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いわせんの仕事部屋

Mailは「naoki.iwase★gmail.com」です。(★を@に変えてください。スパム対策です)

生成AIシリーズその11 研修のデザインをするために生成AIの力を借りてみる。

研修設計する上で、インプットをするのに生成AIをつかってみる。

今日は、「実践コミュニティ(コミュニティ・オブ・プラクティス)」がテーマ。
まず、

1、ChatGPTo1(推論がすごいので調査方法とかは考えてもらうと良さそう)で調査方法を考えてもらう。

 

2、その調査方法でGoogleのDeep Rsearchで調査してもらう。

 

3、その調査結果をGPTo1に読み込ませて考察してもらった上で、教師がこれを参照して実践コミュニティをつくるためのガイドをつくってもらう。

4、ぼくから修正提案した上で、各章(9章構成だった)2000文字で詳しく書いてもらう。それを(架空の)人物に読んでもらって修正提案をもらい、その修正提案で修正したものをアウトプットしてもらう。

 

5、このガイドをもとに「世界一優秀なワークショップデザイナー」になりきってもらい、90分のワークショップを設計提案してもらう。全セリフもシナリオ化する。

 

まあおおよそはこんな感じ。ChatGPTo1はとにかくすごい。

こんな感じで調査方法のプロンプトを吐き出してくる。プロンプト自体をAIに考えてもらい、加除修正すればOKだ。

プロンプト

目的:

  • エティエンヌ・ウェンガーの「実践コミュニティ(Community of Practice)」理論について整理したい
  • 学校教育現場、特に教員研修やプロフェッショナル・ラーニング・コミュニティ(PLC)としての活用事例を調査したい
  • 成功事例・失敗事例の要因を把握し、研修設計に活かしたい

検索・分析してほしい内容:

  1. ウェンガーの主要著作・理論概要
    • Etienne Wenger (1998) Communities of Practice: Learning, Meaning, and Identity
    • Wenger, McDermott, & Snyder (2002) Cultivating Communities of Practice
    • ウェンガー本人やWenger-Trayner公式サイト等から得られる理論概要・最新情報
  2. 学校教育・教員研修における実践コミュニティの事例
    • 国内外の事例(Professional Learning Community, PLC としての取り組み等)
    • どのように立ち上げ・運営し、どのような成果や課題があったか
  3. 実践コミュニティを構築する際のポイント・課題
    • 参加者のモチベーション向上・維持方法
    • オンラインツールやSNSなどを活用したコミュニティ構築方法
    • リーダーシップやファシリテーションに関する工夫
  4. 成功要因・失敗要因の分析
    • 成功例での共通点(組織的支援、共通の課題意識、学校全体の風土など)
    • 失敗・停滞した例の原因(リソース不足、目的の不明確さ、参加者のコミット不足など)
  5. 教員研修プログラムへの応用
    • 教員向け研修プログラム事例(ワークショップ形式、オンラインコミュニティ連動型など)
    • 実践コミュニティの理論を活用して効果的に学習・協働するための設計例
    • 具体的な研修プログラム構成案や評価方法

検索用キーワード例:

  • "Etienne Wenger" "Community of Practice" "Education"
  • "Professional Learning Community" "PLC" "Teacher Training"
  • "実践コミュニティ" "ウェンガー" "学校教育" "教員研修"
  • "コミュニティ形成" "協働学習" "成功事例" "導入事例"
  • "Online communities of practice" "教師間協働" "ファシリテーション"

希望するアウトプット形式:

  1. 理論・概念の概要
    • 主な著作の要約、著者の主張・背景を整理
    • 実践コミュニティの核となる要素(相互関係、共同体、共有のレパートリーなど)
  2. 先行研究・学術論文のリスト
    • 発行年、著者名、引用数などのメタ情報
    • 要約/アブストラクトの内容・主要な結論
  3. 導入事例・ケーススタディのリスト
    • 事例が行われた国や組織(学校、教育委員会、大学など)
    • 実践の内容(対象、期間、具体的手法)
    • 成果や課題のポイント
  4. 導入・運営のための具体的提案
    • コミュニティ設計時のステップ(目的設定、メンバー選定、ルール策定など)
    • オンライン・オフライン両面でのコミュニティ運用方法
    • 評価・フィードバック方法
  5. 教師向け研修プログラムの具体例
    • 研修の内容(講義、ワークショップ、実践コミュニティ体験など)
    • 時間配分・ファシリテーションのポイント
    • 研修後のフォローアップ(オンラインコミュニティでの継続学習など)

追加リクエスト (必要に応じて):

  • 「これらの文献・ウェブページの主張を分類し、理論概要・導入事例・成功要因などの観点でまとめてください」
  • 「教育現場での実践コミュニティ導入の問題点や対策が書かれた論文を優先表示してください」
  • 教師向け研修プログラムのデザインに言及している研究があれば抽出してください
  • 海外の事例も含めて、学校現場の具体的な実践内容をまとめてください

 

そうすると、DeepResearchが者の数分で13000字程度の調査結果とソースをまとめてGoogleドキュメントにしてくれる。

 

この調査結果をo1にコピペして、考察してもらった上でガイド(教科書)を作成してもらう。ここで読者指定すると文体が変わる。

 

およそ2万字のガイドが完成した。なかなかの完成度。

これがあるだけで、ワークショップを考える壁打ちとしては十分。

時間があったのでさらにこのガイドをもとにワークショップを設計提案してもらった。

 

あなたは世界一優秀なワークショップデザイナーです。このテキストをもとに研修を設計してください。条件は以下の通りです。 
#研修の目的「実践コミュニティを自分たちでつくるために必要な知識・スキルを体験的に学んでほしい。その上で実践コミュティを作る意欲を持ち、実際に作ってほしい」

#対象「小中学校教員30名」

#所要時間「90分」

#形式「対面」
#場所 「広いスペースでグループワークが可能。プロジェクターもあり」
#研修で配布するハンドアウトも作成してください。
#研修設計が終わったら、別の優秀なワークショップデザイナーの視点で考察、評価して、修正点を提案してください。その修正案をもとに再度ワークショップを設計してください。

(o1は週に50回という制限があるから、ちょっと欲張ってみた)


自分がざっと構想したワークショップとはやや違うものだったが「ああ、こういう展開もありか」「確かにここではこのインストラクションが大事そうだ」など、誰かに相談しながらつくっているようなノーミソの働きが生まれる。

実践コミュニティは、以下の本を熟読していたし、これをもとに校内研修を分析したり、書いたりしてきたので、肌感があるからこの方法が使える。

未知の内容だったら、何が本当で嘘かわからないから、この方法ではとんでもないことも起きそうだ。

本を読むの大事大事。

 

それにしてもこれくらいのことが1時間ぐらいでできて、13000字の調査結果、20000字のガイド、ワークショップ案とシナリオ案まで作れてしまうのだから驚きだ。調査を入れることである程度の正確性も担保できる(これを見極める目は必要だ)。

 

というわけで今日のお稽古おしまい。

 

 

 

オセロゲームのプログラムをつくってみる。〜今日1日の日記〜

中学生の時に初めてパソコンを買った。

シャープのX1。それまで溜めてきたお年玉を全て使い、足りない分は父が出してくれたように思う。たいそう貧乏な家だったけれど、かなり無理をしてくれたんだろう。

記憶媒体がカセットテープの時代。

ゲーム1本やるのに、ロードするのに20分とかかっていた。

『BASICマガジン』という雑誌があって、読者投稿のゲームのプログラムたくさん載っていた。それをみながら、毎月膨大な時間をかけてポチポチ打ち込んでゲームをやっていた。その繰り返しの中で、プログラム言語にじんわりと馴染んでいった。

でもその後のパソコンの進化に予算もついていかず、プログラムに関しては完全に落ちこぼれ。次にパソコンを買ったのは教員に就職してからだ。

 

そんな折り、面白い本が届いた。

 

こんな記事もある著者。

ascii.jp

 

ネットで流れてきた記事で関心をもって予約しておいた本だ。

毎日1つ100日連続プログラムを書いたという著者。中学生の時にパソコンの前に座ってポチポチしていたのをふと思い出した。著者が最初に作ったゲームは「オセロ」。

chatGPTを使うとプログラムも書けるのか。

 

今日は朝、留学に関しての説明会をききにいくという娘を駅に送り、怠惰に過ごさぬよう、本に倣いながらやってみた。

 

何度も試してうまくいかない中、たどり着いたプロンプトはこれ。

 

>オセロ風のゲームをPythonで作ってください。環境はgooleのColaboratoryです。Matplotlibで描画するようにしてください。コマは白と黒。盤は緑です。

 

PythonもgooleのColaboratoryもMatplotlibもよくわからないままChatGPTに聞きながら、少しずつ「ちょっとわかる」を繰り返しながら試す。

思うように動かないと、また相談。

 

例えば、

>ChatGPTで実行しようとしたら、「実行されました OSError: [Errno 29] I/O error」と出ました。修正してください。

のように。ひたすら繰り返し、分からない言葉が出たら聞いてみる。

 

 

 

そんなこんなを繰り返していくうちに、ver9でようやく「オセロ」になった。

気づくと2時間くらい経過していたが、なるほど本当につくれるんだな。驚きだ。

昨年11月、マイクロソフトのナデラCEOが「将来のプログラミングは自然言語で行うようになる」と言ったらしいが、その世界がやってきているようだ。

 

午後には本も読了。

そもそもエンジニアを目指している著者なので、専門的なところはよく分からずだったが、どのようなプロセスを描いて学習していったのかとても参考になった。

 

最も印象にのこった箇所を引用しよう。

 

ChatGPTは、あくまで私の理解を深めるための「支援ツール」あるいは「補助線」に過ぎない。最終的には私自身がどう作品を仕上げるかが重要だ。

「chatGPTは使い手の能力以上のことはできない」

この言葉が、頭の中でゆっくりと浮かび上がってきた。

Chat GPTは確かに強力なツールだけれど、その力を適切に引き出すには、使い手となる私自身がしっかり課題や問題を理解した上で、的確な指示を出す必要がある。そして、その指示が本当に的確かどうかは私の理解力と洞察力にかかっている。結局のところ、私の理解力と洞察力が試されるのだ。

 

冬休みからここまでのお稽古を経て、実感していることとまっすぐ繋がる記述だ。

自分が理解していること、洞察していること、実現したい未来をえがくこと。

その広さや深さができることとまっすぐつながっている。

 

*  *  *

 

そのあと、小諸にある「あぐりの湯」に移動しながらzoomでミーティング。

ミーティング終了後、引き続きzoomで、未来の学び協創研究センター第24回「生成AI活用の先にある学校の未来」を視聴。渡辺光輝さんの発表に刺激を受ける。

 

例えば、「教師の助手役として、生徒の感想をgoogleFormで集めて、「傾向を分析して」だけで参考になる。その上で「シンプルで深い問いをつくってください」のプロンプトを使う。”シンプルで”が重要(大意)」。さらっとこんなことを言うけどすごいこと言う。
たくさんの試行錯誤の中での実践発表で、たいへん刺激になった。GPTsの使い方もなるほどなるほど。

生成AIの活用の先にある国語教育の未来は、「自分軸」であると渡辺光輝さん。大塚さんの本の引用にも繋がるな。

 

心身を整えるべく、足圧(指圧を足でやる施術)を受けて、こわばっている身体と気持ちを和らげる。身体と心はつながっているはずだから、今の自分には必要だろう。


*  *  *

 

今の風越の現在地はどんな感じなんだろう。
金曜日、午前中の予定が変わって時間が生まれたので、午前中いっぱい校舎で行われている授業を隈無く見て歩いて、胸が熱くなった。

それぞれのスタッフが子どもたちと本気で授業をつくっている。もちろんうまくいったりいかなかったりはあるけれど、質的な変化が明らかに起こっている。それは一人ひとりの学びの姿に表れていて、あああの子は今こんな感じで学んでいるのか、とぐっとくる。

なにより授業に真剣に向き合い、子どもに真剣に向き合って、実践を重ねている一人ひとりのスタッフの姿、ここまで新しいかたちに真剣に向かい続けている学校はないんじゃないか、と思う。

 

一人ひとりが「よりよい」を探究し続け、変態し続けること。それが日常になっている学校だ。その先に「ありたい学校」の姿が立ち現れてくるし、今はそのプロセスだ。そしてそのプロセスはずっと続くのだろう。まるで森が育っていくように、

そういう、一人ひとりの実践者と一人ひとりの子どもに敬意を持つこと。

その変化をつぶさに観察すること。

そういうことだよな、と思う。

この4年半の変化を、どれくらいの解像度で、どう語れるのか。そこに「何を見てきたか」があらわれる。ゆっくり言葉にしてみようと思う。
きっと今それが一番大切なことだと思う。


生成AIシリーズ。デューイと対談してみる。

今日は無為に過ごしてしまった・・・・

夜になってこれではいかんと、生成AIお稽古シリーズ。

 

冬休みに作った「AIジョン・デューイ」。

iwasen.hatenablog.com

 

そして、自分の分身「AIイワセナオキくん」。

iwasen.hatenablog.com

 

この2人を対談させてみてはどうかと思いやってみました。

まずブラウザのタブに2人を立ち上げる。

 

 

イワセナオキくんにはこのように指示。

 

>これからジョン・デューイと「未来の学校はどうなるとよいか」という対談をしてもらいます。あなたが答えるごとに、私がジョン・デューイとして応答を記入します。それに応答するを繰り返してください。いいですか?

 

 

デューイには以下のプロンプト。


>これから軽井沢風越学園の校長、岩瀬直樹と「未来の学校はどうあるべきか」の対談をしてもらいます。あなたが答えるごとに、私が応答を記入します。それに応答するを繰り返してください。いいですか?

 

デューイのほうは「o1」というよりカシコイバージョンをつかっているので(イワセナオキくんは「projects」という機能をつかっていて、そうするとカシコイバージョンが使えない)、もともと人間としてデューイの方が圧倒的なのに、さらにAIの力もデューイの方がカシコイという、岩瀬直樹圧倒的不利な設定。

こうなると、イワセナオキくんが尋ねて、デューイが応えるというやりとりが良さそうだ。というわけで、イワセナオキくんから話題を切りだす展開にした。

 

回答をせっせとコピペして対談を進めていく。

すごい勢いで対談が進んでいく。

デューイ圧倒的。

 

あっという間に15000字に及ぶ対談が展開されました。

いやあ、なかなか面白いです。自分の分身が結構いいはたらきをして、自分が考えたいところをいい感じに深めていきました。

 

超要約版は以下(これもつくってもらった)

1. はじめに

ジョン・デューイ: 岩瀬さん、はじめまして。今日のテーマは「未来の学校はどうあるべきか」です。岩瀬さんの考えをぜひお聞かせください。

岩瀬直樹: ジョン・デューイさん、初めまして。未来の学校は「学び手一人ひとりの個性やニーズを尊重し、協働しながら成長できる場」であるべきだと考えています。特に、以下の3つの柱を大切にしています:

  1. 個別化と協働の両立: 個人のペースを尊重しながら、他者との協働を通じて多様性を学ぶ場を作る。
  2. 民主的で開かれた学びの場: 子どもたちが意思決定に関与できる場を提供する。
  3. 未来を見据えた柔軟な教育: 社会の変化に対応できる思考力と創造性を育む。

デューイさんが「学校と社会」を論じた視点とつながる部分が多いと思いますが、いかがお考えでしょうか?

2. 教育=生活そのもの

ジョン・デューイ: 私が提唱してきたのは「学校を小さな社会としてデザインする」ことです。子どもたちが主体的に学び、社会性を培うためには、以下の点が重要です:

  1. 民主的な教育: 子どもが学びに主体的に関わり、自己決定と協力を通じて責任感を養う。
  2. 協働の力で広がる世界: 個別学習と協働学習を対立的に捉えるのではなく、相互に補完し合うものとして活用する。
  3. 未来を見据えた柔軟な教育: 未知の課題に挑戦する力を育むため、探究型学習を推進する。

岩瀬直樹: 教室を「生きる場」として子どもたちが主体的に学べる環境をつくることが、まさに未来の教育に必要な視点だと思います。その中で、教師はファシリテーターとして子どもたちの探究を支える存在であるべきですね。

3. ICTを活用した実世界との接点

岩瀬直樹: 現代ではICTを活用し、地域やグローバル社会と接続することが容易になりました。オンラインでの活動が一方向的にならないよう、「応答の循環」を意識する必要があります。

ジョン・デューイ: 私も「実世界との接点」を重視します。子どもが課題に直面し、それを生活や社会と地続きのものと実感できる場が必要です。具体的には、以下の工夫が考えられます:

  • 双方向的な対話: 子どもが相手からフィードバックを得て、新たな問いを生み出す仕組み。
  • 地域や海外との協働: 異文化理解を深め、ローカルとグローバルの視点を統合する。

4. 探究の評価と振り返り

岩瀬直樹: 探究学習では、「評価」が課題になります。抽象的になりすぎると、子どもたちが自身の成長を見失う可能性があります。評価の見える化が重要です。

ジョン・デューイ: 評価は「子ども自身が学びを振り返る補助線」として位置付けるべきです。ルーブリックや探究ジャーナルを活用し、具体的な事例とともに学びの進捗を明確化すると良いでしょう。

5. 学校を開かれた共同体に

ジョン・デューイ: 学校は地域社会や他の教育機関と連携し、社会の一部として機能するべきです。これにより、子どもたちは自分の学びが社会に与える影響を実感できます。

岩瀬直樹: 私も学校を「共同体の学びの拠点」として位置づけています。地域や保護者との連携を強化し、探究の成果を共有するオープンな場を設けたいと思います。

6. 教師としての変化と成長

ジョン・デューイ: 教師は子どもと共に学ぶ“共学者”であるべきです。失敗を恐れず、新しい試みを続ける姿勢が子どもたちへの最高のメッセージになります。

岩瀬直樹: 教師が探究者として前進する姿勢を示すことで、学校全体が学びの文化を育むことができると信じています。教職員や地域とのネットワークを強化し、支え合いながら変革を進めたいと思います。

7. 結び

ジョン・デューイ: 教育とは希望を紡ぐ営みです。日常の小さな探究や対話が未来を形作る力になると信じています。試行錯誤を続けながら、子どもたちと共に歩みを進めてください。

岩瀬直樹: デューイさんのお言葉に深く感謝します。教育者として、未来を見据えた学校づくりを進め、学びの価値を広げていきたいと思います。

 

分身同士の対談、これは思考を深めていく上でなかなかよい使い方です。

デューイとルソーとか、ネット上にデータがたくさんありそうな人物で分身をつくって対談させる。読むことで着想は得られそうです。

このように、「着想の道具」としての利用価値は結構ありそう。そのためには「今、私は何を考え深めたいのか」という問いをいかにシャープにしていくか、が重要。

 

最後にgoogleドキュメントに吐き出して終了。

明日じっくり読んで、着想の道具にします。

 

PDFにしてここにあげたかったのですが、うまくいかず。

 

というわけで、地道に使い続けています。

 

 

*  *  *

 

以下は、校内コミュニケーションシステムに書いた、新学期のご挨拶、です。

 

おはようございます。
軽井沢風越学園も昨日からスタートしました。
子どもの声が響くと,校舎に血液が駆け巡って生き返っていく感じ。
昨日はホームごとに半日スタート。
ある1〜4年生のホームは、ホームページにある「わたしたちのカリキュラム」を一緒に読み,意見を交わすことからスタート。
コミュニティを共に大切にしていこう、というスタッフの心意気を感じます。
学校づくりって,泥臭く、「子どもこそがつくり手」であることを信じて、共に手を動かし続けること。ゴールや行き先なんてなくて、「よりよくしたい」という意思を持った人がつくり続けるプロセスにこそ価値があります。
どんなレイヤーでも、どんなときも、子どもを真ん中に置いて考え、語り,実践する専門職のしごと。
そう、ここは学校だ。
3学期。締めくくりの学期です。
でもずっと続いていくプロセスなんだから始まりの学期でもある。
日々、子どもに向き合いよりよくあろうとし続けるスタッフに思いっきり敬意を持って今日1日を過ごします。
まだまだ伸び代だらけ。
見えた気にならぬよう,わかった気にならぬよう、日々精進してゆきます。
今年もよろしくお願いします。

1人以上、勉強している人、テキストの画像のようです

 

明日こそ初詣に行こう。

 

 

 

学びのコントローラー

学びのコントローラーということば。

「学びのコントローラーを子ども自身がもつ、自分で操作する」。これは、ぼくが公立小学校での担任時に、自己主導で学んでいくことを子どもに伝えるためのアナロジーとしての造語でした。「ぼく(教師)が、あれやれ、これやれと決めていく(≒操作される)のではなくて、自分で自分のコントローラーを操作して学んでいこう」。ゲーム世代の子どもたちにとってこの例えはわかりやすかったようです。

もう少し「学びのコントーラー」の内実を言葉にしてみると・・・大きく2つの要素がありそうです

第1に能動的学習者観としての子ども観です。平野朝久は、能動的学習者観を「子どもには、学ぶ意欲と自ら追究し、学び、育つ力がある」と定義しています。例えば、風越では探究の学びを、「『〜したい』、気になってしかたがないというような自分事のテーマ・問い、もの・こと・ひとに出会い、子ども自身が深め、切り拓いていく学び」と定義していますが、「子ども自身」と書かれているように、能動的学習者として学びのコントローラーを自分で操作していく学びといえそうです。受動的学習者観から能動的学習者観への転換。これは、大人がこの前提に立って授業づくりをしていこうということでもあるし、学習者自身にも、「私は主体的な学び手であると矜持を持ち続けてほしい」、そういう願いが込められていることばです。

第2に、学びのコントローラーで「何を操作しているのか」という視点です。
一つ目は「身体」です。
例えば、幼児期、低学年期は好奇心のおもむくままに自然(対象)を探索します。関心ある対象に出会って、「いいもの見つけたよ。みてみて。」「ふしぎだな、これなんだろう?」と、身体を介して真っ直ぐ向かっていきます。森に秘密基地をつくりたい、蝶や虫をつかまえたい、お店やさんをしたいなど、自分の「~したい」や、まわりの人の「~したい」に刺激されて身体を介してあそんでいきます。

内なる興味関心をエネルギーとして、行為主体として身体で問いかけていく。本物に触れ、自分の身体と心をつかって感じること。学びのコントローラーは真っ直ぐ身体とつながり、「〜したい」という情熱で遊び、学んでいく段階です。

それをベースに2つ目の視点は、探究をより深めていくために自己調整的なスキルやメタ認知、探究スキルのような「学び方」を、自分の学びに主体的につかっていく段階です。学びのコントローラーにはそのような「学び方」がつながっていて、それを操作しながら学んでいきます。

1つ目と2つ目に共通しているのは、学びへの当事者性です。
「〜したい」という情熱をベースにした自分ごとのあそび・学びだからこそ、学びのコントローラーを操作する主体になっていくのです。
自分が操作主体になり続けるからこそ、「自分の〜したいを実現しようとする力」が育まれていきます。

この経験の連続性のなかで、自分の学びのつくり手であるという実感を育んでいきます。それがひいては、自分たちの社会を自分たちでつくる、わたしも他者も社会もよりよく変化し続けるのだという手応えを持った「つくり手」になっていくのです。

学びのコントローラーを持つ子どもたちを支えるのは「コミュニティ」です。安心してチャレンジできるコミュニティの中で、他者とかかわり、お互いの良さを認めあい、刺激し合い、学び合う。
それによって一人では辿り着けないところにいくことができるでしょう。よりよい学び手になっていくには、豊かなコミュニティが不可欠です。

と、えいやと無理やり言葉にしてみました。
どうかなー。

 

 

追記。

この書き込みを掘り下げ,ブラッシュアップした原稿がこの本に載ってます。

手に取ってみてください。損はさせません!

軽井沢風越学園の動画特典付きです。

https://www.valuebooks.jp/bp/VS0058752973

プロジェクトの学びでわたしをつくる

仮説実験授業から僕が学んだこと。

2年前のフェイスブックの書き込みをアーカイブ。
戦後の民間教育運動の残り香に包まれて若い時代を過ごせたことは幸せだったと思う。

では、今の自分に何ができるのか。

ぼくは初任から5年間、どっぷり仮説実験授業を学び、実践した。
著書やガリ本(なんてわからない人いるだろうなあ)もほとんど入手できるものは読み、研究会に行き、資料を書き、全授業記録を書いた。

仮説実験授業の課題が見えてきて緩やかに離れたけれど、改めて振り返るとあの5年間は実はぼくの今を支える大きな経験になっているようだ。
仮説実験授業は科学の授業理論であり、授業書という形まとめられた汎用性のある(ティーチャープルーフの)プログラムだ。典型的な一斉授業のプログラムともいえる。
では何を学んだのか?


①討論のファシリテーター
仮説実験授業では子どもの討論が重要である。ここでの教師の役割は淡々と司会進行することになっていて、決して誘導しない、意見がなければ速やかに実験に移行となる。小学生はそれこそ1時間でも討論し続けるわけで、授業のほとんどは子どもの討論(子どもはトーロンの授業と呼んでいた)。誘導せず司会役に徹する体験、というのはファシリテーターのトレーニングになっていた。
なにより「子どもの討論をおもしろがって聞いている」というぼくのあり方の根っこになっている気もする。
多くの子どもも「自分たちで授業をつくっている感覚」を持っていたと思う。


②学習者の授業評価
毎回、感想と授業評価を5段階で書いてもらう。このことで「発言しなかった人にも意見や考えがある」「聴いているだけでも思考を深めている人がいる」という当たり前の事実に気づいたし、授業評価が低ければそれは授業書のクオリティの問題だと言っていた板倉の主張は、授業の善し悪しを子どもに還元せず徹底的に授業そのものに向ける姿勢を身につけさせてくれた。
「子どものことを子どもに聞く」という原則だ。討論を続けるかやめるかも子どもに聞く。ときには2時間討論が続いたこともあった。


③コンテンツの重要性
授業書はかなりよくできている。授業における【問題】の質が授業の明暗をわける。この体験が、のちにファシリテーションに興味を持ち実践するようになっても、「プロセス」だけに意識を向けがちになることを助けてくれた。逆を言えばコンテンツが貧弱ならどんなにファシリテーションを「効かせても」、貧弱な学びにしかならない。
コンテンツはやはり重要なのだ。


④授業記録
基本的には子どもの討論で進んでいくので、いい意味で先生は「暇」だ。そこで子どもたちの討論を記録するようになった。
テープ(懐かしい)に録音し、授業記録をつくり、毎回印刷して次時に子どもたちに配った。これは子どもたちにとっての学習記録になり、ぼくにとっては授業を分析する習慣を身につけさせてくれた。
いい場面だけを切り取るのではなく「単元全部を記録」する体験は、のちにライティング・ワークショップを実践しはじめたときに、導入からの20時間の授業記録を書くことにつながった。


⑤子どもの観察
討論の司会、授業記録、毎時の授業感想は、一人一人の子どもを観察・理解するトレーニングになっていたと思う。
一人ひとりの個の変容を、授業の発言や授業評価の記述の積み重ねから丁寧に見とるトレーニング。一人一人の学びのプロセスを追う練習になっていた。
当たり前のように「同じ授業でも一人一人考えたり感じたり学んだりすることは違う」ということも。「学習者に聞く」という構えも身につけさせてくれた。

 


⑥楽しければ人は学ぶ。
ここで言う楽しいは「おもしろおかしい」ではない。板倉は「たのしさそのものが目的」と『科学と教育のために』の中で喝破し、当時は「楽しいだけでいいのか!」と批判もされてきたが、
板倉の言う楽しさは、

”科学者とは利己的ではなく「自分の働きで他人をたのしくさせたい」という社会的な動機付けに促されながら「問題ー予想ー討論ー実験」という「楽しい科学の仕方」を駆使する存在であり、科学者が研究しているように教えればたのしくなるはずであり「たのしくやらなきゃ科学に対して罰当たり」。”

つまり「たのしさ」とは科学的概念や法則に裏打ちされた「知的関心」のことで、そのたのしさには知的緊張も努力も当然伴う。このことの価値は離れてずいぶん経って(わりと最近)、ようやく実感できた。


⑦・・・・
とまあ、あげればきりがないがこれらがぼくの土台を形作っているようだ。今思い返すと、初任からの5年間は、豊かなコンテンツの土壌の上でファシリテーター・トレーニングをしていた毎日だったのだと思う。

 

さっそくNapkinAIにこのプロセスを図解してもらった。

それっぽいけどちょっと違う。




ではなぜ離れたか?それは後にファシリテーションを軸としていく自分の変化にも繋がっている。そういえばかつての同僚の渡辺貴裕さんに、

「もし仮説実験授業に出会っていなかったら、今の岩瀬さんはありませんか?」

と聞かれたことがある。
どうだろう。けっこう本質的な問いでまだ答えられずにいる。おそらく今のぼくはないんだと思う。
それにしても子どもたちの討論から仮説が立ちあがっていくやりとりには聞き惚れたなあ。ここに来て社会構成主義に関心をもっているんだけれど、実はあのときの聞き惚れた討論に原点があったりする。
ではなぜ仮説実験授業から離れていったのか?


端的に言えば以下。
①仮説絶対主義的な側面がある。他教科への安易な展開や、仮説さえやっていればいいというような言説。つまりは方法の絶対化。


②教師と子どもの授業書への過度な依存。授業書の質が高いだけに、授業書そのものへの疑いを持たない。このような姿勢は、巧妙な「授業書もどき」を作れば思考や価値観を操作できる危険性をはらんでいる。これは仮説に留まらない大きなリテラシーの問題。


③問いはいつも「降ってくる」ことへの違和。カリキュラム上の自由度の低さ。

 

④教材研究できない教師をつくりかねない。 


とはいえ、今なお仮説実験授業の価値は高いと考えている。
仮説実験授業の豊かな蓄積をぼくたちはどのように継承していけばよいのか。
仮説における「楽しさ」の価値とは?
改めて検討したい。なんせ5年間、脇目もふらずに学び尽くしたことが大きかった。
5年やり続けると強みになる。

 

NapkinAIで図解生成(冬休み日記ラスト)

図解生成をやってみる


今日は朝からいろいろバタバタ。
体調もいまいちで、ベッドを行ったり来たりしながら

「生成AI集中稽古」最終日を迎えている。

自分は熱がないから大丈夫そうだけれども、頭が重い。

8日目、最終日はそんな理由で使える時間も短いので、気になっていたAIサービスを使ってみよう。

それはNapkinAI。
テキスト入力から自動的に図解やグラフを生成するAIだ。

www.napkin.ai

登録はGoogleアカウントを持っていれば瞬時。
英語も全然難しくない。

 

使い方はネットを検索するとたくさん出てくる。

(読んでみるとAIに書かせてるんだろうなという記事も多く、やや萎える)

 

文章を貼り付けて図解を生成するもよし(下)、文章も生成してもらうもよし(上)。

 

今回は自作の「ジョン・デューイ先生」がつくった文章で試してみる。

iwasen.hatenablog.com

 

文章を貼り付けると、図解が作れそうなところに雷マークが出てくる。

えい!

すごいたくさんの候補が出てくる。

 

さらに一つを選択すると、その図解自体もいじることができる。これは秀逸だ。自分のイメージにより近づけることができるからだ。もちろん文章も変えられる。

 

文章の至るところで図解例を示してくる。その図解のバリエーションも豊富だ。
フィッシュボーンやイラストチックなもの、こりゃすごい。

(こんなのもつくってくる)

 

できた画像のエクスポートも簡単。透明PNGで保存すれば、スライド等で活用しやすい。

 

教育コンテンツをつくる際や、プレゼン準備に重宝しそう。

今はベータ版で全ての機能が使えるが、やがて有料になりそう。

こういうの覚えて使っちゃうと、有料になった時のショックが大きそう。

 

GPTSもつくってみたよ。

マイGPTという機能で、メール文を貼り付けると、意思決定に必要なことを抽出して「どうする?」と聞いてくれ、それを生かした返信案をつくってくれる「メール返信アシスタントくん」をつくった。信じられないほど簡単に作れてびっくり。これだけで業務が随分楽になるなあ。

 

Deep Researchも引き続き試している。

 

いよいよ仕事も再開。
冬休みのお稽古も今日でおしまいだ。

我ながら8日間感心にやり続けたものだ(他に予定がなかったという現実もあるが)。

よく考えたら初詣にもいきそびれている。

今年は何吉なんだろう。


1月は、いろんな業務を「やたらAIを使ってみる」ことを通して効率化を図ってみよう。

自分の分身をつくってみる(冬休み日記その7)

朝活7日目。

よく続きました。インプットからアウトプットまでを一連の流れにしてよかった。

 

今日は自分のブログ記事や振り返り、Facebookの書き込み、原稿などをデータ化し、まとめて読み込ませて、自分の分身「イワセナオキくん」をつくる試み。

自分のデータを参照する生成AIはまるで自分のように答えてくれたり、研修案をつくってくれたり、忘れていることを思い出させてくれたりするのではないか。そんなうまいこといくのか。

まず、はてなブログの記事をエクスポートする。
すごい分量。

 

続いてFacebookの過去ログもダウンロード。1905年からってどういう設定だ。

これは何時間もかかった。HTMLで吐き出されるのでpdfに変換する。

データを集めPDF化テキスト化し、googleのNotebookLMにあげる。結構な量のデータをあげる。これだけでひと作業。一応できた。

 

さてイワセナオキくん、こたえてくれたまへ。

いろいろ聞いてみると、それっぽく答えてくる。

 

>校内研修のあり方をどう見直すか,3点に絞って解説して。

 

研修のあり方を見直す際に重視すべき点は、大きく分けて以下の三点があげられます。

1.教師自身が学び手となること、そして協働的な学びの場を創出すること [1]

従来の学校研究では、教科領域の内容や目指す授業像に焦点が当てられがちでしたが、教師一人ひとりがどのように研究に参加し、チームとして協働していくかという視点が欠けていました。研修は、教師が学び手となり、互いに協力し合いながら成長できる場であるべきです。

具体的な方法としては、以下の様なものが考えられます。

日常的な対話の促進: 職員室での日常的な会話の中で、授業や研修について気軽に意見交換できる雰囲気作りが重要です。 [2] 雑談の中で生まれたアイデアや疑問が、新たな実践のヒントにつながることもあります。
学習サークルの活用: 忙しい教師にとって、時間的余裕がないことが学びの妨げとなることがあります。校内に学習サークルを設けることで、時間の問題を解消し、日常的に情報交換や刺激を受けられる環境を作ることができます。 [3]


全員参加型の研修: 研修が一部の担当者に押し付けられるのではなく、全員が主体的に関われるような仕組みが必要です。 [4] 全員授業公開や、授業後のポジティブなフィードバック [5] などを通して、全員が学びを共有できる機会を設けることが重要です。

 


2.「こうあるべき」という思い込みから脱却し、柔軟な視点を持つこと [6]

学校や教師には、それぞれの状況や個性があります。画一的な研修スタイルではなく、それぞれの状況に合わせた柔軟な対応が必要です。

多様な研修スタイル: 研修の内容や方法を固定化するのではなく、その時々の状況やニーズに合わせて柔軟に変えていくことが重要です。従来の研修スタイルにとらわれず、新しいアプローチを取り入れることも検討すべきです。
ボトムアップとトップダウンのバランス: トップダウンで方向性を示しつつ、現場の意見を反映できるボトムアップ型の研修を組み合わせることで、より効果的な研修を実現できます。 [6]
失敗を恐れずに挑戦すること: 新しい研修スタイルに挑戦する際には、失敗を恐れずに、試行錯誤を繰り返しながら改善していくことが大切です。 [4]

 


3.研修を「やり方」ではなく「考え方」として捉え、日々の実践と結びつけること [7]

研修で得た知識やスキルは、日々の実践の中で活かされなければ意味がありません。研修を「やり方」として形式的に捉えるのではなく、その背後にある「考え方」を理解し、日々の教育活動に生かしていくことが重要です。

研修と授業の連携: 研修で学んだことを授業で実践し、その結果を振り返ることで、より深い学びにつながります。 [5] 研修で得た知識やスキルを、具体的な教育活動に落とし込むためのサポートが必要です。
長期的な視点を持つこと: 研修の効果はすぐに現れるとは限りません。 [8] 長期的な視点で研修の効果を評価し、継続的に改善していくことが重要です。
自己省察の習慣化: 日々の実践を振り返り、自分の行動や考え方を問い直す習慣を身につけることが、教師としての成長につながります。 [9, 10] 研修は、自己省察を促すための機会としても活用すべきです。
これらの三点を踏まえ、それぞれの学校の状況や課題に合わせて研修のあり方を見直していくことが、教師の成長、ひいては子どもたちのより良い学びにつながると考えられます。

 

まあ、言い回しは気になるものの,これまで言っていることに近い。

とんちんかんな返答があったりもする。

はたして自分が壁打ち相手になるのか、どんな使い道があるのかはまだ分からず。いろいろな切り口で試してみるしかない。(そもそも自分のデータがベースの時点で頭打ち感が……デューイにかなうべくもない)

若い先生の壁打ち役になったりするのだろうか。誰かに試してもらおうかな。

まあともあれ作ってみたと言うことで,いい使い道を探してみよう。

 

昨日届いたこの2冊は教師にとっても有益だ。対話形式でとてもわかりやすく書かれているし、共通することも多い。

(ただ,本が高い)

読んですぐ理解できるくらいにはこの1週間でリテラシーがあがったようだ。

 

 

その後は、メールの返信を自動で作ってくれるプロンプトをつくったり(メール内容から意思決定が必要なことを聞いてくれて,それに答えると返信案をつくってくれる。結構役立ちそう)、昨日試したDeep Researchであれこれためしてみたり。

 

午後はラーメン食べて美容院。整いました。

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体調がイマイチすぐれず,早めに休むとしよう。



追記。

自分の分身AIをメンターにしてみた。
「あなたは若い先生の相談に乗るメンターです。困りごとの相談に乗ってください。相手の困りごとを詳しく聞いた上で、できるだけ自分で解決できるよう導いてください。適切なタイミングでスーパーバイズしてください。最後にやりとりをまとめたドキュメントを作成してください。最初は「何か困っていることはありますか?」で対話を始めてください。」

すごいそれっぽいアドバイスをする。
問題は、それが具体的な文脈、その先生のパーソナリティを無視するということだ。脱文脈的で「正論」。これは苦しめるなあ。

具体的な文脈と身体性と関係性。
一周回ってこの重要度がよくよくよくわかる。

この写真の後、「ぼく」はめちゃくちゃ無責任に助言し始めます・・・・・・・

、「それは大変ですね 学級がうまくいかなくて困っています。 学級運営で悩むのは、 学級運営 で悩むのは、 多くの先生が経験することです。 「うまくいかない」 と感じていますか?子どもたちとの関係性、 ルールの徹底、 者との関係など、 どの部分が特に楽しいと感じているか教えていただけますか? まず、 何が具体的に 授業の進行、 保護 また、 どのような状況やエピソードで「 どのような状況やエピソードで「らまくいっていない」 「うまくいっていない」 と思われたのか、 少し具体的にお聞 かせいただけると嬉しいです。 その上で、 緒に解決方法を考えていきましょう。 子どもたちといい関係がつくれていないです。 私の話を聞いてくれま せん。 子どもたちとの関係がうまくいかないと感じると、 つらいですよね。 すよね。特に、自分の話を聞いても 特に、 自分の話を聞いてもら えないと、 孤立隊や無力感を覚えることもあると思います。 でも、 これは改善できる問題です。 結に一歩ずつ考えていきましょう。 まず、 以下の点についてお聞きしたいです」というテキストの画像のようです