恐ろしい。
この時代にそんなことをする人がいるのか。
暴力は行けない。
投票で民意を。
けど、それだけ不満が溜まっているってこのでもあるのかな。
暴力はいけないけど、あまりに人の道を外れたこと政治家はしないでほしいですね。
そうしないと、候補者に矛先が向く可能性があるから。
恐ろしい。
この時代にそんなことをする人がいるのか。
暴力は行けない。
投票で民意を。
けど、それだけ不満が溜まっているってこのでもあるのかな。
暴力はいけないけど、あまりに人の道を外れたこと政治家はしないでほしいですね。
そうしないと、候補者に矛先が向く可能性があるから。
やる気が起きない。
何をするにもめんどくさい。
気が重い。
大体周期がある。
やる気がある時は何をやるにも体力が無限。
パッパッパってやってしまう。
んで今の状態。
なんもやる気が起きん。
それにあがいてみる。
ますます沈む。
負の連鎖である。ループである。
PDCAサイクルの絵が思い浮かぶ。
当てはまるのは全部やる気ナッシングの項目しかない。
PDCAくそくらえである。
こんなどうしようもない時は、何もしない。
ひたすら気分が上向くのを待つのみ。
お馬さんでもみて、お菓子食べて、ダラダラして、罪悪感を感じること自体が足掻いているから、いまの状態を受け入れる。
一度受け入れるともはや周りの目など気にしなくなる。マリオのスターである。
ヤンキーに絡まれても吹っ飛ばせるくらいのスター状態である。
現実はたぶんスタープラチナみたいにオラオラされて再起不能になるであろうけど。
そんな感じでダラダラと過ごすのもよしとしよう。
この休みで高速道路を使った。
山の中を通るけど割とメジャーな高速道路である。
結構古くからあるので、道がくねーくねーってなっている。
出かける用があったので、何年かぶりにその高速道路を使った。その高速道路にはあまりいい印象がない。
だってめちゃくちゃみんな飛ばすから。しかも交通量が多いので恐怖である。
なぜそんな恐ろしいスピードをだすのだ。
軽自動車、普通自動車はもちろん、圧倒的威圧感で皆がひれ伏すアルファード。
他の車を引きつれる、まさに黒王号である。
大体煽り散らかしそうな運転をしているイメージである。
なぜアルファードをそういう目で見てしまうのでしょう。威圧感がそういう感覚にさせるのか。
運転する人が気が大きくなるからでしょうか。
煽り散らかしそうな人がアルファードを買うのか。
そんなことを考えて運転していると、アルファードなんて目じゃないぜ!と言わんばかりに大型トラックが恐ろしいスピードで走り去っていく。
巨人を倒していたら超大型巨人に蹴散らされるあのイメージである。
みな何と戦っているのであろう。
無差別級の戦いである。ここは競馬場ではない。まるで毎日がG1レース開催である。
命からがら無差別命知らずのレースから解放され、生きていることに感謝である。
こんな運転してるから事故が後を絶たないのね。
安全運転を願うばかりである。
死とはなんでしょう?
解放されるということでしょうか?
完治の見込みがないため、記事の人は安楽死を選択する。
しかし、最後には色々ある。
昔NHKでみたことがある。この記事の人ではないけど。その人は安楽死を選択した。薬物が入った点滴を、自分がスイッチを押して投入される。そして息絶える。
その人は最後やっと解放されるというような雰囲気出会った。
安楽死というのは認めるべきなのでしょうか?
本人からしたら解放である。
親や親族などからしたら、そんな悲しい選択をしてほしくない。
医療費などからの観点から見ると、安楽死を導入した方がいいのではという意見もある。
どれも正しいような気がする。
難しい問題である。
日本は超高齢社会に突入しており、特に75歳以上の後期高齢者人口の増加が社会保障制度に大きな負担を与えています。この背景から、後期高齢者に対する医療費負担の見直しが議論されていますが、その是非については多くの意見が交わされています。ここでは、後期高齢者の負担増について、賛成と反対の両面から考えてみます。
負担増に賛成する意見
まず、賛成の立場からは、社会保障制度の持続可能性が重要なポイントです。高齢化が進む日本では、医療や介護にかかる費用が年々増加しています。このままでは現役世代の負担が大きくなり、将来的に若い世代が受け取る社会保障が減少する恐れがあります。現行の制度では、後期高齢者の医療費の多くが国や自治体、そして現役世代の保険料でカバーされていますが、そのバランスを見直し、負担を少しでも後期高齢者自身にシフトすることで、現役世代の負担軽減を図るべきだという主張です。
また、医療技術の進歩によって平均寿命が伸び、75歳を超えても健康で元気な人が増えています。そのような人々が比較的余裕のある生活を送っている場合、経済的な負担をある程度求めるのは合理的だと考える人もいます。特に、資産や年金に余裕がある高齢者層には、一定の負担をお願いすることで、社会全体のバランスを保つという視点もあります。
負担増に反対する意見
一方、負担増に反対する意見も強く存在します。多くの後期高齢者は、すでに年金生活に入り、収入が限られていることが一般的です。特に、貯蓄が十分でない人や、年金額が少ない人々にとって、医療費や介護費用の負担が増えることは生活を直撃する深刻な問題となります。医療費がかかることを恐れて受診を控える高齢者が増えれば、健康状態が悪化し、結果的に医療費がさらにかかるという悪循環を招く可能性も指摘されています。
また、現在の後期高齢者世代は、現役時代に社会保障制度の確立や発展に大きく貢献してきました。その世代に対して、今になって負担を増やすことは不公平であるとの声もあります。過去の貢献を無視し、経済的な事情だけで負担を押し付けることは、社会の連帯感を損なう結果を招く恐れがあります。
持続可能な制度へのアプローチ
この問題を解決するためには、単に負担を増やすか減らすかという二者択一ではなく、より柔軟で公平な制度設計が必要です。例えば、後期高齢者の収入や資産に応じて負担額を調整する「応能負担」の導入がひとつの解決策として挙げられます。これにより、資産や年金に余裕がある人は負担を増やし、経済的に厳しい人は現在のままの負担で済むという仕組みが可能になります。
また、医療の質を落とすことなく、効率化や無駄の削減を図ることで、全体的なコストを抑える努力も必要です。さらには、地域社会や家族による支援を強化し、高齢者が自立した生活を送れるような仕組みを整えることも重要です。
結論
後期高齢者の負担を増やすべきかどうかは、非常に複雑な問題です。社会全体の持続可能性と個々人の生活の質を両立させるためには、単純な解決策ではなく、多角的なアプローチが求められます。高齢化が進む中で、私たち全員が支え合う仕組みをどう築くかが、これからの日本社会にとって重要な課題となるでしょう。