①と② 十二支の歴史は古く、中国の古代王朝に端を発すると言われています。
と言うよりも文字記録されている最古の文字が中国古代王朝時代と重なると言うだけで、最古の干支の起源は確定していないと言えるでしょう。
当時は中国も多民族国家が郡立していたから、メソポタミア辺りからの伝承である可能性すらあります。
日本で干支の記録が残るのは遣隋使以前まで遡ります。
大和朝廷が朝鮮半島から植民してきたときには既に干支を携えていたというのが正確なところでしょうけど状況証拠しかありません。
③ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B2%E6%94%AF#%E6%99%82%E5%88...
日本で時刻を十二支にあてたのは推古天皇(聖徳太子の時代)が最初のようですね。
江戸時代には歌舞伎などの庶民の娯楽にも干支が登場したようで当時としては洒落た言い回しだったようです。
鐘を撞いて、時を伝えるという時報のシステムですが、
下記のセイコー様のホームページによると、
当初は、江戸の町だけであったようですが、その後、
全国へ広まったようでした。
ただ、これは、全国の主要な城下町(また、門前町や宿場町)なら
そうかもしれないのですが、
農村地帯ではどうであったのだろうか、と思いました。
また、山村や漁村はどうであったのか、
そこも私には、ハッキリとはわかりませんでした。
https://museum.seiko.co.jp/knowledge/relation_07/
「17世紀中頃になると、全国的な規模で「時の鐘」の「捨て鐘」による連動を伴った、時報システムが拡大して行き、全国津々浦々、鐘の鳴らない所はなかったとまで言われるようになりました。このように一つの国で、これだけの時報専用設備を網羅して、人を配置して遅速なくそれらを連動して鳴らすという時報システムは、鉄道や電信などが発達していた19世紀末の欧米諸国でも見られない画期的な事であり、現代の鉄道の運行ダイヤをはじめとする時刻に細かいとされる日本人の素地が、既に出来上がっていた一つの例では、と思われます。」
メソポタミアは、
12進法が生まれたとも聞きますし、
星座も12宮あります。
十二支が12であることが、無関係だとは思いにくいです。
倭の五王(また、卑弥呼など)のときに、
時刻というものについて、
どのような遣り取りをしていたのか、と思います。
中国王朝と日本からの使節との会話で、
時刻の概念とか言い方とか、そういうことは話されなかったのか、
そういうふうところ、気になります。
古墳の天井に四神などが描かれた高松塚古墳などの例もありますし、古墳時代のいつ頃かには伝来していたのは確実です。
記紀に書かれたもっと古い時代が正しいのでしょうけど、残念ながら記紀は時代感覚がアバウトで信用できない部分が多すぎるので正確なところは分かりません。
邪馬台国の時代まで遡ると文字すら無かった時代ですが、朝鮮系の移民には既に普及していた可能性が高いと言えます。