https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/02/11/185850
「定義や時代区分はそれで良いのか?…「河野本道」氏が問いかける事とは?」…
これを前項として…
SNSで紹介戴いた最新刊が入手出来たので、ここから紹介してみよう。
「「海」から読みとく歴史世界」である。
海と人と、人と海とどのように関わってきたのか…これがテーマの様だ。
関連項はこちら。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/10/06/054628
「この段階での公式見解-34…割と狭い人脈、近文は「川村モノクテ」と「金成マツ子」で繋がる」…
少し変わった編成。
鍵になるのは「金成マツ(関連項では金成マツ子としている)」である。
この最新刊には北海道絡みも寄稿されるとの事だったが、それが今回報告する論考…ズバリ書けば、金成マツが伝承したアイノ文学の世界観とは?が記述されている。
坂田美奈子氏の「「海でつながる」アイヌと和人 −金成マツ筆録アイヌ口承文学の和人モティーフについて−」 だ。
どうやら帝京大学博物館の昨年のセミナーでの講座がベースの模様。
実は、これそのものの論文と、同じ様な考え方を別論文で読んだ事があるのだが(河野本道氏だったか?)失念し探したが出て来ない。
折角だから、こちらを紹介してしまおうと言う事にする。
予め、前提条件を。
初期から本ブログを読んで戴いてる方は知っているかと思うが、
①本ブログでは所謂「アイヌ」を、古書記述に則って「アイノ」と表記している。
理由は、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/23/193547
「この時点での公式見解⑧…「アイヌ」と言い出したのは「ジョン・バチェラー」」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/02/07/161111
「何故、古書記載の「アイノ」ではなく、「アイヌ」なのか…名付け親「ジョン・バチェラー遺稿」を読んでみる」…
ジョン・バチェラーは自分が作った造語でそれを自分が広めたと言っている。
現在、研究されてる方も、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/11/24/205912
「北海道と津軽藩の関係は?…「高岡の森・津軽藩歴史館」特別展「津軽藩と蝦夷地」にある津軽藩の蝦夷地出動実績らを学ぶ」…
時代に寄って表現対象が変わってきた「蝦夷,夷狄,狄(これらは読み方すら変わる)」等を無条件で「アイヌ」と訳す事に何ら疑問を持っていない…これへの警鐘である。
寄って我々は「アイノ,ainos」ら海外も含めた記述をそのまま使っている。
②対立軸を作る為に作られた単語は使わない…
このブログでは基本的に「和人」と言う単語も使っていない。
これは北海道側についても同様で蝦夷地等地理的情報がある場合は「蝦夷衆」「〇〇の人々」「××頃の北海道の人々」らを使う様に心掛けている。
これは、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/09/22/203708
「「ainomoxori」の初見は?…それを記事したのは「イグナシオ・モレーラ」 ※追記有り」…
イグナシオ・モレイラの記述からアイノ,ainos迄二百年位の空白があり、その意味する物が解っていないから。
その当時に直接インタビューした、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/09/20/202558
「ゴールドラッシュとキリシタン-32…この際アンジェリス&カルバリオ神父報告書を読んでみる③&まとめ」…
アンジェリス&カルバリオ神父ですらainosは使わず「yezo」と表現、その対象はどうやら「メナシ(目梨),テンショ(天塩)の人々」の様で、こちらは地理的要因を含む。
本項では「和人」と記載される部分は「本州系」としておく。
以上。
では進もう。
編著者の高橋裕史氏の論考概要がなかなか刺激的。
「近世蝦夷の歴史などで取り上げられているアイヌと和人との関係は、その多くの場合、アイヌが松前藩に足を運んで行われた城下交易、あるいは場所請負制や商場知行制などにほぼ限られている。またそうした交易において和人がアイヌを安価な労働力として搾取したり、アイヌ女性へ性暴力を加えたりしていた、とのイメージが強いことであろう。しかしこれはアイヌと和人との間に展開されてきた歴史の一面を捉えたものにすぎない。なぜこうした見方が確立し広く定着したかというと、それはこの分野の研究に用いられる史料に、その原因の一端があるからだ。
歴史の研究に「史料」は不可欠である。これなくして歴史の再構成や復元、多様な歴史像の提供は不可能と言ってもよい。歴史の研究にとって、史料がどれだけ重要な存在であるのかということにつ いて、たとえば東京大学文学部および大学院文学研究科「日本史学研究室」のホームページには、「研究の基礎は、古文書・記録・史書などの文献史料を正確に読み、内容を批判的に検討し、そこから論点を引き出して歴史像を構成することにある」と記されていることからも、史料の重要性は明らかであろう。
ところが近世の蝦夷地におけるアイヌと和人の歴史の復元と再構成は、アイヌ側の史料が欠落しているがゆえに、和人がアイヌについて記した史料に多くを依拠する形で行われてきた。その結果、金田一京助(一八八二~一九七一)に代表されるような、神々と共存するアイヌ、和人と対立するアイヌといったステレオタイプ化されたアイヌ像が生み出され定着することになった。しかし金成マツが書き溜めたアイヌロ承文学のノートには、交易をフィルターとしてアイヌと和人との多様な関係が描かれている。それと同時にそこには、海がアイヌと和人との間をつなぐ一種の緩衝地帯としての機能を果たしていたことが明らかにされている。また併せて、そうした金成マツの口承伝承に描かれた世界観、たとえばアイヌにも和人にも善人がいれば悪人もいる等の世界観が受け入れられず、アイヌロ承文学の中にある特定の部分が継承されなかったことも考察されている。
事実だけでは割り切れない、あるいは事実の向こうにある世界や存在を「真理」とするならば、坂田論考はアイヌと和人の「真理」探究の場としての海を論じている。」
である。
で、この論考のベースは「金成マツ」が知里真志保博士の為に筆録した口承文学からアイノと所謂和人の人間関係をモティーフを再考し、表象分析からアイノと他者の関係がどう考えられていたか考察する事だそうだ。
前項でも触れているが、金成マツはアイノ口承文学の伝承者。
例えば、韻文形式のユーカラの様な英雄叙事詩や神謡,歌謡、散文形式の神々の説話や人々の説話、お笑いら…これらを伝承していたとされる。
同居しその一部を共有していた「知里幸恵」が、金田一京助博士の元で「アイヌ歌謡集」の校閲終了直後に死去した後に、その後を継ぐようにこれらの筆録を開始し、主に金田一博士には英雄叙事詩を、金田一博士の一番弟子である久保寺逸彦氏には主に神謡を、金田一博士の元で学び出した知里真志保氏には主に散文説話の筆録を渡したそうだ。
これは金田一博士が英雄叙事詩を重視した事や、それぞれ研究の棲み分けをしていた等諸説有り。
で、知里真志保氏宛の筆録ノートは、オリジナルが北海道立文学館にて保管されており、156話の物語が収録させる。
だが、知里真志保氏が生前に翻訳,出版したのは約50話に過ぎず、未だに翻訳は進められるが半分程度しか進んでいないそうである。
実はここに一つ問題が隠されているそうだが、それは後程。
アイノ口承文学と言えばユーカラを思い浮かべるのは、金田一博士が一番重視し優先的に記録し世に出した影響が大きいと著者の坂田氏は指摘する。
対して、金成マツは実はアイノ社会の中で最も語り継がれたであろう散文説話に愛着を持っていた様で、それを知里真志保氏に託した訳だ。
さてでは中身へ…
知里真志保宛ノートには156話で内訳は、
・散文説話…115話
アイノ説話は92
神々説話は8
パナンペ譚は12
本州系は3
・英雄叙事詩…6話
・神謡…6話
・歌謡…9話
・その他…20話
その他、知里真志保氏が金成マツから直接聞き取りしたと思われるものも参照。
との事。
ここで、アイノ系と本州系の関係はどんなふうに描かれるか?
①交易相手…
知里真志保氏宛ノートの中で本州系モティーフを含む物は35話あり、その中の21話が交易相手として描かれる。
その内ウィマムの相手としてが17話、ウィマム+蝦夷地交易相手が1話、蝦夷地交易の相手としてが3話。
ウィマム相手の「殿」は17+1=18話の中で11話に登場し、ほぼ百%が主人公の友人か善人として描かれるそうだ。
意外かも知れないが、
・主人公が船で長旅の末に到着…
・よく来たなと上陸の手伝い…
・ここで概ねの「殿」は長年付き合いがある友人か、主人公の父の交易相手か、初対面でも行為的に接する…
・主人公は上等の土産を、「殿」は酒と料理で歓待の上に土産を持たせ、二人の友情は末永く続いて、その子の代まで維持される…
こんな感じなのだそうだ。
この「殿」は、所謂殿様を指すだけではなく、本州系での土豪や商人の様な尊敬出来る人物全体を刺し、対等な立場の友人として描かれる様だ。
中には、無理難題をふっかける理不尽な大殿に命の危機に晒される主人公を助ける「殿」が居たりする。
これは実は「理不尽な大殿+極悪アイノ」VS「主人公+「(友人としての)殿」」…こんな構図だそうで。
これら物語の多くではアイノVS本州系と言う対立軸は描かれておらず、むしろ悪人VS善人たる主人公(+助ける者)…つまり勧善懲悪的な構図だと言うのだ。
②婦女略奪…
これを想像する方は多いだろう。
文中では二つの事例が。
・オイナソー
商船船長がオイナカムイ(文化を伝えた人物神)の妻を略奪するが救出,船底に穴を開け、船員毎海の藻屑に…
・極悪和人
極悪通詞が婚約者の居る娘を妻にしようと、婚約者を殺害。
この婚約者の魂が娘へ事件の全容を伝えた上で、極悪通詞に買収されたアイノごとその魂に報復され皆死んでいく…
特徴は、武士階級と言うよりは船頭,通詞等の場所請負制の出稼ぎ者、集団で悪さする、協力するアイノ…こんな物が多い。故に場所請負制を彷彿とさせる事になる。
但し、略奪者は常に出稼ぎ者とは言えず、悪い神々やアイノが既婚女性を略奪しようとするものもあり、「悪い出稼ぎ者」と言うパターンはこの手の物語の一バリエーションに過ぎないと坂田氏は指摘する。
③不可解な文化…
例えばトラブル時の解決。
・アイノ系は死刑は稀でツクナイら賠償支払いや話し合いでの解決が主。
・本州系は法や掟による解決が主。
よってお互いでトラブルとなった時の解決が難しいと認識されている事が読み取れ、お互いに猜疑心に苛まれる描写の事例がある。
④釣り好き…
本州系の百姓の主な生業は農耕。
だが、アイノ口承文学に登場する本州系の人物では(上記三編の本州系散文含め)、農民の登場頻度は極めて低く、武士や漁師だと言うのだ。
しかも「殿」らは釣り好きと言う設定がされる事が多いらしい。
これは金成マツ以外の事例でも、武士や足軽、商人,船頭、宿屋,蕎麦屋、鍛冶屋、山伏,神主,和尚ら多用な属性が登場するが本州系散文説話7篇の内、農民が登場するのは1編のみ。
坂田氏は、近代以前に北海道に訪れるとするならその主要目的の一つは漁業であるからと推測する。
⑤笑いや風刺の対象…
上記のパナンペ譚らがこれに相当する様だ。
パナンペさんが小鳥を拝むと小鳥の鳴き声の様に放屁して「殿」から褒美を貰い、ペナンペさんがそれを真似たら脱糞し「殿」に斬りつけられた…みたいなものだ。
これは日本民話にも似たものがあるが、三人称で語られる散文説話は外来系の影響を受けるらしい。
ただ、日本民話では心優しい者が成功し心根が悪い者は失敗する様なパターンが多いが、散文説話全体ではその価値観が共通したりするが、文体の型が似るパナンペ譚では共通しないものもあるらしい。
ここが興味深いので少し引用…
「一方、アイヌと和人の言語コミュニケーションの質を風刺した話もある。「ユーカラの大家」という小話では、和人の間でユカラの大家といわれる和人がいる。実は、その人物のユカラはでたらめな のだが、アイヌ語のわからない日本人は感嘆して聞いていた、という話だ。これには対となる「日本語の大家」という小話もある。日本語の得意なアイヌがいる。実はその人物の日本語はいい加減なのだが、日本語のわからない他のアイヌは感嘆して聞いていた、というものだ。この一対の小話は非常 にシンプルながら、和人とアイヌの関係の特徴を鋭く表している。すなわち、空間的には隣接し、時間的にいかに長い関係史を持とうとも、言語コミュニケーションの点では驚くほど浅く、いい加減な関係ということだ。」
ここは後で少し続けてみようと思う。
⑥強い「殿」…
知里真志保宛ノートには、「殿」が悪人アイノを退治したり、守り神となったりする話が含まれる。
「一般的なアイヌ散文説話では、アイヌの主人公が悪人を懲らしめるか、処罰を神にゆだねる。事件がアイヌと和人との間で発生している場合には、アイヌが和人を直接罰するのではなく、その上位に ある殿に訴え、殿が和人を処罰することが多い。先に取り上げた「オイナソー」や「極悪和人」のように、神や死者の魂が直接和人を罰することはあるが、生きているアイヌが和人を直接罰するケースは見られない。和人の殿の力は、アイヌに害をなす和人を処罰するためにアイヌが使う力でもあったのだ。しかし和人の殿がアイヌの悪人を成敗する物語は極めてめずらしい。この物語はアイヌ散文說語といってよい。 話と和人の散文説話が合わさったような特徴を持つという形式の面でも、また内容の面でも稀有な物語といってよい。」
「アイヌの世界観においては、アイヌも神々も万能ではなく、和人も同様である。通常、アイヌ散文説話で、神々の支援を受けて事件を解決するのはアイヌの村長の役目だが、上記二例は、その役割を場合によっては和人の殿が担うこともあり得る、ということを示している。」
こんな風だそうだ。
坂田氏は、
「金成マツ筆録の物語における和人は、極悪でも正義でもあり得る道徳的には両義的で、不可解な習俗を持つ存在として表象される。これら和人表象のうち、和人の殿が友人であったり、アイヌの悪人を成敗したりするような物語は、アイヌと和人の歴史を知っているものには、ほとんど理解しがたいかもしれない。」
として、モラル帰属…つまり、善悪判断の比較をしている。
これが散文説話に登場する善キャラと悪キャラの代表的な特徴の一部を纏めた表。
道徳的性質は、アイノ系,本州系だけではなく、神々に於いても変わりはしない様だ。
これはアイノ散文説話上では、道徳と社会文化を異なる基準として分けて考えている為で、特定の社会文化だからと善悪判断には使っておらず、(神々の世界含め)どんな社会文化でも善人(神)も居れば悪人(神)も居ると思考していると指摘する。
故に登場するキャラは個人単位で、それらがモラル帰属と社会文化帰属と言う二つの変数の組み合わせで表象されるとしている。
単純な「所謂和人=悪」なんて世界観で描かれてはいないと言うのだ。
少なくとも口承文学からその思考を遡ると、そんな結論に達している。
なんとなく、筆者的には納得出来るのだ。
坂田氏の主張を鵜呑みにする気は全くない。
理由は坂田氏の説明する歴史観と、我々が追ってきた歴史観が違うからだ。
坂田氏は数回「アイヌと和人の歴史を知っているものには、ほとんど理解しがたいかもしれない。」…こんな表現を使っているし、歴史概要の説明でも通説的に言われる「辛辣な場所請負制」や「極悪非道な和人」みたいな説明文を入れる。
が、我々が加賀家文書や新北海道史等でみる歴史観はこんな感じ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/05/20/193847
「推挙を受けての三役任命、そして…「加賀家文書」に残る「雇い方願上」にある労働システム」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/05/18/210005
「江戸期の支配体制の一端…「加賀家文書」に記される役アイノ推挙の記録」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/05/17/201757
「幕府や松前藩は本当に弾圧したのか?…「加賀家文書」に記される赤裸々な報告や史料の断片」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/13/205841
「この時点での公式見解26-b…蝦夷乱と社会情勢にロシア南下を重ねると、如何に緊迫したか解る ※追記-b」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/22/200203
「この時点での公式見解⑥…幕府の帰「俗」方針であり、明治政府に非ず」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2020/10/11/143552
「この時点での公式見解⑦…新北海道史にある「通貨発行権持ちの非課税」」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/07/22/053602
「この段階での公式見解23…屯田兵だけでなく、移民政策そのものが開拓使以前に幕府政策」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/20/071952
「この時点での公式見解-27…松前藩はアイノを弾圧したのか?、むしろ新北海道史が指摘しているのは「構造的欠陥」」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/01/10/204415
「松浦武四郎が記す「請負人と番人の悪虐非道」…だが、背景的にはどうなのか?」…
etc…
特に象徴的なのはこれか。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/01/17/211327
「北海道開拓は明治政府?江戸幕府?松前藩?、「否」…「蝦夷日誌」に記される、場所支配人,土地の民衆,出稼や移住者達の総力で行われた姿」…
口承散文で場所請負制らしい記述が多いとすれば、江戸中期〜幕末位が舞台になるだろう。
明治には場所請負制は廃止されるから、これは含まれない。
・中世…十三湊,秋田湊,外ヶ浜,糠部へ交易に渡る…
・松前藩成立…交易場は松前に。
・※その後…商場知行制で各所に場所開設。
・江戸中期…場所請負制。
・江戸後期…幕府直轄→松前藩復活→再直轄化→東北諸藩統治…
こんな流れ。
※で影響したのは寛文九年蝦夷乱ではないだろうか。
坂田氏は乙名を中心にした三役での統治体制らには言及していないし、幕府直轄での同化政策やそれに伴う新シャモの登場にも触れてはおらず、幕府直轄や東北諸藩統治により徐々に改善された様は新北海道史等にも記事がある。
これらに触れていない段階で坂田氏と我々の歴史観には隔たりはある。
その上で、
A,文化社会の対立構図ではなく、個人のモラル帰属の対立構図…
加賀家文書にあるヲシタエの一件が、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/05/17/201757
「幕府や松前藩は本当に弾圧したのか?…「加賀家文書」に記される赤裸々な報告や史料の断片」…
解り易い事例になるだろう。
仲良く暮らしていたところを場所の都合で引き裂かれるが、これをヲシタエ側から訴えを起こし元の鞘に収まる…これならヲシタエ視点なら別海側は善になり、釧路側の支配人と乙名は悪になる。
下位幕閣だった松浦武四郎も直轄後に悪辣且つ横暴は改善された事を強調するし、こんな風に訴えを起こす事も可能で、「⑥強い「殿」…」さながらに「大殿」が裁きを下す一件とは整合してくる。
これらは、複数の古文書との整合で、坂田氏が導きだした世界観との合致してくるだろう。
B,言語コミュニケーションの浅さ…
先の⑤のパターンだが、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/02/28/205158
言語研究からの視点…金田一京助博士が記す「北海道と北東北で会話出来た事例」と「金田一説の結論」…
地域によりコミュニケーション可能だったり無理だったりするのは寛文九年蝦夷乱時点で検出される。
言葉が通じる者と通じない者の存在はもう捉えてある。
現状での我々の見え方はこうだ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/08/07/201518
「丸3年での我々的見え方…近世以降の解釈と観光アイノについて」…
江戸中期〜幕末に掛けてなら、ロシアの南下と国内での経済,雇用事情を鑑みれば、ロシア帰属を嫌っても
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/07/02/071009
「ロシア南下の緊迫度は、そんなもんじゃなかった…ソ連のお抱え学者が目を覆いたくなっていた「ロシアの暴挙と混乱」」…
本道迄辿り着ければ非課税の上で稼いだ文だけ身入りするシステムだ。
移動の件も
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/10/16/184916
「幕別町「白人古潭」はどの様にして出来たのか?&竪穴住居は文化指標になるのか?…「幕別町史」に学ぶ」…
江戸中〜後期段階で記録され、更には、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2024/11/10/203035
「「現代の送り場」はどんなものなのか?…近代,現代アイノ文化遺跡を見てみよう②」…
移動してきた事は、活動家第一世代が調べている。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/12/19/170920
「「1643年」の北海道〜千島〜樺太の姿…改めて「フリース船隊航海記録」を読んでみる④「厚岸編・まとめ」」…
江戸初期に「オリ」の様なバイリンガルが居る中で、定説の様に定住しているにも関わらず、その後に二百年も言語が近付かない事があるのだろうか?
この「オリ」の様な存在は坂田氏の散文事例の中にもある。
C,上下関係の希薄さ…
本州でも中世段階では由利本荘〜にかほ周辺の様に比較的小規模の土豪が乱立し、戦国大名化しなかった地域もある。
農耕が薄く土地に縛られ難くく隣の集落と離れた北海道なら土豪間の力の差が小さいであろうから、大勢力に束ねられ難いだろう。
擦文文化期迄あった大規模集落は中世以降に消える。
大勢力化出来なかった様は遺跡にも現れるので何の不思議も無い。
ましてや数千数万単位の軍が動く様な合戦で地域統一されて行く様も北海道では見受けられないので、必然的に土豪間の上下関係は付き難くなるだろう。
D,「⑥強い「殿」…」…
A,でも書いたが、C,の様に上下関係が付き難い状況にあったなら、そんな土豪間の思惑と言う不安定要素を持つ状況の中、圧倒的な治安維持能力を持つ幕府官僚や東北諸藩の武士が直接赴任するに至れば、揉め事は起こり難くなる。
庶民が訴えられるのは土豪、つまり三役迄。
中間層に命令を下せる者が居るならば、中間層が悪さが出来る範囲は狭まる。
武士層が悪く口伝されないのも、ある意味納得である。
口承説話は庶民が口伝したものだろう。
それは庶民が中間層をどう見ていたかも同時に示すのではないだろうか?
なら、悪辣な場所支配人に協力した辛辣な三役を表す場面が出て来るのも不思議な事ではない。
こんな風に、当然ながら江戸後期位を想定した時代観だが、我々が持つイメージそのままならば散文説話に現れる世界観とは乖離してはおらず、むしろ然もありなん。
坂田氏が捉えた口承説話の世界観は我々的には納得出来る。
逆に、通説的に語られる虐げられた民みたいなものが強調される方がステレオタイプなのではないのか?
坂田氏が使った「アイヌと和人の歴史を知っているものには、ほとんど理解しがたいかもしれない。」は、案外、坂田氏自身が研究を重ねる中で感じていた印象でもあるのではないだろうか?
何度も書いて居るが、何故か地方史書らでも待遇改善の話を書きつつも、「虐げられた」に逆戻りしていく。
考えてみて欲しい。
酒を飲みながら、パナンペ譚の様に下ネタで笑う姿は想像出来ないのだろうか?
その辺は本州も、今も昔も変わらない。
あくせく働き、悪辣な上司(三役)の悪口や愚痴をこぼしながら、家族や恋人と笑い、旨いものを食えば笑みがこぼれる…これがリアルな「人間の姿」だろう。
アイノ側に残された口承散文に現れるのは、そんなリアルな姿ではないのか?
それがリアルに近いからこそ、
蝦夷画に描かれる姿もいきいきとした物が多いのでは?
この辺は双方で合致してくる。
だからこそ金成マツは、自分の弟子でもある知里真志保氏にそのリアルな姿を託した…とすればこれも納得である。
では何故、坂田氏が使った「アイヌと和人の歴史を知っているものには、ほとんど理解しがたいかもしれない。」…と思われる程に、口承説話の世界観と通説的に言われる話が乖離したのか?
坂田氏はそこにも言及している。
「はじめに述べたとおり、マツは甥・知里真志保のアイヌ語研究のためにアイヌ散文説話を中心とする口承文学を記録した。しかし、真志保宛ノートにある百五十六話のうち真志保が翻訳・紹介してい るのは約五十話に過ぎない。このうち和人関係モティーフを含む物語は八話である。真志保宛ノートの中の和人関係モティーフの物語は三十五話(全体の約二割)なので、真志保が翻訳・活字化した物語のなかの和人関係モティーフの割合(約五十話の十六%)は、ノート全体におけるそれよりやや少ない。しかし、より興味深いのは選択された物語の内容の方である。
真志保が生前翻訳したのは、和人の残酷さや暴力に関する表象、もしくは和人が風刺・笑いの対象になっている話がほとんどで、マッ筆録の物語の特徴といえる社会文化帰属とモラル帰属が交差する、 奥の深いアイヌ散文説話はほとんど活字化されていない。真志保宛ノートの全体像を知らず、真志保の訳出した物語だけで判断するなら、我々はマツ筆録アイヌロ承文学の和人表象に、アイヌの和人に 対する単純な嫌悪・軽蔑・不信感を読み取るだけで終わってしまうだろう。
真志保宛ノートには、真志保の手によるメモが多数書きこまれており、真志保がマツのノートのほぼすべてに目を通していることが確認できる(次頁図1)。
マツ筆録の物語群は真志保の学術的関心と必ずしも一致していなかったのかもしれないし、あるいは、真志保は一九六一年に五十二歳で亡くなったため、彼がもう少し長生きしていれば、残された物語を 取り上げる可能性もあったかもしれない。
真志保が生前、なぜこれらの物語を取り上げなかったのか、現状では推測するほかないが、彼があえて殺伐とした和人表象のテクストばかりを取り上げているところから類推すると、真志保はマツが残したような善良なアイヌと和人の友情の物語を心理的に受けつけることができなかったのかもしれない。もしくは積極的に拒絶しないまでも、消化することが難しかったのかもしれない、とも考えられる。」
研究の第一人者である知里真志保氏は、精神的問題か?たまたまの研究順序の問題か?はたまた恣意的か?…この辺は坂田氏も想像の域を出ないが、少なくとも敢えて先行し殺伐としたものを出版している事は間違いなさそうだ。
つまり、そこだけ読んでしまえば、殺伐した話しか理解出来ない事になる。
知里真志保氏と言えば…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/05/12/054834
「河野広道博士についての二題…発掘,研究への気構え&「人送り(食人)」伝承について」…
人送りの一件で激昂し河野広道博士を糾弾するに至る程、気障変化の激しい人物なのだろう。
しかも、本人が努力した研究成果でも、彼個人としてだけでなく「アイノ出身のアイノ学者」と言うフィルターが掛かる様は彼を紹介した文らでも見て取れる。
それ…どうだろう?
恐らくこれは、砂澤ビッチ氏でも同様だろう。
知里真志保氏は幼少期に近くにアイノの家は2〜3軒の為に日常親しく話すのは殆どが本州系で、両親共にアイノ系なのにも関わらず両親が家庭でアイノ語を使う事は無かったと自書で述べてるそうだ。
「一高に進学した真志保は、東京で同級生や身の回りの和人から、アイヌは熊の肉を主食にしている、アイヌの娘は「口辺に入墨」をしている、アイヌは「野蛮人」である、などと折に触れ、聞かされ続ける。自分自身も経験していないような「アイヌ文化」が嘲笑と侮蔑の対象となって、自分を痛めつけるための資源として使われる。真志保は和人が親切にも彼に教示してくれるような「アイヌ文化」が消えていくことに感傷を感じてはいない。「一日も早く新しい文化に同化してしまふことが、今ではアイヌの生くべき唯一の道なのであるから、幌別村が他村に百歩を先んじて、早くも然ういふ状態に立到つたことを、私は寧ろ喜ばしく思ふものである」(「知里真志保著作集1』平凡社、一 九七三年、一五一頁)。なお、真志保が「新しい文化」への同化と述べ、「日本文化への同化」と述べて いない点には留意すべき点だろう。」
同様の事は活動家第一世代が言っている。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/11/12/203509
「この時点での公式見解-39…アイヌ協会リーダー「吉田菊太郎」翁が言いたかった事」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/05/25/212430
「協会創生期からのリーダー達の本音…彼等は「観光アイノ」をどう評価していたのか?」…
「過去と現在の二つのアイノを切り分けて欲しい」…これが主張。
そして、当時の世論操作がこれ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/01/30/193033
「「アイヌブリな葬送」は虐待ではない…藤本英夫氏が記した「家送り」と、当時のマスコミの世論操作」…
そして主張は案外'70年頃から真逆になるのは、
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/10/26/045821
「民族運動第1世代との差異は何か?…現代「その血を引く人々」の発言ついての備忘録」…
既に捉えている。
知里真志保氏にすれば、色々な葛藤を抱えたまま研究を続けていた事になる。
同様の葛藤は萱野茂氏も持っていたであろうと坂田氏は指摘する。
そんな中、
「アイヌの世界観についての以上のような定式化された説明は金田一に遡る。ここには和人についての言及はない。アイヌ散文説話にも神謡にも、和人関係モティーフは繰り返し語られており、金田一 もそれを認識しているが、捨象して構わないとも認識されているようである。
アイヌと自然の関係にしか焦点をあてない、金田一的な「アイヌの世界観」の語りは現代まで連綿と受け継がれてきた。今日まで、アイヌ口承文学の中の和人関係モティーフは、研究者によって、アイヌ文化に本質的な要素ではない、重要ではないとみなされ続けてきたのである。
一方、一九八○年代以降、和人の暴力・抑圧を語るモティーフに言及する著述が現れるようになる。一九七○年代に、アイヌによる尊厳回復運動が活発化し、萱野の憎悪を買ったようなアイヌ研究のあ り方は、アイヌによる痛烈な批判に晒され、継続困難となっていった。この時期を経て、アイヌは 「侮蔑の対象」から、救済されるべき「社会的弱者」として再発見されていった。アイヌは日本の政治権力による支配、和人による暴力や民族差別に苦しめられてきた被害者として見出され、アイヌとアイヌ文化の尊重は日本の政治権力や学術的権威への批判と表裏一体のものとなっていった。このような思考型のもと、社会問題の告発とアイヌ文化の再評価を、相互不可分的な文脈で言及するタイプの言説がアイヌに関する言説の一種の定型となっていった。このような流れのなかで、アイヌロ承文学のなかの、特定のタイプの和人関係モティーフが、和人の悪行の証拠として取り上げられるようにもなった。
他方、アイヌ語研究者の意識も変化していった。一九七○年代以降、アイヌ語・アイヌ文化研究に着手した非アイヌ研究者は、伝承者との生身の付き合いのなかで、和人がアイヌの人権や尊厳はもちろん、アイヌの生活圏そのものを破壊したという現実に向き合わざるを得なかった。一九八○年代以降、新しい世代の研究者がアイヌ語研究を担うようになり、近世後期の漁業労働に関係する散文説話 が紹介されるようになった。
非アイヌ研究者が関心を寄せたのも、真志保同様、和人による暴力や抑圧を語るモティーフであった。そして、和人関係モティーフの意識化によって、アイヌの世界観・文化観に修正が加えられることもなかった。」
そして坂田氏はこう指摘する。
金成マツが残したアイノ口承説話にある「奥深いアイノ系と本州系の関係表象を「継承」する事が出来なかった」と。
如何であろうか?
ここでも学会内に身を置く坂田氏の視点と、社会背景を重ねながら学ぶ我々では見え方は違う。
だが、結論は同じ。
「研究者側の取り上げ方の問題」へ至る。
研究トレンドの問題もあれど、殺伐とした話を皆で取り上げれば、ステレオタイプにもなる。
これは考古学の方でも同様だろう。
散々言っているが…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2024/03/17/191101
「北海道中世史を東北から見るたたき台として−11…日本国内全体像を見てみよう、そして方形配石火葬墓,十字型火葬墓は?」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2024/06/08/180518
「「砦状構造物」を同じ尺度で区分したらどうなるか?③…福島,新潟迄南下したらどうなるか?」…
本州との事例比較をやっている様には見えない。
考え様だが、
金田一博士の解釈をステレオタイプと言うが、それが現在迄継承されているイメージ。
同様に、殺伐とした部分を切り取って取り上げて迫害イメージを強調し刷り込む。
で、それをベースに政府広報らは行われている。
さて、誰がその二つのステレオタイプを修正するのか?
それらの研究には、多額の血税が使われているのだが。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2024/06/21/070725
「北海道弾丸ツアー第五段、「道東編」…行ける東端「納沙布岬」へ行ったれ!、そして「チャシ」を見てみよう」…
研究が偏った為に、「(自分視点で)正しい事の為なら暴力をもいとわない」と言うテロリズムの論理を肯定する容器なっているのではないのか?
付記すれば、本書では事例紹介に重きを置いている様だが、論文の方は全体におけるそれぞれの比率みたいな切り口だった様に朧な記憶が。
数値化されている。
「朱に交われば赤くなる」…
※追記…
何故、こんな書き方をするのか?
我々はこんな事例を既に知っているからだ。
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/07/19/204031
「建築系論文に見られる「時空のシャッフル」…「学術」と「観光」の区別はあるのか? ※追記有り」…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/09/27/202733
「この時点での公式見解-29…ムックリの理由と「シロシ(家紋)に見る移動の痕跡」、そして伊達氏の影」…
観光用ともとれる建物に、楽器、etc…
先の本州との事例確認の件のみに非ず。
学術と観光の切り分けが出来ているのか?
少なくとも、政府広報らでは(楽器が混ぜられるので)されてはいないであろう。
それを修正しなくて大丈夫なのか?
それを誰がやるのか?
誰の責任で検証と改善をするか?
血税を使ったなら、答える責任はあるのだ。
参考文献:
「「海でつながる」アイヌと和人 −金成マツ筆録アイヌ口承文学の和人モティーフについて−」 坂田美奈子 『「海」から読みとく歴史世界』 高橋裕史/帝京大学出版会 2024.11.10
「アイヌ絵集成」 高倉新一郎 番町書房 昭和48.5.20