米国から一時帰国して「老害」がなくなるといいなと思った話
米国に移住して一年が経過した。正直なところ日本のほうがいいところはめっちゃある。特に生活面は、日本はホンマに素晴らしいと実感している。ただ「職場環境」は米国に圧倒的に負けていると思う。たとえ英語のハンデを背負ったとしてもこちらの方が圧倒的に快適だ。日本に一時帰国して感じた違和感とその分析、対処策について考えてみた。
日本で感じた「違和感」
日本を出た1年前と比べると、働き方改革の成果か、多くの人が日本の職場環境に疑問を抱くようになっていてそれはとても素晴らしいことだと思う。ただ、一方でインターネット上の議論を読んでいると、今まで圧倒的な「権力」を持っており、ある意味表面上は「尊敬の対象」だった「年齢の高い人」が「老害」や「昭和」などとバッシングされているのを見て非常に違和感を感じた。私も来年早々50だし、昭和だし、日本に帰ってきたら年齢で就職できないから自分で会社やるしかないかなとかぼんやり思っていたことも思い出した。
米国の職場環境と「年齢」
私は、米マイクロソフトのHQで勤務をしているが、米国では、職場において年齢で区別されるというのが全くない。白髪のおじいちゃんから、インターンの人までほぼ同じ扱いだ。上下とか無い。実際に働いてみるとこれがホンマに心地よい。誰かが年上とか、年下とかも気にしたこともない。年上の人が偉そうに接することもないし、新人やインターンの人が過度に「できない」とみなされることなく、同じように扱われる。つまり、「それぞれの職場に必要なスキル」とのパッション含むマッチングとそのレベルが重要になる。例えば DevOps チームに所属しているなら、DevOpsの知識や技術的実践力、それに関するプロジェクトの遂行力、コラボレーション、それを通じたインパクトなどが評価の対象になり、レベル別にどういうことが出来たらいいか明確に定義されているのでわかりやすい。著名で、実力がめちゃめちゃあっても、DevOpsに関係ない技術にだったら、採用されない。
年齢が高い人の扱いの比較
日本だと、年齢が高いと仕事で成果がでているか否かにかかわらず、給料も高くなりがちで、ポジションも高くなりがちになる。「偉い人」もこの年齢層の人が多い。一方ある程度年を取ると、高いポジションにいない限り相当転職とかは困難になる。例え能力があっても敬遠されがちであり、実際年齢が高くなると、いろんな言い訳をして、年齢を理由にまったく勉強しなくなる人も多いと思う。また、年齢を言い訳にいろんなことを「それは無理」と自分であきらめてしまっている傾向が多いように感じる。
一方、米国だと、白髪のおじいちゃんのような感じの人でも、能力があればガンガンにプログラマをやってたりする。給料を上げたければ技術力+マネジメントに進むほうが有利だけど、そうでない選択をする人も多い。(少なくとも現場レベルでは、マネジメントのみというのは無い感じ)。年齢が高かろうが、低かろうが、定義されたJOBが遂行できるか?というのが問題なので、年を取っている人でも勉強するのは当然で、自分が働きたいから、自分で自ら勉強やスキルアップの機会を求めている。ちなみに、今回ブログ用にお金を払っている画像サイトで検索したら、「シニア」で検索すると介護みたいなイメージばかりで、白髪の人がバリバリ働いている日本人の画像をさがすことができなかった。
ただし、私の記憶が正しければ、ある統計によると、年収が一番高いレンジは40代ぐらいになって、年齢が行くと低下する傾向にある。やはり老いと経験は成果に関係すると思うが、あくまでそれは人の努力次第であり、面接で年齢が聞かれることもない。それは自然なものと自分は感じる。少なくとも私の職場では、年齢を何かの言い訳にする人を見たことがない。ちなみに、人を「叱る」ような人も見たこともない。あったら多分パワハラでクビだろう。マネジメントは、いかに人をいうことを聞かせるか?ではなく、いかにチームで目的を達成しつつ、各メンバーが個人がハッピーになるかが気にされる。
年齢が若い人の扱いの比較
日本だと、新人や、インターンというのは基本仕事ができないものとして扱われる。ものを知らないという前提で、たとえマスターを出ていたとしても、電話とりとかそういう仕事から始まって簡単な仕事ばかりから始まる。まわりも3年ぐらいは役に立たないものと考えており、期待もしない。ただ、教育制度が充実しているので、ゼロから教えてもらえる。だから大学にはある意味あまり期待していない。
米国だと、新人や、インターンでも同じ扱いになる。ただ、自然と、クリアできるJOBディスクリプションが高くならないので、一般的にそんなにもらえないが、IT企業だと、大学でコンピュータサイエンスを学んでその辺は出来ることが前提となっているし、大学で学んで実践してきたことがとても重要になる。だから、新人でもいきなり活躍の場があり、実際活躍する人も多い。先輩に丁寧に教えてもらえるという感覚もないので、同じく同僚のようにわからないことは聞いてくるし、こちらもサポートするという感覚。ただ、わからないことがベテランの人より多いという感じ。
心地よい「実力」の世界
このような感じで、年齢のバイアスのない世界ではいろんなことがうまく回っているように感じる。年をとっても実力さえあれば働けるし、大学を出たてでも活躍が期待されるので、大学でコンピュータサイエンスをしっかり学んで実践してくる。つまり、どんな年齢層の人でも「実力勝負」だ。だからみんな言われなくても努力するし、いかに上手くキャリアを積めるかを考える。指示待ちの人とかは存在しない。それは得な選択肢ではないから。実力勝負というと、シビアな感じがあるが、実際にはそうでもない。明確なJOBディスクリプションがあって、それをクリアするか否かだけなので、明確だし、それは「ストレッチ目標」ではなく「普通にやればクリアできる」程度の目標で余裕もあるので、自由度も十分ある。この背景にはキリスト教のバックグラウンドも関係あるかもしれない。キリスト教では、偉い人は存在せず、唯一存在するとすると、ジーザスとかGODなので、それ以外は「人」なので偉い人もくそもない。
どうしたらいいだろうか?
このまま働き方改革が進んでいくと、多かれ少なかれ同じような状況になると考えられる。だから、そうなってからではなく、今からそっちの世界にターゲットを絞ってキャリアを積んでおくといいかもしれない。今の日本だとまだまだ「政治」や、「偉い人」が存在するけど、一旦それは忘れて純粋に「実力」をつけるようなキャリアアップを目指しておくのはどうだろうか?もし、それが耐えられなさそうだと、外資系だと日本でもそんな感じなので英語を勉強して、そっちに移行してしまうのもいいかもしれない。日本の外資系にいるとよくわかるのだが、「実力があり、英語も出来る人」というのは本当に限られるレアキャラになるので、ちゃんとITの場合だったら技術を学んで実践して、英語も頑張っておくと、給料もあがるし、実力を伸ばしやすい環境にもなるので一石二鳥だろう。日本の外資系でビジネス英語に慣れると、海外で就職するというステップも踏みやすくなる。
年齢が高いから、大学を出たばかりだから、と言い訳するのは簡単だ。無理をする必要はないけど、一歩一歩自分なりに積み重ねたら、どんな年齢の人でも継続して学習しつづけ「実力」をつけるもしくはキープすることは可能で、そういう習慣がこのような世界が来た時にとても有効だと感じる。そしてそれが最も安全なことじゃないだろうか? 米国で働いていると、年取ったから記憶力が、新しいものは難しい、、、とかはホント単なるバイアスが大きいのではないかと感じた。みんな余裕でキャッチアップしていく。多分単純にやっているから。 出世の概念のような、今の日本での「成功」をターゲットにしていたら、そうなったときにつらいかもしれない。実際自分も米国に移住して、自分の「日本での成功と実力」と思われていたものが全く役に立たない現状に直面している。その状況を早く知れてラッキーとは思っているが、少しづつどうしたらいいか研究している最中だ。
日本に一時帰国して思ったこと
日本で頑張って働いてきた人が突然「老害」といわれるのはホンマつらいやろなと思った。年とっただけやのに。それよりも、誰も年齢を気にしない世界は本当に快適だったので、そのことをシェアしてみたいと思いブログを久々に書いてみた。人を怒鳴りつけるようなパワハラがまかり通ったりしてやってられん!って思うとは思いますが、そういう価値観の中で育った人の努力や成果を否定するのはなんか違う気がしました。今は過渡期で、そこから徐々に「実力」のみで評価されて、どんな年齢の人でも楽しく働ける日本になったら本当に素晴らしいなと思いました。例えば、今そのパワハラをしている人でも、たぶん米国で、日本人が居ない環境で働いたら、考えは絶対自然と変わるとおもうのです。パワハラしたら首ですし、JOBディスクリプションが達成できないとファイアで、技術力が求められるのできっと真面目な日本人は頑張って勉強すると思います。言い訳してもファイアされるだけですから。日本だとそうはいかないので流れはゆっくりになると思いますが、いずれそうなると思います。そうなったときに全ての年齢の人も楽しく働けるようになったら最高だなぁ。自分が日本に戻る頃にはそうなっていたらいいな。