ダメな例・・・ヒトラー(悪いほうでは超大物)、○○首相(首相になれるなら立派です)、ダライ・ラマ(次のダライ・ラマへの奇跡的な確率を引き当てた点で既にえらい)、ジョン・ウィルクス・ブース(リンカーン米大統領の暗殺犯)
良い例を挙げるのが難しいのですが、「なるほどこいつは、他に比べて小物だ」と思わせてくれれば高評価です。「もしかしたら自分でも、特に自分の人生を棒に振らなくても、ギリギリ教科書に載れるかも」と思わせてくれれば素晴らしいです。力作、お待ちしています。
武士とか政治家はいくら小物と言っても、一般人から見ればそれなりに大物だと思います。
私が思う一番の小物は「漢委奴国王」の金印を発見した(事になっている)
百姓の「甚兵衛」です。
http://kids.gakken.co.jp/box/syakai/06/pdf/B026102130.pdf
http://museum.city.fukuoka.jp/jb/jb_fr3_03.html
http://www.nakash.jp/opera/kikou08/01hukuoka/r15kinnin.htm
しかも、本当に金印を発見したのならまだしも、実際に金印を発見したのは
秀治、喜平という奉公人で、甚兵衛は“郡役所に届けただけ”の人物
というのが実態のようです。 それ以外の功績はありません。
真の発見者は・・・、秀治と喜平!(下方参照)
http://www.livedo.net/tabi/65.html
他 小物の証明?
今時なんだかんだ言ってもネットで人物を調べようとすると、いやでもWikipediaが出てきます。
それだけ多くの人物がWikipediaには載っています。(私の知り合いでも載っているくらいですから)
しかーし、「甚兵衛」はそのWikipediaにすら項目がありません。
“教科書に載るレベルの人物”では異例中の異例です。(誰か書いてあげてくださいよー)
たとえば漂流者の庄蔵なんかでも載ってるのに・・・
金印鑑定の亀井南冥は小物ではない
http://historiography.passnaviblog.jp/archives/17732.html
江戸時代後期の儒学者で、福岡藩の藩医を勤めた亀井南冥(かめいなんめい、1743~1814)です。彼の主張に対してはその後、出土状況・発見者・金印そのものの真偽・印文の読み方などについて、さまざまな疑問が出されました。しかし結局、今もって南冥の説は基本的に支持され、現行の中学校や高等学校の歴史の教科書でも採用されています。
こんな扱いも
「教科書に出てくる人物で一番どうでもいい奴は?」
http://wiki.fdiary.net/worldhistory/?c=src;p=%B6%B5%B2%CA%BD%F1%A4%CB%BD%D0%A4%C6%A4%AF%A4%EB%BF%CD%CA%AA%A4%C7%B0%EC%C8%D6%A4%C9%A4%A6%A4%C7%A4%E2%A4%A4%A4%A4%C5%DB%A4%CF%A1%A9
(29)「日本史だけど、金印を発見した農民の人、確か名前も載っていた。名字はなかった気がするが」
(55)「(重)「甚兵衛」さん。志賀島の金印発見した百姓。たいていの教科書に出てない?」
Google のヒット数でも「甚兵衛」ではさすがに多いですが、大部分は無関係な店名や衣服関連です。
「甚兵衛 金印」なら約 5,380 件と少ないです。
質問を見て、まず、頭に浮かんだのは、小早川秀秋です。
学生のころは、歴史は不得手だったので、教科書の内容なんて、まるで覚えていないんですが、教科書に載っているとしたら、関ヶ原の戦いで、どっちつかずの態度を取っていたところを、東軍から銃でいかけられて、あわてて東軍として参戦した、というところだと思います。
歴史小説のイメージしかないんですが、優柔不断、キレやすい、臆病、というイメージがあります。
羽柴家の養子となった後に、秀頼が生まれたという不運もあったのでしょうが、戦国時代の武将の中では、武勲らしいエピソードもなく、関ヶ原での裏切りのイメージだけが付いていると思います。
基準があると、他の回答が付きやすいんじゃないかと思うので、とりあえず書いてみました。
# 後、四回、チャレンジできるし :-)
はい。要は「こいつでも載れるくらいなら、ひょっとしたら俺でも載れるんじゃね?」感の強い人ほどOKです。
面白いので考えてみました。
山上憶良、歌人として百人一首にも入ってませんし、政治で活躍したというわけでもありませんが、歴史の教科書の「奈良時代の農民の貧窮」とか「防人制度」の項目で必ず紹介され、テストにも頻出です。
単に歌で庶民の代弁をしただけで、特に自分で何か改革をしたとかいうわけでもないと考えると、わりと小粒な感じがします。(もちろん万葉集にたくさん歌が収録されてるのですから、偉大といえば偉大ですよ!相対的にという意味です)
余談ですが、コメントで挙げられている小野小町は歌がうまかっただけですが、さすがに「六歌仙」って言われてるぐらいですから、国語の教科書に載る人としては、十分大物としてよさそうです。「世界三大美女」とされているのは、むしろ後世に彼女を題材にして生まれた作品群(能や謡曲など)の豊かさによるものじゃないかとは思います。
日本にも美女とされる人は多くいましたが、あとあと伝説が生まれるほどの美女はこの人だけかも? 政治にかかわるとどうしても「女傑」って感じになってしまいますね。
リコ様、ありがとうございます。小野小町は、たしかに有名でイメージもたいへん良いので、山上憶良のほうが、より小粒という感じでいいですね!! ありがとうございます。だいぶハードルが上がって(下がって?)きましたが、次の方、がんばってください。
杉田玄白はいかがでしょう。
みんな知ってる「解体新書」と「蘭学事始め」を書いた人ですが、ほかはただの医者。解剖行為(腑分け)は山脇東洋が量も質も抜きんでているので、玄白の功績はないです。
それに、オランダ語を独学で翻訳と言っても、長崎ではきちんとした翻訳者がいたのに、素人仕事で医学書を翻訳。図は原著のままとしても、医学用語とかはちょっと不安という出版。蘭学事始めもすごい本とは言い難い。
平賀源内の知り合いということで少し世に出ているのでしょうが、大したことはしていません。
たけじん様、ありがとうございます。確かに、能力が非常にあった人というよりは、大志を抱き、実現に向かって努力した人、という感じです。ありがとうございます!!
二枚目のカードを切ります。
ぼくが推すのは、奈良原喜左衛門さんです。
教科書には「薩摩藩、島津久光の供回りの藩士」としか出てないはずです。
「生麦事件」の際に、最初に切りかかった藩士とされています。
今の感覚では、人ひとりに致命傷を負わせているわけですから、大それたことをしでかしたような感じですが、当時の武士としては、お勤めを忠実に果たしただけの、一介の地方公務員なわけです。
なのに、幕府を巻き込む国際問題にまで発展してしまいました。
事件は一応の解決を見ましたが、薩英戦争の端緒を作ったとも言われ、その後の日本の行く末にまで大きな影響を与えることになりました。
「いや、犯人扱いって。あのときの私にどうしろと……」
a-kuma3様、ありがとうございます。生麦事件の犯人の名前、はじめて知りました。
サラエボ事件→第一次世界大戦を引き起こした、セルビア人の青年、プリンツィプを思い出しますね!
皆さんが日本史からチョイスしているので、ここは意地でも世界史からと思って探してみましたが、なかなか適切な人がいません。
間違った計算と思い込みで黄金の国ジパングを目指したあげく、西インド諸島を発見して、死ぬまでアジアだと信じて疑わなかった クリストファー・コロンブス を調べてみたのですが、「コロンブスの前では、アドルフ・ヒトラーはまるでただの不良少年だ」という評価もあるくらい極悪非道の人だったので却下。
「コロンブスより1年早い1491年に到達した」と虚偽の主張をして(諸説あります)、大陸にその名前を残した アメリゴ・ヴェスプッチ を候補としてあげるにとどめます。
さて本題です。
日本史の方で、大抵の教科書には載っているという観点から、山口尚芳を推します。
この写真の人です。
岩倉使節団 ですね。
左から2人目が山口尚芳で、他の4人は 木戸孝允(桂 小五郎)、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通 です。
実際に中学の教科書に載っている、という 証拠写真。
山口尚芳 は岩倉使節団の副使で、帰国後に元老院議官や貴族院議員になったりはしてますが、官職としては初代の会計検査院長だけで、しかも在任していたのは1881年5月28日から1881年10月21日のわずか5ヶ月弱です。
同じ写真に写っている他の人達が、総理大臣やら外務卿(外務大臣)やら 維新の十傑 であるのに比べると、「大物」と言うには語弊があるでしょう。
つか、国費で1年10ヶ月も外遊しておいて会計検査院ですよ。
会計検査院って、外遊経験は必要ないと思いませんか?
NHK の大河ドラマ『篤姫』で岩倉使節団が出た時には、
区長さんは ドラマ篤姫に大久保や木戸、岩倉が出たので使節団の一員として・・尚芳も出るのではと・・・楽しみにしてたが・・残念だったと
花島公民館にて・・範蔵まつり。山口尚芳が亡くなって115年。
という事だったようです。
大河ドラマ的にも「その他大勢」扱いだったわけですね。
Google のヒット数を見ても、
で、a-kuma3 さんの奈良原喜左衛門よりヒット数が少ないです。
というわけで、偉い人達と一緒に記念写真に写っていれば、抜きん出た業績がなくても教科書に載れる、という一例でした。
meefla様、ありがとうございます。
山口尚芳という名前自体、はじめて知りました。
写真を見ても、いかにも印象の薄そうですね。
さまざまな説得力のある議論、ありがとうございます。
暫定一位です!
武士とか政治家はいくら小物と言っても、一般人から見ればそれなりに大物だと思います。
私が思う一番の小物は「漢委奴国王」の金印を発見した(事になっている)
百姓の「甚兵衛」です。
http://kids.gakken.co.jp/box/syakai/06/pdf/B026102130.pdf
http://museum.city.fukuoka.jp/jb/jb_fr3_03.html
http://www.nakash.jp/opera/kikou08/01hukuoka/r15kinnin.htm
しかも、本当に金印を発見したのならまだしも、実際に金印を発見したのは
秀治、喜平という奉公人で、甚兵衛は“郡役所に届けただけ”の人物
というのが実態のようです。 それ以外の功績はありません。
真の発見者は・・・、秀治と喜平!(下方参照)
http://www.livedo.net/tabi/65.html
他 小物の証明?
今時なんだかんだ言ってもネットで人物を調べようとすると、いやでもWikipediaが出てきます。
それだけ多くの人物がWikipediaには載っています。(私の知り合いでも載っているくらいですから)
しかーし、「甚兵衛」はそのWikipediaにすら項目がありません。
“教科書に載るレベルの人物”では異例中の異例です。(誰か書いてあげてくださいよー)
たとえば漂流者の庄蔵なんかでも載ってるのに・・・
金印鑑定の亀井南冥は小物ではない
http://historiography.passnaviblog.jp/archives/17732.html
江戸時代後期の儒学者で、福岡藩の藩医を勤めた亀井南冥(かめいなんめい、1743~1814)です。彼の主張に対してはその後、出土状況・発見者・金印そのものの真偽・印文の読み方などについて、さまざまな疑問が出されました。しかし結局、今もって南冥の説は基本的に支持され、現行の中学校や高等学校の歴史の教科書でも採用されています。
こんな扱いも
「教科書に出てくる人物で一番どうでもいい奴は?」
http://wiki.fdiary.net/worldhistory/?c=src;p=%B6%B5%B2%CA%BD%F1%A4%CB%BD%D0%A4%C6%A4%AF%A4%EB%BF%CD%CA%AA%A4%C7%B0%EC%C8%D6%A4%C9%A4%A6%A4%C7%A4%E2%A4%A4%A4%A4%C5%DB%A4%CF%A1%A9
(29)「日本史だけど、金印を発見した農民の人、確か名前も載っていた。名字はなかった気がするが」
(55)「(重)「甚兵衛」さん。志賀島の金印発見した百姓。たいていの教科書に出てない?」
Google のヒット数でも「甚兵衛」ではさすがに多いですが、大部分は無関係な店名や衣服関連です。
「甚兵衛 金印」なら約 5,380 件と少ないです。
ありがとうございます。
「甚兵衛」は、ギリギリでオッケーです。
まさに最低のラインを挙げていただき、ありがとうございます!!
ベストアンサー ありがとうございます。
教科書依存なので、できればこのカードは切りたくなかったのですが。
大工原正泰さん。
1933年(昭和8年)9月20日生まれですので、現在78才ですね。
脚本家です。
日本シナリオ作家協会の会員プロフィール によれば、映画「野球狂の詩」やテレビの「大江戸捜査網」が代表作です。
(「日活と専属契約」という所から、脚本を書いた映画の中で多数を占めるジャンルがわかる方もいるでしょう)
Wikipedia に個人ページはありません。
Google のヒット数 は約4,460 件で、「甚兵衛 金印」よりもさらに少ないです。
そんな大工原正泰さんが、なぜここに出てくるのか?
これです。
清水書院が出版した『新中学校「歴史」日本の歴史と世界』のP244、「証言・体験記録からみえてくる戦争」というページです。
(トリミング前の画像 も上げておきます)
大工原さんが、戦時中に遊んでいたベーゴマと金属供出の体験を語った時には、まさか歴史の教科書に載るとは予想していなかったでしょう。
さらに言えば、同じページで女子勤労挺身隊の体験を語っている「田村いくよ」さんという方もいらっしゃいまして、Wikipedia はおろか Google でもヒットしませんので、どんな人かは不明です。
知名度の低さでは、この人が一番ではないでしょうか。
昔の思い出を語る事で歴史の教科書に載った、という例でした。
meefla様、ありがとうございます。なかなか面白い人選だと思います。
とても悩んだのですが、やはりMEI-ZA-YU様の指摘通り、「いちおう名前を覚える必要がある人物」という定義に従いたいと思います。
百姓一揆のときの唐傘連判状に名を連ねた、仁左衛門さんや源助さんなどの方々を挙げます。
ぼくの頃でも、江戸後期の百姓一揆や打ちこわしを説明するあたりで、写真がありました。
現在の教科書でも、ひとつは写真が掲載されているようです。
http://tamatsunemi.at.webry.info/201108/article_52.html
○東京書籍
...
「からかさ連判状」の写真説明で「一揆の中心人物がわからないように、円形に署名したといわれます。」(117頁)。
...
○教育出版
...
・「傘連判状」の写真説明で「なぜ、名前をだ円形に書いたのでしょうか」(117頁)。
...
○清水書院
...
・「図4 百姓一揆・打ちこわしの発生件数と農民の訴状(傘連判状)」の説明で、「百姓一揆の指導者は死刑などのきびしい処分を受けたため、農民が訴状などを出すときは、指導者を特定できないよう円形に名前をつらねて署名した」(131頁)。
...
○帝国書院
...
②側注欄に「傘連判状」の写真と説明「放射状に署名して、だれが首謀者かわからなくしました」(122頁)。
...
全ての連判状に押されていたかどうかまでは知らないのですが、印が押されています。
印が押されていることで、家系をたどることが、できそうな予感があります。
「あ、これって、オレの、ひいひいひいひいひいひい爺さんじゃね」と思った方もいらっしゃるのでは。
# 姓を名乗ることができないだけで、「家」としての名字があった、ということなのかな?
現存している数以上に、たくさん書かれたのだと思います。
たまたま現物が三百余年経った現在にも残っていて、たまたま保存状態が良くて、たまたま教科書に載せる例として編者に選ばれただけの連判状に、名前を記載していた方たち。
「そこのあなた。署名するときには、きれいな字で書いた方が良いですよ。もしかしたら、後世の教科書に載るかもしれませんし……」
a-kuma3様、ありがとうございます。素晴らしい解答でした。
「からかさ連判状」で名前が残るという発想がすごいです。
定義からは外そうと思いますが、たいへん楽しい答えでした。
ありがとうございます。
2012/08/18 21:05:50「甚兵衛」は、ギリギリでオッケーです。
まさに最低のラインを挙げていただき、ありがとうございます!!
ベストアンサー ありがとうございます。
2012/08/19 22:19:50