という告白を本人から聞かされたのは体育祭が終わってだいぶ経ったあと)(ぼくが彼女とはじめてセックスをした日よりももっとあとだった)。

 

にとりんと高槻くんの対比

主に高槻くんの心情変化が(多くはモノローグで)語られています。

14巻

p17(二鳥くんは女の人になりたい人ではないの?)(わたしは男の人になりたい)
p22スカートをはくことに対して「こんなの裏切りじゃない?」「なんで?」「着たい服着ようって言ったの高槻さんなのに」「それとなにがちがうの?」(やっぱり二鳥くんはかっこいいな)

15巻
p20(私はずっと男の子になりたいって思ってて)(二鳥くんは女の子になりたいって)私は……(最近あんまり思わなくなってて…こんなのは裏切りだと思う)(でも二鳥くんは全然)――(わたしも二鳥くんみたいになりたかった)
p37(だってぼくは男だし)(これはさけようのない事実)(ヒゲもスネ毛もそらなきゃいけなくなるし)でも(女の子の服が着たくてあんなちゃんのことがすきな)(男だ…)
p41「てゆーか…自分がすっごい女の子のかっこしてるときに会っちゃったからそれですごい恥ずかしくて…」「え――似合ってるのに」「わたしまだなかなかいさぎよくなれなくてさ」「にとりくんはにとりくんはかっこいいね!」「わたしもはじめはそうだったのにどこで道 まちがえちゃったんだろうなぁ」――「高槻さんははじめて会ったときからずっとかっこいいよ」「かっこよくないよー迷いっぱなしだもん」
p44(考え方って変化していくんだと思う たぶん)(昔の自分の言葉ってさ そんなに絶対?)(ぼくは全然いさぎよくなんかない)(高槻さんはもともとかっこよかったしきれいだったしかわいかったけど)(もっとずっときれいになってて)(正直うらやましいと思ってしまった……)

高槻くんは自分の外見や性別に受容して自信をもってきたことがまとめられています。対して、受け入れるのではなく変化を求めるにとりんをかっこよく思っています。

高槻くんの恋心

高槻くんがにとりんへの恋心に気づいていくシーンです。
15巻
p104(男の人の声)
p106(二鳥くん?)(行きも帰りも会うなんてすごくない?)
p112(二鳥くんとはトイレの前でもう一度会った)(へんだなそれだけのことなのに)
p115(今日も二鳥くんを見かけた)――(帰りの駅では会わなかった)(ホッとしたようなさみしいような)(次の日の朝も会わなかった)(今度ははっきりさみしかった)
p119(二鳥くんを好きだなと思った)(でも二鳥くんにはあんなちゃんがいて)(わたしはもっともっと子供のころ二鳥くんに好きって言ってもらえたのに)(本当に子供だったから…)
p113「わたしたぶんもう男の人になりたいと思ってない…」――「あとねえ二鳥くんのことが好きみたい」
p137「二鳥くんとつながってたものがそうでなくなっちゃったっていうか…」

にとりんと高槻くんは恋とかいう感情以上につながっている大切な存在だと、思うのです。コフートでいうところの鏡像的な自己愛の対象です。自分とうり二つのような対象を経て自己を見つめなおすのです。そんな相手に思い入れがないほうがおかしいでしょう。

 

一方、千葉さんは二鳥くんと高槻さんばかりつながっていて、私が入り込めない、と漏らしていました。ですが、にとりんがまとめるために小説という形をとったのは、千葉さんとの共通点だからかもしれません。その証拠に15巻p198にも千葉さんがでてきます。

 

特徴的な描写 [フキダシ]

15巻p41

感情が揺さぶられているのがフキダシの枠が上下していることにみられます。また、フキダシ同士がくっついているのも、途切れないようにがんばって話していることを示しています。

下段中央、空白のコマは情報がありません。しかし、このコマをおくことによって、「にとりくんは」と「にとりくんは」の間に時間があることを示しています。

志村貴子の漫画にはこういった空白のコマ、もしくは空白とセリフだけのコマが存在しています。時間や空間の流れを演出し、全体的に透き通った空気感を感じさせます。

 


 

ストーリーとしてはセクシャリティをテーマにしながら、漫画表現として繊細な心情描写を描いている素晴らしい作品です。

漫画表現でも、絵のタッチやコマやフキダシからなる空気感がそれを強調させてよいです。

 

実は私もにとりんと高槻くんがくっつくと思っていました。いやしかし、出会ってからこれまでの経験から得られた感情は、恋愛とか友情とかそういうのを超えた大切な存在になっていると考えるのです。

 

小説の読み方:現代文解釈の基礎、私的まとめ

 

現代文解釈の基礎のまとめです。小説部分のみになります。

www.chikumashobo.co.jp

 

登場人物

Ⅰ-1 主人公の輪郭 ―主人公はどのような人物であるか―

主人公がどのような人物であるかはハッキリ書かれない。
→主人公の平素の様子、年齢・容姿・身分、発言、行動から内面的性格をとらえる。

Ⅰ-2 主人公をめぐる人間関係 ―お互いに相手をどのように意識しているか―

対人関係もまた、どのような関係かはハッキリ書かれない。
→平素の態度、年齢・容姿・身分、発言、行動から内面的な人間関係をとらえる。

 

e.g.)羅生門の序盤(青空文庫リンク
平素の様子:暮らしのあてがない
年齢・容姿・身分:下人
発言:なし
行動:盗人になる勇気がない
→暮らしのあてがないのにもかかわらず呵責があって行動に移せない良心的な人物

 
Ⅱ-1 人物の性格 ―登場人物の発言や行動から性格を読む―

発言や行動から内面的性格へと抽象化する。上の例でいう、「良心的」とまとめること。
→「良心的」と仮定できたら、今後の発言や行動といった具体的な表現が「良心的」かどうか判定する。

Ⅱ-2 人物の心理 ―登場人物の心理の起伏を追求する―

仮定した内面的性格からズレた発言や行動がみられる場合
→心理の起伏がある。

Ⅱ-3 人物の思想 ―登場人物の思想を知る―

逆にブレないもの(にくいもの)→思想。

e.g.)山月記の終盤(青空文庫リンク
李朝の性格
文中から:臆病な自尊心と尊大な羞恥心
行動から:「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった」(乏しい才能を磨こうとしなかった)
→自分には才能があると自負しているが軽んじられるのを恐れている
→詩人として、誰かに訴えたいのに誰も聞いてくれない
→虎の咆哮として描写

 

心理起伏
描写から:人語を話せる
発言から:「おれはすでに死んだと彼らに告げてもらえないだろうか」妻子へのメッセージ
→詩人としてではなく、家庭をもつ人としての心理が回復

 

思想
描写から:しかし、結局は虎に戻る
→ほんとうに人の心が強いのならば、まずは妻子への言葉から始めるべきだった
李朝は自身の詩を旧友に聞かせることから始めてしまった

 


構成・表現

Ⅰ-3 構成を調べる―事件の中で最も大きく変化したものは何か―

物語(できごと・イベント・事件)の展開、これを時系列でまとめる。
→大きな転換点を見つける
→メインテーマにつながる
→小さな物語がその転換点やテーマとどうかかわるかを考える

Ⅰ-4 全体の主題 ―全体から訴えてくるもの―

作者が特に描写しているところをみつける。そこに作者の主張、訴え、描きたかったものが語られている。

 

e.g.)羅生門の終盤(青空文庫リンク
事件
老婆を発見→老婆へ問い詰め→老婆が弁解→老婆から引剥(着物を奪う)→逃走
転換点:老婆から引剥
→良心的な主人公であったが、盗みを行ったから

 

主題
描写から:「かみつくようにこう言った。」「それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。」「下人のゆくえは、誰も知らない。」
→心理から行動にかかる描写が丁寧
→生きるための必要悪というテーマだが、作者の描きたかったものはそれではない
→丁寧な行動描写から読み取れる心理の屈折

 

Ⅲ-1 主題をつかむ ―「どんなことが」書かれているか―

主題:どんなことが書かれているか
すなおな感想、あらすじをまとめてみるのが一番。
→部分部分が、全体に対してどのような役割をもっているか、解像度を上げる。

例えば、「少年の悲しさ」という感想をもった
→分析→「大人の無理解」と接するところで述べられていることがわかった
→解釈→「大人の無理解と少年の夢との矛盾」が主題

Ⅲ-2 意図を解釈する ―「どのようなものとして」書かれているか―

意図:どのようなものが書かれているか
意図とは作者が作品を「こうゆうふうに書きたい」というときの「ふうに」
→作中人物に発言・行動をとらせて意図を表現している。

例えば、メロスは一時の裏切りを罰するために、殴られることを望む
→豪快で男性的な像として描かれている
→たくましい男性像を書きたいという意図

Ⅲ-3 文体を解釈する ―「どのように」表現されているか―

文体:どのように書かれているか
堅苦しい言い回し、会話主体の表現などの書き方。
文体によって受け取り方が変わる。

 

e.g.)こころ 下 先生と遺書(青空文庫リンク
事件
「私」が「お嬢さん」に恋心を抱く→「私」がKを呼ぶ→Kが「お嬢さん」に恋心を抱く→その恋心をKは「私」に伝える→(先にとられると思った)「私」が「奥さん」に、「お嬢さん」との結婚を申し込み承諾される→(親友に恋心を暴露したら、その親友が意中の相手と結婚するとなり、どうしようもなくなり)Kが自殺する→「私」は遺書を見つける
転換点:Kが自殺する、遺書をみつける

 

主題
感想:NTRというか、BSSというか……人が死んでも平然といようとする強がり
→知識人(インテリ)としての表現、「私」もKも
→「おれは戦略で勝ったとしても人間としては負けたのだ。」という勝ち負けにこだわる幼稚さ
→幼稚な自尊心をもつ知識人の弱さ

 

意図:「私は震える手で、手紙を巻き収めて。ふたたび封の中へ入れました。私はわざとそれをみんなの目につくように、もとのとおり机の上に置きました。そうして振り返って、襖にほとばしっている血潮をはじめて見たのです。」
→遺書に「私」の格下げになるようなことが書かれてないことを確認し、もう安心だからと元に戻した
→緊張感とどうしようもなく弱い人間像
→知識人としての自尊心と弱い人間像

 

文体:過去を淡々と語るような表現
自己憐憫を美化させるような文学

 


 

まとめ

登場人物

  • 人物像はハッキリ書かない
  • 発言や行動、誰かから言わせるなどして輪郭をつかむ
  • つかんだ人物像には刻々と変化する心理、大きな事件がない限り変化しない思想がある

 

構成

  • できごとについてまとめる
  • 転換点をつかむ
  • 物語を通した印象と各構成がどのように作用しているかが主題
  • 主題を通して作者が表そうとしたものが意図

 

全体をとおして、(登場人物も構成も)具体的なものを抽象的なものにまとめて、それと各箇所がどのように関係しているかをつかみ、全体の輪郭をハッキリとさせるような作業になる。

 

「メタバース選民思想」とは何か を読もう!

メタバース選民思想」とは何かを一緒に読んでいきましょう。

note.com

 

 

この文章は大きく3つの意味段落からできています。1つめはメタバース選民思想について。2つめは選民思想ができた原因の仮説(想像)。3つめは総括です。

 

 

1 メタバース選民思想について

まずはメタバース選民思想について確認してみましょう。そのために、選民思想について述べている個所をピックアップします。

選民思想とは、メタバースで自分自身の現実状況と仮想現実状況の勘違いし、自分が他とは違う選民であるかのように振る舞う行為のことである。(メタバース選民思想の表象ケースの総括)

引用元の文法におかしいところがありますが、おおよその意味はわかります。生身の自身がもつ特徴と、バーチャルなユーザーとしての自身がもつ特徴は違っているということでしょう。

ここだけでは選民であるかのようにふるまう行為について十分に情報がないので、別の箇所をみてみましょう。

 

どこかでメタバースは現実世界の一般的な遊びとは違う高尚なものだといった選民思想(「メタバース選民思想」の出発点)

 

「俺らの趣味メタバースだから!最先端だし!」みたいな選民思想がありそうだわなと考え始めたわけ。(「メタバース選民思想」の出発点)

なるほど。高貴なもの・最先端のものとふるまうことが選民的なのだと述べています。

 

これでひとまず選民思想について大まかな輪郭をつかめました。

 

 

一方で、私の方で「メタバース選民思想について」と勝手に区切った意味段落ですが、本文はほかの主張も混在しているのです。それが起爆剤を作れなかったことへの批判です。起爆剤の話が原因で選民思想について思い至ったという流れならば奇麗にまとめることができるところ、2種の主張を混ぜているため多少読みにくくなっています。そこで、いったんは起爆剤の話をまとめることにしましょう。

 

 

  1-1 起爆剤

スタンミによってユーザーが流入した現象に対しての話です。

まず前提として、記述をみると筆者はVRChatの認知度をあげてユーザー数を増やすことは良いことだと考えているようです。そして、そういった活動をしていたユーザーもいるのだそうです。

筆者はなぜそういったユーザーはスタンミのように爆発的なユーザー流入を起こせなかったのかを反省する必要があると述べています。

なぜ我々だけでそういった現実世界へ向けての価値の転換を含んだ爆発を起こせなかったのかは大いに検討すべきである。(「メタバース選民思想」の出発点)

 

なぜ今まで多くの人員が初心者向け活動をしたのにも関わらず我々だけで起爆剤を作れなかったのか。(「メタバース選民思想」の出発点)

 

筆者は初心者向けイベントを運営していた人たちに対して次のように述べています。

自己批判もなしに盲目的に「今までの啓蒙活動は無駄じゃない!」と言えるは自己解釈を美化し、自身の影響力を無為にしたくないという固執である。(「啓蒙活動は無駄じゃない」発言の背景と定義)

 

確かに、事実を受け止めて反省するのは必要なことです。なにも反省なしに自身を守るために「無駄じゃなかった」と言葉をだしてしまうこともあるでしょう。でも、一度考えるきっかけにしてもいいのではないでしょうか。

 

ただ、私はそれって反省しようがないと思います。

例えば、なぜ日本ではジョブズが生まれないのか。といった問いに似ています。だってジョブズじゃないもの。

イノベーションを求めてるのに、既存の枠内(ここではジョブズ・スタンミ)を想定するのはおかしな話です。規格外のことが起こるからイノベーションのはずなのに、想定してしまっているのですよ。

イノベーションではない活動は意味がないかといったらそうではありません。爆発的ではありませんが、安定的にユーザーを増やしていっているはずです。その人たちの努力をないがしろにしてはいけないと思います。

 

さて本題にもどしましょう。筆者は、初心者向け活動をしてきた人たちに対して「現実世界の遊びとは違う高尚なものだ」といった思想(選民思想)があるから反省ができないのだと述べているのです。

 

  1-2 選民思想

筆者はこうした例をいくつか挙げて「VRChat自意識過剰あるある」を自分なりに作ったとしています。ケース1~6をみると次のようにまとめることができます。

他者がしてきた影響が多分にあるのにもかかわらず、自身の成果だと勘違いしている。メタバースにおいては、影響力のある他者や評価してくれる他者がいるため、そうした自意識が大きく膨れ上がりやすい。

 

さて、こうしてみると選民思想は先の意味よりも広義のものになるでしょう。

 

ただし、話がややこしくなるのはここでしょうか。

そういう井の中の蛙感がさ、メタバース選民思想を生みやすくしてると俺は考えてる。(メタバース選民思想の表象ケースの総括)

私は別に井の中の蛙でいいと思っているのですが、筆者はそうではないようです。そもそも、VRChatの認知度をあげてユーザー数を増やすことを良しとしている前提の話でしたね。ですから、小さな村の中でわいわいできていればいい層と思想の違いがあるのでしょう。

 

私はこういった考えに対して批判的です。下記過去記事を参考にしてください。

urara-k.hatenadiary.com

urara-k.hatenadiary.com

urara-k.hatenadiary.com

 

 

2 選民思想ができた原因の仮説

この仮説にひとつひとつ言及するほど私は優しくないので、ここでは細かく触れないこととします。

 

 

3 総括

筆者はごっこ遊び≠ホンモノの壁と題して総括を述べています。

 

これはおもしろい問題です。このnote記事をみていると、筆者はプローアマチュア(バーチャル)の構造に対して、プロ>アマチュア(バーチャル)という先入観があります。プロのほうが素晴らしい、プロのほうがホンモノだ、ということです。

 

これが間違っていると指摘するのは簡単なのですが、こういった先入観を持ち合わせている人がある程度存在しているのがおもしろいです。

 

このホンモノ感(Authenticity)についてはギルモアらの整理が役立ちます。

人々は企業の提供する「にせもの」の価値に飽き飽きし、なんからの点で「ほんもの」とみなすことのできる価値を求めるようになっているという(Gilmore & Pine II, 2007/2009 林訳)

つまりは「ホンモノ」かどうかというのは消費者が見出すものになっているわけです。プロ/アマだからといって、ホンモノ/ホンモノではないと区別できないのです。

 

バーチャルな例ではインスタ映えを例に鈴木が次のように言ってます。

インスタ映え」するということは、実際の場所への訪問や評価を通じて生成されるコードの問題であること、そして、そのコードと場所のマテリアリティの相互作用こそが、その場所を「インスタ映えする場所」たらしめているのだ(鈴木謙介ソーシャルメディアとオーセンティシティの構築.https://doi.org/10.32170/tourismstudies.7.1_3

 

 

現実とバーチャルを分けて考え、現実>バーチャルであるとしている筆者の考えは私には合いません。私はこのブログを通してバーチャルは現実と地続きであると言い続けていますからね。プロとアマチュアについてもそうです。いや、我々がやっていることこそホンモノだ! というのではありませんよ。決めるのは消費者ですし、ホンモノ感にもグラデーションがあるでしょう。(ただし、現実<バーチャルであるといった論は違います)

 

 

 

 

さて、メタバース選民思想とは、私がまとめたところ以下のようなものでした。

他者がしてきた影響が多分にあるのにもかかわらず、自身の成果だと勘違いしている。メタバースにおいては、影響力のある他者や評価してくれる他者がいるため、そうした自意識が大きく膨れ上がりやすい。

 

もちろん、自分は凄いんだ! という行き過ぎた意識は問題になるかもしれません。しかしそれはメタバースに限ったことではなく、SNS社会では一般的なことだと思います。

むしろ、筆者のほうが現実とバーチャルの間に仕切りを築きたがる、という意味で選民的思想をもっているなと感じたところです。