葉護可汗(Yabγu qaγan、漢音:ようこかがん、拼音:Yèhù kĕhàn、? - 587年)は、突厥の可汗。乙息記可汗の子で、沙鉢略可汗の弟。葉護可汗(原音:ヤブグ・カガン)というのは称号で、可汗になる前の官位が葉護(ヤブグ:大臣)だったため、葉護可汗と呼ばれる。姓は阿史那氏、名は処羅侯(しょらこう)という。