IT大手再編の要諦「出身会社の痕跡はすべて消す」
日本マイクロソフト会長 樋口泰行氏(3)
巨大合併でリーダーマネジメントの重要性を学ぶ
日本マイクロソフト会長 樋口泰行氏
ピーク時よりは減っているものの、日本企業に絡むM&A(合併・買収)は年間2千数百件規模の多さで続いているという。日本においてもM&Aは当たり前の経営手法になった。言い換えれば「会社再編・事業再編は当然のこと」としたリーダーのマネジメント能力が問われるようにもなってきている。
ここで言う「再編」とは、M&Aに限定されるものではない。M&Aなどに伴う「ポスト・マージャー・インテグレーション(PMI=買収後の統合)」、経営不振や破綻に直面している企業の「ターンアラウンド(事業再生)」、そして成熟企業の新たな持続的な成長に向けた「トランスフォーメーション(事業の構造的変革)」なども再編であり、現代の経営リーダーにはどの局面においても対応できるマルチな能力が求められている。
M&Aに伴うリーダーマネジメントの重要性を強烈に学んだのが、2002年の米ヒューレット・パッカード(HP)による250億ドルを投じた米コンパック・コンピューター買収だった。私は1997年にコンパック日本法人に入社し、この合併に遭遇した。
コンパックはパソコンから大型コンピューターまでをそろえ、HPはUNIX機やプリンターなどで高いシェアを持っていた。HPのM&Aは、重複領域の少ない相互補完的で理想的なIT企業を創造できるというものだった。
当時の売上高はHPが470億ドル、コンパックが404億ドルで、合併後の売上高は単純合計で874億ドルになり世界最大の米IBMの900億ドルに並ぶ規模になる。世界160カ国に事業拠点を構え、社員数は14万5000人。合併によるコスト削減効果は25億ドルが見込まれるという巨大合併だった。
HPとコンパックの日本法人も、合併により売上高約3700億円、社員数6000人となる。外資系の現地法人の統合とはいえ、あまりにも大きな企業統合だった。
親会社の合併期日は2002年5月とされ、コンパックのマイケル・カペラスとHPのカーリー・フィオリーナの両CEOの強力なリーダーシップの下で合併準備が進められた。それは見事と言うしかないものだった。
合併後の在り方を検討、よりよい手法を柔軟に採用
まず感心させられたのが「クリーンルーム」という合併準備室を軸にした活動だ。クリーンルームを本部として、その下に両社の若手の精鋭社員を集めて運営方針や製品ラインの統合、組織体系などをテーマとする分科会を設けて合併後の在り方を検討する。これが親会社だけでなく全世界の現地法人同士でも展開された。
その検討アプローチは、「アダプト・アンド・ゴー」。Adopt、つまり適応したり順応したりして前進する。一番根っこのポリシーをA社のやり方かB社のやり方かと選ぶときに、よい方を柔軟に採用するもので、それを若手が中心になって選ぶのである。たすき掛け的なことはいっさい許さない。
当然ながらA社かB社のどちらかに偏る判断になるかもしれないし、同じテーマでも日本ではA社の方式を採用してもインドではB社の方式を採用するかもしれない。しかし、それは構わないのである。
そのお国に合ったやり方をより素晴らしく実現しているのであれば、その国で実績を上げやすい。そう割り切ってしまうのである。
次はオフィスの統合である。日本法人の場合、コンパックの本拠地は東京の天王洲にあり、HPのそれは市ケ谷と高井戸にあった。またコンパックがかつて吸収合併した日本ディジタル・イクイップメント(DEC)のオフィスが荻窪に残っていた。そこで天王洲と市ケ谷から半分ずつの社員が異動し、高井戸と荻窪でも人事交流がなされた。
親会社の合併初日。私がなによりも驚かされたのがメールシステムの統合だった。世界14万5000人の社員が同じドメインのメールアドレスで通じるようになっていたのである。
なぜこれがすごいことなのかを読者の皆さんは想像しにくいかもしれない。合併合意の発表から8カ月ほど足らずでこれほど多くの社員のメールシステムを構築するのはただ事ではないのである。
実際、ドメインは同じだったが、よくよく見れば旧HP社員の名前部分は大文字で、旧コンパック社員は小文字という違いがあった。メールシステムだけでも、それぐらい完全統合に至るには長い道筋が必要で、ドメインの統合だけでも、あっぱれな出来事なのだった。
いがみ合いは当然 ごちゃごちゃにして出身の痕跡をなくす
そもそもクリーンルームやアダプト・アンド・ゴーなどの合併手法はコンパックが備えていたものだった。コンパックは1997年に無停止コンピューターの米タンデムを、翌98年には米DECを相次いで買収した。その経験から編み出されたのが合併初日(デイワン)に向けた統合手法で、これがHPとの合併でも活用された。
こういう手法が編み出されてきた理由は、実にシンプルで明快なマネジメント観によるものだ。「合併に伴う旧社同士のいがみ合いが出るのは当然である」と考えられてきたからである。企業カルチャーの違いは当然あり、意味もなく「自分たちのやってきたやり方が正しい」と考えるのも人の"業"のようなものである。
そこでカルチャーの違いや合併に伴う社員の不安を解消するには、「どちらの会社の出身かの痕跡はすべてなくす」のが即効的かつ最も重要な取り組みだと考えたのだ。一言で言えば、合併時のポスト・マージャー・インテグレーションでは、「ごちゃごちゃにしてしまう」のが、なによりも肝要なマネジメントになる。
ここには、きれい事はいっさいない。合併や統合で生じるであろう混乱を当たり前とし、それをあいまいにせず真っ向からマネジメントの課題として取り組む。ドライと言うよりもリアルだ。
アダプト・アンド・ゴーしかり、オフィス統合しかり、メールシステムの統合しかり。そのいずれもが何気なく単純な取り組みのように見える。しかし「たかがメール」「たかがオフィス」でありながら、「されどメール」「されどオフィス」といった重要なものなのである。
首尾一貫したメッセージを熱い思いで語り続ける
私は新生日本HPが誕生した翌春に社長に就任した。就任要請は私には意外なものだったが、合併後間もないが故に「しがらみのない奴がシャッフル効果を高めろ」との狙いであろうと考え受諾した。
社長就任にあたって全社員を前に40分ほどの就任プレゼンを行ったが、そこでは赤字続きであったエンタープライズ事業の新しい戦略や施策を、事業目標を中心のテーマにした。そして「万が一、これらの目標を達成できなければ、責任を取って社長を辞任する」とも宣言した。社長が結果重視を求めている以上、結果が出なければ私も責任を取るのが当たり前だ。
このときも、後にダイエーの社長になったときも、振り返れば私は一つの態度を貫徹しようとしていたことに後で気づかされた。それはトップは、「メッセージを煮詰め、確信を持って発信し、結果を出すまでは絶対にぶれないようにする」という姿勢だ。
論理的な整理は当然の作業だ。さらにメッセージの受け手が納得できるような言葉や表現を納得がいくまで探し続ける。その上で首尾一貫したメッセージを熱い思いで語り続ける。何度も何度も相手が理解してくれるまでぶれずに伝える。
リーダーの言葉がころころ変わると現場の社員は進むべき方向性が分からなくなる。さらに首尾一貫していなければリーダーの熱い思いが生煮えのメッセージとなり現場から信頼を得られないのだ。事実や論理だけでは人は動かない。語り手の情熱や信念に触れたときに人の気持ちに共鳴のバイブレーションが起きれば、自らもまた動きだそうとする。
「外資系企業のトップにしては浪花節だ」とからかわれることもあるが、この思いはまったく揺らぐことなく今日まで来ている。現場の社員は自分たちの未来をリーダーに託しており、それだけリーダーの一挙手一投足を見続け、一言隻句まで耳を傾けているのである。その緊張を失うとリーダーは組織をまとめるどころか壊し始める存在になってしまう。
1980年阪大工卒、松下電器産業(現パナソニック)入社。91年米ハーバード大学経営大学院修了。2003年に日本ヒューレット・パッカード社長。ダイエー社長を経て、08年日本マイクロソフト社長に。15年より現職。
(撮影:有光浩治)