時々、かつて勉強していた韓国語を喋る夢を見る。韓国語を喋っているという設定ではなく、現実の自分が知っている単語や文法だけを使ってたどたどしく話している。1年半勉強していたけど期間に対して上達した実感がなく(ただ、今振り返れば語学はそんなものだと思う)教室代も高くてやめてしまった。そこから時おり見る夢の中でしか喋っていない。自分が語学を学んでいた日々は「できない」を感じてばかりの日々だった。
チョ・ギョンナン『風船を買った』を読んだ夜、韓国語の夢を見た。そこにはたどたどしく韓国語を話すわたしの姿があった。起きてまた『風船を買った』を読み、自分は韓国の小説や詩を原文で読みたくて勉強を始めたことを思い出す。語学はわたしにとっての「できない」だけど、でも原文で読みたい思いがあるならいつか「できるかも」に変わるだろうか?わからないけど、また自分のペースで勉強を始めたい気持ちがたしかにあって、その気持ちを確かめるように長い間ふれていなかったテキストをひらく。