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初めて「行きつけ」ができた街、中目黒。|文・森本萌乃

書いた人:森本萌乃

株式会社MISSION ROMANTIC代表/Chapters書店主。1990年東京生まれ。書店×マッチングのプロトタイプとなるマッチングサービスをアナログで立ち上げ、「本棚で手と手が重なるように出会えるオンライン書店・Chapters bookstore」を21年6月にオープン。登録者は延べ6000名を超え、20〜30代の独身男女に本を通じた出会いを提供中。2024年3月には自身の体験談を元にしたビジネス小説「あすは起業日!」(小学館)を出版、市ヶ谷にChapters bookstoreのリアル店舗をオープンするなど活動の幅を広げている。


中目黒に移り住んだ頃のことを振り返ると、真っ先にあの疲労感が浮かぶ。

初めての一人暮らしは、東京を謳歌したくて、当時勤めていた会社から近い麻布十番を選んだ。夢いっぱいの新入社員、そして「麻布十番に似合う女性になりたい」という願望が、自分の中の変なエンジンをふかしてしまったのだろう。遊びも仕事も、時間の使い方も、とにかく無茶苦茶だった。「若さは財産」は、確かにその通りかもしれない。若さを散財していた。

当時の私は疲労が華やさの象徴だと勘違いしていたから、麻布十番の部屋でゆったりと過ごした記憶はほとんどない。一人で部屋にいる時間は不安を煽り、終始そわそわしていた。外に出てお酒を酌み交わしたり、出会う人数こそが人生の経験値に比例すると思っていたので、とにかく予定を詰め込み、誘われても、そうでなくても外へ出かけた。結果、へとへと。「港区女子」という言葉がちょうど定着しはじめた頃だったから、分かりやすく憧れてもいたんだと思う。ばかで可愛い。

そんな生活を変えようと考えだしたのは、会社員生活4年目の春、27歳の頃だった。もっと自分や、部屋や、生活を愛するライフスタイルにシフトしたい。一人でいても満たされる人になりたい。もうこの生活は続けられない、そう感じた時から、麻布十番は私にはひどく眩しくて、不釣り合いで、急に住むのがしんどくなった。

そうして始まった家探しの第一条件は、今より部屋が広く、ゆったりしていること。二つ目は、銭湯が近いこと。飲みの場ではない地域との繋がりを求めた時に、銭湯通いに猛烈に憧れを抱いたのだ。

銭湯を条件に、会社への通いやすさで絞り込んでみても、東京にはたくさんの候補が存在した。例えば、門前仲町や池尻大橋。ピンときた街に立ち寄って、自分が住む絵を想像してみたけれど、一番しっくりきたのが中目黒だった。

理由は電車の音。電車の音を騒音と捉える人もいるけれど、地下鉄に慣れた私には、数分に一回通過する東横線の音が、地に足の着いた生活を彩る風情に感じられた。一度決めたら脇目もくれないこの盲信の技術は、私の才能でもある。そこから先は中目黒の不動産屋さんにどんどん駆け込み、身を乗り出して家を探した。

都内有数の人気エリアである中目黒は、4月前後の引越し繁忙期には紹介される家の数そのものが圧倒的に少ない。加えて家賃の高さ。そんな逆境にもめげることなく、「もう絶対に中目黒に引越すんだ」という私の圧に根負けした不動産屋さんが絞り出して紹介してくれたアパートが、駅徒歩3分、築45年のアパートの4階。広さは譲れなかった分、築年数とバストイレ別は妥協したが、あの立地で月98,000円・30平米はなかなかの掘り出し物だったように思う。

中目黒で生活を変えよう。銭湯と線路の似合う女性になろう。息巻いて引越しを決めた私は、本当にこの街で人生を好転させた。ライフスタイルを変えるどころか、仕事も変えて起業までしてしまった。中目黒という素敵な街が、私をちょっと前向きにしすぎたみたいだ。


中目黒に引越した私は、宣言通り銭湯通いを満喫した。40年以上も続く親子三世代で継承する銭湯『光明泉』、中目黒のオアシス。なんと言っても魅力は週替わりの露天風呂で、東京の狭い夜空以外なんにも見えない四角囲いの空間と、5分おきに規則的に聞こえてくる東急東横線の音が、他にはない都会特有の趣を感じさせる。

大自然に抱かれる露天風呂はもちろん魅力的だけど、大都会の地元の銭湯に露天風呂なんて、誰かが強い意志を持って作らないと生まれることはなかっただろう。光明泉の露天風呂には、そんな東京のクラフトマンシップと愛情を感じてならない。

バスタオルにシャンプーとコンディショナーとボディソープを包んで、季節を問わずビーサンをひっかけて光明泉へと通う。行きはちょっぴり肌寒くても、帰り道はぽかぽかで、夏には帰り道の川沿いで一人座り、牛乳を飲んで夕涼みもしたりした。

「あなた! 植物の枝が折れてるから添え木しなさい。あと梨、いっぱいあるからお裾分け」

アパートに帰ると、1階に住む大家さんと他愛もない会話を交わしたりもして、こうした何気ない日常はまさに、私が中目黒に求めていた生活そのものだった。


ブランド古着を扱う洋服店、「kindal」にもよく通った。古着屋特有のセレンディピティによって、訪れるたびに新しいブランドとの出会いや、思いもしない洋服を買う機会が増えて、自分の好みが少しずつ分かってきた。川沿いをふらふら歩くとたどり着く立地も好きで、散歩の目的地としてもお気に入りだったし、少しだけ、おしゃれにもなった気がする。


食事は、昼夜問わず東急ストアにお世話になった。私は料理が全くできないので、お惣菜の美味しい近隣のスーパーはありがたい。

東急ストアはお寿司のバリエーションが豊富だ。にぎり寿司セット698円、お腹がペコペコの時は欲張ってネギトロ巻きも一緒に。中目黒で一番食べた夜ご飯は、間違いなく東急ストアのにぎり寿司だと思う。さらに閉店間際に割引シールが貼られると2割引になるので、くたくたの残業帰りの足取りも少しだけ軽やかだった。



生活感溢れる中目黒での毎日は、時に非日常の輝きも与えてくれた。人生初の「行きつけ」に出会ったのもこの街だった。

私が中目黒に引越した頃、偶然にも仲のいい友人が3名、同じ駅に住んでいた。引越しの時期も近かった私たちは、近所に素敵なスポットを見つけるたび、すぐさま互いに報告しあった。「新しいお店発見」。

あの日もこんな風に、メッセージが届いた。ならば行ってみようと友人を連れ立って訪れたその店は「グルドボワ」、少し変わった店名だった。中目黒の駅から山手通りを246に向かってちょっと進んだところ、大通りから一本入ったところにあるそのビストロは、カウンターで10席弱、テーブル席を含めても10人を越えれば満員の小さな店。オープン直後のせいか、週末の夜にも関わらず客入りはまばらだった。

正直、最初に何を注文したか覚えていない。ただ覚えているのは、友達6人でカウンターに一列で並んだこと。お任せで出てきたグラスワインがとても美味しかったこと。ぴかぴかの一枚板のカウンターの白木が、吸い付くように気持ちよかったこと。

自分の住む街に、こんなに素敵なお店がオープンして、そして気軽に誘い合える友人がいて、なんだかうまく言えないけれど私はこの時の高揚感をよく覚えている。
勢い余って「行きつけにする!」と、帰り際シェフに宣言をして、私はグルドボワの「常連さん」を始めた。



グルドボワは、私がしょっちゅう通えるような価格帯の店ではない。少しおめかしをしてゆっくりコース料理を食べるような、余裕のある人たちが値段なんか見ないでワインをオーダーするような、飾らないけれど大人な店だ。

だから私にとって、常連とはいえグルドボワはいつもご褒美だった。美味しいご飯をいっぱい食べて、ワイン片手に友達と語り、よく笑い、店に余裕がある時にはお店の方々ともお話をして。月に1度しか行けないけれど、程よい距離で常連扱いをしてくれるシェフの接客が何より嬉しかった。

ある夜、人手が足りないと聞きつけ、私の友人の一人がピンチヒッターでアルバイトに入ったことがあった。みんなで冷やかしに食事へ行ったあの夜は、今思い出しても特に華やかで温かい中目黒の思い出だ。

そんな折、突然コロナ禍がやってきた。事業縮小の煽りを受け、私は会社員をクビになった。お遊び気分で始めた自分の会社に一本化せざるを得なくなり、窮地に立たされた。仕事が辛かったのは言わずもがな、「行きつけ」に行けない辛さも初めて味わった。

往生際の悪い私は、閉店間際、前を通りかかったふりをしてデザートとワインを一杯だけ、ゆっくり頂くなんていう姑息なことも何度かした。

繰り返すが、そんな店では決してない。それでもシェフは、私の無粋な行動に嫌な顔ひとつせず、いつだって扉を開いてくれた。ベラベラ自分のことを話していたので、起業直後の私に対するシェフなりのエールだったんだと思う。おかげで私は、このお店のデザートをかなり食べ尽くした。ヌガーグラッセは絶品なので、店を訪れた際はぜひ注文してみてほしい。



その後、また住みたい街に導かれ、ばたばたと引越しをして、今では別の街に住んでいる。約3年間の中目黒での生活。麻布十番を第一章だとすると、私の社会人生活の第二章・中目黒は、賑やかで、忙しくて、そしてとっても美味しかった。


先日、私は自分自身の起業体験を基にした小説「あすは起業日!」を出版した。事実と作り話が交わった物語なのだけど、主人公の住む家はやっぱり中目黒だった。起業当初の気持ちを振り返ると、自然と中目黒の川沿いの木々の揺れ、東横線の音が聞こえてきた。
そんな本を携えて、中目黒 蔦屋書店で出版イベントを開催できた時には流石に一瞬凱旋気分に浸ったけれど、来場者の数に怯えて何度も何度も書店さんに人数を確認してしまった。自分のあまりの小者ぶりに、凱旋気分は撤回した。

そしてグルドボワには、今もまた時々通えるくらいに私の経済状況が浮上してきた。今では多くの人が予約を心待ちに訪れる中目黒の名店だ。
行きつけと言いつつ時々しか伺えないけれど、私の大切なお店。これを読んでいる方も、ぜひ少し特別な気分の日に行ってみて欲しいなと思う。


今でも中目黒に行く度、なぜかご近所さんを装いたくなる。
少し気の抜けた、ゆるっとしたデニムで歩きたくなる。
中目黒の人って思われたい、それくらいに今も大好きな街だ。

著: 森本萌乃

編集:ピース株式会社(小沢あや)