※本稿は、古河久人『「最高のビジネス人脈」が作れる食事の戦略』(東洋経済新報社)の一部を再編集したものです。
人脈づくりに苦労した30〜40代半ばまで
40代も半ばに差し掛かろうというころになって仕事も落ち着き、ようやく時間的に余裕ができたので、仕事以外の分野の人との人脈づくりを意識するようになりました。一個人に立ち返ったとき、「仕事ばかりで、自分の人生はこれでいいのかな」というかすかな不安がわいてきたのです。
意を決して、異業種交流会的なものに参加したこともあります。ところが人見知りの私は、このような場でうまく立ち回ることができません。名刺交換をして、ひととおりの自己紹介をし合ったあとの会話が続かない。
「何を話そうか」と焦るばかりで話が弾まないままタイムアウト。まして「またお会いしませんか?」とアポを取り付けるなど、まったくできませんでした。名刺はそれなりに集まったけれど、その場限りで終わってしまうのです。
あちらからお誘いを受けることも、ほとんどありませんでした。あるとしたらネットワークビジネスのお誘いなど、営業目的ばかりでした。名刺を交換して親しそうに話し込み、ほどよいところでサッと上手に切り上げてまた次の人と名刺交換……と会場を軽やかに泳ぎ回る人が本当にうらやましかったです。
また、講演会にも参加してみました。そういう場でも講師の方に積極的に質問できる人がいますが、私は聞きたいことがあっても一切質問などできませんでした。こういう性格ですから、仕事以外の人付き合いが広がらないのも当たり前でした。
「勉強会」を開催するも撃沈
異業種交流会が苦手ならば自分で会を主催してみようと、勉強会的なものを開いたこともあります。当時はインターネットの勃興期。自分もこれは勉強しなければと考え、インターネットに精通した弁護士と経済団体の知人に声をかけて3人が幹事となり、高校の同級生が経営者となっているIT会社の会議室で開催しました。食事は仕出しの弁当。
当時としてはかなり先進的な内容で、メンバーも時代の先端を行っていた人も集まったのですが、ものの数回の開催で自然消滅してしまいました。失敗の理由は、まず私自身がもともとアナログ人間であるため、話についていけないことがひとつ。興味はあっても好きなことではなかったのです。
また自分以外の幹事役2人が忙しすぎて、なかなか時間がとれなかったことも原因のひとつでした。それから決定的なこととして、食事が「ハコ弁」で、しかもお酒なしだったことです。
食の欲求が満たされない会は食べることが大好きな私にとって意気阻喪させられるものでしかなかったのです。結局、会の内容も食事も「自分の好きなこと」でやらなかったことが最大の敗因だったと思っています。