たとえば、上見て!と言われてから上を見るまでのスピードと、右見て!と言われてから右を見るまでのスピードでは、後者の方が遅いのではないかと思います。
自動車の教習で左曲がってと言われて右に曲がってしまう人や、タクシーで右に曲がってほしいのに左に曲がって、と言ってしまう人もいます。
上と下、前と後ろを間違えることはないですが、右と左は間違えることがあります(あると思います)。
(質問)
そもそも、上下・前後に比べ、左右の判断は時間がかかったり、間違えやすかったりするというのは正しいですか。
もしそうだとしたら、それはなぜでしょうか。
人間の体が(普通に立った状態のとき)、右と左が対象で、上下・前後は非対称なのと何か関係がありますか。
素人意見ですが
上下は地面のある方が下、そうでない方が上というように「地面」を元にしての方向。
左右は元となるのが「自分向いている方向」というやや不安定な基準だから脳が判断するのに少し時間がかかってしまうような気がします。
かも知れませんね。
逆立ちしている人に「上見て」と言うと迷うんじゃないか?
上下、前後は自分であろうと他人であろうと一緒です。
(前は距離を縮める、後ろは距離を広げると普通は解釈するので迷わない)
けれども左右は自分からみた場合と向かい合っている他人から見た場合で異なります。
よって、右と言ったとき自分からなのか他人から見てなのか迷ってしまう。
普通鏡に映っている自分を見ると「左右が逆に映っている」と感じますよね?
しかしよく考えれば右手は右に移されるし左は左に移されているはずです。
ここで人間が向かい側から見てと考えてしまっていることが実感できます。
このように左右というのは視点を変えると逆になるので難しいのでしょう。
根拠なし。
>上下、前後は自分であろうと他人であろうと一緒です。
前後もそうなんでしょうか。
>根拠なし。
この潔さはポイント高いです。
参考になる情報をひとつ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%8...
優位半球の角回という部分が脳梗塞に陥ると、左右の区別ができないことがあります(このとき上下の区別はできる)。
上下の判断とは別のメカニズムなのだろうと思います。
※話が少しズレますが、鏡に映る自分は「左右」が逆転するわけですが、厳密には「左右」が逆転すると表現する必要はないと思います。私たちが上下を固定して考えているために、「左右」が逆転するように思えるだけです。左右を固定して考えれば、「上下」が逆転していると表現してもよいはずです。有機化学ででてくる、光学異性体の話を知っているヒトならすでに気づいていることと思いますが。要は、私たち人間は、上下と左右をは別のものと捉えるようにできているということです。上下は重力の方向、左右は自分たちが移動する方向であって、実生活にとってはまったく別の意味を持ちますから、当然です。上下と左右を同じ<軸>として捉えようとするのは普遍化を志向する(ひとつのスマートな)考え方ではあっても、その考え方自体が普遍的であるといえる根拠はありません。
鏡はなんで前後・上下は逆にならないけど、左右だけは逆なの?って問題がありますが、逆の定義がはっきりしてない問題ですよね。
左押右奏 ~ 弦はタテ、弓はヨコ ~
カザルスは、年をとっても右手は上達する、と述べています。
チェロの弦を押える左手は、指板を押えながら、上下(ヴァイオリン
は前後)に向ってヴィブラートをかけます。
初歩の段階では、速い曲を弾きたくて、左手の練習に偏りがちですが、
演奏の聴きばえは、むしろ右手の弓づかいが決め手です。したがって、
左手には終りがあるが、右手は果てしない技術を残す、というわけです。
(右手の運弓がモノをいうのは、左手の運指が完成されて以後である)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030114
落第生は二度眠る ~ 寒月の右手 ~
上下左右 ~ ウワメ・ヨコメ・ナナメ ~
古式礼法では、目上の人に対面すれば、直視しないのが基本でした。
平伏しての上目づかいや、高い位置から“見くだす”のも厳禁です。
ただし、高い山や天に向って“目をあぐ”という表現があります。
ジロジロと横目で見たり、わざとらしく目を背けるのもいけません。
そのかわり、流し目や秋波は、相手しだいで歓迎されます。
上下に瞼を閉じれば肯定的で、左右に首を振れば否定的なのです。
フルート奏者は、指揮者にイヤイヤしながら吹いているようですが、
オーボエやクラリネットはハイハイと同意しているように見えます。
ファゴットは返事もせず、ブッキラボーに吹きつづけます。
縦横盛衰 ~ タテメシからヨコメシへ ~
ヒトの両眼は、ヨコに切れているために、タテガキよりもヨコガキに
適しているのではないか、という俗説があります。
しからば、世界中の文字言語は、つぎの三通りに分類できます。
1.左から右へ横書き(英語などの欧文)。
2.右から左へ横書き(ヘブライ・アラビア・ペルシア語)。
3.上から下へ縦書き(漢字・漢字かなまじり文)右から左へ改行。
現在の中国では、略字化して横書きに統一されています。
わが国の教科書も、国語以外すべて横書きになってしまいました。
いろいろな理由があるにせよ、縦書きは絶滅に向っているようです。
戦後日本では、新聞・雑誌・教科書は、すぐにも横書きになると予想
されましたが、横書きの雑誌は売行き不振のため縦書きに戻り、保守的
な読者に支えられた新聞は、やがて縦書きのまま姿を消すでしょう。
http://q.hatena.ne.jp/1142217875#a499425
── 屋名池 誠《横書きの日本史 200107‥~12‥ 岩波書店・図書》連載
あまり質問の回答になってないような気がします。
錯視に関して勉強しているものです。
左右に関しては利き手などの影響もあるため、上下に関して話したいと思います。
上下は光が上から入ってきているという思いこみが人間にあるため、
下側から来る光には無神経もしくは反応が遅れるという実験結果があります。
http://www.kwa.jp/mm/column/eye-7.htm
錯視(光と影 凹凸の錯視)
錯視に関して、
http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/
北岡明佳
北岡明佳さんが研究されています。
もし、心理学的なアプローチを考えているのであれば、役立つと思います。
すみません。一般庶民がただの好奇心から聞いています。
目と脳の関係という観点からだと、上下より左右のほうが速いです。
前後は、後ろを見るってのが視界内ではないので無理ですが。
たとえば、テレビの画面は横長ですが、縦長の画面に同じ量の情報を並べると、把握するまでの時間は遅くなります。目の筋肉の付き方も、上下より左右の動きの方が速いです。
また、上下に動く物より、左右に動くものの方が、人は認識しやすいです。具体例を挙げるのが難しいのですが、飛び跳ねるボールを見るより、メトロノームを目で追う方が簡単です。
脳が右という言葉を聞いて、目に対してこっち(右)を見ろと指示するまでの時間が長くかかってると思います。
いったん見ようと思ったら、おっしゃる通り早いんでしょうね。
そうなんですか。