例えば、歌手を目指している人がいて、続けるべきか?見切るべきか?
と言う風に。
自分はこうしているや、本にはこう書いてあったなど教えてくれると幸いです!
これはあくまで私自身の判断基準ですが、何かに努力するとき最初から
無理と決めて始めませんよね。努力する限りは必ず成功させるつもりで
スタートする筈です。ですから、状況が許す限り私は努力を続ける方を
選びます。逆に「見切りを付ける」のは状況が許さなくなった時点…
例えばもう無理だと理解した時や、その努力を続ける事が実質不可能に
なった時だと思い、その様に判断しています。
仕事上での向き不向きは、仕事をしていて面白くなさすぎるときです。
少しでも楽しければ向いてると思ってます。
仕事上で努力しても、どうしても不可能な壁があるときは見切ります。
他で長所を伸ばせばいいことですから。
自分の努力が社会(他人様)の役に立つと信じられなくなったら、その時が潮時だと考えています。
逆に、自分のためだけの努力というのは辛いだけなので、私はダイエットをしたことがありません(苦笑)。
歌手を目指したことはないので想像でしかありませんが、彼ら/彼女らは、自分のためじゃなくて、みんなを喜ばせたいから一生懸命に努力しているのだ思います。そうすることができると信じているうちは、どんなに辛いことがあっても、努力を続けるでしょうね。
仕事は自分に合っていなくて当たり前です。私は長年解剖をやっていました。その頃の仕事には、死体を引き取り、研究室で解剖し、それをお骨にして遺族に返すまで全部含まれています。それのどこが私に合った仕事なのでしょうか。そんなことに合っている人間、生まれ付き解剖向きの人間なんているはずがありません。 そうではなくて、解剖という仕事が社会に必要である。ともかくそういう穴がある。だからそれを埋めたということです。何でこんなしんどい、辛気臭いことをやらなきゃいけないのかと思うこともあるけれど、それをやっていれば給料をもらえた。それは社会が大学を通して給料を私にくれたわけです。(19ページ)
私は夢は夢、現実は現実と考えるようになりました。
年齢制限があれば、その年齢まであきらめずにがんばろうと思うのですが、
歌手などは年齢があってないようなもの。(若ければ若いほどいいんでしょうけど)
そのときは、現実に食べていけるだけの仕事に就き、休日を利用して夢を追います。
女が28歳までに考えておきたいこと―「強運な女」になる秘密 (知的生きかた文庫―わたしの時間シリーズ)
でもなんだかんだいっても夢を追うのは30歳が限度だと思います。
二刀流で有名な宮本武蔵は、相手と戦わずして「見切った」といわれています。
彼は勝てない試合はそもそも挑まないし、受けなかったともいわれています。全戦全勝といわれているのは、負けそうな試合をそもそもしなかったということです。また試合の中でも「見切った」とは自分の頭の中で相手に勝つ間合いなどを読みきった時に使ったそうです。
一方、現代においても、一部の天才を除きいわゆる成功者と呼ばれる人の特徴はあきらめなかったことにあるように思います。また成功者の多くは、挑戦する分野以外の要素をすっぱりと切り捨てる思い切り(つまりは見切り)のよさも指摘されています。
例えばイチローにしても24時間365日常に野球のことを考え、自分の生活のありとあらゆる要素を野球に結び付けて行動していることは有名です。バットの素材やグローブの取り扱い(他人のものには一切触れない)はもちろん、食事から枕にいたるまでありとあらゆることを野球に振り向けた結果、世界でも指折りの名選手になれたのだと思います。イチローにしろ、サッカー日本代表キャプテンの中澤にしろ、年少期は能力的に目立たない存在であったことは共通しています。
つまり見切った上でやり始めた以上、決してあきらめるべきでは無いということですね。重要なことはあきらめる瞬間の見切りではなく、挑戦し始める時の見切りだと思います。
「いい努力を続けるために」
夢や目標をもったら、それを達成するためには、いい努力を続けることが肝心です。
そのためには、幸せになる考え方を心がけ、いい心の状態をキープすることが重要ではないでしょうか。
私は、難易度が高い目的の場合、自分の努力そのものに満足したら目標に到達して無くても見切って良いことにしてます。(自分のやり方を相対的にみて改善点や努力点が見つけられず、なおかつ達成されないなら、あきらめる。)
学生でなければまず生活することがベースですから、歌手になりたいとした場合、歌手になってCDが発売されるより、バックシンガーで定期的な収入がある。CD出したけど生活できないから居酒屋でバイトより、バックシンガーだけど仕事がたくさんあるというほうがベターではないでしょうか?
努力するベクトルが
一人でこつこつやれば達成できるものと(たとえば漢検1級とか)
他者の圧倒的な支援や運が必要で本人の意を介さない要因が多いもの(オリコン1位とか?)
後者に当たる性質のものなら、自分の努力に満足したらそれで終わっても良い。という風に分けています。年齢的な期限を設けると、さらに判断しやすくなります。まあこういうのは学校で教えてくれないので、自分で学ばないとならないのですが知ってると知らないとでだいぶタイムロスは抑えられると思います。
努力か才能か。。。みたいなところは永遠に禅問答的なものだと思っていますが、
http://www.amefrec.co.jp/ecolo/060/060_hozan.html
個人的には、出来る努力はして当たり前だとおもうのですが、努力をすることが目的ではないので、努力をしないための知識は必要だと考えています。
「損玉(そんぎょく)を決断早く見切ること、これ相場の神仙と知れ」とは、いつまでもくよくよしずに、売りの決断は早くしろ…といった意味の格言です。「神仙」とは、神通力のある仙人のことで、損玉を早く見切る行為は、相場の神様がやることだと言われています。
僕はそういう時は頭の中でどちらの場合が自分の利益になるか想像して決断をしています。
たとえば質問の例の場合だと、長い間歌手を目指して頑張っているのに、全くそうなれる兆しがないというときはやめると思います。
ただ歌手に対して特別な思い入れがあるとか、いろいろあると思うので一概には言えないでしょうけど。
難しいですね。
一番大きいのは目標に対する「情熱度」だと思います。
目指していることに対して情熱が十分にあるのであれば、見切るべきではないと思います。
たとえ35歳になろうと40歳になろうと、情熱がなくなるまで続けるべきだと思います。
そこで「もう40だから、そろそろ諦めよう」と思ってしまうようなら、
それは情熱が果てていると思うので一旦諦めてみるのも良いのかなぁと。
40歳でなくても、23歳くらいでも大して情熱が無いのであれば、無理して続けるべきだとは思いません。
なんでもある程度続けてみないと分からないとか言いますが、やりたくもないことを続けてもしょうがないと思うので。
ただし、Aという目標に対しての情熱はあっても、Aにたどり着く前にBという経験も必要で、
そのBという経験はやりたくないことなので見切る、という発想は私は良くないかと思います。
でもその他にも自分ではそのときはどうしようもない、お金の問題とか、健康状態の問題とかいろいろあると思うので、
そういう時は自分にとって何が一番大切かよーく考えてみるしかないと思うんですけども。。
私の知り合いにお笑い芸人をやっている人がいます。
その人は、吉本や松竹といった大きな事務所ではなく、マニアックな芸人ばかりいる弱小事務所に所属しているのですが、
その事務所の所属芸人としては初めて『爆笑オンエアバトル』でオンエア(合格)となり、先輩の芸人からほめられたりして自信をつけていったそうです。
何より、自分の才能について数値化されたり、直截な評価を直接もらえたのが、確固たる自信に繋がったそうです。
小谷野敦という比較文学者がいます。
彼は若い頃、松本清張に憧れて完全なフィクションである小説を、当時新人賞だった松本清張賞に応募したのですが、
自分でも「無理」をしている箇所があると感じ、すぐに創作活動をやめたそうです。
後年、自らの周辺を題材にした私小説を書き、そこでは「無理」がないと判断し、今では他人様に私小説の作法を教授する立場になりました(笑)。
ただ、彼は「誰にでも小説が書けるというのは幻想で、きちんとした才能がない人間には創作は不可能」だと言っています。
他人に評価してもらえないものを続けるのは無益、だということなのでしょう。
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